第 61 話言語山あいの母が選んだ三言
〜字を知らぬ母の言葉は、どうやって都の娘に届いたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
駅のホームのベンチで、若い女が親指を止めている。
画面に打った「元気?」の三字を、消す。また打つ。また消す。電車が滑りこんできて、彼女は何も送らないまま、画面を伏せて立ち上がった。
◇ ◇ ◇
長和四年(一〇一五年)の秋、山あいの小さな里の入り口で、われは年嵩の物売りの荷を担いでいた。塩の包みと針の束。担ぎ手がほしいという口で拾われて、まだ数日のことだった。
年嵩の物売りは、里から里へ、山の峠を越えては塩と針を売り歩く男だった。荷の底には、塩や針のほかに、人から預かった言伝が、いつも三つ四つ載っていた。どの言伝を、どの里の誰へ。それを書き留めるでもなく、ただ頭の中の棚にしまって歩く。われはその脇で荷を担ぎ、行く先々で老人のすることを眺めていた。
峠を下りてくると、里は谷のいちばん日当たりのよいところにあった。藁を積んだ家がいくつか、煙を上げている。田の稲はもうすっかり刈られて、干した藁の束が、どの軒先にも夕日を受けて重たげに立てかけてあった。里のどこかで、牛が一声鳴いた。
夕暮れで、畦道の向こうの刈り田が赤く染まっていた。そこで、里の母に呼び止められた。
「物売りのお人。都のほうへ上るか」
「上るとも。あと幾日かかけてな」
年嵩の物売りはそう答えて、荷を下ろせと目でわれに言った。われは縄を解いて、塩の包みを畦の乾いたところへ据えた。
母は、しわの寄った手で荷の縄に触れた。ひとり娘が春から都の屋敷へ下働きに上がったきり、なんの便りもないのだという。母の背のむこう、家の戸口には、小さな藁の草履が一足、干したままになっていた。母も娘も字を持たず、文のやりとりはできなかった。
「あの子に伝えてはくれまいか。……いや、よしておこう。わたしは字も読めぬ。覚えてくださったところで、途中で違うて伝わりでもしたら、かえってあの子を惑わせる」
年嵩の物売りは、それには何も答えなかった。畦の草を足で踏み倒して、母をそこへ座らせ、自分もその向かいに腰を下ろした。われは二人の脇に座して、荷の番をした。

老人がまず問うたのは、言伝の中身ではなかった。われはそれを意外に思った。預かるなら、まず言葉を聞くものと思っていたからだ。
「娘は、都のどこにおる」
「東の、橋のたもとの屋敷と聞いております。連れて行った人が、門に大きな柿の木があると言うておりました」
「娘の呼び名は」
「あの子は、小さいころから、ちい、と呼んでおりました」
「柿の木と、橋と、ちい。それだけあれば足りる。屋敷の名はいらぬ」
老人はそう言って、ようやく、言うてみよと母にうながした。
母は、ぽつり、ぽつりと言葉を選びはじめた。一語ごとに立ち止まり、考えこんで。まるで、ひと粒ずつ米をえらぶように。
「つつがなくしておるか。こちらは案ずるな。田の実りもよかった。……帰る家は、いつでもここにある」
老人は目を閉じて聞いていた。口は動かさず、ただ、右の指が一本ずつ、膝の上で曲がった。言葉の切れ目ごとにそうしていた。聞き終えても、うなずきもしなかった。ただ、もう一度、と言った。
母は戸惑いながら、また口を開いた。
「……こちらは案ずるな。田の実りもよかった」
声が、すこし震えて、そのまま黙った。
「帰る家は、いつでもここにある」
一度目にあった「つつがなくしておるか」の一句は、二度目にはもう、母の口に上らなかった。老人はそれを拾い直そうとはしなかった。母に、そこを問い返すこともしなかった。目を開けて、われを見ただけだった。
「そなたが言うてみよ」
われは、聞いたとおりを言った。三言。つかえもせず、早口に。
老人は首を振って、腿に置いたわれの手を、上から押さえた。
「ここだ」
