ひと粒ずつ珠を手繰り、亡き子の名を夜ごと繰り返していった母のこと10宗教
宗教鎌倉のころ・京の近郊の里読了 約6

ひと粒ずつ珠を手繰り、亡き子の名を夜ごと繰り返していった母のこと

子を喪い、涙さえ涸れた母は、なぜ夜ごと、おなじ珠の上を指で往き来していたのか

 数珠というのは、祈りに「かたち」を与える道具だ。

 祈りというものは、もともと手のなかにかたちがない。胸のうちで念じても目をつむって願っても、それがどれほどの深さか、どれだけ数を重ねたか、唱えた当人にすらわからない。気がつけば心はよそへ流れ、いつのまにか念じることをやめている。人の心とは、そういう移ろいやすいものだ。

 その頼りない祈りに、ひと粒ずつの珠を結びつけたのが、数珠だった。糸に通した珠を、指の腹でひとつ手繰っては、ひとこと唱える。また手繰っては、また唱える。百八の珠をひとめぐりさせれば、おのずと百八の祈りが積もっていく。数えようのなかった心の働きが、手のなかで、たしかな数になっていくのだ。

 ボクが見てきたのは、その珠を繰る手のことだ。とりわけ、もう取り返しのつかぬものを抱えた者の指が、夜ごと、おなじ珠の上をいくども往き来する——その所作のことを、ボクは長いあいだ見てきた。

◇ ◇ ◇

 文永二年(一二六五年)の秋のことだ。おれは京の近郊の里々をまわって、数珠を作り、また売り歩いていた。

 数珠の珠は、木の実から作る。椋の実や無患子の固い種を拾い集め、ひとつずつ水に浸して中身をふやかし、洗っては日に干す。それから、ざらりとした石の上で根気よく磨いていく。はじめは黒くくすんでいた実が、磨くほどに角が取れ、艶を帯びて、飴色のまろやかな珠になる。気の遠くなるほど手のかかる仕事さ。

 磨きあげた珠には、錐でひとつずつ穴を穿つ。これがまた難物でね。力を入れすぎれば、せっかくの珠がぱきりと割れて、それまでの手間がふいになる。息をつめ、揉むようにして錐をまわす。ひと粒に穴が通るたび、ふう、と息を吐いた。そうして通した珠を百八、撚り合わせた糸に貫いて輪に結ぶ。ひとつらねの数珠ができあがるまでに、まる幾日もかかった。

 その秋、おれは谷あいの小さな里をまわっていた。

 その里は、夏のはじめに疫病に襲われて、ずいぶんと人を取られたあとだった。門口に塩を盛った家がいくつもある。おれが数珠を商いに来たと知れると、里の者がぽつりぽつりと寄ってきて、亡くした親の供養にとめいめい一連を求めていった。坊さまが里をまわり、念仏を唱えれば仏が救うてくださると説いてゆく。そういう世だったのさ。

 その人だかりから少し離れて、ひとりの女が立っていた。さよと里の者に呼ばれていた。

 まだ若い母親で、夏の病で、五つになる男の子を亡くしたのだという。さよは、寄ってきもせず、声をかけてもこず、ただ遠くから、おれの広げた数珠の輪を、うつろな目で見つめていた。

 里の女のひとりが、おれにそっと耳打ちした。さよは、子を埋めてからこっち、ひとしずくも泣かないのだという。泣けば少しは楽にもなろうに、それもできず、飯もろくに喉を通らず、夜もまんじりともせず、ただ抜け殻のように坐っているのだ、と。

 おれが商いを終えて発とうとすると、さよがようやく、近くまで来た。痩せた手で、一連の数珠をおずおずと取り上げ、それを見つめたまま、こう言った。

 「坊さまは、念仏を唱えよと言いなさる。……けど、わたしにゃ、唱えられん。仏を念じようとしても、頭のなかが、ただ白うてな。気がつけば、もう、よそのことを考えている」

◇ ◇ ◇

 おれは、さよの手に、その数珠をのせてやった。

 そうして、繰りかたを教えた。糸に通った珠を、親指の腹でひとつ、こちらへ手繰り寄せる。手繰ったら、ひとこと唱える。唱えたら、また次の珠をひとつ手繰る。頭で念じようとせずともよい、ただ指を珠から珠へ送ってゆけばよいのだ、と。

