第 09 話闇い板間へ、紙ひとはりの昼を入れてやった日のこと
〜外へ出られぬ老母は、紙越しに映った木の影に、なぜそっと手を伸ばしたのか〜
壁というのは、ありがたくも、つれないものだ。
雨風をしのぎ、人の目をさえぎり、夜の寒さから身を守ってくれる。そのかわり壁は、外の光をことごとく断つ。板で囲った部屋のなかは昼でも薄暗く、戸を閉てればもう闇にひとしい。明るさが欲しければ戸を開け放つほかなく、そうすれば風も塵も虫も、いっしょになだれ込んでくる。光を取るか、身を守るか——人はながいあいだ、そのどちらかしか選べずにいた。
その二つを、たった一枚で兼ねてしまうものが、あるとき生まれた。細い木をたてよこに組んで骨とし、そこへ薄い紙を張る。ただそれだけの建具だ。閉てれば風はとまり、人の目もさえぎられる。それでいて、紙を通った光だけが外からやわらかく忍び込んでくる。
ボクが見てきたのは、その紙一枚が、闇い部屋のなかへはじめて「昼」を入れてやった、そのときのことだ。光と壁、たがいに断ち合うはずの二つが、一枚の紙のうえでそっと仲なおりした、その日のことさ。
◇ ◇ ◇
建長四年(一二五二年)の冬のことだ。おれは京の町で、戸や障子に紙を張る仕事をして暮らしを立てていた。
明かり障子というのは、見た目こそ素気ない建具だが、張るとなるとなかなか難しい。まず木の骨だ。組子と呼ぶ細い桟を、たてよこに細かく組んでいく。これが歪んでいては、張った紙がたるんだり、片方へ寄ったりする。指でなぞって、ひと節ひと節のゆがみをたしかめる。骨が素直でなければ、よい障子にはならない。
紙は楮で漉いたものを使う。厚すぎれば光がにぶり、薄すぎればすぐに破れる。日にかざして、薄い雲のように光を通すぐらいがちょうどよかった。骨の桟へ薄く糊を引き、紙をそっとのせて、息をつめて少しずつ張っていく。ぴんと張りすぎれば乾いたときに裂け、ゆるければ風にあおられてばたつく。指の腹で張りぐあいをはかりながら、皺の一本も残さぬよう、撫でつけていくのさ。
張り終えた障子を骨ごと持ちあげ、光に透かす。すると、まっしろな面が、ぽうっと内から明るむ。おれはこの瞬間がいちばん好きだった。ただの木と紙が、光を含んだとたん、ひとつの灯りのようになる。
その冬、おれは町なかの一軒から、障子を張ってほしいと頼まれた。
訪ねてみると、年若い男が出てきた。聞けば、奥の板間に老いた母が臥せっているのだという。もう何年も足腰が立たず、外へ出ることもかなわない。その部屋がひどく闇くて、母が日がな暗がりにいるのが不憫でならぬ、と男は言った。戸を開ければ寒さが障り、閉てれば闇い。それで明かり障子のことを人づてに聞き、藁にもすがる思いで呼んだのだという。
◇ ◇ ◇
通された奥の間は、なるほど闇かった。
北を向いた板間で、小さな格子窓がひとつあるきりだ。冬の日には、そこから細い光がひと筋さし込むばかりで、部屋の隅々までは届かない。その薄闇のなか、老母は床に身を横たえていた。痩せて、白髪の、おだやかな顔の人だった。おれが入っていくと、首だけをこちらへ向けて、ちいさく会釈した。
おれは戸口の建てつけをはかり、骨を組み、持ってきた紙を張った。老母は、床から、おれの手つきをじっと見ていた。とくに何を言うでもない。ただ、紙の張られていくさまを、めずらしいものを見るように、目で追っていた。
手を動かしながら、おれは少しばかり言葉をかわした。聞けばこの人は、若いころは機を織り、村のはずれの畑まで毎日かよっていたのだという。それがいつしか足が萎え、いまではこの板間から動けなくなった。雪が降ったか、桜が咲いたか、それすらも人づてに聞くばかりになった。だから外のことには、もう半ば心を閉じているのだと、息子の男はちいさな声でおれに告げた。
そういう人のために、おれは紙を張るのだ。そう思うと、撫でつける指に、おのずと念がこもった。骨の一本のゆがみも、紙の一寸のたるみも残すまいと、いつもより念入りに張りあげた。
張り終えて、おれは古い板戸をはずし、できたての明かり障子をはめ込んだ。
そのとたん、部屋が、変わった。
