歯の減るほどに、粋になる
〜なぜ人は、すり減って傾いた下駄を、かえって「粋」と呼んだのか〜
足を守る履物ってのは、どこの国にも、いつの世にもあった。藁を編んだ草履、革の沓、木をくりぬいた木靴。人は裸足のままでは、長くは歩けないからね。
なかでも、この国の下駄はちょいと変わっていた。一枚の板に、二本の歯。たったそれだけのことなのに、履いて歩けばカラコロと鳴る。雨でも泥でも、二本の歯が地面から体を浮かせてくれる。安くて丈夫で、すり減ったら鼻緒をすげ替えて、また履く。台はそのまま、いつまでも使えるんだ。たいした道具だよ。
なにより、ボクはあの音が好きだった。からん、ころん。誰かが歩いている、ただそれだけのことが、音になって聞こえてくる。
◇ ◇ ◇
天保三年——西暦でいえば一八三二年の、江戸の下町でのことだ。
諸国を歩いて小商いをしていた頃のことだ。その日は降りだした雨をよけて、裏長屋の木戸のそばの、小さな下駄屋で軒先を借りていた。
空はあいにくの土砂降りでね。屋根を打つ雨の音にまじって、路地のあちこちから、からんころんと下駄の音が聞こえてくる。みな裾をからげ、肩をすぼめて、跳ねを上げて駆けていく。雨の日の下駄は、ぬかるみを蹴って、ぴしゃ、ぴしゃと泥を散らすんだ。それでも足の裏だけは、二本の歯のおかげで、地面から離れている。濡れた地べたを、じかには踏まない。たかが板きれ一枚のことだが、これがあるとないとじゃ、雨の日の暮らしがまるで違う。
店の親爺は土間に座りこんで、鼻緒をすげていた。徳兵衛という、もう還暦はとうに越えていようかという老爺だ。片手で台を押さえ、もう片手で、すげた鼻緒の根を、ぐいとひと締めする。指の節は太く、爪のあいだまで墨と漆が染みついている。鉋屑の匂いと、削りたての桐の白さが、雨の匂いにまじっていた。
「すまねえな、雨宿りなんぞ」とあっしが言うと、徳兵衛は顔も上げずに笑った。
「かまわねえよ。どうせ雨の日は、客も来やしねえ」
手元を覗くと、新しい台がいくつも積んである。白くて軽い桐の木だ。徳兵衛はそれを膝にのせ、鉋でしゃっ、しゃっと面を撫でていく。薄い屑がくるくると丸まって、土間に散る。台に穴を三つあけ、鼻緒をくぐらせ、裏から引いて、結ぶ。指先だけで、見ているそばから一足ができあがっていく。
「ずいぶん手慣れたもんだ」とあっしが感心すると、徳兵衛はふんと鼻で笑った。
「五十年やってりゃ、目をつぶってもできらあ」
そこへ、ずぶ濡れの小僧が一人、駆けこんできた。手に、片方すげの抜けた下駄を握っている。
「おじさん、これ。鼻緒が、ぷつんって」
徳兵衛は下駄を受け取ると、底を返して、ふんと鼻を鳴らした。
「ずいぶん、いい減り方だ」
あっしは横から覗きこんだ。なるほど、二本の歯の、外っかわだけが斜めにすり減っている。片方は深く、片方は浅い。
「坊主、お前さん、がに股だな」
小僧はきょとんとした。徳兵衛は古い鼻緒を抜き取りながら言う。
「下駄ってのはな、履いた者の歩き癖が、そっくり歯に出るんだ。内に減るやつ、外に減るやつ、爪先ばかりちびる、せっかちもいる。右ばかり減らすやつぁ、たいてい荷を片肩でかつぐ棒手振りだ。歯を見りゃあ、そいつがどう暮らしてるか、たいてい知れちまう」
そう言って、新しい鼻緒を穴にくぐらせ、裏で締めあげる。台はまだ十分に使える。減ったのは歯と鼻緒だけだ。徳兵衛の手のなかで、くたびれた下駄が、みるみる若返っていく。
小僧は土間にしゃがみ、その手元を食い入るように見ていた。徳兵衛は鼻緒の根を最後にきゅっと締め、爪を立てて具合をたしかめると、坊主の足の前にことりと置いてやった。
「ほれ。きつくねえか。指股に当たって痛えようなら、また持っといで。すげ直してやらあ」
小僧が片足を入れて、とんとんと土間を踏む。鼻緒が足にしっくり馴染むまでには、しばらく履きこむのがいるんだと、徳兵衛は言った。新しい鼻緒は、はじめのうちは固くて、指股に豆をこさえる。それを何日も履いて、雨に濡らし、また乾かして、ようやく足の形に馴染んでくる。下駄ってのは、買ったその日が仕上がりじゃない。履く者の足が、あとから仕上げていくものなのだ。
