一字書いては、三たび額づく——一字ごとに、三度、頭を下げていた人々のこと第 39 話宗教
宗教平安のころ・平安京(東のはずれの写経所)読了 約7分

一字書いては、三たび額づく——一字ごとに、三度、頭を下げていた人々のこと

〜母は、子の名でも経の文句でもなく、ただ一字を、なぜあれほど長くためらってから書いたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 一枚の、継ぎ接ぎだらけの紙が、ボクの手もとにある。端はすり切れ、墨の匂いが染みつき、真新しい白さはもうどこにも残っていない。目を凝らすと、同じ形の文字が、幾つも幾つも、几帳面な筆づかいで連なっているのが見える。

 同じ文字を、これほど根気よく、幾度も書き写す仕事が、かつてこの国にはあった。写経しゃきょうという。この一間には、同じ形をひと息に写し取ってくれる仕掛けはなかった。一字を増やすには、一字ぶんの手と、一字ぶんの時間を、そのつど差し出すしかなかった。

 その根気を、ボクはある年、間近で見ていたことがある。

◇ ◇ ◇

 永承えいしょう六年(一〇五一年)の秋のことだった。われは平安京の東のはずれ、とある寺の一間で、紙を継ぎ、墨を磨る雑用をして暮らしていた。

 その一間を束ねていたのは、浄人という名の経師きょうじだった。年のころは五十をいくつか越えて、背を丸め、目を細めて筆を運ぶ。声は小さく、めったに笑わない。けれど筆を持つと、その手だけが別の生き物のように、まっすぐに、よどみなく動いた。

 経師というのは、経を写すことを生業にした者のことらしい。寺の僧が写すこともあれば、浄人のように、伝手をたどって頼まれ、写すことを仕事とする者もいた。願う側が、自分では書けぬ字を、布や米を持ち寄って写してもらう。そうして写された経は、施主せしゅの名とともに寺へ納められ、その人の祈りの証となった。

 写経には、こまごまとした決まりがあった。筆をとる前に手を洗い、口をすすぐ。香をたいて部屋を清める。墨を磨るにも心を込めよと、われはよく叱られた。雑用とはいえ、墨の濃さひとつで経のたたずまいが変わるのだ。浄人はわれの磨った墨を筆先につけ、紙にひと画ひいては、薄いの濃いのと言った。

 浄人は、ひと文字書くたびに、筆を止めた。

 一字を書く。筆をおく。両の手を膝に揃え、文机ふづくえにむかって、ゆっくりと頭を下げる。一度、二度、三度。それからまた筆をとり、次の一字を書く。書いては、止め、額ぬかづく。書いては、止め、額づく。

 一字三礼いちじさんらい、というのだそうだ。一字書くごとに、三たび拝む。経の一字一字には、仏が宿るとされていた。だから一字を、ひとりの仏のように敬って書くのだ、と聞く。

 われには、はじめから、それが何のための間合いか、見当がついていた。急いて手を動かすことと、心をこめて手を動かすこととは、まるで別のことだ。かつて長く旅をしてまわった先々で、人が悲しみを鎮めるとき、決まって手を止め、同じ所作を幾度も繰り返すのを、われは見てきていた。祈りも、同じことなのだろう。ただ、それを口にする気にはなれず、われは黙って墨を磨り続けた。

挿絵:われには、はじめから、それが何のための間合いか、見当がついていた

 それでも、はじめのうち、われは苛立ちを覚えていた。わけを分かっていてなお、これでは能率が悪すぎる、と。あるとき、つい口に出してしまった。もそっと早う書いては、施主も増え、布や米も、もっと集まろうものを、と。

 浄人は筆を止め、われをちらと見て、それから、めずらしく少しだけ笑った。何も答えず、また文机にむかった。書いては、止め、三たび額づく。墨を磨る音と、衣ずれの音のほかは、何も聞こえない。

 その繰りかえしを見ているうちに、われの中の見当は、しだいに、はっきりとした形になっていった。早く書ける祈りなど、どこにもないのだ、と。

 いちど、浄人に言われて、われも反故紙ほごがみに一字を書いてみたことがある。筆は重く、墨はかすれ、線はみみずのように曲がった。書きおえて、見よう見まねで頭を下げてみる。一度、二度、三度。けれど頭を下げながら、心はどこにもむかっていなかった。形だけ真似ても祈りにはならぬ。浄人の三礼とわれの三礼は、見た目は同じでも、まるで違うものだった。そのことが、はっきりと分かった。

 その一間には、いろいろな人が、伝手をたどって経を頼みに来た。栄えを願う商人もいれば、旅の無事を願う者もいた。だが多くは、亡くなった誰かのために経を頼みに来た。親のため、連れ合いのため、子のため。持ち寄るものの多寡はあれど、頭を下げるときの顔つきは、よく似ていた。

 その秋、ひとりの女が訪れた。

 粗末な麻の衣を着た、痩せた女だった。商家の下働きか、どこかの乳母か、身なりからは知れない。手に、わずかばかりの粟あわと、繕い跡だらけの布を握りしめていた。それが、写経を頼む手間のすべてらしかった。

