八つの子が書いた三文字第 03 話言語
言語江戸のころ・神田の裏長屋読了 約5分

八つの子が書いた三文字

〜お師匠は、なぜ筆ではなく、子の肘の下に紙を置いたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 宅配便の受け取り欄に、小学生くらいの子が名前を書いている。ペン先が紙の上でとまって、また動く。三文字ぶんの時間が、玄関先でゆっくり流れていく。ボクは靴をはいたまま、それが終わるのを待っている。

◇ ◇ ◇

 文政ぶんせい八年(一八二五年)の春。神田の裏長屋うらながや、隣りあう二軒の仕切りを抜いた座敷に、手習てならい所がひらいている。わたしはそこへ、日雇いに入っていた。墨をすり、水を替え、子らの草履をそろえる。それが仕事だ。

 師匠ししょうは楠斎なんさいといって、五十がらみの痩せた男だった。もとは何をしていたのか、誰も知らない。ただ手跡しゅせきがよい、それだけで、町の親たちは子を預けた。上方で寺子屋てらこやと呼ぶものも、長屋の者にとっては、ただ「手習いのお師匠」だった。

 子は十人あまり。歳も進み具合もばらばらで、『商売往来しょうばいおうらい』を声に出してすらすら読みくだす十二の小僧もいれば、まだ筆の持ち方もおぼつかない子もいる。師匠は、いちどに全員へは教えない。ひとりずつ前へ呼んで、その子ひとりぶんの手本を書く。商家へ上がる子には商いの言葉を並べた『商売往来』、在所へ戻る子には田畑のことを書いた往来物おうらいもの。子らはそれを、ひたすら写す。墨をする音と、紙を筆が擦る音と、たどたどしく読みあげる声が混じって、朝から昼まで絶えなかった。

 稽古には順序がある。はじめの子は、まず自分の名を朱の手本の上からなぞる。つぎに「いろは」、つぎに町内の名や数の字、それから往来物へ進む。子らは一人ひとり、小さな天神机てんじんづくえを持ちこんでいた。足りない子は、長屋の戸板を借りて、床に腹ばいで書いた。

 師匠の暮らしも、親たちの持ちよりだった。五節句には米や野菜が届き、入門の日には、わずかな礼が置かれる。豆腐屋は、揚げを一枚ずつ、折にふれて持ってきた。師匠はそれを、わたしと半分に分けた。

挿絵:師匠の暮らしも、親たちの持ちよりだった

 墨の濃さには、師匠はうるさかった。わたしがすった硯をのぞきこんで、黙って水を足す。濃すぎれば紙ににじみ、薄すぎれば字が負ける。何度か足されて、わたしは水の量を覚えた。

 その日、昼の稽古が終わっても、ひとりだけ帰らない子がいた。八つになる豆腐屋の倅せがれだ。

 その子のぶんの手本は、朱で書かれていた。名前だ。たった三文字。朱の上を墨でなぞるのが、その子の稽古だった。ところが倅は、筆を拳でにぎりこんでいる。肩が耳まで上がって、墨はべったりとにじみ、線は曲がる。一枚、二枚。反故紙が、膝の前に積まれていく。この子が筆を握るのは、もう十日めだった。いつも昼で帰される子らの列にまじって、いつも同じ拳で、同じ黒い塊を紙に落としていた。ほかの子は、朱の手本をなぞりおえて、自分の名を墨だけで書きはじめている。倅の名は、まだ朱のままだった。

