第 01 話名を捨てた朝に、童は大人になった——はじめて冠を戴き、新しい名を名のった日のこと
〜古い名で呼ばれても、その子はもう、ふりむかなかった〜
名前というのは、たいてい一生ものだ。
生まれたときに親がつけて、その名で呼ばれて育ち、年をとってもおなじ名で送られる。途中で取り替えてしまうなんてことは、今ではめったにない。だから「大人になる」といっても、どこからが大人なのか、はっきりした線はどこにも引かれていない。誰もが気づかぬうちに、いつのまにか子どもでなくなっている。
けれど昔は、その線が、目に見える形であったらしい。
男の子は、ある年ごろになると、それまで子どものあいだ結っていた髪をほどき、生まれてはじめて冠というものを頭に戴く。そのとき、それまで呼ばれてきた幼い名を、きっぱりと捨ててしまうのだ。かわりに、大人としての新しい名を名のる。元服、と呼ばれていたとされる。
しかも、その冠をかぶせる役は、産んだ親ではない。冠親、烏帽子親などと呼ばれる、別の大人が引き受けるのが慣わしだったらしい。血のつながりとはまた違った、もうひとりの親が、子を大人の世界へ送り出す。そういう仕組みだったのだろう。
名が変わると、人は大人になる。今のボクには、ずいぶん不思議な道理に思える。けれどボクは、その道理が本当に効くところを、一度この目で見てきた。古い名で呼ばれても、もうふりむかなくなった、ひとりの少年の朝のことだ。
◇ ◇ ◇
寛治五年(一〇九一年)の春のことだった。京の三条のあたりに、季正という、もとは遠い国の守を勤めあげた主の家があり、われはその家の雑色として、薪を割ったり水を運んだりして暮らしていた。
その家には、鶴若という男の子がいた。主の末の子で、われがこの家に入ったときには、まだ乳母の袖にくるまっている赤ん坊だった。それが、いつのまにか庭を駆けまわるようになり、池の鯉を追っては叱られ、われの割った薪の山を勝手に崩しては積木にして遊んでいた。前髪を眉のあたりで切りそろえ、左右に角髪を結ったその頭を、われは何度、湯あがりに拭いてやったか知れない。
その鶴若が、この春、元服をするのだという。
年が明けてからというもの、家じゅうがそわそわと落ち着かなかった。あちこちから人が来て、主と長いこと相談をしていく。聞けば、冠をかぶせる冠親には、主の縁者で、宮中に列なる位の高い方を頼んだのだという。雑色のわれには遠い世界の話で、ただ、ふだんは滅多に焚かれない上等な香が、家のなかにうっすらと漂っているのだけが、いつもと違っていた。
儀の数日まえの夕方だった。井戸端で水を汲んでいたわれのところへ、鶴若がひとり、ふらりとやってきた。元服が近づくにつれ、この子はどこか落ち着かない様子で、こうしてわれのそばに用もなくまとわりつくことが増えていた。
「なあ」と、鶴若は井桁のふちに頬杖をついて言った。「名が変われば、おれは、おれでなくなるのか」
われは手を止めた。子どもなりに、考えていたのだろう。鶴若という名でいられるのは、もうあと幾日もない。その名で叱られたことも、ほめられたことも、すべて、まるごと置いていくような心地がするのにちがいなかった。
なんと答えてよいか、われにはわからなかった。難しいことは、われの手にあまる。ただ、こう言った。「名が変わっても、薪を割るのは、おなじこの手にございます。鶴若さまの好きな鯉も、おなじ池で泳いでおりますよ」。鶴若は、ふうん、と気のない返事をして、それでも少し安心したような顔で、奥へもどっていった。その小さな背を、われは長いこと見送っていた。
その日の朝、家の奥のもっとも改まった一間に、灯がいくつも点された。
われは庭先に控えて、簀子越しに、そのなかをこっそりとうかがっていた。雑色の身で立ち入れる場所ではない。けれど、赤ん坊の時分から見てきた鶴若の晴れの日を、どうしても、ひと目だけ見届けたかったのだ。
昼の光のなかに、鶴若がいた。
いつもの、われとふざけあう鶴若ではなかった。見たこともない、立派な装束を着せられて、背すじを伸ばし、ひとりぽつんと座っている。その顔は、こわばっていた。緊張のあまりか、頬から血の気が引いて、膝の上の両手が、かすかに震えているのまで見てとれた。無理もない。今日かぎりで、十いくつまで親しんできた自分の名を捨てるのだ。子どもがそれを、こわがらぬはずがない。
やがて、冠親の方が、しずしずと鶴若のうしろに立った。
まず、鶴若の角髪が、ていねいにほどかれていく。子どもの結いを解き、髪を頭のうえへひとつに掻きあげて、大人の形に結いなおすのだ。ぱらりと落ちた前髪が、そのまま切りそろえられる。さっきまで子どもの頭だったものが、見ているわれの目の前で、みるみる大人の頭の形へと変わっていく。
そして、冠だった。
冠親の方の手のなかに、黒く艶めいたそれがあった。鶴若が生まれてから一度も頭に乗せたことのない、大人だけが戴くもの。その方は、結いあげたばかりの髻に、それをそっとかぶせ、ずれぬようにしっかりと留めた。
ただ、布を頭に乗せただけのことだ。それなのに、鶴若の様子が、まるで変わった。背すじが、すっと伸びた。さっきまで震えていた手が、膝の上で静かになった。冠ひとつで、子どもがこうも変わるものかと、われは庭先で息をのんだ。
部屋のなかで、冠親の方が、低い声で何かを告げた。遠くて、はっきりとは聞きとれない。けれど、その節目で、鶴若の名が変わったのだ。鶴若という幼い名は、その朝かぎりで、この世から消えた。父の名から一字をもらい受けた、大人の名が、かわりに告げられたのだという。
