神さまへ届ける、一頭の馬のこと21宗教
宗教戦国のころ・信濃の山あいの村読了 約8

神さまへ届ける、一頭の馬のこと

馬一頭を買えぬ男は、なにを神さまの前に置いていったのか

 ボクはたまに、社の絵馬掛けの前で足を止める。

 小さな板きれが、屋根のついた台にずらりと掛けてある。受かりますように。病が治りますように。あの人と添えますように。子どもの拙い字も、年寄りの達者な筆も、みんな同じ五寸ばかりの板に願いをのせて、ことことと風に鳴っている。今どきは絵柄も色とりどりで、なかには猫だの兎だの描いたものまである。

 けれど古いものをよく見ると、どれにも判で押したように一頭、馬が描いてある。学業の願いにも、縁結びの願いにも、馬。なぜ、馬なのか。受かることと馬と、いったい何の縁があるのか。

 もとをたどれば、神さまというのは、ずいぶん馬がお好きらしい。雨を呼び、風を鎮め、災いを払う——人が切に願うたび、神さまは馬に乗って天から降りてくると信じられた。だから昔の人は、社へ生きた馬を引いて奉った。たてがみの黒々とした、毛なみのつやつやした一頭を。神さまの乗り物として捧げたのだ。

 ところが馬は高い。一頭ひくには田を何枚も手放す覚悟がいる。願いのたびに本物を奉っていては、村の身代がもたない。そこで人は知恵を絞った。土をこねて馬の形にする。木を削って彫る。やがては板きれに墨で馬を一頭描き、それを社へ掛けて生馬の代わりとした。馬を描いた絵の馬。それが絵馬のはじまりだと言われている。

◇ ◇ ◇

 天文十三年(一五四四年)の夏、信濃の山あいの村でのことだ。その年は梅雨が空梅雨で、田の土はひび割れ、稲は葉先から黄ばみかけていた。おれは塩や針を背負って国々を歩く行商の身で、その日はたまたまこの村へ流れついた。

 村は、ひどく静かだった。子らの遊ぶ声もなく、井戸端の女たちは桶を抱えたまま、ただ空ばかり見上げている。畦の草は埃をかぶって白茶け、用水の溝は底をさらしてひび割れていた。雲ひとつない。照りつける日が、乾いた田を白く灼いていた。隣の国では春から戦がつづいて、馬という馬は侍衆に取りあげられ、村に残ったのは年寄りの痩せ牛が一頭きりだと、塩を量りながら聞かされた。雨が来ねば秋に食うものがない。戦に出た息子も帰れぬ。村じゅうが、息をつめて天をうかがっていた。

 夕方ちかく、村の者がぞろぞろと社へ向かいはじめた。おれも荷を背負ったまま、そのあとについて行った。

 村のはずれの、小さな社だった。古い杉木立にかこまれて、苔むした石段が十あまり。のぼりきると、板葺きの拝殿が一棟、ひっそりと建っている。柱は雨風に晒されて灰色にひび割れ、軒には朽ちかけた注連縄が垂れていた。賽銭箱の前には、すり減った狛犬が一対。それでも掃き清められた庭は塵ひとつなく、村の者がこの社をどれだけ大切にしてきたかが、ひと目で知れた。

 拝殿の前に、白髪の老人がひとり、莚を敷いて座っていた。村の者は「源助どの、源助どの」と頭を下げて、その前に板きれを置いていく。聞けば、国々をめぐって絵馬を描く絵描きで、雨ごいと聞いて山を越えてきたのだという。

 源助の前には、節の浮いた杉の板が何枚も積んであった。手のひらほどの薄い板だ。老人はそれを一枚ずつ手にとっては、傾く日にすかして木目をたしかめた。「馬には馬に合う木目があるでな」と低くつぶやく。節がちょうど胴のあたりにおさまる板、木目がゆるく流れて脚の運びに見える板——さんざん選んだすえ、ようやく一枚を膝の上に寝かせた。ふっと息を吹いて木屑を払う。

