浜の火で二晩煮つめた塩と、海を知らぬ山あいの里第 04 話食
食平安のころ・摂津の浜から北の山里へ読了 約6分

浜の火で二晩煮つめた塩と、海を知らぬ山あいの里

〜山あいの媼は、海から来たひとつまみの塩に、なぜ目を潤ませたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 海を一度も見ずに年老いた人は、塩を何だと思って舐めてきたのだろう。

 切らしてみれば分かる。汁は間の抜けた味になり、漬けた菜は夏を待たずに傷む。命の縁には、いつも塩がひとつまみ敷かれている。それが海の水をぎりぎりまで縮めたものだとは、ボクは知っている。ひと鍋ぶんの海を煮つめても、手に残るのはひとつかみほどだ。けれど山をいくつか越えた里では、それを知る手がかりがない。

 いまは袋の口を切れば、一年じゅう同じ色のさらさらした粒が出てくる。その手軽さに慣れきった手で、ボクは一度だけ、浜で塩が生まれる二晩に居合わせたことがある。

◇ ◇ ◇

 寛弘かんこう三年(一〇〇六年)の春、われは摂津せっつの浜にいた。北の山あいの炭焼き小屋に手伝いで入ることが決まっていて、上がる前に、自分の口へ入れる塩を求めに来たのだ。山には塩が出ない。汗をかく仕事で塩を欠けば、足から先に参る。

 浜の端の塩屋に、黒麻呂という塩焼きの男がいた。売り物は人の分で出払っていると言う。頼むと、男は浜の奥を顎でしゃくった。藻もの山と、柴の束の山がある。

 「焼きたてがいるなら、柴を十束、火のぶんに足してくれ。二晩で渡す」

 値は柴十束だった。物は物で替わる浜だ。われは一日かけて斜面の柴を担ぎおろし、塩屋の軒に積んだ。肩の皮がむけた。

 黒麻呂は束をひとつ抜いて、膝で折った。折れ口を親指の腹でなぞり、三束を脇へ除けた。まだ水気が残っている、ということらしい。われは黙って、その三束を担ぎ直して山へ戻り、乾いたのを取り替えてきた。

 浜へ戻ると、藻の仕事が進んでいた。引き潮の浜で、男たちが腰まで水に入って藻を刈る。刈った藻は砂の上に広げられ、女たちが瓢ひさごで海の水を汲んでは、その上へまんべんなくかけてゆく。日に干して、乾けばまたかける。かけては干し、干してはかける。藻の表には、塩気が粉のように浮いてきた。浜の者は、その浮き具合を手のひらで撫でて見ては、まだだ、とかけ足しにゆく。

 それをうずたかく積んで火を入れると、藻は黒い灰になった。灰は、海の水を注いだ容れ物の中で掻きまぜられ、底からしたたる汁を別の器が受ける。汁は濃い茶の色をしていて、鼻の奥を刺す辛い匂いがした。

 その夜から、釜に火が入った。釜は土を焼いた平たい大きなもので、縁は黒く、塩が貼りついて灰色のまだらになっている。この釜が、これまでどれだけの火を吸ってきたのか。茶色の汁が、柄杓でゆっくりと釜へ移された。

挿絵:その夜から、釜に火が入った

 われは戸口の外で待つしかない。煙がひどい。海の匂いと焦げた匂いのまじった青くさい煙が、風の向きしだいで浜じゅうを白くかすませる。釜の周りでは、浜の女がふたり、手の甲で目をこすりながら、それでも火を離れなかった。

 柴は、夜のうちにみるみる減った。積んだ束が、一本、また一本と、釜の下へ入っていく。汁はぐつぐつと縮み、縁に皮のような塩の膜が張った。黒麻呂は竹のへらでそれを搔き落とし、釜の中へ戻した。減ったぶんだけ、茶色の汁を足す。足しては煮つめ、足しては煮つめる。われは軒の下で膝を抱え、指にふいた塩の粉を、いつまでもこすり落としていた。

 火の番は、黒麻呂ひとりではなかった。まだ髭も生えそろわぬ若い者が、夜半にこくりと舟をこいだ。黒麻呂は顔も上げず、足もとの薪を一本、その膝へ放った。若い者は飛び起きて、釜に薪を押し込んだ。

 夜が明けると、黒麻呂は釜の底をさらい、灰色がかった粒をひと握りして、指のあいだを見た。濁った汁がぽたぽたと垂れた。男は何も言わず、握りを釜へ戻して、薪をくべ足した。

 われは言葉を呑んだ。急ぐのは、頼んだわれの都合でしかない。柴の山が低くなるのを見て、その日のうちに、さらに二束を担ぎおろした。黒麻呂は礼も言わず、受け取って、火のそばへ積んだ。

 二晩目の釜は、昨日とは様子が違った。汁がほとんど無くなり、底に残った粒の色が、灰から少しずつ、明るい色へ抜けてゆく。それでも黒麻呂は火を落とさなかった。焦げつけば、ここまでの二晩がすべて苦い塩に変わる。男の目は、釜の底から離れなかった。薪を足し、へらで底をかき、ようやく朝になって、また同じ握りをした。こんどは指のあいだから、何も垂れなかった。

