05文化
文化平安のころ・都読了 約6

届かぬ星に、それでも願いを書いた日のこと

字の書けぬ母は、娘の願いを、どうやって星に届けたのか

 願いごとというのは、不思議なものだ。

 叶うとも知れぬのに、人はそれを口にするだけでは足りなくなる。布を供え、糸をかけ、やがては文字に書いて高いところへ掲げる。星に届けと言わんばかりにね。

 七月の夜空に、ひときわ明るい星がふたつある。川をはさんで向かいあう、青みを帯びた大きな星だ。あれを織女、これを牽牛と呼んで、年に一度だけ会うのだと昔の人は信じた。海の向こうから渡ってきた話さ。

 その織女の星に、機織りや縫いものの上達を願う。乞巧奠——「巧(たくみ)を乞(こ)い、奠(まつ)る」と書く。雅やかな庭に糸や針や秋の草花を供えて、貴き人びとが夜ふけまで星を仰いだ。はじめは塀の内の、ごく限られた人たちのものだったんだ。

 ボクが見たのは、それが宮中の塀をこえて、町のほうへじわりとにじみ出はじめた、ちょうどその頃のことだ。

◇ ◇ ◇

 天喜二年(一〇五四年)の七月。都でのことだ。

 諸国を歩いて小商いをしていた頃で、その年は夏のあいだ、都の市の近くに腰を据えていた。紙や筆を負って売り歩く身だから、文字を欲しがる人のいるところに居れば、なんとか食いつなげる。

 その月のはじめ、都の辻に見慣れぬものが立ちはじめた。笹竹だ。葉のついた竹を軒先にくくりつけ、五色の糸やら、色とりどりの布きれやらを結びつけている。風が通るたびに、青い葉がさらさらと鳴って、結ばれた布が魚の尾みたいにひらひらとひるがえった。

 はて、と思って近くの者に聞いてみた。なんでも宮中に、星を祭る雅びな行事があるのだという。それをどこからか伝え聞いた町の者が、見よう見まねで真似ているのだった。塀の内のことなど、町の者にはくわしくわかりはしない。わからぬまま、糸を垂らし、布を吊るし、星のほうへ顔を向ける。それでも、なんだか楽しげではあった。

 その朝も、われは荷をかついで辻を歩いていた。日はもう高く、地面の土がじりじりと足の裏を焼いた。汗が眉をつたって落ちる。早く日陰を見つけて、ひと息つきたい——そう思いながら歩いていて、ふと、一軒の笹の下で足が止まった。

 女がひとり、その笹の下に立ちつくしていた。歳の頃は四十ばかり。日に灼けた、節くれだった手をしている。畑か機の前で、年じゅう働いてきた手だ。その手に、白い布きれをひとつ、握りしめていた。

 女は笹を見上げては、布に目を落とす。それをもう、何べんも繰り返している。何か書きつけたいのに書けぬ——そういう顔だった。掲げたいものが胸にあるのに、それを形にする術がなくて、布だけを握って立っている。

 「もし。それに、願いをかけなさるか」

 われが声をかけると、女ははっとして、布をうしろ手に隠した。それから、見ず知らずの物売りに見られたのが恥ずかしかったのだろう、深くうつむいてしまった。

 「……あたしは、字が書けないものでねえ」

 消え入りそうな声だった。

 聞けば、娘のことだという。年頃の娘がいて、近いうちに人の家へ奉公に上がる。針仕事のひとつも達者になってくれたら、奉公先でもかわいがってもらえるだろう。母親はそれを、星に願いたいのだった。

 「お宮では、機織りや縫いもののうまくなるのを、星さまに乞うと聞きましたでねえ。あんな立派なお人らの真似ごとだとは思うけれど……それでも、うちの娘にも、と」

 ところが肝心の、願いを書く術がない。女は読み書きを習う暇など、ついぞ持たずに生きてきたのだろう。だから笹の下で、布だけを握って立っていた。隣の家の者は、すらすらと文字を書いて吊るしている。それを横目に、自分の願いだけが、布の上に降りてこない。

 われは荷を下ろした。

 「よろしければ、われが書きましょう。それを生業にしておる身でね」

 女は、信じられぬという顔でわれを見た。それから、おずおずと布を差し出した。皺の寄った、ごわごわとした麻の布だった。よく見れば、ところどころ繕った跡がある。きっと、家でいちばん上等の布を、わざわざ持ってきたのだ。

