09文化
文化室町のころ・近江の村読了 約6

神さまに見せる、力くらべのこと

土の上のただの力くらべが、なぜ、その年の実りを占う祈りになったのか

 ボクが見てきたかぎり、人というのはよくよく力くらべの好きな生きものだ。

 どこの国へ行っても、男たちは隙あらば組み合って、どちらが強いかをためしたがる。腕ずもう、石担ぎ、米俵の上げくらべ。むずかしい理屈などいらない。相手より一歩でも押せば勝ち、押されれば負け。子どもにでもわかる。だからこそ人は、いつの世も飽きずに組み合ってきた。

 ただの取っ組み合いだ。けれどこの国では、その素朴な力くらべに、いつしか神さまが寄り添った。豊かな実りを願い、その年の作柄を占う。土の上の勝負が、いつのまにか祈りの形になっていったのだ。腕の太い若者が裸で組み合う、あのむきだしの光景の底には、村じゅうの願いが静かに沈んでいた。

◇ ◇ ◇

 嘉吉二年(一四四二年)の秋。近江の、琵琶の湖にほど近い村の宮の祭りでのことだ。世の中は、前の年に都で大きな騒ぎがあったとかで、まだどこか落ち着かない年まわりだった。おれは塩や小間物を背負って諸国を歩く行商の身で、その日はたまたまこの村に足を止めていた。

 その日、おれは塩を売りがてら、人だかりにまじって祭りを覗いた。野良着の百姓も、晴れ着の娘も、よちよち歩きの子をおぶった母親も、みな同じ方を向いて、ひとつ所へ寄り集まっている。煮しめの匂いと、酒の匂いと、汗の匂いとが入りまじって、村ぜんたいが浮き立っていた。

 社の前の広場に、ぐるりと人の輪ができている。まんなかの地面は、よその踏み場とは見るからにちがった。小石をていねいに拾い、土をならし、足で固めてある。そこだけ色が変わって、しっとりと黒い。聞けば、何日も前から村の若い衆がかわるがわる踏みしめて、こしらえた場なのだという。広場のへりには注連縄が張りめぐらされ、ところどころに白い紙垂が下がって、風にゆれていた。ただの空き地が、その縄の内と外とで、まるきり別の場所になっている。

 その固めた土の上に、塩がまかれた。年寄りがひと握りつかんで、四方へぱっぱっと投げる。白い粒が、傾きかけた日に光って散った。

 「あれは何のまじないだい」とおれが隣の百姓に尋ねると、男は当たり前のことを訊くなという顔をした。

 「きよめよ。地の悪いものを払うてな、神さんに気持ちよう降りてきてもらうのよ。塩をけちる村は、その年、ろくなことがねえ」

 やがて若い衆がふたり、その輪のまんなかへ進み出た。腰に締め込みひとつのほかは、なにも身につけていない。秋の風はもう冷たかろうに、ふたりとも肌から湯気でも立てそうなほど、頬を赤くしている。

 片方は、肩のあたりの肉がこんもりと盛りあがった大男。もう片方は、それより一回り小さいが、足腰のどっしりした、目つきの鋭い若者だった。村の者が口々に「弥三郎、弥三郎」と呼ぶのは、その小さいほうらしい。

 ふたりは向かい合うと、まず大きく足を上げて、どすん、と地を踏んだ。右、左。土ぼこりが、ふわりと舞いあがる。

 「あれもまじないかい」

 「四股よ。地の底に眠っとる悪いもんを、踏んで鎮めるのさ。そうしておかんと、暴れて稲を倒す」

 なるほど、一手一手に意味があるらしい。おれの目には、ただの威勢のいい見得に見えたが、踏むほうの若者の顔は、おそろしく真剣だった。

 行司役の年寄りが、間に立って軍配がわりの扇をかざす。ひと声、張りあげた。ふたりは腰を落とし、にらみ合い、それから音を立ててぶつかった。

 組んずほぐれつ、汗と土ぼこりが舞う。大男が太い腕を弥三郎の脇へ差しこみ、力まかせに持ちあげにかかる。弥三郎の足が、つま先立ちになって、宙に浮きかけた。

 村じゅうが、わっと声をあげた。手をたたき、足を踏みならし、なかには手を合わせて拝みだす婆さままでいる。

 「弥三郎ァ、負けるな。負けたら来年が凶作じゃぞ」

 その声を聞いて、おれは妙に思った。なぜ、ひとりの若者の勝ち負けが、村ぜんたいの実りにかかわるのか。傍らの百姓に重ねて訊くと、男は土俵から目を離さぬまま、早口に教えてくれた。

