第 75 話文化冬の板間に立てた、継ぎはぎの明かり障子と経師の手
〜日雇いの男は、仕上がった障子で、なぜ紙の継ぎ目を指でなぞったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
細い木を、たてよこに組んだ骨がある。指で押せば、しなるほどに細い。そこへ薄い紙を、一枚。指の腹でなでると、かさ、と乾いた音がする。
閉てたままで、部屋が昼になる。紙をくぐるあいだに光は角がとれて、白く、やわらかく、隅までまわる。その白い面に、軒の枝が影になって揺れる。外は見えないのに、外の風だけが、影の形で届く。
障子なら、いまの家にもある。ボクには見慣れた建具で、あの白い面が鎌倉のころの京にもう在ったと思うと、ひとつ答え合わせができたような気がする。
壁は、雨風と夜の寒さを防いでくれるかわりに、外の光をことごとく断つ。その両方を木の骨と紙一枚で引き受ける建具は、寺や上つ方の住まいで先に使われたのだという。それが町なかの板間へおりてくる、入り口のような冬があった。
◇ ◇ ◇
建長四年(一二五二年)の冬、京の町。おれは日雇いの口を拾いながら、四条の裏町にある古い納屋の隅を借りて寝起きしていた。
借り間は、東に小さな窓のついた板間だった。窓には上へ跳ねあげる板の蔀がかかっている。あげれば光は入るが、風も雪もいっしょに入ってくる。おろせば、昼でも手もとが見えない。冬のあいだ、おれは草鞋の緒をすげるにも縄を綯うにも、蔀を上げ下ろしして、指を凍らせては暗がりに目をすがめていた。
その秋まで、おれは東山のふもとの寺に雇われて、坊の掃除や薪割りをしていた。坊の窓には、白い紙を張った障子が立っていた。年かさの僧が、その前に机を寄せて、日がな経を写していた。灯をともさずとも、筆先がよく見えるのだ、と言っていた。閉てたまま、部屋がほの白く明るんでいる。あれがほしい、と思った。誰に勧められたのでもない。自分の寝起きする板間に、あれが一枚ほしかった。
坊でいちど、障子の張りかえに居合わせたことがある。経師は古い紙に水をたっぷり含ませて、しばらく置いてから、へらでぺろりとはがした。裸になった桟は、洗って、縁の日向に干してある。骨だけになった枠は、思いのほか細かった。紙を張る前の木を見たのは、それがはじめてだった。
寺へ出入りする経師が、四条の橋のたもとに仕事場を持っていると聞いて、冬のはじめに訪ねた。
仕事場の軒には、漉いた紙の切れ端が何枚も吊るされて、風に鳴っていた。土間の隅の鍋では、糊がことことと煮えている。粉をよく煮て、ざるで漉し、冷ましてから使うのだという。煮立てたばかりの糊は、桟には熱すぎる。

又次郎という経師は、五十がらみの、指の腹の厚く固い男だった。おれの話を聞くと、まず窓の向きを訊いた。東だと答えると、ひとつうなずいて、寸法を縄の結び目で測った。
桟にする木は、寺の普請で出た端材だった。細く割って、一本ずつ、指で撓みをたしかめてから、使うかどうかを決める。又次郎の指は、節のひとつも見のがさなかった。
値の話は短かった。障子一枚ぶんの紙は、日雇いで稼ぐおれの十日ぶんにもなる。銭か米かと聞かれて、おれは寺でもらった手間賃の、宋の銭を紐に通した束を出して数えた。足りなかった。又次郎は束を見ると、黙って奥へ入り、公家の屋敷の張りかえで余ったという新しい紙を、ひと抱え持ってきた。断ち落としの、大きさのそろわぬ切れ端だが、光は通る。継ぎはぎになってよければ、これで、と言う。足りぬぶんは、米を升で量って埋めることになった。納めは七日後の朝。雪が来る前に、と又次郎は言った。
帰りがけ、ふと気になって訊いた。町なかで、この紙の窓を立てている家は、どれほどあるものか。又次郎は指を折った。寺がいくつか。上つ方の屋敷は数に入らぬ。あとは、薬師のところが一軒。板間の借り間に頼まれたのは、これが、はじめてだという。
七日のあいだ、おれは仕事場へ行かなかった。頼んだ者にできるのは、待つことだけだ。蔀をおろした暗がりで、縄を綯いながら、あと幾日、と数えた。
昼は町を歩いた。通りに面した家の窓をひとつずつ見て回ると、どこも蔀か、板戸か、横へ引く遣戸だった。紙の白い窓など、一軒もない。ただ一度、築地塀の切れ目から、寺の門の内に、白い窓がちらりと見えただけだ。軒を連ねる家々は、昼のさなかも戸を閉ざして、暗がりのなかで暮らしを回している。おれの借り間のほうが、特別に暗がりなのではなかった。
◇ ◇ ◇
