第 26 話宗教東へ行くのに、なぜ人は南へ泊まりにいったのか——方角の吉凶が暮らしを縛っていたころのこと
〜塞がりを避けて転がりこんだ客を、年老いた乳母は、なぜ「家の誉れ」と言って喜んだのか〜
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今の世では、行きたい所があれば、ただまっすぐ向かえばいい。北だろうが東だろうが、方角のことなど誰も気にしない。手のひらの地図に細い線を引いて、その通りに歩く。それだけのことだ。
でも昔は、そうはいかなかった。
方角には吉と凶がある——人々がそう信じていた頃のことだ。陰陽道というものがあって、暦の上を神々が日ごとに巡っているとされた。ある神のおわす方角へは、その日は向かってはならない。向かえば祟りを受け、病を得て、災いを呼ぶ。人々はそう信じていたらしい。塞がった方角、というわけさ。
厄介なのは、行きたい先が、ちょうどその塞がった方角にあるときだ。
ならば諦めるのかというと、そうではない。人々は、知恵というか屁理屈というか、見事な抜け道を考え出した。塞がっていない別の方角の家へ、いったん泊まりにいく。一晩そこで過ごせば、翌朝の出立はその家からということになる。出直した先からなら、目指す方角はもう塞がってはいない。
これを、方違え、と呼んだそうだ。
遠回りも遠回り、ずいぶん律儀な話だろう。ボクは、その律儀さを、間近で見てきた。
◇ ◇ ◇
寛弘八年(一〇一一年)の暮れ、京の都でのことだ。われは、下級の官人で正方(まさかた)という主に仕える、ひとりの下人だった。年の瀬の、底冷えのする日だった。
その朝、主はひどく難しい顔をして、暦を睨んでいた。年の改まる前に、どうしても東の知り人のもとへ、届け物をせねばならぬ。ところが、その東がいけないのだ、と主は言う。
「東は、塞がっておる」
聞けば、天一神とかいう神が、いまちょうど東におわすのだという。その方角へまっすぐ向かえば、祟りを受ける。病を得るやもしれぬ。だから東へは行けぬ。主はそれを、世にも重大なことのように、声をひそめて言うのだった。
われは正直なところ、よく分からなかった。神が東にいるとして、こちらが東へ歩いて、いったい何の不都合があるのか。けれど主にとって、それは天地のことわりほども確かなことらしい。下人がとやかく言う筋ではない。
そういえば、と思いあたることはあった。この都で方角を気にするのは、なにも主にかぎった話ではない。立派な邸のあるじも、宮仕えの女房も、みな暦を繰り、その日その日の塞がりを確かめてから動いていた。家を建てるにも、井戸を掘るにも、まずは方角を占う。塞がりの日に無理を通して病みついた、という噂は、いくらでも耳にした。方角の善し悪しが、人の暮らしの隅々まで、見えぬ手綱のように行き渡っていたのさ。
では、どうするのか。主は暦の上を指でたどり、しばらく唸ってから、ぽんと膝を打った。
「南は開いておる。ならば、まず南の乳母どののところへ参ろう。一晩泊めてもらい、明日はあちらから出直せばよい」
われは思わず口をあけた。東へ届け物に行くのに、わざわざ南へ泊まりにいく。そうして翌朝、その南の家から東へ向かえば、もう塞がってはいないのだという。同じ東へ行くのに、ひと晩よその家を挟むだけで、なぜ塞がりが解けるのか。理屈は、まるで分からない。
道々、われは自分なりに考えてみた。塞がっているのは、この家から東へまっすぐ伸びた、その一本の筋なのだろう。ならば南の家まで行ってしまえば、そこから東を見ても、もとの塞がった筋とは、わずかにずれている。神の睨みの利かぬわき道から、こっそり東へ回りこむ——そういう抜け道なのかもしれぬ。われなりにそう得心してみたが、当たっているのかどうかは、神のみぞ知る、というほかなかった。
けれど主は、もうすっかり得心した顔で、旅支度をはじめている。これが方違え、というものらしかった。
日の傾きはじめた頃、われは荷を背負い、主の供をして南へ歩いた。寒い。霜どけのぬかるみに足を取られ、おまけにこれは、行きたい先とはまるであべこべの方角だ。歩きながらわれは、ずいぶん遠回りなことだ、と胸のうちでぼやいていた。神々というのは、ずいぶん人を歩かせるものだ、と。
それでも主の足は止まらない。塞がりを破って東へ突っ切る、という心は、はなから無いらしかった。遠回りはする。けれど決して、近道はしない。その頑なさは、われから見ればいっそ滑稽なほどだったが、主にとっては、身を守るためのいたって真っ当な用心なのだった。
乳母どのの家は、小さな板葺きの、慎ましい構えだった。主が幼い頃に世話をしたという年老いた女が、ひとりで暮らしていた。門口に主の姿を認めると、その老女は皺だらけの顔をいっぺんに崩して、ころげるように出てきた。
「まあ、まあ、坊さま。方違えとはいえ、ようお越しくださった」
坊さま、と老女は、立派な官人になった主を、いまだに幼名のように呼んだ。主のほうも、ふだんの気難しい顔をどこかへ置き忘れて、てれくさそうに笑っている。
