第 74 話宗教百八の珠と、疫病のあとの炉端に通ってきた里の母
〜涙の涸れた母は、百八の珠で何を数えていたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
喪服の女が、電車の吊革の下で、手首に巻いた数珠の珠を親指でひとつずつ送っていた。降りる駅の手前まで、その指は一度も止まらなかった。
ボクは向かいの席で、窓に映るその手を見ていた。
◇ ◇ ◇
文永二年(一二六五年)の晩秋、京の近郊の里の戸口で、おれはひとりの婆の手が震えるのを見ていた。
おくまという婆だった。八十に近いというその手は、水を張った椀を持つだけで水面が波立つ。それでも婆は、土間に筵を敷いて、毎朝そこへ木の実を広げさせ、日の当たる場所を寄せては、実の肌が乾いていくさまを見ていた。夏のはじめに疫病が里を襲い、十九人が死んだ。戸口の土には、焚き火の黒い跡がまだあちこちに残っている。子を取られた家は三軒あって、婆はその三軒へ、数珠を一連ずつ配るのだという。手の利かなくなった婆に代わって、飯と寝床のかわりに、おれがその下働きに雇われた。
あくる朝、婆はおれを辻堂へやった。堂の脇に、無患子の大木が立っている。
「枝は打つな。落ちたぶんだけ拾うてこい。青いうちに取った実は、錐を当てたら割れる」
霜のあとにひとりで落ちた実だけが、固く締まるのだという。おれは袋いっぱいに拾って戻った。婆は一粒ずつ爪で弾いて、音をきいた。澄んだ音のものだけを筵の右へ寄せていく。三つに一つも残らなかった。
「この木は、実のよう成る年と、成らん年があってな。ことしは当たり年じゃ。……当たり年に、これだけ墓を掘ることになるとはな」
ここいらでは、子が生まれると、その枕もとへ、この実をひとつ置くのだそうだ。婆は、そこで言葉を切った。しばらくして、ひとりごとのように足した。
「五年前、松の枕もとに置いたのも、わしが、この木の下で拾うた実じゃった」
おれは、拾ってきた袋の口を、黙って結び直した。
◇ ◇ ◇
実は水に三日浸した。皮がふやけて、手でこすると、ぬるりと泡が立つ。おれは川の水でその果肉を洗い落とし、種を日にさらした。婆は縁に坐って、おれの手元よりも、日の傾きを見ていた。
磨きは、婆が川原から選んできたざらつく石の上でやる。黒い種を石に押し当て、円を描くように揉む。角が取れ、くすんだ肌に、少しずつ深い黒の艶が乗っていく。ひと日に三十粒もやれば上出来で、指先の皮が先にすり減って、夜には、湯に浸すだけで沁みた。三連ぶんなら三百二十四の珠がいる、と婆は数えて言った。婆は、その指を一度だけ横目で見て、土間の隅から、使い古した布を一枚、おれの膝へ放ってよこした。

七日目、婆がおれの前に錐を置いた。
穴を穿つのは、おれの役だった。珠を板のくぼみに据え、錐の柄を両の掌ではさんで揉む。力をかけすぎると、ぱきり、と乾いた音がして、珠が割れる。最初の二十粒のうち、おれは三粒を割った。婆は何も言わず、割れた半かけを拾って、自分の袖に入れた。
糸は麻を、婆が腿の上で撚った。手は震えても、撚りだけは狂わなかった。撚りながら、婆は、わしが十のとしにも、この里は同じ目に遭うた、と言った。あのときは、数珠を持つ家など、里にいくらもなかった。ほかの母親らは、夜通し、庭の平たい石を抱いて坐っていたのだという。婆はそれを、うまい話でもするように淡々と語り、撚りの手は止めなかった。糸は、一連に、おれの背丈ほども要った。通す珠は、皿の上に九つずつ、十二の山に分けて置く。
「百八は、人の苦の数じゃと、坊さまが言いなさる」
そう言ったきり、婆は十二の山を、端から数え直した。
最初の一連が輪に結ばれた晩、おれは、それを持って、おなみの家へ行かされた。
子を取られた三軒のうち、ほかの二軒は、できあがったら取りに行くと言いおいて、それぞれ畑へ戻っていた。おなみの家だけが、何も言ってこなかった。まだ若い母で、五つの男の子を亡くした。子を埋めてからこっち、ひとしずくも泣かないのだと、里の者が噂していた。