 この村では、勝った若者の踏ん張りようで、その年の出来を占うのだという。みごとに投げて勝てば、来る年は豊作。あっけなく転がされれば、不作。だから、ただの力くらべではない。神さまへ捧げる一番であり、村の命運を読む占いでもあった。

 持ちあげられた弥三郎が、宙で、ぐっと腰をひねった。落とされまいと足の指を縮め、相手のまわしを片手でつかむ。そのまま、ねじるように体を沈めた。大男の足が、ずるりと滑る。次の刹那、大きな体が前のめりに泳いで、固めた土の上へ、どうと崩れ落ちた。

 歓声が、地を揺らした。

 弥三郎は、肩で大きく息をしていた。汗が、顎の先からぽたぽたと落ちる。けれど、勝ち名乗りを聞くより先に、その若者がしたことがある。人垣のほうへ向かって威張るのでもなく、まず社のほうへくるりと向き直り、そこへ深ぶかと頭を下げたのだ。

◇ ◇ ◇

 その礼を見て、おれは合点がいった。

 これは、ただの喧嘩自慢ではない。神さまの前で、村のいちばんの力を捧げる。受け取った神さまが機嫌をよくして、その年の実りを約束してくれる。村の者は、本気でそう信じていた。だから土をきよめ、塩をまき、四股を踏んで地の悪いものを鎮める。汗と土ぼこりにまみれた一手一手に、村じゅうの祈りがこもっていたのだ。

 それでいて、見ている者は、ただただ楽しそうだった。手に汗をにぎり、勝てば抱き合い、負ければ天を仰ぐ。婆さまは拝み、子どもは飛び跳ねる。神さまへの切実な祈りと、人の血をわかせるむきだしの楽しみとが、ひとつの輪のなかで、みごとに溶け合っていた。

 祭りのあと、弥三郎は若い衆に肩を組まれて、引きあげていった。背中いっぱいに土をつけて、てれくさそうに笑っている。来年の村は豊作だ——もう誰もがそう決めてかかって、その晩は遅くまで、宮のあたりで笛や太鼓の音が絶えなかった。

 おれの塩も、その晩はよく売れた。祝いごとには塩がいる、きよめにもいると、女たちが次つぎに小銭を握って寄ってきた。商いをしながら、おれはふと思った。あの若者は、たったいま村ぜんたいの来年を、その両肩に担いで勝ったのだ。米の出来も、子らの腹具合も、年寄りの越す冬も——みな、あの一番の踏ん張りにかかっていた。重いはずだ。なのに当人は、土まみれの顔で、ただ子どものように笑っている。その軽さが、おれにはなんとも好もしかった。

◇ ◇ ◇

 いまでは、土俵の上の取り組みは、海の向こうまで届くという。茶の間で寝ころんで眺める者もいる。番付だの給金だの、おれの知らぬ仕組みも、いろいろできたらしい。

 それでも力士は、土俵に上がればまず塩をまく。四股を踏み、柏手を打って、見えぬ神に向かって手を合わせる。屋根は宮の社をかたどり、土を盛った俵で、まるく聖なる場を囲う。近江の村の宮で見たあの祈りの形が、姿をほとんど変えずに、今もそっくり残っている。

 もとをたどれば、はるか昔、都の御所では諸国の力自慢を召し集め、帝の御前で取らせたものだった。神に捧げ、その年の豊凶を占う。素朴な力くらべに祈りを重ねたあの心もちが、村から村へ、年から年へと伝わって、今日の土俵の塩や四股に、まだ生きている。

 ボクはそれを見るたびに、嘉吉の秋の、あの土ぼこりを思い出す。そして、勝った弥三郎が、人垣より先に社へ下げた、汗まみれの頭を思い出すんだ。

参考文献・もっと詳しく

相撲はもともと神に捧げる神事・奉納の性格を帯び、各地の宮の祭りでは、その年の作柄を占う行事として取られてきたとされる。勝敗で豊凶を占うやり方は地域・時代で形が多様なため、本作では村人の信仰・経験則として描き、断定を避けた。土俵をきよめる塩・四股・社への一礼など、神事としての所作は概説の範囲で記した。平安の朝廷が諸国の力自慢を召して帝が観た「相撲節会」が、奉納相撲・祭礼相撲の源流のひとつとされる。番付・給金・興行(勧進相撲)の仕組みは近世以降に整ったものなので、室町の場面には出さず、現代を語る額縁でのみ触れた。嘉吉二年(一四四二年)は、前年の嘉吉元年に都で起きた政変(嘉吉の乱)の翌年にあたり、「世がまだ落ち着かない」という地の文と時期は重なる。

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