 硯に水を落とし、墨をする。しゅる、しゅる、と乾いた庭に音が立つ。墨の匂いが、汗くさい人いきれのなかに、すうと一筋とおった。年寄りも子どもも、源助の手もとから目を離さない。村の命運をその板にあずけた者の顔は、みな一様にこわばっていた。

 筆をとった。穂先をたっぷり墨に含ませると、源助はしばらく板を見つめ、それから一気に動かした。筆の腹で、ぐいと胴を引く。返す手で、四本の足が地を蹴る形を打つ。木目に沿って墨がほんのりにじみ、それがかえって、汗ばんだ馬の毛づやのように見えた。穂先をきゅっと立てて、たてがみと尾を、風になびかせるように撥ねあげる。

 みるみる一頭の馬が、板の上に立った。

 けれど、まだどこか紙細工めいて見える。源助は筆を持ちかえ、いちばん細い穂先に墨を一点ふくませると、馬の顔へ近づけた。息をとめ、目のところへ、ちょん、と打った。

 その途端だった。板きれの馬が、ふいに生きた。

 おれは思わず身を乗りだした。さっきまでただの墨の形だったものが、目を入れられたとたん、こちらをじっと見返してくる。今にも板を蹴破って、土ぼこりを上げて駆けだしそうだった。まわりの百姓たちも、ほう、と声をもらして拝みかけている。

 近くで見ると、馬の胴には墨のかすれが残り、その隙間から杉の木目が透けていた。けれどそれが汗に濡れた毛なみのように見え、たてがみの一本一本までが、風をはらんで揺れているかと思われた。源助の筆は、よけいなものをいっさい描いていない。目鼻の数本と、四肢の運びと、なびく尾。それだけで一頭の馬が、たしかにそこに立っていた。長い年月、馬ばかり描いてきた手だけが知る省きようだった。

 「これで、神さんのお乗りもんがそろうたな」と源助はつぶやいた。

 板を受け取ったのは、日に焼けた中年の百姓だった。村の肝煎りだという。馬を奉る役を、村じゅうから託されたらしい。両手で板を捧げ持つ、その手が、かすかに震えていた。

 「あれは、本物の馬の代わりかい」とおれは隣の若者に小声で尋ねた。

 「おうよ。ほんとは生きた馬を引いて奉るのが筋じゃ。けんど、うちの村にゃもう馬はおらん。戦に取られてしもうた」若者は声を落とした。「じゃが源助どのが言うにはな、神さんは肉の馬も墨の馬も、区別はせんのじゃと。引いてくる者の心が馬になって、ちゃんと天まで駆けるんじゃと」

 肉の馬も墨の馬も、神さまには同じ。心が馬になって駆ける。おれの目にはただの板きれにすぎぬものに、村の者は本物の一頭を見ていた。

 ひとりの子が、母の袖を引いて尋ねた。なぜほんとうの馬を引いてこないのかと。母はしゃがんで、子の耳もとに口を寄せた。「もう馬はおらんでな。じゃがの、この絵の馬は、いくらでも速う駆ける。腹も減らさん。神さんのとこまで、ひとっ跳びじゃ」子は板の馬をじっと見つめ、やがて小さな手を合わせた。その横で、息子を戦に取られたという老婆が、皺の寄った目をしばたたいて、ひとりごとのように拝みつづけている。日に焼けた男たちは唇を引きむすび、まばたきもせず板を見ていた。みな、この一頭にしか縋るものがなかった。

 源助は筆を洗い、墨をしまうと、汗をぬぐって立ちあがった。礼を渡そうとする肝煎りに、老人は首を振った。「銭はええ。雨さえ降れば、わしの馬がちゃんと走ったということじゃ。それが何よりの礼でな」そう言って、また次の村へ越えていく支度をはじめた。国々を旅して、馬の買えぬ村に馬を描いてまわる——そういう暮らしを、もう幾年もつづけているらしかった。