 「心がよそへ行くなら、行かせておけばいい。それでも指だけは、珠の上を進んでいく。百八つ繰り終えるころには、ともかくも、百八つは唱えたことになる。手が、心の代わりに祈ってくれるのさ」

 さよは、半信半疑の顔で、ひと粒手繰った。小さく、なむ、とつぶやく。それから、もうひと粒。指のさきが、つるりとした珠の上をぎこちなく滑っていく。三粒、四粒と繰るうちに、その目からうつろな色が、ほんの少しだけ薄れた。手を動かしているあいだは、白く凍りついていた頭が、わずかにほどけるらしかった。

 おれは、その里に、しばらく逗留した。次の里へ越える前に、もうひと商い分の珠を磨いておきたかったからだ。

 夜、川べりの納屋を借りて珠を磨いていると、闇のなかから、かすかな声が流れてくる。さよの家のほうからだ。

 行ってみると、戸の隙間から薄あかりが漏れていた。さよが、ひとり、灯のそばで数珠を繰っている。親指が、ひと粒ずつ、ゆっくりと珠を送っていく。その口が低く動いていた。なむ、と唱えているのではなかった。亡くした子の名を、ひと粒ごとにひとつずつ、呼んでいたのだ。

 ひと粒に、ひとつの名。また、ひと粒に、ひとつの名。百八の珠をめぐり終えると、輪をはじめへ戻して、また呼びはじめる。涸れて泣けぬはずのその目から、いまは、つうと、ひとすじ伝っていた。指が珠を繰るあいだだけ、堰が、ようやく切れるらしかった。

 おれは、声をかけられなかった。

 幾晩か過ぎて、おれが里を発つ朝、さよが見送りに出てきた。例の数珠を手にしていた。ひと夏のあいだに繰りつづけたせいか、珠は、おれが渡したときよりも深く艶を帯びていた。掌の脂と、指の往き来とが、木の実を磨きあげていたのだ。

 「坊さまは、念仏すれば、あの子は極楽とやらへ往けると説きなさる。……ほんとうに、そんなところが、あるのかね」

 おれは、正直に答えた。さあ、おれにはわからねえ、と。

 さよは、薄く笑った。

 「あるのか、ないのか、わたしにもわからん。けど、こうして珠を繰っているあいだは、あの子のことだけを、思うていられる。手が止まれば、また闇に呑まれる。だから、繰る。……もう、それしか、あの子に、してやれることがないでな」

 そう言って、さよは、艶の出た珠を、また、ひとつ手繰った。

◇ ◇ ◇

 数珠は、やがて、坊さまや里の長ばかりのものではなくなった。

 念仏が津々浦々に広まると、誰の手にも、ひとつらねの珠が握られるようになっていった。野良へ出る前に繰り、寝るまえに繰り、人を喪えば、その枕辺で繰る。珠の数を頼りに祈りを積むやりかたは、暮らしのなかへ、そろりと根を下ろしていった。手のなかに、祈りのかたちを宿す——そういう道具が、誰の懐にも、ひとつおさまるようになったのさ。

 今では、数珠は、葬式のときにだけ、なんとなく手にする品になった。仏間の抽斗の奥から引っぱり出され、用がすめば、また仕舞われる。ひと粒ずつ繰る者は、めっきり減った。珠の数に祈りを託した、あの感覚は、すっかり薄れてしまった。

 それでも、とボクは思う。

 もし、誰かを喪って、涙さえ涸れて、手のやり場もなくなった夜があったら、その数珠を、ひと粒だけ、指で手繰ってみてほしい。極楽があるのか、また会えるのか、そんなことは、ボクにもわからない。けれど、ひと粒ずつ珠を送るあいだだけは、人は、失った者のことを、まっすぐに思うていられる。

 数珠は、亡き人を連れ戻してはくれない。ただ、行き場をなくした手に、繰るというひとつの所作を授けてくれる。指が動くかぎり、祈りはつづく。涸れた目に、ひとすじを通してくれる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

数珠(念珠)は、木の実や菩提樹の種などを磨いて穴を穿ち、糸に通して輪に結んだ祈りの道具で、称名念仏など唱える祈りの回数を珠の数で数えるために用いられたと伝わる。珠の数を百八とするのは煩悩の数になぞらえたものと説かれる。鎌倉期には念仏の教えが各地へ広まり、僧侶のみならず庶民の手にも数珠が握られるようになったとされる。文永二年は一二六五年で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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