その晩のもてなしは、慎ましいなりに、心づくしのものだった。老女は炉にありったけの火を熾し、芋粥を炊き、干した魚をあぶり、濁り酒を温めた。「方違えの客をもてなすのは、家の誉れにございますよ」と、老女は何度もそう言った。塞がりを避けて転がりこんできた客を、迷惑がるどころか、福が舞いこんだとばかりに喜ぶのだ。
炉端で、主と老女は、夜のふけるのも忘れて語り明かした。亡くなった人のこと、変わってしまった都のこと、幼い主がどれほど聞かん坊だったか。老女が笑い、主が顔を赤らめる。火の粉がぱちぱちと爆ぜて、煤けた天井へのぼっていく。
「坊さまは、雷を何より怖がられての」と老女は、われのほうを向いておかしそうに語った。「鳴るたびにわたしの懐へ潜りこんで、出てこられぬ。それが今では、お役所で人を叱る身になられた」。主が「もうよせ」と顔を覆う。その仕草がなるほど幼子の名残のようで、われはこらえきれずに吹き出した。
話の合間に、老女はわれにも椀を差し出してくれた。下人にまで、と恐縮すると、「方違えの晩は、供の衆も客のうちでございますよ」と笑う。芋粥は熱く、舌が焼けるほどだった。冷えきった体に、その熱がゆっくりとしみ渡っていく。塞がりだの祟りだのと、来る道では理屈に合わぬとぼやいていたことも、温まった腹のうちでは、どうでもよくなってくるのだった。
われは隅のほうで、温まった濁り酒の椀を抱え、その様子を眺めていた。
不思議なものだ、と思った。塞がった方角などという、目にも見えぬ厄介ごとがなければ、主はこの夜、ここへは来なかった。まっすぐ東へ行き、用を済ませて、それきりだったろう。方角の吉凶などという、われには理屈の分からぬ決まりごとが、めぐりめぐって、この遠い乳母どのと主とを、ひと晩、同じ炉端に座らせている。
遠回りのおかげで巡ってきた一夜だ、とも言える。
聞けば、幼くして母に死に別れた主を、この老女が乳をやって育てたのだという。立身して宮仕えに追われ、足はすっかり遠のいて久しかった。それが東の塞がりひとつで、こうしてまた、ひと晩ぶんの昔語りが戻ってきた。神の巡りなどというものが、まわりまわって、人の縁を繋ぎ直すこともあるらしい。塞がりを厄介がっていたわれは、いつのまにか、東が塞がっていてよかった、などと思いはじめていた。
翌朝は、よく晴れた。霜が白く光っていた。老女は寝ずに支度をしていたらしく、温かい湯漬けと、握った糒を持たせてくれた。門口まで送りに出て、主の袖をいつまでも放さない。
「東は、もう開いておりますとも。ここから行けば、何も障りはございませぬ」
老女のその言葉は、暦のためというより、行く人の身を案じるまじないのように聞こえた。塞がりだの開きだのより、ただ無事に行っておいで、と言っているように。
主はうなずき、こんどはまっすぐ東へ歩きはじめた。同じ東だ。昨日は塞がっていて、今朝は開いている。何が変わったのか、われにはやはり分からない。けれど主の足どりは、昨日よりずっと軽かった。塞がりを律儀に避け、ひと晩よけいに歩いて、それでようやく心おきなく東へ向かえる——その遠回りの果ての軽さが、なんだか可笑しく、そして少しだけ、羨ましかった。
◇ ◇ ◇
方角の吉凶を、人々はずいぶん長いこと、真剣に気にしていたらしい。
塞がった方へは行かず、わざわざ別の家へ泊まって出直す。方違え、という遠回りの作法は、平安の貴族の暮らしのあちこちに、当たり前の習わしとして根を張っていたのだろう。物語にも日記にも、方違えにかこつけて誰それの家を訪ねた、という話がよく出てくると聞く。
今のボクたちからすれば、たかが方角だ。神がどこにいようと、行きたい所へまっすぐ行けばいい。あの遠回りは、迷信といえば迷信、屁理屈といえば屁理屈だろう。
それでも、と思う。塞がりを避けて転がりこんだ客を、家の誉れと言って炉端でもてなす。遠回りの一夜が、忘れかけていた誰かとの夜を、ふいに連れてくる。方角を律儀に気にしたあの不便は、人と人とを、思いがけず引き合わせもしていた。
まっすぐ行けるのは、たしかに楽だ。けれど、まっすぐ行けてしまう今、ボクたちはもう、塞がりのおかげでめぐってくる、あんな一夜を持たない。
炉の火に顔を赤らめて、坊さま、と呼ばれて笑っていた主の横顔を、ボクは今でもときどき思い出す。
参考文献・もっと詳しく
- 『方忌みと方違え——平安時代の方角禁忌に関する研究』ISBN 978-4-00-000325-4
- 『陰陽師と貴族社会』ISBN 978-4-642-02398-6
- 『平安時代の宗教文化と陰陽道』ISBN 978-4-900697-65-2
- 『平安貴族の夢分析』ISBN 978-4-642-07986-0
※ 方違え(かたたがえ)は、陰陽道で凶とされる方角(方塞がり)を避けるため、いったん別方向の家に一泊し、目的地への方角を変えて出直した平安期の方角禁忌の作法とされる。天一神(てんいちじん・中神)は一定の周期で方位を巡り、その所在する方角への外出を忌んだと伝わる。方違えは『源氏物語』『枕草子』や貴族の日記にもしばしば見え、社交や訪問の口実にもなったとされるが、本話の人物・会話・宿は創作。寛弘八年は一〇一一年で、寛弘(一〇〇四〜一〇一二年)の元号と西暦の対応は史実に整合する。
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