流したのは、捨てたのではない——紙の人形に病を移して見送った、雛のいちばん古いかたちのこと85文化
文化平安のころ・平安京読了 約7

流したのは、捨てたのではない——紙の人形に病を移して見送った、雛のいちばん古いかたちのこと

川べりの姫君は、なぜ流れていく白い紙きれに、いつまでも手を振っていたのか

 三月にもなると、どこの家にも雛人形が出てくる。

 ガラスの箱のなかに、きれいな衣を着せられて、ずらりと並んで座っている。子どもが触ろうとすると、大人はあわてて止める。汚れる、傷む、と。飾りおえれば、今度は早々に片づける。長く出しておくと娘の嫁入りが遅れる、などと言って。要するに今の雛は、大事に大事に扱われて、それでいて誰の手も触れない、見るためだけの飾りものだ。

 けれど、ずっと昔の「ひいな」は、そうではなかったらしい。紙や布でこしらえた、手のひらに乗るほどの小さな人形で、子どもが好き勝手にいじって遊ぶ、ただのおもちゃだった。そしてそれとはまったく別に、紙を人のかたちに切って、身の汚れやわざわいを移し、川へ流して捨ててしまう、そういう人形もあったという。

 大事に遊ぶものと、惜しげもなく流して捨てるもの。まるで逆の二つが、長い年月のあいだに、どういうわけか一つに溶けあっていく。ボクが見てきたのは、その二つが、まだ別々だったころの話さ。

◇ ◇ ◇

 長和二年(一〇一三年)の春のことだ。われは都の西のはずれ、紙を漉く里から、町なかのある家へ紙を届ける役をしていた。

 届け先は、官位はさして高くもない、中ほどの暮らしの家だった。あるじは役所勤めで昼は留守がちで、奥には四つか五つばかりの姫君と、その乳母のたづがいた。たづは口数こそ少ないが、よく気のつく女で、われが紙の束を運びこむたびに、白湯の一杯も出してくれた。

 その家へ通ううち、われにはひとつ、楽しみができた。姫君の遊びを、見るともなしに眺めることだ。

 姫君は、われが届けた紙の、端の落ちたのをもらい受けては、それで人形をこしらえていた。「ひいな」と呼んでいた。紙を小さく折って、墨で目鼻を点じ、色のついた布の切れはしを巻きつけて衣にする。指の先ほどの、いかにも頼りない人形だ。それを幾つも並べて、姫君は飽きもせず話しかけていた。

 「これはおまえの局、これはお客さま」

 貝殻を御殿の柱に見立て、木の葉を畳に敷き、小さなひいなたちを座らせては、われに聞こえぬような小声で、何やら長い物語を語っている。ひいな同士に挨拶をさせ、膳を運ばせ、夜になればちゃんと寝かしつける。姫君の頭のなかには、その指の先ほどの人形たちの暮らす、もうひとつの小さな都があるらしかった。

 「これは、たづ。これは、紙のおじ」

 ある日、姫君が二つのひいなを持ちあげて、われに見せた。一つは乳母、もう一つは、どうやらわれのことらしい。紙を運んでくる男、というだけのわれにまで、ちゃんと小さな分身がこしらえてある。可笑しくて、われは声を立てて笑った。指の先の自分は、墨の点の目で、まじめくさった顔をしていた。

 それからというもの、われは紙を届けるたびに、わざと端の切れはしを多めに残していくようになった。商いにはならぬ屑紙だが、姫君の手にかかれば、それが一人、また一人と、新しいひいなに化けていく。次に行くと、御殿の住人がまた増えていて、姫君は得意げに、新顔の名を一人ずつ教えてくれるのだった。

 ある日などは、ひいなたちの祝い事だと言って、御殿じゅうの人形を残らず引っぱり出していた。貝殻の盃をならべ、木の葉の膳をいくつも据え、誰それが嫁にいく、誰それが遠い国へのぼる、と姫君は一人で取りしきる。人形たちにかわるがわる口上を述べさせ、酔ったふりまでさせている。指の先の小さな都にも、祝いがあり、旅立ちがあり、ちゃんと季節がめぐっているらしかった。見ていて飽きないのは、その小さな世界が、姫君のなかでは確かに息づいて動いているからだ。屑紙の人形に、姫君は惜しみなく暮らしを分け与えていた。

 その遊びを、たづは止めもせず、ただ目を細めて見ていた。けれど三月の、上巳とかいう日が近づいたころ、たづの手つきが少し変わった。

 たづもまた、紙で人形を作りはじめたのだ。けれどそれは、姫君のひいなとはまるで違っていた。色の布も着せず、目鼻も描かない。ただ人のかたちにすうっと切り抜いただけの、白い、のっぺりとした紙の形代だ。

 「これは、遊ぶのではありませぬ」とたづは言った。

 この冬、姫君は長く咳をわずらって、夜ごと苦しんでいたという。たづはその白い人形を手に取ると、姫君のそばへ寄った。人形で、姫君の額を、胸を、背を、そっと撫でていく。それから、ふう、と人形に息を吹きかけた。

 「お身の悪いものを、みんなこの子に移しておしまいなさい」

 わざわいも、病も、身についた悪いものはみな、この白い紙へ移すのだという。そうして川へ流してしまえば、姫君の身は軽く、清らかになる。撫でて、移して、流して捨てる。たづは事もなげにそう言ったが、なぜそれで身が清まるのか、理屈は言わなかった。ただ、母も、その母も、子の身を案じてはこうしてきた、というだけのことだ。