 男は粒を曲物まげものの升ですくい、筵の上に五杯ぶん量り、きっちりと包んで、縄で結んだ。われの足もとへ、ぐいと押し出す。

 持ち上げて、まず肩が覚えた。小さな粒のくせに、ずしりと重い。

◇ ◇ ◇

 その荷を負って、われは北の山道を登った。

 縄が肩に食い込むたびに、持ち替える。塩は水を恐れる。雨雲が出れば、あわてて木の下へ駆け込み、荷だけは幹に立てかけて、背が濡れるのを惜しんだ。沢の水を飲み、栃とちの木の下で息をつく。登るほどに、潮の匂いは薄れ、土と若葉の匂いが濃くなっていった。柴の二束ぶんを、肩のどこかがまだ覚えている。峠にさしかかると、足もとの道は急に細くなった。道端の石の肌に、塩のこぼれて固まったような染みがある。荷を預けて息をつく者が、この道を前から通っているのだ。

挿絵:縄が肩に食い込むたびに、持ち替える

 日が傾くころ、十軒ばかりの小さな里に着いた。炭焼き小屋の手前の家に、一晩泊めてもらうことになった。

 家には、媼おうながいた。とよと呼ばれていた。腰が曲がり、手のひらは節くれて、土の色をしている。家の主は、その息子らしい。口数の少ない男で、われの荷を見ても何も訊かず、蕨わらびの煮たのと、干した栃の実を出してくれた。

 戸口の外に、里の者がふたり、のぞきに来ていた。海から来た荷だと、もう知れ渡っているらしい。けれど入ってはこず、しばらくして去った。この里で塩は、気軽にねだれる物ではないのだ。

 梁には、小さな包みがひとつ吊るしてあった。黒ずんだ、灰のまじったような塩だ。山の誰かが、苦労して得た分だろう。この家の塩は、あれひとつで、ひと冬ぶんなのかもしれない。

 夕の汁を、とよは土間の鍋で温めていた。われは荷をほどき、自分の取り分を、窪めた掌に出した。とよは、それを横からじっと見ていた。

 見られているので、ひとつまみ分けた。木の葉に包んで差し出すと、とよは両手で受けとった。葉をそっと開いて、粒をのぞき込む。山の塩ならこの里にも少しは来る。けれどこれは、梁の包みより、ずっと明るい色をしている。

 とよは、ひと粒を指の先にとって、舐めた。

 しわの顔がきゅっと縮んだ。すぐには指を離さなかった。目の縁が、うっすら潤んでいた。

 それから、とよは顎を、ゆっくりと南へ向けた。

 「あっちかね」

 われは、うなずいた。山を三つ越えた先だ。

 とよは、それ以上は何も訊かなかった。残りの粒を葉に包みなおして懐へ入れ、土間の鍋に戻ると、鍋の上で指をこすりあわせた。ひと粒だけが、ぽとりと落ちた。

 その夜の汁は、ほんのわずかに塩の味がした。息子は黙って椀を空け、ふた口目を、いつもより遅く啜った。

 夜更けに目がさめた。囲いの向こうで、火の明かりに葉を広げ、粒をかざしているとよの背が見えた。しばらくそうしていて、また懐へしまった。

 翌朝われは、礼がわりにもうひとつまみを置いた。家の主は、小屋まで道が分かるまいと、荷の半ばを肩に乗せて先に立った。しばらく歩いて、ふと足を止めた。肩で荷を揺すりあげ、眉をわずかに寄せる。これだけの目方が、あの小さな粒の数なのか、と言いたげに。男は何も言わず、そのまま歩き出した。

◇ ◇ ◇

 黒麻呂の名は、どこにも書かれていない。釜の底の握りを指のあいだで確かめた、あの手つきも、とよが顎で南を指した向きも、誰も控えなかった。

 ボクは台所で、塩をひとつまみ取って、掌に載せる。粒は細かく乾いて、さらさらと軽い。その掌が、ふと沈む。縄が肩に食い込んだ二晩ぶんの目方が、粒の数だけ、いまも載っている。

参考文献・もっと詳しく

※ 藻塩焼きは、海藻に海水をかけ、干してはまたかけて塩分を含ませ、焼いた灰に海水を通して濃い塩水(かん水)をつくり、それを煮つめて塩を得る古代以来の製塩法とされる。万葉集にも「藻塩焼く」と詠まれ、平安期にも各地の浜で行われたと伝わるが、実態は砂浜を使う塩浜との併存だったともいう。煮つめの器は製塩土器から土釜・石釜などの塩釜へ移る途上にあたるとされ、本話では土を焼いた釜に揃えた。かん水の色や塩の色合いは工程で変わり、浜の塩も灰色がかることがあったという。海から遠い内陸へは塩が背負って運ばれ、その経路が後の「塩の道」へとつながったとされる。寛弘三年は一〇〇六年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。

このサイトを応援する →
同じテーマの話
食晦日の辻の屋台、左の端に伏せてある欠けた丼食三輪の里の縄に結ばれた印は、何を数えていたのか食堺の菓子屋、七日目の鍋の粒
同じ時代の話
文化京のある家で、冠を納める箱には傷が五つあった文化月は、まっすぐ見ないものだった、盃のなかでは道具乙丸の五本骨——かわほりの扇ひとつが仕上がるまで