第 39 話闇に一刻の灯をともし、夜なべの母と子が縫いついでいった日のこと
〜油を惜しんで薄あかりで針を運ぶ後家は、その夜なぜ灯心をもう一本足したのか〜
灯りというものは、夜を一刻ぶん、押し返してくれるものだ。
日が落ちれば、昔の闇はいまの闇とはまるで違った。墨を流したように濃く、戸の隙間から這い込んでくる。その底へ、行灯の灯がぽつりとひとつ点る。すると、闇に小さな穴があいて、そのまわりだけ、人の暮らしがほどけて広がる。手元が見え、顔が見え、針の穴が見える。たったそれだけのことで、人は夜の時間を取り戻せる。
その灯を支えていたのは、菜種からしぼった一しずくの油だった。種を蒔き、育て、刈り取り、しぼって、ようやく瓶にたまる。だから油は、けっして安いものではない。庶民にとって、灯をともすというのは、暗がりを一刻ぶん金で買うようなものだった。
ボクが見てきたのは、その買えるだけの灯を惜しみ惜しみ点して、夜なべに針を運ぶ者たちのことだ。灯心が一本か、二本か。たったそれだけの差に、その日の暮らしのありようが、ぜんぶ滲んでいた。
◇ ◇ ◇
文政五年(一八二二年)の秋のことだ。あっしは神田の裏長屋を、油の量り売りをして回っていた。
油売りというのは、のんびりした商売だと笑われる。なにしろ、客の差し出す皿や瓶へ、柄杓で油をとろとろと垂らして移すのに、ずいぶんと間がかかる。その間、客と世間話のひとつもする。だから長屋のことは、よその誰より、あっしが詳しかった。どの家がいま苦しいか、どの家に赤子が生まれたか、油の減り具合を見ていれば、たいてい知れた。
その長屋の、いちばん奥の一間に、おさんという後家が住んでいた。
三年ほど前に亭主を流行り病で亡くして、八つになる男の子と、二人きりで暮らしていた。針の腕がよかったから、近所の仕立て直しを引き受け、夜なべで縫って、どうにか食いつないでいた。
おさんの家の油の減りは、長屋でいちばん少なかった。
いや、少ないという言いかたは、ちと違う。減らさないように、必死で耐えていたのだ。あっしが量りに行くたび、おさんは申し訳なさそうに、ほんのひとしずく、ふたしずくぶんだけを求めた。皿の底をなめるほどの、わずかな量だ。それで幾晩もたせるつもりなのか、と案じたほどさ。
ある宵、あっしが油を量りに寄ると、おさんは行灯の前で針を運んでいた。
その灯の暗いことといったら。灯心はたった一本、それも芯を短く詰めて、火を米粒ほどに小さくしてある。明るくすれば、それだけ油が早く減るからだ。おさんは、その頼りない薄あかりへ、目を細めて顔を近づけ、ほとんど指先の感覚だけで針を運んでいた。糸の色も、布の柄も、ろくに見えてはいなかったろう。
それでも、おさんの縫い目は、よその仕立て屋よりも細かくそろっていた。見えぬなら見えぬなりに、指がぜんぶ覚えているのだ。この三年というもの暗がりのなかで運びつづけた針が、いつのまにか、目よりも確かな目を、その指先に宿していた。火を惜しんで失った明るさのぶんだけ、この人の手は利口になっていったのさ。
脇では、せがれが、これも灯の端っこをわけてもらって、手習いの草紙へかじりついていた。寺子屋でならった文字を、消し炭をなめた筆でなぞっている。母と子が、ひとつの小さな火を、肩を寄せて分けあっていた。
「おさんさん、もちっと芯を出しちゃどうだい。目を悪くするよ」
あっしが言うと、おさんは手を止めずに、うっすら笑った。
「いいんですよ。指がおぼえてますから」
慣れたものだ、と言いたげだった。けれど、その目尻には、薄闇に目を凝らしつづけた者の、深い疲れがにじんでいた。亭主に死なれてからの三年、この人は毎晩、こうして暗がりと根くらべをしてきたのだ。火を惜しむというのは、つまり、明日の米と引き換えに、今夜の己の目をすり減らすということだった。
あっしは、量った油に、ほんの少しだけ柄杓を足してやろうとした。すると、おさんはすぐに気づいて、皿を引いた。
「だめですよ。いただいた分しか、お代は払えません」
