その薄い一枚は、外から内を隠し、内から外を残らず見せていた14
平安のころ・京読了 約7

その薄い一枚は、外から内を隠し、内から外を残らず見せていた

簾を編む者だけが知っていた、明るさと暗がりの境のこと

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 夏になると、軒先に簾を一枚下げる家がある。

 西日をやわらげ、風を通し、表からの目をほどよくさえぎる。中にいる者からは、通りのさまがうっすら透けて見える。けれど通りを行く者からは、中の暗がりは存外見えない。簾というのは妙なもので、明るい側からは見通せず、暗い側からはよく見える。光の量がそうさせるだけの話なのだけれど。

 ボクは、この「片側からしか見えない」という一枚が、昔はもっと重たい意味を背負っていたのを知っている。

 それを御簾と呼んだころのことだ。

 貴い人や、家の女たちは、その一枚の内側で暮らした。簾を隔てて、見る者と見られる者の世が、きっぱり分かれていた。外の者は内をのぞいてはならず、内の者は安んじて外を眺めた。同じ一枚の、こちらとあちらで、人はまるきり別の作法を生きていた。

 ボクが見てきたのは、その境を毎日せっせと編んでいた、ひとりの男のことさ。

◇ ◇ ◇

 万寿二年(一〇二五年)の夏のことだ。京の都の片隅に、御簾を編んでは然るべき家々に納めて回る、安雄という簾屋がいた。われはその下で、簾を運び繕う手伝いをしていた。

 梅雨の明けるころが、われの一年でいちばん忙しい時だった。

 冬のあいだ家々を囲っていた厚手の簾を外し、夏向きの涼しいものに掛け替える。それを待つ家が、都にはいくつもあった。

 朝のまだ涼しいうちに簾を担ぎ、町を東へ西へと回る。掛け替えを終えた家からは古い簾を引き取り、家へ持ち帰って、繕えるものは繕い、傷んだものはほどいて竹を取り、また使えるよう取り分けておいた。竹も糸も、たやすくは手に入らぬ。一本の竹を、われは粗末にはしなかった。

 御簾を編むのは、地味で根のいる仕事だ。

 安雄はまず真竹を割って、細く細くひごにする。太さがふぞろいだと簾の目が乱れ、光のもれ方も風の通りも狂う。だから一本ずつ指でしごいて太さをそろえ、節をていねいに削った。それを何百本と並べ、染めた糸で一段ずつ編み下げていく。縁には錦の細布をあて、家の格にあわせて房を垂らす。一枚を仕上げるのに、幾日もかかった。

 夏の簾は青みの残る若竹で編み、糸も涼しげな縹(はなだ)を使う。冬のものは、よく枯らした飴色の竹に、厚みを持たせて編んだ。同じ家でも、暑い季節と寒い季節とで掛けるものを替える。簾ひとつで、部屋の暑さ寒さも、内の暮らしの見え方も、ずいぶん変わるのだ。家の格が高いほど、縁の布も房も凝ったものになり、われの手間も増えた。

 安雄の編むものは、ただの日よけではない。

 貴い家では、その一枚が、内と外とを分ける境になる。簾の内には姫君や奥方、それに仕える女たちが暮らし、外の者はその姿を見てはならぬ定めだった。男が用を伝えに来ても、簾の手前で膝をつき、内へは決して踏み込まない。声だけが、簾を抜けて行き来する。

 だからこそ、簾の善し悪しは、その家の慎みそのものだった。目が粗ければ内が透けて女たちが落ち着かず、厚すぎれば風が通らず夏がこもる。掛け方が傾けば、ひとたび風が吹くたびに内が見えてしまう。安雄のような者が幾人も都にいて、それぞれの家の境を、めいめいの手で編んでは掛けていた。

 おもしろいのは、この一枚が、片側からしか見通せぬことだ。

 内は暗く、外は明るい。すると表を行く者からは、簾の奥の暗がりはほとんど見えない。けれど内に座る人からは、明るい表のさまが、うっすら透けて見える。だから女たちは、簾の内に隠れていながら、庭の花も、訪う人の影も、心ゆくまで眺めていられた。見られずに見る。それが許される側と、見ることを許されぬ側とに、人は同じ一枚を境にして分かれていた。

 なぜそうなるのか、安雄は知らぬ。ただ長年簾を掛けてきて、内の暗さが深いほど外からは見えにくいと、体で覚えていた。だから夏の簾は、目を細かくしすぎず、それでいて奥を見せぬよう編む。その手かげんが、いちばんむずかしいのだと、安雄はいっていた。

 その夏、安雄はさる中どころの家に呼ばれた。われも供をした。

 主は宮仕えの人で、年ごろの姫君がひとりあると聞いていた。古びた簾がすっかり傷み、夏を前に新しいのへ替えたいという。

 簀子に上がり、廂のへりに膝をついて、われは古い簾を外しにかかった。

 内側は、ひんやりと暗い。几帳の影、衣ずれの音、薫きしめた香のにおいが、簾ごしにほのかに伝わってくる。けれど、決して目を上げてはならぬ。手元の簾だけを見て、われは黙々と紐を解いていった。

 古い簾を外すと、廂の柱に取り付けた鉤(かぎ)があらわになる。そこへ新しい簾の上端を掛け、巻き上げの紐を通して、たくし上げたり下ろしたりできるよう仕立てる。昼は半ばまで巻き上げて風を入れ、人の訪うときや夜には下ろしきる。内の人が思いのままに内と外の境を加減できるよう、紐の長さひとつにも気をくばった。