母が黙りこんだそこのところで、老人の掌が、われの手の甲をぐっと沈めた。われは息を止めて、掌を腿に押しつけたまま、数をひとつ、ふたつ、みっつと数えた。母が黙っていた長さが、それだった。老人が手を離すのを待って、われはもう一度、はじめから言い直した。「田の実りもよかった」と「帰る家は」のあいだに、掌ひとつぶんの間を置いて。
老人は、こんどは何も言わなかった。ただ、荷の縄を肩にかけなおして、立ち上がった。母が、あの、と声をかけた。老人は振り向いて、片方の手を、母に向けて一度だけ開いて見せた。預かった、という所作だった。
母は、荷を担ぎなおすわれらを、畦の上から見送るように立っていた。われと老人の顔をかわるがわる見て、それから、ようやく息をついたように笑った。たった三言の言伝に、眠れぬ夜を重ねた人の顔だった。

◇ ◇ ◇
都に入ったのは、里を出て十日あまり経ってからだった。
道々、老人は、言伝のことを、ひと言も声にしなかった。声に出せば、母の調子が磨り減ってしまうのだという。われは歩きながら、三言を頭の中でたどった。たどるたびに、母が黙った長さが、すこしずつ短くなっていくような気がして、そのたびに数をみっつ数えなおした。夜、宿の軒下で荷を枕にしても、数えるのをやめなかった。老人は隣で背を向けて寝ていたが、寝息の合間に、右の指が一本、ときおり曲がるのが月明かりに見えた。
東の橋のたもとに、柿の木のある屋敷はすぐに見つかった。枝には、取り残された実がふたつ、赤く残っていた。川の水は秋のひくさで、橋の下の石が、ところどころ顔を出している。里で聞いた橋は、たしかにこれだった。柿の木と橋、あとは娘の呼び名だけで、三つともそろっていた。裏の戸口で、老人は足を止めた。
「ちいという娘を」
出てきたのは、年のころ十五、六の下仕えの娘だった。手が荒れて、袖口が煤けていた。山の里の物売りだと名乗ると、娘は、はっとしたように顔を上げた。水を汲んだ曲物を提げた手が、ぴたりと止まった。
老人は一歩さがって、われの背を軽く押した。荷を下ろしたその手で、われは娘の前に立った。
「里の母から、言伝を預かってきた」
娘は何も言わずに立っていた。われは、里の畦で聞いた母の声を、そのままの高さで思いだしながら、口を開いた。
「こちらは案ずるな。田の実りもよかった」
そこで、数をみっつ数えた。その間、娘は瞬きもしなかった。
「帰る家は、いつでもここにある」
娘は、聞き終えても動かなかった。やがて、両の掌をゆっくりと胸の前で重ねた。ずいぶん長く、そうしていた。袖口の煤は、台所の火の色をしていた。曲物の水が、足もとの土にひとしずく落ちて、黒く染みた。それから、そなたたちの帰りの道はいつになる、とだけ言った。
老人が、冬になる前にまた通る、と答えると、娘は袖で目のあたりを拭って、うなずいた。
老人は、そのあいだ、すこし離れた築地のそばで、荷に腰をかけて待っていた。こちらを見てはいなかった。われが戻ると、荷を担げとだけ言って、先に歩きだした。礼の言葉も、ねぎらいの言葉もなかった。ただ、橋の上で一度だけ、われの手を取って、掌の汗を見た。
柿の木の枝で、小鳥が実をつついていた。
◇ ◇ ◇
ホームの女が消した三字は、打てばまた出る。山あいの母の句は、一度目に四つあって、二度目には三つになっていた。
三言を、十日あまりかけて運んだ。受けた娘の掌は、胸の前で重なったまま、動かなかった。
参考文献・もっと詳しく
※ 里の母娘が字を持たないという設定は創作である。庶民の識字は時代・地域・身分によって大きく異なるため、数値では断定しない。言伝を請け負う物売りの慣わしと、暗誦を守る作法も創作で、史料での裏付けは未確認である。参考文献は文字の文化の側を扱う。
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