「うちのは、台もいい桐を使ってらあ」と徳兵衛は積んだ白木を顎でしゃくった。「軽くてよ、夏は涼しいんだ。安物は重くて、足が疲れる。けどな、いくらいい台でも、鼻緒が足に合わなきゃ、ただの板だ。肝心なのは、そこよ」
◇ ◇ ◇
すげ替えの済んだ下駄を、小僧はうれしそうに突っかけて、雨のなかへ駆けていった。からん、ころん、からん、ころん。水たまりを蹴散らす、跳ねるような音が、路地の奥へ消えていく。
「いい音だ」と、あっしは思わずつぶやいた。
「そうとも」と徳兵衛はうなずいた。「あれが下駄の値打ちさ。草履じゃあ、ああは鳴らねえ」
聞けばこの下町では、男の粋ってやつが、足元の音に出るのだという。わざと歯を高くあつらえて、からりと高く鳴らす者。鼻緒を朱で奢って、雪駄のへりにちらりと見せる者。歩きっぷりひとつ、鳴らしっぷりひとつで、あいつは粋だ、あいつは野暮だと、品定めをするのだそうだ。
「足元なんざ、誰も見ちゃいねえと思うだろう」と徳兵衛は言った。「ところがどっこい、見てるやつぁ見てる。いい男ってのはな、頭のてっぺんより、足元から見られるもんよ」
「たかが履物に、ずいぶんと手をかけるもんだ」とあっしが笑うと、徳兵衛はすげかけの手を止めて、こう言った。
「履きつぶすだけなら、安いのを買い替えりゃいい。けどよ、鼻緒をすげ替えりゃあ、台はいつまでも使える。長く履いた下駄ってのは、足に馴染んで、歯にそいつの暮らしが刻まれてる。雨の日もぬかるみも、いっしょに歩いてきた相棒だ。捨てるにゃあ、惜しいのさ」
なるほどな、と思った。ただ足を守るだけの道具に、人は音をのせ、粋をのせ、暮らしの年輪まで刻みこむ。すり減って傾いた一足を、新しいのに替えちまえばそれまでなのに、わざわざ鼻緒をすげ替えて、また履く。傾いた歯のほうが、足にしっくりくるからだ。一枚の板きれが、いつのまにか、その人そのものになっていく。
雨はいつのまにか、小やみになっていた。徳兵衛は仕上げた一足を土間にそろえ、軒下の雨だれを、目を細めて眺めていた。からん、と、どこか遠くで、また下駄が鳴った。
◇ ◇ ◇
今では、もう、誰も下駄を履かない。
舗装された道を、人は底の柔らかな履物で、音もたてずに歩いていく。雨の日も、ぬかるみなんて、どこにもありゃしない。カラコロと鳴らして歩く者なんて、もうどこにもいやしない。あの歩き癖の出る歯も、すげ替えのきく鼻緒も、いまでは知る人のほうが、少なくなった。
それでも——夏祭りの宵や、温泉宿の廊下で、ふいにあの音が聞こえることがある。からん、ころん、と。浴衣の裾をからげた誰かが、慣れない足どりで、ぎこちなく鳴らしていく。
ボクは、その音についつい足を止めてしまう。あの下町の小僧が、雨の路地を跳ねていった音。あれと寸分も変わらないからだ。
道具は、とうに役目を終えた。けれど、あのカラコロという音だけは、こうして郷愁になって、いまもどこかで鳴っている。——ボクはそれを聞くために、夏になるとつい、祭りの人ごみへ足を向けてしまうんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 下駄は木の台に二枚の歯を立て、台に鼻緒をすげた履物で、鼻緒はすげ替えがきき台は繰り返し使えた。歯が体を地面から離すため、雨やぬかるみに強く、歩けば特有の音が鳴る。履く者の歩き癖が歯の減り方に表れること、江戸の下町で足元の身なり・履きこなしに「粋」「野暮」の感覚が宿ったことは、服飾史・風俗史の範囲で語っている。桐など軽い木を台に好み鉋で削る所作も同様。本話の徳兵衛・小僧および会話は創作だが、道具・素材・所作・身分は時代と矛盾しない範囲にとどめた。天保三年は西暦一八三二年(天保元年=1830年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。
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