外の冬日が紙を通して、部屋いちめんへ、しずかに広がったのだ。きつい光ではない。紙ひと重をくぐったぶんだけ角がとれて、そこらじゅうがほの白く、やわらかく明るんだ。隅の闇が薄れ、天井の梁が見え、床に伏せた老母の顔まで、ほのかに照らしだされた。闇い板間に、まるで一日ぶんの昼が、まるごと運び込まれたようだった。
老母は、しばらく、その明るみを見まわしていた。それから、おやと声をあげた。
障子の紙に、影が映っていた。
軒さきの木の枝だ。風に揺れて、細い枝の影が、白い紙のうえで、ゆらり、ゆらりと動いている。外は見えずとも、外の木の揺れだけが、影となって紙へ届いていた。
老母は、床に伏せたまま、その影をじっと見ていた。やがて、皺だらけの手を、そろそろと持ちあげた。揺れる枝の影のほうへ、細い指を伸ばす。むろん、影にさわれるはずもない。けれど、その指は、紙のうえを動く影を、なぞるように追っていた。
「外は……まだ、風が吹いておるのだねえ」
そうつぶやいて、老母は目を細めた。何年も外へ出られず、季節のうつろいも、風のあるなしも、もう遠いものになっていたのだろう。それが、紙ひとはりを隔てたすぐ向こうで、木がいまも揺れている。風がいまも吹いている。その当たり前のことが、影となって、この人の枕もとまで戻ってきた。
老母の目に、うっすらと光るものがにじんだ。息子の男が、そっと顔をそむけた。おれは、なんと言ってよいかわからず、ただ障子の桟へ手をかけたまま、立ちつくしていた。
◇ ◇ ◇
明かり障子が広まって、人の家のなかは、ずいぶんと明るくなった。
それまで、部屋を明るくするには戸を開けるしかなかった。けれど障子なら、閉てたまま光を入れられる。風をふせぎ、人目をさえぎり、それでいて昼の明るみを部屋いっぱいに満たせる。一枚の障子で部屋を仕切り、その仕切りごしに光を分けあう。やがてこの紙の建具は、寺にも、武家の屋敷にも、町家にも入りこみ、この国の住まいの、いわば顔になっていった。障子のあるあの白くやわらかな明るさが、家のなかというものの、ひとつの当たり前になったのさ。
今では、障子を張る家も、めっきり減った。壁はどこも明るく、窓は澄んだものでふさがれて、風を入れずとも外がそのまま見通せる。紙ごしのあのほの白い昼を、わざわざありがたがる者も、もういない。
それでも、とボクは思う。
障子のある部屋に座って、その白い面を、いちど、ただ眺めてみてほしい。きつい光がやわらいで、部屋じゅうがほのかに明るんでいる。風が立てば、軒の木の影が、紙のうえをゆらりと渡っていく。外は見えずとも、外がそこにあることだけは、ちゃんと伝わってくる。臥せったまま外へ出られぬ人が、揺れる枝の影へ、そっと指を伸ばした、あの紙一枚の明るさが。
障子は、ただ部屋を仕切るだけのものじゃない。閉てたまま、外の光と、外のうつろいとを、そっと内へ通してくれる。壁でありながら、窓でもある。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本住宅史の研究』ISBN 978-4-00-001650-6
- 『図説 日本住宅の歴史』ISBN 978-4-7615-2009-0
- 『日本住居史』ISBN 978-4-642-07947-1
- 『日本人の住まい——生きる場のかたちとその変遷』ISBN 978-4-540-04081-8
※ 明かり障子は、細い組子で格子の骨を組み、楮などで漉いた和紙を張った建具で、閉てたまま外光をやわらかく室内へ通すものとされる。寝殿造の間仕切りに用いられた襖障子などから分かれ、平安末から鎌倉期にかけて採光を兼ねた明かり障子が広まったと伝わる。間仕切りと採光を一枚で兼ねるこの建具は、のちの書院造の住まいへと受け継がれ、日本の住空間の特色になったとされる。建長四年は一二五二年(建長は一二四九〜一二五六年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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