最後に食べたいと、老婆は言った05
平安のころ読了 約2

最後に食べたいと、老婆は言った

なぜ死ねないわれは、死にゆく人の枕元に座りつづけるのか

 ボクは、死ねない。

 だからだろうか。死にゆく人というものが、昔からボクには、不思議と心にかかる。気づけば、その枕元に座っている。ボクはどんな坊さんよりも、たくさんの死に立ち会ってきたかもしれない。

 そしてその一つひとつが、死ねないボクに、ボクひとりではけっして学べないことを教えてくれた。

◇ ◇ ◇

 寛弘三年(一〇〇六年)の冬。北国の、ある雪深い里でのことだ。われは一夜の宿を求めたぼろ家で、ひとりの老婆のもとに、しばらく留まることになった。

 老婆は、もう長くない様子だった。連れ合いはとうに亡く、子も都へ出たきり帰らないという。たったひとりで、死を待っていた。

 われは放っておけずに、その里に留まった。雪をかき、粥を炊き、老婆の話し相手になった。

 老婆は、死をちっともこわがっていなかった。

 「お前さんは、不思議なお人じゃな」と、ある晩、老婆は言った。か細い声だった。「旅の行商が、なんで死にぞこないの婆あなんぞに、こんなによくしてくれる。……それにお前さん、どこか、この世のもんじゃないような目をしておる」

 われはどきりとしたが、老婆はただ、ふふ、と笑った。

 「ええよ、詮索はせん。なあお前さん。わしはな、長く生きた。いいことも、つらいことも、ようけあった。今こうして死んでいくのは、ちっともこわくない。ただ……」

 老婆はことばを切って、雪の降る窓の外を見やった。

 「ただ、もう一度だけ、若い頃に、母がたまに握ってくれた、あの塩むすびが、食べたいのう」

◇ ◇ ◇

 われはその晩、なけなしの米を炊いて、不格好な塩むすびを握った。

 ろくな塩もない。竈の灰をかぶった、いびつなにぎりめしだ。それでも老婆は、それをひとくち、ふたくち、ほおばって、目を閉じた。

 「……ああ。これじゃ。この、しょっぱさじゃ」

 涙が、皺の谷をつたって落ちた。けれどその顔は、笑っていた。

 遠い昔、雪の里のあばら家で、母の手があたためてくれた、ひとつの塩むすび。それが、この人の長い一生の、いちばん遠い、いちばんあたたかい場所だったのだ。

 数日後、老婆はわれの手を握ったまま、静かに息を引き取った。眠るような、安らかな最期だった。

 われは、死ねない身でありながら——いや、死ねない身だからこそ、その夜、声をあげて泣いた。

 この老婆は、たった一生のうちに、生まれ、老い、そして終わっていく。その終わりがあるからこそ、最後の塩むすびが、あれほどいとおしかったのだ。終わりのないボクには、けっして味わえないいとおしさだった。

◇ ◇ ◇

 ボクには、人生をまとめあげるという、あの最期の時間がない。

 でも、あの老婆をはじめ、たくさんの死にゆく人々が、枕元でボクに教えてくれた。

 ——大事なのは、どれだけ長く生きるかじゃない。限りがあると知っているからこそ、ひとくちの塩むすびが、あんなにもいとおしくなる。終わりがあるから、人は今日をいとおしめる。

 ボクはその「いとおしさ」を、自分では持てない。だからせめて、死にゆく人々の枕元で、それを教わってきた。

 彼らは、ボクの、いちばんの先生だった。

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