第 14 話宗教一年に二度、紙の人のかたちへ汚れを移して流す日——長和五年、鴨の河原の大祓
〜年老いた男は、なぜ他人のぶんの紙を、自分より長く撫でていたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
一年に、二度。
六月の末と、十二月の末。それだけの間をおいて、紙が人のかたちに小さく切られ、川へ流されていく日が、かつてあった。一人につき、紙は一枚。誰もが気軽に使えるものではなかったから、この一枚のために、米をひとつかみ差し出す者もあったという。
ボクは、その日を、ただ一度だけ通りかかったことがある。あとにも先にも、その河原に立ったのは、その一度きりだった。
◇ ◇ ◇
長和五年(一〇一六年)の六月末、平安京は鴨の河原。われは京へ荷を運ぶ道すがら、その河原のそばをたまたま通りかかった。
近づくと、社のそばに、幾人かが集まっているのが見えた。笊を抱えた者、莚を敷いた者。皆、何かを待つふうだった。日盛りの熱がまだ引かず、川原の石はいまだに火照っていたが、水面を渡る風だけが、いくらか涼を運んでくる。蝉の声に混じって、紙のこすれる音が、あちこちから聞こえた。
荷を負ったまま、われは道の端に立ち止まった。急ぐ用ではあったが、物珍しい集まりを素通りするのも惜しい気がした。数えれば、十人にも満たぬほどだったろう。それでも、めいめいが同じ方を向いて並ぶさまに、何か決まりごとが動いているような心地がした。
塀ぎわに立ち止まって眺めると、社の縁に置かれた笊に、白い紙が数えるほど重ねてあるのが見えた。一枚一枚、頭があり、肩があり、両手を広げたような、小さな人のかたちに切り抜かれている。笊はそれひとつきりで、空になりかけると、誰かがまた少しだけ、懐の束から積み足していた。束はどれも薄く、幾日ぶんもの蓄えがあるようには見えなかった。
紙を切っているのは、社の縁に座った、腰の曲がった年寄りだった。手にした刃は小さく、動きも急いてはいないのに、一枚仕上げるのに、指を数えるほどの間もかからない。折って、折って、刃をひとすべりさせる。それだけで、頭と肩と手のかたちが生まれる。朝からこの調子だとすれば、一日にどれだけの数になるのか、われには見当もつかなかったが、一枚として同じ形に狂いがないことだけは、はっきりと分かった。何十年、いや、それ以上、同じ折り目を同じ順でたどってきた手だと知れた。指の節は太く、爪のきわまで、紙の粉で白くなっていた。かたわらに置かれた小刀の柄は、幾年もの手あかで飴色に光っている。この仕事だけを、幾年も一人で担ってきた手だと知れた。

積まれた紙は、どれも同じ厚さ、同じ大きさに切りそろえられていて、二枚と違う形のものが見当たらない。ひと目で数えきれるほどではないが、これだけの数を寸分違わず切り続けるには、余程の年月がいるだろうということだけは、はっきりと見て取れた。その手の年季だけは、疑いようがなかった。
紙を求める者の多くは、社の前に米をひとつかみ置いていくらしかった。銭を出す者は見当たらない。年寄りは顔も上げず、黙って米を受け取ると、山からもう一枚をつまんで差し出す。声を交わす者は誰もいなかった。それだけの、静かな遣り取りだった。米の量は、ひとつかみと決まっているふうでもなく、多い者もあれば、指先でつまむほどの者もあった。年寄りは、その多寡を見るふうもなく、同じ手つきで、同じ一枚を差し出していた。
われも、荷のなかの米を少しだけ抓んで、社の前に置いた。年寄りは、やはり顔も上げずに、一枚をこちらへ差し出した。指先に触れた紙は、思いのほか薄く、頼りない手ざわりだった。これひとつで何が変わるものかと思いながらも、われはそれを両手で受け取った。
周りの者たちがしていることを見よう見まねで、紙で肩から胸、腕の先までをひと撫でした。乾いた紙の感触。ただそれだけのはずが、この半年のあいだに患った軽い風邪のこと、荷運びの道々で拗れたつまらぬ諍いのこと、そういう幾つかの重さが、掌の下から吸われていくような、妙な心地がした。理屈のあるはずもないのに、手のほうが、勝手にそう信じてしまう。撫でる手を止めて、紙を目の高さに掲げてみたが、そこにあるのは、ただの白い紙きれで、変わったところは何もなかった。それでも、もう一度撫でずにはいられなかった。