その名を、ここでは季継としておこう。
告げられた名を、その子は、口のなかで一度、そっと繰り返したように見えた。生まれてはじめて呼ばれる、自分の名だ。きのうまで一度も自分のものでなかった音が、これから先、死ぬまで、その子につきまとう。その重みを噛みしめるように、季継は深くうなずいた。
われは庭先で、じっとそれを見ていた。赤ん坊のころから知っているこの子に、別れを告げているような、奇妙な心地がした。鶴若という名は、たしかに今、この一間で、呼ばれぬものになっていくのだ。そのかわりに、季継という、まだ耳になじまぬ新しい名が、ここに立ちあがる。名ひとつが終わって、名ひとつが始まる。そういう朝の立ち会いに、雑色のわれが居合わせてよいものかと、なぜだか胸がつまった。
儀がすべて終わると、家のなかは、ほっとした賑わいに包まれた。主は目を赤くして、何度も冠親の方に頭を下げている。乳母は袖で顔を覆って泣いていた。皆が、冠を戴いたばかりのその子を、口々に祝っている。
その晩のことだった。
祝いの膳の片づけを手伝っていたわれは、廊の角で、ばったりとその子と行きあった。冠を戴き、装束を改めたその姿は、昼に見たときよりもいっそう大人びて見えた。けれどわれの目には、やはり、薪の山を崩して遊んでいた、あの鶴若の面影が残っている。
うれしさのあまり、われはつい、口がすべった。
「鶴若さま」
いつもの調子で、そう呼んでしまったのだ。
その子は、ふりむかなかった。
われの声は、たしかにその子の耳に届いていた。届いていて、なお、ふりむかなかったのだ。ほんの少しのあいだ、その子は廊の先に立ったまま、じっとしていた。それから、ゆっくりとこちらを向いて、困ったような、けれどどこか誇らしげな顔で、われを見た。
「……その名の者は、もうおらぬ」
子どもの声で、けれど精いっぱい大人めかして、その子はそう言った。
われは、はっとして、頭を下げた。「これは、ご無礼を。……季継さま」。言い直すと、その子は、ようやくくしゃりと笑った。さっきまでの大人びた顔が崩れて、いつもの鶴若の笑い方にもどる。けれど、もう鶴若ではないのだ。
「われは、ずっとそなたの薪を頼りにしてきた」と、その子は急に改まって言った。「これからもよろしく頼む」。たどたどしい、大人の口のききようだった。覚えたての言葉を、ひとつずつ確かめるように使っている。われは、なんだか胸の奥が熱くなって、「はい」とだけ、低く答えた。
名が変わると、人は大人になる。あの晩、われは、それを本当だと思った。冠ひとつ、名ひとつで、人がこうも変わるはずがない——理屈では、そう思う。けれど、古い名で呼ばれてふりむかなかった、あのわずかな間に、たしかに、ひとりの子どもが大人になっていた。名を捨てるというのは、捨てたぶんだけ、新しい自分を引き受けることなのだろう。
◇ ◇ ◇
冠を戴いて名を改めるこの儀は、それからも長いこと続いたという。
はじめは位の高い家のならわしだったものが、しだいに広まって、武士の世になると、戴くものは冠から烏帽子へと移っていったらしい。それでも、子どもの髪を改め、童名を捨て、新しい名を名のる——その骨組みのところは、ずっと変わらなかったのだと聞く。
冠親、烏帽子親という、もうひとりの親の役どころも、長く残った。血の親とはまた別に、世の中へ送り出してくれる大人がいる。そのつながりは、ときに血よりも重んじられたのだという。
名を変えるという習いそのものは、今ではすっかり影をひそめた。ボクらは、生まれた名を、たいていそのまま一生使いとおす。子どもから大人になる境目も、すっかり見えにくくなった。
それでも、と思う。学校を出る日、はじめて働きに出る朝、誰かと所帯を持つ日——名は変わらずとも、人がふっと顔つきを改める、あの瞬間は、今でもどこかに残っている。古い自分の名で呼ばれても、もう、すんなりとはふりむかない。そういう日が、人には一度か二度、訪れるものらしい。
あの晩、廊の角で、われの声にふりむかなかった、ひとりの子。困ったような、誇らしげな、あの顔を、ボクは今でもときどき思い出す。
参考文献・もっと詳しく
- 『服制と儀式の有職故実』ISBN 978-4-642-02466-2
- 『有職故実の世界』ISBN 978-4-582-92287-5
- 『平安時代史事典』ISBN 978-4-04-031700-7
※ 元服(げんぷく)は、男子が一定の年齢に達したのを機に童髪・童名を改め、冠親(烏帽子親)のもとで初めて冠(のちの世では烏帽子)を戴き、童名を捨てて成人としての名(諱)を名のる通過儀礼とされる。おおむね十二歳から十六歳ごろに行われたと伝わるが、家や時代により幅があった。本話の人物・会話・家の名はすべて創作。寛治五年は一〇九一年(寛治は一〇八七〜一〇九四年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。冠親が血の親とは別に立てられる慣わし、武家の世に戴くものが冠から烏帽子へ移っていったとされる流れも史実に拠るが、起源・年齢・意味づけの細部には諸説がある。「季継」は時代に実在しうる中立な名として用いた創作名で、特定の歴史上の人物を指さない。
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