きっぱりとしていた。情けで足された一しずくを、この人は受け取らない。あっしは柄杓を引っこめるしかなかった。施しではなく、稼いだ銭で買う灯りでなければ、この母は意地が立たぬのだ。
◇ ◇ ◇
その晩のことを、あっしは忘れない。
量り終えて帰ろうとしたとき、せがれが、母の袖を引いた。手習いの草紙を、母の鼻先へ突き出している。
「かか、これ。これ、読めるか」
草紙には、たどたどしい、けれど一字一字、力をこめた文字で、こう書いてあった。
——かかさま、ありがたう。
おさんは、しばらく、その文字を見ていた。
それから、針を置いた。そして、ずっと一本きりで通してきた灯心を、もう一本、油の海から引き上げて、火を移したのだ。じじ、と音がして、灯がふくらんだ。米粒ほどだった火が、ぽうっと倍ほどに育って、母と子の顔を、はっきりと照らしだした。
油を惜しんで惜しんで、三年ものあいだ、ただの一度も増やさなかった灯心を、おさんはこの夜、たった数文字のために、もう一本足した。せがれの書いた文字を、その目で、しかと見るために。
明るくなった灯のなかで、おさんは草紙を両手で持ち、何度も何度も、その一行を読み返していた。八つの子の、ありがたう、の四文字を。やがて、その横顔が、くしゃりと崩れた。亭主に死なれたときも、長屋の者の前では泣かなかった人だ。それが、子の書いた文字の前で、肩をふるわせていた。
灯が、その涙をきらりと光らせた。倍に増えた灯心が、ふだんの倍の早さで油を吸っていく。そのぶん、明日の蓄えは確かに減るのだ。それでも、おさんはこの一刻ぶんの明るさを、惜しまなかった。
あっしは、なんだか見てはいけないものを見た気がして、そっと路地へ出た。後ろの障子に、母と子の影が、いつもより大きく、くっきりと映っていた。
◇ ◇ ◇
菜種の油が広く出回って、庶民の家にも行灯の灯がともるようになって、人の夜は、ずいぶんと長くなった。
それまで、日が落ちればただ寝るしかなかった刻限に、灯を点せば、針も持てる、文字も習える、宵の語らいもできる。夜なべという働きかたが生まれ、子の手習いが灯の下で進み、暮らしの工夫が、夜の時間のなかでいくつも育っていった。たった一しずくの油が押し返した闇の穴、その小さなあかりの輪のなかで、人は暮らしを少しずつ前へ進めていったのさ。
今では、闇を押し返すのに、油も灯心もいらない。指の先で壁を押せば、部屋じゅうがまぶしいほど明るくなる。夜はいくらでも引き延ばせて、もう誰も、灯りに値があったことを思い出さない。一刻の明るさを、金と引き換えに惜しみ惜しみ点した、あの感覚は、すっかり消えてしまった。
それでも、とボクは思う。
夜ふけに、明るい部屋でふと手を止めることがあったら、その灯りを、一度だけ一しずくの油だと思ってみてほしい。惜しんで惜しんで、それでも子の書いた四文字のために、灯心をもう一本足した母がいた。倍に育った火が、涙をきらりと照らした、あの一刻があった。
灯りは、ただ暗がりを照らすだけのものじゃない。誰の顔を、何を見たくて、人はその火を点すのか。——明るさの奥には、いつもそれがある。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『灯火――その種類と変遷』ISBN 978-4-88695-119-9
- 『日本のあかり』ISBN 978-4-7838-9612-8
- 『灯火の歴史――机の上の太陽』ISBN 978-4-337-20706-6
- 『江戸の食生活』ISBN 978-4-00-600212-1
※ 江戸期の主な灯火用油は菜種油で、行灯に灯心(藺草の髄など)を浸して点した。油は高価で、庶民は灯心の本数や芯の出し具合で明るさと油の消費を加減し、より安価で煙の多い魚油を用いる家もあったと伝わる。灯火の普及により夜なべ仕事や夜の手習いなど「夜の時間」の活用が広がったとされる。文政五年は一八二二年(文政は一八一八〜一八三〇年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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