 女は、夏の流行り病で、幼い子を亡くしたのだという。その子のために、経を写して納めてほしい、と消え入りそうな声で言った。けれど握った粟と布は、ひと巻きを写してもらうには、あまりに足りなかった。

 浄人はしばらく黙って、女の手の中のものを見ていた。それから、こう言った。ひと巻きはこれでは写せぬ、と。

 女の肩が、目に見えてこわばった。それを見て、われが口をひらいた。

 「ひと巻きは無理でも、一字なら、あんた自身の手で写せる」

 女は、筆を持ったことなどないと、おびえた。われは反故紙に、薄く、ひとつの文字の下書きをした。それを女の前に置いて、なぞればよい、とだけ言った。

挿絵:女は、筆を持ったことなどないと、おびえた

 女は、震える手で筆を構えた。けれど、なかなか書けない。下書きの線の上で、筆の先がいつまでも宙に迷っている。子の名でも、長い経の文句でもない。ただの一字を、女はあれほど長く、ためらっていた。

 その横顔から、われは目を離せなかった。

 女はおそらく、書いてしまうのが、こわかったのだ。書きあげてしまえば、この一字が、たしかにあの子のための一字になる。あの子はもういない、ということを、自分の手で、紙の上に確かめてしまう。だから筆が下りない。書きたいのに、書きたくない。その間で、女の手はずっと震えていた。

 やがて女は、息を深く吸って、ひと思いに筆を下ろした。下書きの線を、たどたどしく、けれどたしかになぞっていく。一画、また一画。書きおえると、女は筆をおいて、両の手を膝に揃え、文机にむかって深く頭を下げた。誰に教わったでもないのに、浄人とまったく同じように、三たび、額づいた。

 あんたが書いた一字は、他人が百字を書くより、その子に届くやもしれぬ——女の額づく姿を見て、われはそう思った。

 その一字を、浄人は受けとって、自分の写す経の、いちばん初めに継いだ。あんたの一字を頭に、あとはわしが続ける、と浄人は言った。施主せしゅの名は女のものだったが、浄人はその脇に、亡きその子の名も並べて記した。決まりにはないことだ、と浄人はひとこと言い添えた。

 女は、繕い跡だらけの布と、わずかな粟を置いて、何度も頭を下げて帰っていった。

 その日から幾日もかけて、浄人はその経を写しあげた。書いては、止め、三たび額づく。いつもの仕事よりも、いっそう手が遅いように、われには見えた。女の一字を頭に載せた経だ。粗略には書けぬ、と思っていたのだろう。

 書きあがった経を、浄人は丁寧に巻きおさめ、寺へ納めに行った。われも荷を持って付いていった。本堂の薄暗がりに、その一巻が、ほかの経とともに納められる。女の書いた一字は、もう経の中にまぎれて、どれがそれとも知れない。それでよいのだ、と浄人は言った。まぎれてよい。あの子の一字は、もう経そのものになったのだから、と。

 帰りみち、われは浄人に、あの一字はちゃんと届いたろうか、と聞いてみた。浄人は答えず、ただ空を見あげただけだった。

 届いたかどうかは、われにも分からない。だが、あの母が、震える手で一字を書きおえたとき、あの母の中の何かは、たしかに済んだのだろう。われはそう思うことにした。

◇ ◇ ◇

 写経は、それからも長く続いた。

 今では、経を写すのは、心を静めるための習いごとのようになっている。寺の写経会に座って、一文字ずつ墨でなぞる。早く書く必要もなければ、施主の数を競う必要もない。ああ、いまこの一間に流れる静けさは、あの浄人の文机の上にあったものと、たしかに地続きなのだ、とボクは思う。

 あの日、女が書いた一字が、経のどこに継がれていたのかは、もう誰にも分からない。名もなく、ただの一画として、経のなかに溶けている。

 けれど、女が筆をおいて、両の肩をふっと落とし、まっすぐに背をのばした、あの静かな息づかいだけは、ボクの肩に、いまも降りてくる。

参考文献・もっと詳しく

※ 写経(しゃきょう)は、経典を一字ずつ書き写すこと。書写そのものが功徳を積む行と考えられ、亡き人の追善供養や病気平癒・願掛けのために行われたとされる。一字書くごとに三度礼拝する「一字三礼」など、書写に敬虔さを込める作法があったと伝わる。経師(きょうじ)は写経や経巻の装丁を専門とした職能で、奈良期には朝廷による官営の写経所が置かれたが、平安中期以降はそれが衰え、寺や貴族家の私的な求めに応じて写経が営まれるようになったとされる。本話の写経の場・人物・会話は創作。永承六年は一〇五一年(永承は一〇四六〜一〇五三年)。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。

このサイトを応援する →
同じテーマの話
宗教西国三十三所、旅人たちが道々に残した草鞋の山宗教平四郎が杉板に描いた、神さまへの一頭の馬宗教一年に二度、紙の人のかたちへ汚れを移して流す日——長和五年、鴨の河原の大祓
同じ時代の話
文化京のある家で、冠を納める箱には傷が五つあった文化月は、まっすぐ見ないものだった、盃のなかでは食浜の火で二晩煮つめた塩と、海を知らぬ山あいの里