第 45 話宗教東へ行くのに、なぜ人は南へ泊まりにいったのか——見も知らぬよそ者ひとりの言葉から
〜塞がりを避けて転がりこんだ客を、年老いた乳母は、なぜ「家の誉れ」と言って喜んだのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
なぜ、東へ行きたいだけのことに、ひと晩よその家に泊まる要があったのだろう。
今なら、誰もそんなことでは迷わない。手のひらの地図に線を引いて、その通りに歩けばいい。北だろうが東だろうが、方角そのものに良し悪しなどないのだから。
けれど、ある頃までは、方角には確かに良し悪しがあった。この日、この方角へ進んではならぬ——そう告げる神が日々巡っているとされ、逆らえば祟りを受け、病を得るとまで信じられていた。塞がった方角、と人はそれを呼んだ。
もっとも、それを固く信じる者ばかりでもなかった。見も知らぬよそ者がふらりと告げに来たとして、はたして誰がすぐに従うだろう。ある年の暮れ、京の都で、まさにそういうことがあった。
◇ ◇ ◇
寛弘八年(一〇一一年)の暮れ、京の都でのことだ。年の瀬の、底冷えのする朝、下級の官人・正方(まさかた)の屋敷の門を、ひとりの男が叩いた。
継ぎの当たった狩衣に、竹の杖。見たこともない顔だった。「東への道、今日は塞がっておりますぞ。これで、この並びも三軒目じゃ」——それだけを告げて、もう踵を返そうとする。
門番に立っていたわれは、思わずその男の袖をつかんだ。「待たれよ。いったい、何を根拠にそのようなことを」
男は天一神とかいう神の名を口にした。いまちょうど東の方におわして、その方角へ進む者には祟りを、病を与えるのだという。「証だてる物などあるのか」とわれが問うと、男は懐から擦り切れた具注暦の写しを取り出し、その日の欄を指し示した。何日も歩き通してきたのか、爪の間まで泥にまみれていた。名も名乗らず、どこの生まれとも知れぬ男の、それだけの言い分だった。
母屋の隅では、下女たちがひそひそと言い交わしていた。「当てずっぽうだろう」と鼻で笑う声と、「いやいや、ああいう触れ回りの者は侮れぬ」と眉をひそめる声とが、半々に飛び交う。
われは要領を得ぬまま、その話を正方へ取り次いだ。
正方は難しい顔をした。「見も知らぬ流れ者の言うことを、そう容易く信じられるものか」
だが古くから仕える従者の年寄りが、そばで首を振った。「いいえ、旦那さま。ああして触れ回る陰陽師まがいの者は、当てずっぽうを申すものではございませぬ。暦をお確かめなさいませ」
正方は結局、みずから具注暦を繰った。しばらく指でその日をたどり、やがて眉を寄せた。「……なるほど、東には確かに、その神がおわす日だ」

年の改まる前に、東の知り人のもとへ、どうしても届け物をせねばならぬというのに。
「南は開いておる。ならば、まず南の乳母どののところへ参ろう。一晩泊めてもらい、明日はあちらから出直せばよい」
これが方違え、というものらしかった。
塞がりの理屈そのものは、われにはまだ半分も呑み込めていなかった。方違え、という言葉だけは、噂に聞いたことがあった——だが、支度から出立まで、その一部始終を目の当たりにするのは、これが初めてだった。
われは荷を背負い、正方の供をして南へ歩いた。寒い。霜どけのぬかるみに足を取られ、おまけにこれは、行きたい先とはまるであべこべの方角だ。歩きながらわれは、ずいぶん遠回りなことだ、と胸のうちでぼやいていた。
吐く息は白く、肩に食いこむ荷の縄が痛んだ。轍に張った薄氷を割りながら、すれ違う物売りの声さえ凍えて聞こえた。
けれど正方の足は止まらない。塞がりを破って東へ突っ切る、という心は、はなから無いらしかった。遠回りはする。けれど決して、近道はしない。その頑なさは、われから見ればいっそ滑稽なほどだったが、正方にとっては、身を守るためのいたって真っ当な用心なのだった。
乳母どのの家は、小さな板葺きの、慎ましい構えだった。軒先には霜が白く張りつき、庭先の甕には薄氷が浮いていた。門口に正方の姿を認めると、年老いた女が、皺だらけの顔をいっぺんに崩して、ころげるように出てきた。
「まあ、まあ、坊さま。方違えとはいえ、ようお越しくださった」
坊さま、と老女は、立派な官人になった正方を、いまだに幼名のように呼んだ。正方のほうも、ふだんの気難しい顔をどこかへ置き忘れて、てれくさそうに笑っている。
