第 03 話食海を知らぬ里へ、ひとつまみの海を背負っていった日のこと
〜山あいの媼は、生まれてはじめて舐めた白い粒に、なぜ涙ぐんだのか〜
塩というのは、暮らしのいちばん下に敷かれているものだ。
あって当たり前で、誰も褒めはしない。けれど切らしてみると、汁は間の抜けた味になり、漬けた菜は夏を待たずに腐っていく。人も牛馬も、塩を断たれれば存外あっけなく弱る。命の縁にはいつも、白い粒がひとつまみ敷かれている。
その白い粒は、もとをたどれば海から来る。日に灼かれ煮つめられ、海の水がぎりぎりまで身を縮めて、ようやく一粒になる。海辺の者にはありふれた品でも、山をひとつ越えた里では、これが容易には手に入らない。
ボクが見てきたのは、そういう「海を知らぬ里」へ、人の背に負われて塩が渡っていく、その道のりのことだ。海から遠ざかるほど、ひとつまみの白は重くなっていく。値も、ありがたみも。
◇ ◇ ◇
寛弘三年(一〇〇六年)の春のことだ。摂津の浜で塩を仕入れ、北の山あいへ売り歩いていた頃の話さ。
浜では藻塩を焼いていた。あれは、見ているだけで一日が暮れる仕事だ。
まず男たちが、海に生えた藻を刈り集めてくる。それを浜いちめんに広げて干し、乾いたところへ桶の海水を何度もかける。塩を吸わせては干し、濡らしてはまた干す。そうやって、藻のからだに塩をたっぷり含ませる。きりがないほど手間のかかる仕事だった。
塩を抱え込んだ藻を、こんどは積み上げて焼く。これがまた、ひどい煙を立てる。海の匂いと焦げた匂いのまじった、青くさい煙だ。風の向きしだいで浜じゅうが白くかすみ、目も喉もひりついた。浜の女が手の甲で涙をぬぐいながら、それでも火のそばを離れない。
焼けて残った灰を、海水に溶く。にごった水を布で漉せば、塩を濃く含んだしょっぱい汁になる。それを平たい土器の鍋にうつし、また火にかけて、ひたすら煮つめていく。湯気が立ち、汁が減り、鍋の縁に白いものがちらつきはじめる。やがて底に、ざらりとした白い粒が残る。海ひと鍋を、こうして粒ひとつかみにまで煮つめるのだ。気の遠くなる話さ。
われは、そうして焼かれた塩を、叺に詰めて買う。背負ってみて、まず思い知るのが、塩の重さだ。
白い粒のくせに、ずしりと肩に食い込む。しかも塩は水を恐れる。雨に降られて湿らせれば、せっかくの粒が溶けて流れ落ち、重い荷がそのまま軽くなっていく。汗で背が濡れるのさえ惜しい。だから空模様ばかり見上げて、雨雲が出ればあわてて木の下へ駆け込んだ。海の宝を、一粒もこぼすまいとしてね。
その荷を負って、われは北の山道を登った。
肩へ食い込む縄を握りなおすたびに、これがただの粒ではないと体で思い知る。浜の男たちが幾日もかけて藻を干し、煙にむせび、鍋の前で夜を明かして煮つめたもの——その手間のいっさいが、いま自分の背にのしかかっている。塩の重さというのは、つまり海から人の口までの、長い道のりそのものの重さだった。
登るほどに、潮の匂いは薄れていく。代わりに、土と若葉の匂いが濃くなる。沢の水を飲み、栃の木の下で息をつき、また登る。汗を惜しんで背を木陰に入れ、荷だけはぬらすまいと幹に立てかける。そうやって、山をひとつ越えた先に、十軒ばかりの小さな里があった。
里の者は、塩売りの来るのを待ちかねていた。叺をおろすと、めいめいが家から、干した蕨や栃の実、織りかけの布などを抱えて出てくる。銭などめったに動かぬ里だ。山の物と、海の白い粒とを、その場で量って取り替える。
その人だかりの後ろに、ひとりの媼が立っていた。とよ、と里の者に呼ばれていた。腰の曲がった、しわの深い人で、痩せた手に、孫らしい小さな童の手を引いていた。
とよは、皆が取り替え終えるのを、後ろのほうでじっと待っていた。やがて、おずおずと前へ出てくる。差し出したのは、こよりで結んだ、ほんのひとくくりの干した茸だった。それと引き替えに分けてやれる塩は、片手の窪みにも満たぬ、わずかなものだ。
われは、それを木の葉に包んで渡した。
とよは両手で受け取ると、まず葉をそっと開いて、中の白い粒をのぞき込んだ。それから、思いがけぬことを言った。