 われは矢立てから筆を抜き、墨をふくませた。日ざかりの辻で、墨のにおいだけが、ふっと涼しく立ちのぼる。

 「娘御の、お名は」

 女が名を言った。われは布の上に、その名をていねいに綴った。それから、女が口にするのを、ひと言ずつ写していく。

 針の道に達者になりますように。手が、よく動きますように。

 たどたどしい願いだった。難しい言葉などひとつもない。けれど、ひと文字ひと文字が布の上にあらわれるたびに、女は身をのりだして、食い入るようにそれを見つめた。読めはしないのだろう。読めなくても、自分の口にした願いが、たしかにそこに形をなしていくのが、わかるのだ。

 「これが……娘の名で」

 「そうとも。これが娘御の名だ」

 女は、その黒い線を、指でそっとなぞった。さわれば消えてしまうのを恐れるように、ごく軽く。

◇ ◇ ◇

 書き終えた布を、女は両手で押しいただくようにして受け取った。墨の乾くのを待つあいだ、布を胸の前にかざして、まじまじと見ていた。

 それから、笹のほうへ向きなおる。

 女は爪先立った。笹のいちばん高い、よく撓(しな)る枝をたぐり寄せ、その先に布をくくりつけようとする。背が届かない。何度も手をのばし、しまいには、ぴょんと小さく跳んで枝をつかまえた。そうやって、ようやく結びつけた。

 手をはなすと、枝はゆっくりと、もとの高さへ戻っていった。白い布が、ほかの色とりどりの布や糸にまじって、いちばん高いところで揺れた。風が吹くたび、それは空に向かって、ひらひらと手招きをするように見えた。

 女はしばらく、それを見上げていた。首がだるくなるほど、ずっと。

 「これで……星さまに、届くかねえ」

 届くものか、と問われれば、われにもわからない。星はただ遠く、またたくばかりだ。願いを書いた布が夜露に湿り、やがて色あせて、破れて、土に還るだけかもしれない。星のほうは、何ひとつ知らぬ顔をしているだろう。

 それでも、とわれは思った。

 書く前の女と、書いたあとの女は、まるで顔つきがちがった。さっきまで肩をすぼめてうつむいていた人が、今は背すじをのばして、晴れやかに空を見上げている。胸の奥にわだかまっていた願いが、手の届く「かたち」になって、自分の手で、空のいちばん近くへ掲げられた。ただそれだけのことで、人はこんなにも、ちがう顔をするのか。

 「ありがとうございます。これで、肩の荷がおりました」

 女はそう言って、何度も頭をさげ、辻の人ごみへ消えていった。あの布の下を、これから幾度も通るのだろう。通るたびに、見上げるのだろう。

 その年から、都の辻には、年ごとに笹がふえていった。書ける者は自分で書き、書けぬ者は、われのような物売りをつかまえて願いを託した。宮中の雅びな行事が、いつのまにか町の者の、ささやかな祈りに姿を変えていった。形はまだ定まらない。布きれだったり、糸だったり、木の葉だったりする。それでもみな、星のほうへ、何かを掲げずにはいられなかった。

◇ ◇ ◇

 今では七月になると、商店街に笹が立つ。緑のこしらえものの葉に、子どもらが色とりどりの短冊を吊るしている。

 願いごとの中身は、千年のあいだに、ずいぶん変わった。手習いや針仕事の上達を願う者は、もうめったにいない。試験に受かりますように。足が速くなりますように。家族がみな健やかでありますように。星に乞うものは、その時々の暮らしのぶんだけ、移ろってきた。

 けれど、とボクは思う。

 届くあてもない高みへ、それでも願いを書いて掲げずにはいられない。あの字の書けぬ女が、爪先立って布をくくりつけ、首がだるくなるまで見上げていた、あの心。それだけは千年たっても、ひとつも変わっていない。

 星は今夜も、なんにも言わない。ただ遠く、またたくばかりだ。それでも人は今年も、紙に願いを書くのだろう。書いたところで、と笑う者もいる。それでも書く。書かずにはいられない。

 ボクは、そういう人を見るのが、嫌いではないんだ。

参考文献・もっと詳しく

七夕(乞巧奠)は中国起源の星祭りで、七世紀中頃に渡来し、奈良〜平安に宮中行事として受容されたとされる。織女星に裁縫・機織りの上達を乞い、五色の糸・針・秋草などを供えた。短冊に願いを書いて笹竹に飾る形が庶民に広く定着するのは近世(江戸期)とされるため、本編では平安の町に「宮中の行事がにじみ出はじめた萌芽」として描き、布きれ・五色の糸を笹に結ぶ段階に留め、完成形を断定していない。天喜二年は一〇五四年(天喜は一〇五三〜一〇五八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

同じテーマの話
文化神さまに見せる、力くらべのこと文化死んだ人に会える、夏の夜文化いちばんしぶといもの