その晩のもてなしは、慎ましいなりに、心づくしのものだった。老女は炉にありったけの火を熾し、粥を炊き、干した魚をあぶり、濁り酒を温めた。「方違えの客をもてなすのは、家の誉れにございますよ」と、老女は言った。塞がりを避けて転がりこんできた客を、迷惑がるどころか、福が舞いこんだとばかりに喜ぶのだ。
炉の火が細くなると、老女に言われるままに、われは薪をくべた。乾いた小枝が爆ぜて、火の粉が舞う。慣れない手つきに、老女は「筋がいい」と笑った。
柱には、幼い正方がいたずらに刻んだという小刀の傷が、いくつも残っていた。正方がその一本を指で辿ると、懐かしそうに目を細めた。壁板の隙間から吹きこむ隙間風さえ、炉のそばでは気にならなかった。

その年は夏に帝が崩じ、都はまだ諒闇のうちにあった。管弦も宴もない年の暮れだった。それでも炉端で、正方と老女は、夜のふけるのも忘れて語り明かした。亡くなった正方の母のこと、変わってしまった都のこと、幼い正方がどれほど聞かん坊だったか。
「坊さまは、雷を何より怖がられての」と老女は、われのほうを向いておかしそうに語った。「鳴るたびにわたしの懐へ潜りこんで、出てこられぬ。それが今では、お役所で人を叱る身になられた」。正方が「もうよせ」と顔を覆う。その仕草がなるほど幼子の名残のようで、われはこらえきれずに吹き出した。
話の合間に、老女はわれにも椀を差し出してくれた。下人にまで、と恐縮すると、「方違えの晩は、供の衆も客のうちでございますよ」と笑う。粥は熱く、舌が焼けるほどだった。あぶった干し魚の香ばしい匂いが、狭い板間いっぱいに広がっていた。冷えきった体に、その熱がゆっくりとしみ渡っていく。
翌朝は、よく晴れた。霜が白く光っていた。老女は寝ずに支度をしていたらしく、温かい湯漬けと、握った糒を持たせてくれた。手が悴んで思うように動かぬ老女の代わりに、糒を包む布の端をわれが結んでやると、老女は「ああ、助かる」と、皺だらけの手でわれの手を軽く叩いた。
門口まで送りに出た老女は、正方の袖をいつまでも放さない。
老女は、寒風に頬を赤くした正方の顔を、しみじみと見上げた。「何年ぶりでございましょうねえ」
正方は少し考えてから、指を折ってみせた。ひとつ、ふたつ、みっつ——十を超えたあたりで、苦笑して指を止めた。「もう、数えきれぬな」
「東は、もう開いておりますとも。ここから行けば、何の障りもございませぬ、決して」
老女のその言葉は、暦のためというより、行く人の身を案じるまじないのように聞こえた。
正方はうなずき、東の知り人のもとへ向けて歩きはじめた。正方の屋敷から東へ向かえば昨日の塞がりに触れた道も、ひと晩越えたこの乳母どのの家からたどれば、東ではなく艮——北東の筋になる。塞がっているのは東で、艮ではない。出立の場所が変われば、進む筋も変わる——それが方違えというものだった。吐く息はまだ白かったが、朝日が正方の背をやわらかく押しているようだった。正方の足どりは、昨日よりずっと軽かった。
◇ ◇ ◇
大事な取り決めをする日を選ぶとき、ボクの指は、いまもカレンダーの升目を一つずつなぞる。友引は避け、大安を選ぶ。理屈になっていないと分かっていながら。
あの朝、正方が折った指のことを、ボクは今でもときどき思い出す。ひとつ、ふたつ、みっつ——十を超えて、数えるのをやめた指。
ボクの掌にも、あの晩の熱い椀の重みが、いまだに残っている。方角の吉凶などという、目には見えぬ取り決めが、十何年ぶりかの再会を、たった一晩だけ運んできたのだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 方違え(かたたがえ)は、陰陽道で凶とされる方角(方塞がり)を避けるため、いったん別方向の家に一泊し、目的地への方角を変えて出直した平安期の方角禁忌の作法とされる。天一神(てんいちじん・中神)は一定の周期で方位を巡り、その所在する方角への外出を忌んだと伝わる。方違えは『源氏物語』『枕草子』や貴族の日記にもしばしば見えるが、こうした方角の吉凶は陰陽寮に属さない民間の陰陽師(法師陰陽師)によっても市井へ広まったとされ、下級官人層の暮らしにも及んでいたと考えられる。本話の人物・会話・宿・よそ者は創作。寛弘八年は一〇一一年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。
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