「これが……海の、味かね」
はて、と返すと、とよは恥じるように笑った。この里に生まれ、この里で年老いた。山をいくつも越えた先に海というものがあるとは聞いている。けれど、ついぞ一度も、それを見たことがないのだという。
「海ってのは、どんなだね。この粒みたいに、白いものかね」
われは、知っているかぎりを話してやった。海は途方もなく広くて、見はるかすほど青いこと。日の光で銀色にちらちらすること。波が寄せては返し、夜も昼も、いちども休まずに鳴っていること。あの白い粒は、その青い水を煮つめて煮つめて、最後に残ったひとつまみなのだということ。
とよは、目をまるくして聞いていた。それから、窪めた手のひらの粒を、人差し指の先にひとつぶ、そっとつけた。
舐めた。
しわだらけの顔が、きゅっと縮んだ。しょっぱさに驚いたのだ。けれど、すぐにはその指を離さなかった。もういちど、舌の先で粒の名残をたしかめている。遠い遠い、見たこともない青い水の味を、舌のうえで確かめるように。
とよの目に、うっすらと水が浮かんだ。
「ありがたいねえ。海を見ずに死ぬと思うていたが……これで、海を舐めたよ」
そう言って、しわの寄った頬を、手の甲でぐいとこすった。
引いていた童が、ばあ、どうした、と袖を引く。とよは、なんでもないよ、としゃがんで、その小さな指にも白い粒をひとつぶ分けてやった。童が舐めて、うえ、と顔をしかめる。とよは声をあげて笑った。さっきまで涙ぐんでいた人が、もう、くしゃくしゃに笑っている。
◇ ◇ ◇
とよは、その塩を惜しんで使ったろう。
汁にひとつまみ、菜を漬けるのにひとつまみ。なめ尽くしてしまわぬよう、少しずつ、大事に。山の暮らしでは、塩は銭よりも確かな宝だった。塩があれば、菜も魚も干して蓄えられ、ひと冬を越せる。なければ、夏のあいだに何もかも腐らせて、ただ飢えるしかない。海から遠い里ほど、白い粒に命を預けていた。
だからこそ、塩を運ぶ道ができた。浜から山へ、谷から谷へ、人の背と牛の背が、白い荷を負って分け入っていく。その道沿いに人が住みつき、市が立ち、いつしか塩の通う道が、土地と土地とを結ぶ太い縄になった。塩はただの調味ではない。山と海を縫いあわせる、糸のようなものだったのさ。
今では、塩はいくらでも安く手に入る。袋を破れば、まっ白な粒がさらさらと際限なくこぼれてくる。誰も、海を思い浮かべたりはしない。重さも、煙も、あの道のりも、すっかり粒の裏に隠れてしまった。
それでも、とボクは思う。
台所の塩を、ほんのひとつまみ、指の先につけて舐めてごらん。しょっぱさの奥に、煮つめられた青い海と、それを背負って山を越えた者の汗が、たしかにまだ残っている。海を見ずに老いた媼が、しわだらけの顔をくしゃくしゃにして、生まれてはじめて舐めた、あのひとつまみの味が。
塩は、いつだって黙っている。暮らしのいちばん下で、ただ白く敷かれているばかりだ。それでも、舐めればいつでも海になる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『塩の日本史』ISBN 978-4-639-02455-2
- 『塩』ISBN 978-4-588-20071-7
- 『日本古代の塩生産と流通』ISBN 978-4-642-04664-0
- 『日本の食文化史——旧石器時代から現代まで』ISBN 978-4-00-061088-9
※ 藻塩焼きは、海藻に海水をかけて塩分を含ませ、焼いた灰を海水に溶いて濃い塩水(かん水)をつくり、それを土器で煮つめて塩を得る古代以来の製塩法とされる。万葉集にも「藻塩焼く」と詠まれ、平安期にも各地の浜で行われたと伝わる。海から遠い内陸へは塩が背負って運ばれ、その経路が後の「塩の道」へとつながったとされる。寛弘三年は一〇〇六年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。
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