七日目の朝、仕事場へ行くと、障子はできあがっていた。又次郎の手が紙を張るところは、とうとう一度も見ていない。見られるのは、仕上がりだけだ。
壁ぎわの板に、小さな枠が一枚、立てかけてあった。おなじ桟で組んだ試し張りだという。紙が縁から裂けていて、裂けめは桟に沿ってまっすぐ走っていた。糊は桟の面を越えて、紙のへりのほうまで回っている。

おれの障子は、そうではなかった。桟の上にだけ、薄い糊の筋がのっていて、紙の面にはしみひとつない。切れ端は十一枚。どれも、下から上へ向かって張り継いであり、上の紙がいつも下の紙のうえへ重なっている。継ぎ目を指で下から上へなぞると、爪が紙の縁にかかった。上から下へなぞると、なんの引っかかりもなく滑った。
壁ぎわの試し張りへ目をやると、継ぎ目の縁は上を向き、その縁に、埃が黒い細い筋になって溜まっていた。縁がどちらを向くかは、目より先に、爪が教えた。
又次郎は奥から出てきて、口に水をふくんだ。紙の面へ、霧にして吹く。濡れた紙はいっとき黒ずんでたるみ、乾くにつれて、ぴんと張った。
残りの米を渡し、おれは障子を背に負った。風にあおられぬよう斜めに抱えて、四条の通りを歩いた。すれちがう者が、紙を張った枠を、めずらしそうに振りかえっていった。
納屋へ帰り、主に断って、東の窓の内側に溝を切り、障子を立てた。外の蔀はそのままだ。雪の夜はおろせばよい。その晩は雪の気配がなく、蔀をあげたまま寝た。風は紙に止められて、うなじには、ゆらぎだけが届いた。
夜ふけに、風が出た。紙が、ぱた、と鳴った。蔀をあげたまま、おれは、その音を聞きながら眠った。
翌朝、目をあけると、板間が白かった。
東から来た朝日が、紙をくぐって、部屋いちめんへ回っている。きつい光ではない。隅の闇がうすれ、床の板目が見え、手もとの縄の撚りまで見えた。
蔀をおろさずに縄が綯える。それだけのことが、ひどく贅沢に思えた。一本綯い終えるまで、指はかじかまなかった。
紙の面に、影が映っていた。隣の家の柿の枝だ。風に揺れて、細い影が、白い紙のうえをゆらり、ゆらりと動いている。外は見えない。見えるのは、揺れる影だけだった。
身を起こして、影のほうへ手を伸ばした。影をつかむように指をにぎりかけて、止めた。紙のうえの影は、おれの指とは関わりなく、ゆらりと動いていく。
障子の桟に、手のひらをあてた。木は、朝の光で、わずかに温んでいた。
昼すぎ、隣の家の小鶴という娘が、柿の枝をくぐって庭へ入ってきた。納屋の窓が白いのを見つけると、目を丸くして、しばらく眺めていた。それから、そろそろと近づいて、人さし指を一本、紙へ突き立てた。
ぷつり、と小さな音がして、指が紙を抜けた。
おれは、日雇い十日ぶん、と胸のうちで言った。娘は指を引っこめて、こちらを見た。怒られると思ったのだろう。おれは破れ目を見て、ひとつ息をついた。小さな穴からは、細い冬の光が、糸のように一本さしこんでいる。
夕方、又次郎のところへ寄ると、へりに残っていた切れ端を、ひとつかみ分けてくれた。穴は、同じ紙の小さな継ぎをあてて、糊で塞げばよい、という。又次郎は穴の縁を爪の先でそっとなぞり、糊を置く幅を、指の腹で示した。
継ぎ目の十本の筋が、光にかざすと、うっすらと線になって見える。公家の屋敷から回ってきた紙を、日雇いのおれが、冬の板間で使っている。切れ端の寄せ集めのほうが、ひと続きの白よりも、おれには似合いだった。
◇ ◇ ◇
紙の部屋でうなじに触れたのは、日の温みと風のゆらぎだった。ガラス窓の部屋でうなじに触れるのは、日の温みだけだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 明かり障子は、細い組子で格子の骨を組み、楮などで漉いた和紙を張った建具で、閉てたまま外光をやわらかく室内へ通すものとされる。寝殿造の間仕切りに用いられた襖障子などから分かれ、平安末から鎌倉期にかけて採光を兼ねた明かり障子が広まったと伝わる。間仕切りと採光を一枚で兼ねるこの建具は、のちの書院造の住まいへと受け継がれ、日本の住空間の特色になったとされる。町なかの庶民の板間にまで及んだ時期は、はっきりしない。建長四年は一二五二年(建長は一二四九〜一二五六年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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