銀杏の枝に掛けられた、旅の尼の地獄絵と極楽絵第 33 話宗教
宗教室町のころ・村の寺の境内読了 約6分

銀杏の枝に掛けられた、旅の尼の地獄絵と極楽絵

〜字の読めぬ人へ、仏の教えは、どうやって届いたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 妙信みょうしんという旅の尼あまは、絵を広げる前に、かならず指し棒の先を袖でぬぐった。棒の先は、ほぐした藁を糸で巻いてある。塵がつくと、絵の面をひっかくのだという。ボクがその癖を見たのは、文安ぶんあん三年(一四四六年)の夏、ある村の寺の境内けいだいでのことだった。

◇ ◇ ◇

 その日は油蝉あぶらぜみが降るように鳴いていた。おれは古い銀杏いちょうの木陰に荷をおろして、歩きどおしの足を休めていた。本堂の前に、墨染めの衣の尼がひとり立っていて、地べたで荷を解いている。日に灼けた顔、塵をかぶった素足。衣の裾はすり切れて、何年も歩きとおしてきたことが知れた。荷のなかから出てきたのは、油紙にくるんだ細長い筒だった。口に通した麻縄の輪は、肩に掛けて運ぶかたちのまま、擦れて毛羽立っている。

 「そこの荷を負うた衆。すまぬが、手を貸してくだされ」

 断る間がなかった。尼は銀杏の低い枝に麻縄をかけ、結び目を掌で一度なでた。それから巻いた絵を解き、上端の環を縄に掛けると、下の軸木をおれの手に押しつけた。

 「風が出ると、絵が暴れるでな。放さんでおいてくだされ」

 おれは荷を木の根方に置いたまま、絵の下の軸木を両手で持って立つはめになった。そのうちに村の者がひとり、ふたりと集まってきて、いまさら手を離して荷を背負い直せる気配ではなくなった。寺の小僧がひとり、鐘楼のかげからのぞいて、すぐ引っ込んだ。年寄りは前に、子らは年寄りの膝もとに、座る場所がひとりでに決まっていく。おれは立ったまま、輪のいちばん内側の、絵にもっとも近いところにいた。

 掛幅は、おれの背丈ほどある。上は縄で枝に吊られているが、風にあおられると、下の軸木が振れる。おれの役は、それを胸の高さに引いて、絵を反らせぬことだった。腕の置き場は動かせず、そのうち肘から先の感覚が薄れた。軸木は黒光りして、握るところだけが、指の幅に浅くへこんでいた。おれの指は、はじめからそのへこみに収まっていた。絵の下の端は布のように柔らかく、紙の繊維が毛羽立って指の腹に引っかかる。ふちの裏には、継ぎの当て紙が四枚、糊の色をちがえて貼られていた。

 地獄の絵だった。煮えたぎる釜で頭から茹でられる者。赤鬼青鬼に追い立てられ、鉄の鋏で舌を引き抜かれる者。刃を上に向けて生えそろった剣の山を、裸足で登らされる者。血の赤と炎の朱が、夏の日ざしの下で、ぬらりと光っている。そのなかで、剣の山の登り口のあたりだけ、色が剥げて紙の地が白くのぞいていた。縁を爪でなぞると、顔料の粉が爪に残った。指し棒の先の幅の、白い擦れだった。長い年月、同じ場所を突かれてきたのだろう。

挿絵:地獄の絵だった

 「——よいか。生きとるあいだに人を欺き、物を盗み、おのれの腹ばかりを肥やした者はな。死してのち、この剣の山を、裸足で登らされるのじゃ」

 尼の声は低くよく通った。棒の先が、白い擦れのところへ、とん、と当たる。そのたびに、絵の裏から、軸木を握るおれの手へ、小さな震えが伝わってきた。前のほうにいた幼い子がわっと泣き出して、母親の腰にしがみついた。語りの切れ目ごとに、蝉の声がぐっと近くなる。尼が息を継ぐと、境内じゅうが蝉ばかりになり、また尼の声が、その上に乗った。

 「こわいか」と尼は声をやわらげた。「なら、こわがらんでええように生きればよいのじゃ。人にやさしゅうしなされ。ひもじい者には、ひと匙でも分けてやりなされ」

 地獄の語りは長かった。そのあいだ、人垣はほとんど音を立てず、草履が土を擦る音も、咳もない。ちらほらと、頬のこけた者、目ばかり大きな子、片親をなくしたらしい童が見えた。ぼろの着物の肘はすり切れ、足の指は土と同じ色をしている。いちばん深くうなずいていたのは、その者たちだった。

 語りの途中で、風がひと筋、境内を渡った。絵がふくらんで、上の縄がきしむ。おれは軸木を腹に引き寄せ、足を踏んばった。前の列の者がみな身をすくめ、尼の声が一瞬だけ止まった。縄は麻の三つ撚りで、結び目は固く、もちこたえた。尼は何も言わずに、棒の先をもとの場所へ戻した。