 「先生、おいら、書けねえ」

 半泣きの声に、師匠は答えなかった。反故紙を一枚ひろって、四つに折り、倅の右の肘の下へ敷いた。それから、肘ごと紙の上へ、倅の腕をおろした。肩が、ひとつ下がった。

 まだ、筆が拳の中にある。師匠は倅の指をほどこうとするが、小さな指は固まって、ほどけなかった。倅は余計に力む。師匠の眉が寄る。

 わたしは、なぜか、自分の右手を出していた。筆を、親指と人さし指と中指の三本でつまむ。何も考えず、そう形をつくって、倅の目の前へ持っていった。

挿絵:わたしは、なぜか、自分の右手を出していた

 倅は、わたしの指と、自分の拳を見くらべた。それから、おそるおそる、真似をした。三本の指に、筆が、すとんとおさまる。小さな指の節が、ひとつずつ、ゆるんだ。師匠は、そのあいだずっと、倅の指の節ではなく、肩のあたりを見ていた。

 師匠が、わたしの顔を見た。見ただけで、何も言わなかった。かわりに、硯をわたしの方へ押してよこした。

 「薄めろ。それから、この子の手を持っていろ」

 墨を、水で薄くすり直す。それから倅のうしろへ回って、小さな手に、自分の手を重ねた。冷たくて、汗ばんだ手だった。朱の三文字の、最初の一画。とん、と打つ。すうっと払う。穂先が紙を噛んで、黒い跡を残していく。倅は息を止めて、自分の手の先を、まばたきもせずに見つめていた。窓の外では、帰った子らが、路地で独楽でも回しているのか、笑い声がして、また遠のいた。

 三画めで、わたしは手を離した。残りは、倅が自分で運んだ。

 最後の一画を、はらった。紙の上に、まがりなりにも、朱の上を黒がなぞった三文字が残った。反故紙は、そこまでで七枚だった。

◇ ◇ ◇

 倅はしばらく、それをじっと見ていた。顔を上げて、信じられない、という顔で言った。

 「……これ、おいらの名めえだ。おいらが、書いた」

 鼻のあたまに墨をつけたまま、紙を持つ手が、まだ小さく震えている。

 昼下がり、迎えに来た父親に、倅は墨だらけの半紙を、両手で突き出した。

 「おとう。見ろ。おいら、名めえ書けたぞ」

 豆腐屋の親父は、前掛けをしたまま走ってきたらしく、手にかすかに水の匂いをさせていた。無骨な手で紙を受け取る。しばらく見つめて、いちど上下をひっくり返し、またもとへ戻した。それから、ごつい指の背で、ぐいと目元をぬぐった。

 「……そうか。書けたか。たいしたもんだ」

 親子が、手をつないで長屋の木戸を出ていく。師匠は、その背中を見送ってはいなかった。次の子が、もう手本を待っている。わたしは、空になった硯に、水を落とした。

 翌朝、倅は、いちばんに来た。まだ誰もいない座敷で、自分の机の前に座ると、懐から折った反故紙を出して、右の肘の下へ敷いた。誰に言われたのでもない。筆は、三本の指でつまんでいる。ただ、墨だけの三文字は、朱のときよりもまた曲がって、二枚めには、昨日のにじみが戻ってきていた。倅は唇をかんで、三枚めの紙をひらいた。師匠は、座敷の隅で、それを聞きながら、次の子の手本の朱を、ひと筆ずつ書いていた。

 その夏の終わり、わたしは、その長屋を出た。

◇ ◇ ◇

 ボクは、子が返してよこしたペンを受け取る。軽さの底に沈んでいる、墨をふくんだ筆の重さ。

参考文献・もっと詳しく

※ 寺子屋は庶民の子に読み書きそろばんを教えた民間の手習い所で、年齢も習熟度も異なる子が同席し、師匠が一人ひとりに合わせて指導した。手習いの根幹は手本を写す模倣と反復であり、文字の習得は姿勢・所作と一体の身体的な訓練だった。教材には『商売往来』『庭訓往来』など、往復書簡を模した職業・身分別の「往来物」が用いられた。手習師匠の出自は僧侶・神官・浪人・町人など多様で、地域に根ざしていた。前近代の識字は時代・地域・身分・男女によって大きく異なるため、本話では普及の度合いを数値で断定しなかった。「識字」「教育」といった現代の概念語は本文では避け、「字が書ける」などの平易な言い回しにした。

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