すぐそばで、誰かが連れの者に言うのが聞こえた。
「これで、水に流したことになる。忘れよ」
——聞き覚えのある調子だった。「水に流す」というこの心持ちは、ずっとのちの世まで、形を変えながら受け継がれていくことになる。掛け値なしに、懐かしい響きだった。われは紙を撫でる手を止めぬまま、そのことだけを、胸のうちでひとつ確かめた。

年寄りの手もとを、われはしばらく眺めていた。山の紙を配り終えたころ、年寄りは懐から、もう一枚を取り出した。手もとには、二枚。
ひとつは自分の肩を、いつもの手早さで撫でた。もうひとつは、勝手のちがう手つきで、まるで人の背に触れるように、頭のあたりからゆっくりと撫でおろした。指の運びが、ひどく丁寧だった。撫で終えると、その口もとが、小さく動いた。名めいた音だった気がしたが、河原のざわめきに紛れて、われには聞き取れなかった。年寄りは、その紙をしばらく胸の高さに掲げたまま、動かずにいた。周りの誰も、その様子を気に留めてはいなかった。半年に一度、この河原ではよく見る姿だとでもいうふうに、居合わせた幾人かが、それぞれの紙を手に、通り過ぎていくだけだった。
やがて、誰からともなく、手にした紙を水へ落としはじめた。幾十という白い人のかたちが、夕の光を受けた川面に散らばり、あるものはすぐ流れに乗り、あるものは岸の草にしばし引っかかって、揺れてから離れていった。水鳥が一羽、驚いたように飛び立ち、紙の上を低く旋回してから、下流のほうへ消えた。夕の光が、白い紙の一枚一枚に当たって、川面がいっとき、小さな鏡を幾つも散らしたように輝いた。それも束の間のことで、紙はすぐに流れの色に紛れ、見分けがつかなくなっていく。誰の紙が誰のものだったか、もう誰にも分からなかった。それでいいのだと、われには思えた。居合わせた者たちの手から、白い紙が一枚、また一枚と離れていく。その繰り返しが、日が傾ききるまで続いた。
われも、懐に残った一枚を、流れに落とした。手を離れたとたん、指先だけが、なぜか少し軽くなった気がした。それだけのことだった。
紙が見えなくなるまで、われはその場に立っていた。半年、また半年と、この河原にはこれからも同じ日が巡ってくるのだろう。次に同じ川を渡るのがいつになるか、ふと数えかけて、やめた。
年寄りは、まだそこにいた。二枚とも、もう手を離れたはずなのに、まだ何かを撫でているような手つきで、川のほうを向いたまま、動かずにいた。
われは、道の先を思い出し、河原を離れた。年寄りには、何も言わずに背を向けた。話しかける間柄でもなかったし、話しかけられるはずもなかった。振り返らずに歩き出すと、背中で川音だけが、いつまでも続いていた。荷の重みは変わらないのに、来たときより足の運びが幾分か軽い。道の先には、まだ日のあるうちに越えねばならぬ峠がひとつ、控えていた。荷を背負い直し、われは西へ向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇
あの年寄りが、それからどれだけ河原に立っていたのか、ボクは知らない。
ただ、日が落ちきる少し前、橙色に染まった水面を、その影だけがいつまでも見送っていたことを、ボクは覚えている。
夕陽に温もる川面のなかで、年寄りの背中のあたりだけが、ひとまわり冷えて見えた。
参考文献・もっと詳しく
※ 大祓(おおはらえ)は、半年ごと(六月・十二月の晦日)に人々の罪や穢れをまとめて祓い清める節目の行事とされ、もとは宮中の儀礼として整えられたと伝わる。人形(ひとがた/撫物)で体を撫で、息を吹きかけて穢れをうつし、川や海に流す習わしが各地にあったと言われ、これが今の夏越の祓・茅の輪くぐりにつながるとされる。当時、紙はなお貴重で、人形による祓もまずは宮中・貴族・寺社の周辺にとどまっていたとされ、本話のように寺社の一角に幾人かが集まって紙を受け取る情景は、その周辺のごく限られた範囲で行われていたと見て描いた。米を供えて紙を受け取る遣り取りも含め、本話の人物・場面は創作。長和五年は一〇一六年(長和は一〇一二〜一〇一七年)。鴨の河原は平安京東縁の鴨川の河原を指す呼称として用いた。
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