 絵の面を、おれは近くから見るはめになった。白い擦れは、剣の山の登り口のほかに、釜のふちと、鬼の持つ鉄の鋏の先にもあった。数えると三か所で、どれも指し棒の幅だった。

 いちばん前の列に、腰の曲がった老婆がいた。おれの立つ位置から、手の届くほど近い。背には、昼に刈ったらしい草の束が、負われたままだった。しわだらけの手を胸の前で固く合わせ、何かをくり返し小声で唱えている。耳を澄ますと、念仏ではなく、「すまなんだ、すまなんだ」という言葉だった。誰に何を詫びているのか、おれは知らない。

挿絵:いちばん前の列に、腰の曲がった老婆がいた

 「——そうすれば」尼は言いさして、おれの手から地獄の軸木を受けとった。環を縄から外し、絵を巻いて、油紙の上に寝かせる。かわりの一幅の環が縄に掛けられ、その下の軸木が、おれの両手へ移った。蓮の池に花の咲き乱れる、朱でふちどった極楽だった。地獄の絵が日を吸って暗く沈んでいたのに、朱のふちは、傾きはじめた日を受けて、いっそう赤かった。その軸木を握ると、へこみがない。白木の肌が、まだ生のままだった。極楽の絵は、どこを探しても、擦れていなかった。

 「——こちらの、極楽へ参れるのじゃ」

 極楽にかかると、人垣のあちこちで、ほっと息をつく音がした。極楽の語りは、おれが腕を持ち替える間に終わった。

 日が傾いて、蝉の声がひぐらしに変わるころ、絵解きは終わった。村人たちは尼の前に、米のひと握りやもぎたての瓜を、おずおずと供えて帰っていく。米は尼の鉢のなかへ、ぱらぱらと音を立てて落ちた。ひと握りぶんでは、その音はすぐに止んだ。瓜の肌には、まだ畑の熱が残っていた。軸木はようやくおれの手を離れた。握っていた指は、すぐには開かなかった。尼は受けとると、白木の軸木に親指をあてがって、皺ひとつ寄せぬように絵を巻いた。油紙の上の地獄の絵も取り上げ、軸木のへこみに親指を合わせてから、二本まとめて筒に収めた。そのへこみは、尼の親指のほうが、おれの指の跡より深かった。縄を結んだ銀杏の枝には、擦れた皮が白く残っていた。

 「村の外れの地蔵まで、この筒を担いでくだされ。そこから先は、わしが負うでな」

 おれは木の根方の荷を背負い直し、筒を肩に担いだ。地蔵は、おれの行く道とは逆の方角にあった。道には、尼の素足が土を擦る音と、筒のなかで軸木どうしが触れ合う乾いた音だけがあった。筒は思ったより軽く、そのくせ肩に食い込んだ。麻縄の輪が、肩の同じ場所へ、すっぽりと落ちた。地蔵の前で、尼は筒を下ろして、荷から糸と藁を出した。棒の先の巻きが、ほつれはじめていたのだ。歯で糸を切り、指し棒の先を、日の落ちきる前に巻き直した。糸は日に褪せた茜色で、巻きの下から、前に巻いた糸の色が二層、のぞいていた。おれは黙って、その手もとが終わるのを待った。藁の切れ端が、土の上に、ひとすじ落ちた。糸を引くたびに、藁がかすかに鳴った。筒を渡したときには、尼が供物の瓜をひとつ、おれの荷に入れてくれた。戻る道は、すっかり暗くなっていた。その道で、おれは塩袋の口を結んではほどき、また結んだ。その日、荷は何も減っていなかった。

◇ ◇ ◇

 いまの美術館に、剣の山の絵がある。ガラスの向こうに、同じ構図の一幅が掛かっている。札には「修復」の二字がある。違うのは、下の端だけだ。白く擦れていた登り口が、ない。

 ガラスの前を、靴底がリノリウムを鳴らして通り過ぎていく。空調が、低く唸っている。

参考文献・もっと詳しく

※ 絵を指し示して教えを語る「絵解き」は、中世日本で、文字を読めない庶民へ仏の教えを伝える手立てとして広く行われた。地獄極楽図や六道絵を携えて辻・境内・村々を巡り歩いた宗教者が各地にいたが、その担い手は時代・地域によって多様で、本話では特定の宗派や固有名(熊野比丘尼など)に断定せず、「絵解きの尼」という一般像として描いた。地獄の責め苦の描写(剣の山・釜茹でなど)は、源信『往生要集』に説かれた厭離穢土・欣求浄土の地獄観を背景にもつ図像であり、本文の「死してのち」の語りは、尼の説法の範囲にとどめた。人物・会話・情景、二幅の掛け替えや絵の装い(ふちの色など)は創作である。文安は一四四四〜一四四九年。

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