 肝煎りが、板を拝殿の柱へ掛けた。村じゅうがその前に膝をつき、額を地にすりつけて拝む。皺だらけの婆さまも、母の背で眠る赤子も、田を失いかけた男たちも、みな同じ板の馬へ祈りを送る。どうか雨を。どうか秋を。どうか息子を返してくれと。一頭の墨の馬の背に、村のすべての願いが乗せられていく。

 日が落ちて、社のあたりは藍色に沈んでいった。誰かが灯した松明の火が、板の馬を赤く照らす。揺れる火影のなかで、馬はいよいよ生きもののように、たてがみを震わせて見えた。

 おれもその晩は、社の軒下を借りて夜を明かすことにした。荷をおろし、横になっても、柱に掛かった板の馬がどうにも気になって、なかなか寝つけなかった。闇のなかでも、あの目だけは、こちらを見ているような気がした。

 どれほど経ったろうか。ぽつ、と屋根を打つ音で目がさめた。ぽつ、ぽつ、と続く。半信半疑で軒先に手を出すと、たしかに濡れた。やがて、ざあ、と本降りになった。飛び起きた村じゅうの者が、雨のなかへ転がり出てくる。ずぶ濡れで手を打ち、子のように天を仰ぎ、声をあげて泣いている者もいた。あの墨の馬が、ほんとうに天まで駆けて、神さまを連れて帰ったのだと、誰もが信じて疑わなかった。柱の板を見れば、雨の飛沫を浴びた馬が、いよいよ生きて、今しも駆けもどってきたように濡れていた。

◇ ◇ ◇

 ほんとうのところ、雨は雨の都合で降ったのだろう。墨の馬が呼んだわけではあるまい。

 それでもおれは、源助の細い穂先が、ちょん、と目を打った、あの一瞬を忘れられない。板きれにすぎぬものが、目を入れられたとたんに生きものになり、村じゅうの願いをその背に負って、天へ駆けあがっていった。馬一頭を買えぬ村の者が、神さまの前に置いていったのは、ただの板きれではなかった。心を一頭の馬に変えて、捧げたのだ。

◇ ◇ ◇

 馬を奉るかわりに馬を描く。その工夫は、長い年月のあいだに、思わぬほど大きく姿を変えた。

 はじめは雨ごいや病平癒の、切実な願いごとだったものが、いつしか手のひらほどの小さな板にちぢまり、人びとはそこへ、ありとあらゆる願いを書きつけるようになった。商いの繁盛、旅の無事、わが子の上達。馬の絵は申し訳ばかりに小さくなり、やがて馬でないものまで描かれて、それでも人は今日も社の板に願いを託す。受かりますように。治りますように。添えますように。

 ボクはそれを見るたびに、信濃の夏の、あの空梅雨を思い出す。そして、墨の馬の目に一点が入った刹那、ただの板きれが生きものに変わった、あの息をのむ静けさを思い出すんだ。

参考文献・もっと詳しく

絵馬の起こりは、神の乗り物として社へ生きた馬(神馬)を奉った風習にさかのぼり、生馬の奉納が負担となるなかで土馬・木馬、そして板に馬を描いて捧げる形へ代わっていったとされる(諸説あり)。雨ごい・止雨など切実な祈願に馬を奉る例が古くからみられる一方、手のひら大の小絵馬に多様な願い事を書きつける風習が庶民へ広く根づくのは近世以降とされるため、戦国の場面では板に馬を描いて奉る段階を中心に描き、願い事の多様化は現代を語る額縁でのみ触れた。神が肉の馬と墨の馬を区別しない等の語りは村人の信仰・口伝えとして描き、断定を避けた。天文十三年(一五四四年)は戦国の争乱期にあたり、村から馬が徴発される地の文と時期は矛盾しない。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

同じテーマの話
宗教ひと粒ずつ珠を手繰り、亡き子の名を夜ごと繰り返していった母のこと宗教村のはずれに、石が立っていた宗教上等な地獄