おなみは、暗い戸口に、坐っていた。おれが差し出すと、痩せた手でおずおずと取り上げた。
「これを、数珠を——」
言いかけて、おれは一拍置いた。
「……ずずを、持ってきた」
里の者が呼ぶとおりに言い直すと、おなみは、わずかに目を上げた。それから、珠の輪を見つめたまま、言った。
「坊さまは、念仏を唱えよ言いなさる。……けど、わたしにゃ、唱えられん。頭のなかが、ただ白うてな。気がつけば、もう、よそのことを考えとる」

おれには、返す言葉がなかった。おなみは、自分の親指で、ひと粒だけ、そっと送ってみた。珠は、かち、と小さく鳴った。
◇ ◇ ◇
その夜から、おなみは、婆の家の炉端へ通ってきた。
婆が呼んだのではない。おれが寝そべっていた土間の隅で、夜半に戸が開く音がして、気がつくとおなみが、炉の火のそばに坐っていた。婆は寝床から起きもせず、ただ、灰のなかの埋み火を、火箸でひとつ掻き起こした。それだけだった。
かち、と珠の鳴る音がした。ひと粒送るたびに、おなみの口が、低く動く。仏の名ではなかった。亡くした子の名だった。
「松。……松。……松」
ひと粒に、ひとつの名。百八の珠を送り終えると、輪をはじめへ戻して、また呼びはじめる。おれは寝たふりをして、そのかち、かち、という音を数えていた。ひと晩に三めぐり。それより多い夜も、少ない夜も、なかった。
四晩目に、火の照り返しのなかで、おなみの頬が濡れていた。指は止まらなかった。拭うために指を珠から離せば、その名が途切れる。おなみは、そうとでもいうように、濡れるままにしていた。
その朝、婆は、袖から自分の数珠をひとつ出して、炉の端に置いた。おれが見たのは、それだけだ。珠は、親指のあたる側が、すっかり平らにすり減っていた。
「わしのは、四十三年になる」
それだけ言って、婆は、また椀を持った。おなみは、その数珠と自分の数珠とを、しばらく見比べていた。
それから、おなみが夜ごとに通ったのは、十一晩になった。八晩目からは、来しなに干し柿をひとつ、懐に入れてくるようになった。だまって炉の端に置き、坐る。婆はそれを、おなみが帰ったあと、黙って口に入れた。
その間おれは、日中に残りの二連ぶんの珠を穿ち、糸に通した。穴は、もう割らなかった。ひと粒ごとに、錐の先が抜ける手ごたえが、掌のなかで分かるようになっていた。二連ぶん、あわせて二百十六粒を通し終えたのが、十一晩目の昼だった。ほかの二軒の者は、言いおいたとおり取りに来て、短く礼を言い、それぞれ戸口を出ていった。
通いはじめて十二日目の朝、おれは里を発った。婆は縁に坐ったまま、顔も上げず、ただ袖から半かけを三つ取り出して、おれの手に押しつけた。割った珠ひとつにつき、片割れをひとつ、持っていけ、というつもりらしかった。半かけは、婆の袖のなかで、人肌に温まっていた。戸口には、おなみが立っていた。
「あの子の名ぁだけは、まだ、呼べるんよ」
おなみは、それだけ言った。
◇ ◇ ◇
十一晩。ひと晩に三めぐり、ひとめぐりに百八。おなみの親指が送った珠は、あわせて三千五百六十四粒になる。そのかち、かち、という音を、ボクは寝たふりのまま、炉のそばで最後まで数えた。
ボクの手のひらに残るのは、婆の袖で温まっていた、割れた半かけの温もり。
参考文献・もっと詳しく
※ 数珠(念珠)は、木の実や菩提樹の種などを磨いて穴を穿ち、糸に通して輪に結んだ祈りの道具で、称名念仏など唱える祈りの回数を珠の数で数えるために用いられたと伝わる。珠の数を百八とするのは煩悩の数になぞらえたものと説かれる。鎌倉期には念仏の教えが各地へ広まり、僧侶のみならず庶民の手にも数珠が握られるようになったとされる。文永二年は一二六五年。※本文の人物・会話・情景は創作。
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