 なぜ人形に移すのかと、われは尋ねてみた。たづはちょっと考えて、こう言った。痛いところ、つらいところは、本当は誰かに代わってほしいと願うもの。けれど代わってくれる人などいはしない。だからせめて、この紙の子に代わってもらうのだ、と。理屈ではなかった。願いに、かたちを与えているのだと、われは思った。

 上巳の日、たづはその白い人形を持って、姫君を近くの川べりへ連れていった。われも紙を届けたついでに、後ろからついていった。

 ところが、いざ流すというだんになって、姫君がべそをかきはじめた。白い人形を胸に抱えて、放そうとしない。

 「これも、ひいなでしょう。流したら、かわいそう」

 姫君には、その白い形代も、自分の遊ぶひいなと同じ、大事な人形に見えていたのだ。撫でられ、息を吹きこまれ、半日を共にすごすうち、その白いのっぺりした紙にまで、姫君はもう情を移してしまっていた。

 たづはしゃがんで、姫君の目をのぞきこみ、ゆっくりと言った。

 「これは、遊ぶひいなとは違いますのよ。これは、姫さまの身代わり。姫さまの代わりに、悪いものをぜんぶ背負って、川を下っていってくれるのです。だから、ありがとう、と言って、お放しなさい」

 身代わり。その言葉を、姫君はしばらく口のなかで転がしていた。それから、なにか得心したように、こくりとうなずいた。

 姫君は川べりにしゃがみ、白い人形を、そうっと水の上に置いた。流れがそれを受け取って、くるりと一度まわし、それからゆっくりと、下流へ運んでいく。白いひとがたは、ときどき波にさらわれて見えなくなり、また浮かびあがり、だんだんと小さくなっていった。その白さが波間に紛れて見えなくなるまで、姫君は身じろぎもせず見つめていた。

 姫君は、流れに向かって、小さな手を振っていた。

 「ありがとう。さようなら」

 病をぜんぶ背負って遠くへ行く、自分の身代わりに、姫君はいつまでも手を振っていた。流したのは、惜しいものを捨てたのではない。代わりに行ってくれるものを、見送ったのだ。たづの言いかたひとつで、捨てるが、見送るに変わっていた。同じ一枚の紙きれが、捨てる物にもなり、見送る相手にもなる。隔てているのは、たづがかけた、ほんのひと言だけだった。

 家へもどると、姫君の局には、相変わらず指の先ほどのひいなたちが、貝殻の御殿に並んで座っていた。流れていったのは、白いのっぺりの一体きり。遊ぶひいなは、一つも欠けずにそこにいる。

 手に取って遊ぶ人形と、撫でて流す人形。姫君のなかでは、その日、たしかに別々のものだった。それでも、流れに手を振る姿には、その二つが、ほんの少しだけにじんで重なりかけていたような気もする。

 幾日かして、また紙を届けにいくと、姫君の咳はすっかり治まっていた。頬には赤みがもどり、御殿の前で、いつものように小声の物語を続けている。

 「あの白いのは、いまごろ海まで行ったかしら」と姫君がふいに言った。病を背負って川を下っていった、あの身代わりのことだ。海の向こうで、あれはどうしているだろう、と姫君は案じていた。捨てたものを案じる子はいない。姫君にとってあれは、やはり最後まで、見送った誰かのままだった。

◇ ◇ ◇

 手に取って遊ぶひいなと、撫でて流すひとがた。その二つの流れは、それからの長い年月をかけて、すこしずつ近づき、やがて一つに溶けあっていったらしい。流して捨てていたはずの人形は、いつしか流されなくなり、家にとどまって、飾られるものになった。今、ガラスの箱のなかで澄ました顔をしている雛たちの、ずっと遠い祖先には、あの白いのっぺりの紙きれが、たしかにいたのだという。

 身代わりに悪いものを背負わせて、遠くへ流す。守り人形、身代わり、という人形のいわれは、案外、あの川べりの白い一体あたりから始まっていたのかもしれない。

 今では、雛は流されもせず、子どもの手で乱暴に遊ばれもせず、ただきれいに飾られて、春のあいだだけ箱から出てくる。大事にされすぎて、もう誰の身代わりにもならない。

 それでも、ボクはときどき思い出す。川べりにしゃがんで、流れていく白い紙きれに、いつまでも手を振っていた、あの小さな姫君のことを。ありがとう、さようなら、と。捨てるのではなく、見送るのだと教わった、あの春のことを。

参考文献・もっと詳しく

雛遊び(ひいなあそび)は、平安期の貴族の子女が紙や布で作った小さな人形(ひいな)で遊んだ遊戯とされ、『源氏物語』や『枕草子』にその語が見えると言われる。一方、三月上巳の祓は、紙などで作った人形(形代・ひとがた)で身を撫でて穢れやわざわいを移し、川や海へ流す行事で、大陸から伝わった風習が日本古来の祓と結びついたものとされる。この「遊びのひいな」と「流す人形(流し雛)」が後世しだいに融合し、近世以降の雛祭りの源流の一つになったと言われるが、本話の人物・会話・具体の場面は創作。長和二年は一〇一三年(長和は一〇一二〜一〇一七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。

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