 そこへ、内から小さな足音がぱたぱたと近づいてきた。

 まだ十にもならぬ女童だった。あてき、と内の誰かが呼んでいる。姫君のそばに仕える、いちばん下の童女だろう。あてきは簾のきわまで来ると、めずらしげに、われの広げた新しい簾をのぞき込んだ。

 「それ、なあに」

 「夏の簾でございますよ。これを掛ければ、お部屋に風が通りまする」

 あてきは、ふうん、と首をかしげ、それから、ひょいと古い簾のすそをめくって、表の庭を見ようとした。

 すかさず、内から年かさの女の声が飛んだ。

 「あてき。簾を上げるものではありませぬ」

 乳母であろう、たしなめる声だった。あてきは、ぱっと手を離し、首をすくめる。

 外は、まともに見てよいものではない。のぞくのではなく、簾ごしに、ほどよく眺めるもの——この家に来てまだ日の浅いあの童女は、その境の引き方を、まだ覚えきっていないのだった。

 あてきは、しょげた様子で、それでもまだ新しい簾が気になるらしい。われが竹のひごをひとつ手に取って見せてやると、目をかがやかせて、そろそろと指でなぞった。

 「こんな細い竹が、いっぱいで、お部屋になるの」

 「さよう。細い竹も、束ねて編めば、風も日ざしもさえぎりまする」

 あてきは、たいそう感心したふうに、何度もうなずいていた。

 ややあって、奥のほうから、しずかな声がした。

 「安雄とやら。古い簾は、長年よう家を守ってくれました。新しいのも、たのみますよ」

 姫君の声であろう。簾の奥の暗がりからは、その姿はついぞ見えぬ。けれど衣ずれの気配と、その澄んだ声だけで、内に確かに人が座っているのが分かる。

 安雄は簾の手前で頭を下げ、「ありがたきお言葉」とだけ返した。

 考えてみれば妙なものだ。安雄は顔も知らぬ人のために、幾年も簾を編んできた。声と気配だけを頼りに、その人の暮らしの境を、一枚ずつ仕立ててきたのだ。

 新しい簾を掛け終えたころ、ひとしきり、強い夏風が庭を吹き抜けた。

 掛けたばかりの簾が、ふわりと大きくあおられ、すそが高くめくれ上がった。一瞬、内の暗がりがあらわになりかける。女たちが、あっと小さく息をのみ、袖や扇で慌てて顔を隠す気配がした。あてきだけが、きゃっと笑って、めくれた簾の下から表の青葉をのぞいている。

 風がやむと、簾はもとどおり、すらりと垂れた。

 内のざわめきが、くすくすという忍び笑いに変わっていく。乳母の困り声と、姫君のちいさな笑い声まで、簾ごしに伝わってきた。一枚の簾が、また、内と外とを静かに隔て直す。たったいま風がさらってみせた境を、簾はなにくわぬ顔で結び直していた。

 われは、めくれぬよう簾のすそに重しを縫いつけて房を整え、安雄とともにそっと暇を告げた。

 仕上がった簾は、廂のはしから簀子のきわまで、ひとすじの影のように垂れていた。風が抜けるたびに、青い竹の目がさらさらと鳴る。内からは涼しい風と表の光が入り、外からは奥の暗がりが見えぬ。これでこの夏ひとつ、内の人は心安く過ごせるはずだった。

 帰りの道で、ふと思った。

 安雄の編むのは、ただの竹と糸ではない。見る者と見られる者の、ぎりぎりの境目だ。その一枚が薄ければ薄いほど、内の人は心安く外を眺め、外の人はそのことを忘れていられる。隔てるための簾が、かえって内と外を、やわらかくつないでいた。

◇ ◇ ◇

 その後も御簾は、長く貴い家の調度として残ったらしい。

 時が下るにつれ、簾はだんだん庶民の軒先にも下りてきた。身分の境を引く道具ではなく、夏の日ざしと人目を、ほどよくさえぎる暮らしの品になっていったのだろう。今、軒に揺れている一枚の簾には、もう内と外の作法も、見る側見られる側の定めも、残ってはいない。

 それでも、とボクは思う。

 簾の内側に座ってみると、今でも分かる。明るい表はうっすら見えて、暗い内はよく見えない。あの「見られずに見る」という心地よさだけは、千年むかしの姫君が味わったものと、たぶん同じだ。

 風が吹けば、簾はふわりとめくれ、すぐにまた、なにくわぬ顔で垂れ直す。

 内と外を隔てているようでいて、ほんとうは、風も、声も、光も、ちゃんと通している。

 ボクは、ああいう、ほどよく隔てて、ほどよくつなぐものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

御簾は、寝殿造の屋内や廂と簀子の境などに掛けて空間を仕切り、貴人や女性の姿を外から隠した調度とされる。細く割った竹(ひご)を糸で編み下げ、縁に布をあて房を垂らす形が一般的で、夏向き・冬向きで仕立てを替えたと伝わる。内が暗く外が明るいと、内からは外がよく見え外からは内が見えにくい——この明暗差による見え方は、簾の内に座る側が外を眺めやすかった理由として説明されることが多い。万寿二年は一〇二五年(万寿は一〇二四〜一〇二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。あてき等の女童の呼び名は平安期の記録に見える類型に倣った創作。

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