第 46 話衣服京の西のはずれ、紅の屑をえり分ける子がいた
〜牛車で絹を積む客と、麻糸ひとかせを差し出す娘と、同じ庭に立ち寄った〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
手のひらに、黒っぽい塊がひとつ乗っている。
小指の先ほどの大きさで、乾ききって軽い。手のひらに乗せても、重さをほとんど感じない。ふちのほうから少しずつ崩れて、爪の先に粉が付く。鼻を近づけると、かすかに酸いような、青くさいような匂いがする。指を湿らせてこすってみると、薄くのせただけではただの赤なのに、厚く重ねたところだけ、色がぐっと濃く沈んで見えた。黒っぽい塊のどこに、そんな色が隠れているのか、はじめは見当もつかなかった。これはただの染料ではなく、誰かが根気を注ぎ込んで形にしたものだという気がしてきた。
今のボクらは、小さな筒をひとひねりすれば、いつでも好きなだけ赤を引ける。だが、この塊がどれほどの手間の果てにあるのか、もう誰も気に留めない。
ボクがそれを一度だけ見たのは、長保二年(一〇〇〇年)の夏、京の西のはずれの、小さな店先でのことだ。
◇ ◇ ◇
その日は、夜の明けきらぬうちから歩いていた。西へ向かう道の脇では、村の女たちがまだ薄暗い畑にかがみこみ、露に濡れた花だけを黙々と摘んでいるのが遠目に見えた。声をかける間もなく通り過ぎたが、籠を負った背中の連なりだけは、しばらく脳裏に残った。
旅の途中、日盛りを避けて道端の木陰を選んで歩いていたら、水を打った土の匂いに混じって、どこかで水を汲む音が聞こえてきた。音をたどって少し先へ進むと、開けっぱなしの木戸の奥に、桶の並んだ小さな庭が見えた。
立ち止まって覗いただけだ。中に入りもしなければ、誰かに声をかけたわけでもない。塀ぎわに立ったまま、木戸の隙間からその庭をしばらく眺めていた。
庭では、ひとりの男が、橙色の花を桶に山と入れて、水をどぼどぼ注いでいた。背丈ほどに伸びる草の、先へ先へとつぎつぎ咲く花だという。今ならこれを紅花と呼ぶところだが、庭先で交わされていた言葉はそれではなかった。日ごとに先に咲いた花だけを選んで摘み取るというので、末摘花――そう呼ばれていた。花を運んできた女のひとりが、木戸ごしに「重丸、精が出るね」と声をかけると、男はうなずいただけで、手を止めなかった。足で踏み、手で揉む。桶の水が、みるみる濁った黄色に染まっていく。捨てては注ぎ、揉んでは絞る。五度か六度、いや、もっとだろうか。水を替えるたびに重丸の腕は疲れを増していくようだったが、それでも手を止める気配はまったくなかった。運び込まれる籠は、次から次へと庭の隅に積まれていったが、揉むたびに花のかさは目に見えて減っていき、山だった橙色は、しまいには桶ひとつぶんの、くたびれた塊にまで縮んでいった。花を運んできた者たちの指先には、布を幾重にも巻いた者もいれば、汚れの目立つ者もいた。朝のうちに摘んだのだろう。

黄の水を何度も捨てたあと、重丸は灰を溶いた汁を桶に足した。花を含ませて揉むと、こんどは布へ、沈んだ紅の色がじわりと滲み出す。桶の縁にこびりついた黄の跡と、いま滲み出したばかりの紅の跡が、並んで日に照らされているのを、木戸の外からでもはっきり見て取れた。黄はくすんで沈んで見えるのに、紅だけは同じ日差しの下で、妙に濡れたように、ぬめりを帯びて光って見えた。
それから重丸は、竹の筒からもうひとつ別の汁を、にじみ出た赤へ少しずつ垂らした。燻して乾かした梅の実を、また水に浸して起こしたものだという。呼び名は、烏梅。竹筒を傾けるたび、鼻を刺すような酸っぱい匂いが庭先まで漂ってきた。汁が垂れるたび、濁った液の底に、目の覚めるような赤が、もやのように集まってくる。すくい取っては手のひらでひとつかみずつ丸め、軽く押し固めてから、陰に並べてしばらく乾かせば、あの手のひらの塊になる。山と積まれていた花は、幾度も洗われ、幾度も揉まれ、幾度も絞られるたびに嵩を失い、最後にはほんのひとつまみの、黒っぽい粉へと収まっていった。
庭の隅では、七つか八つほどの女の子が、しゃがみこんで何かをしていた。
揉んでは絞り、捨てられていく花がらの山から、指先でひとつまみずつ拾い上げては、水で湿らせた指先にこすりつけている。木戸の外からでは、何を見比べているのかまでは分からない。水を汲みに子が木戸のそばの桶まで来たとき、そこでようやく見えた。滓をこすった指先の、あるものには薄く赤みが移り、あるものは白いままだった。赤みの移る滓だけを脇の籠へ、白いままの滓は足もとの捨て屑の山へ。重丸は自分の桶にかかりきりで、そちらを見もしない。子はひとりで、拾っては湿らせ、こすっては見比べ、次へ移る。その手つきに迷いがなかった。大人には、どれも同じ捨て屑にしか見えなかったはずだ。だが指先の赤みだけを頼りに拾い集めていくと、いつのまにか、籠にひとつかみほどの滓が溜まっていた。遠目にも、籠へ行くのは拾ったうちのほんのいくつかで、あとは次々と足もとの山へ戻されていくのが分かった。誰に教わったふうもなく、子は手を止めない。膝の脇には小さな砂山ほどの捨て屑が積み上がっていたが、籠のほうはなかなか嵩を増さなかった。
日が傾くころ、重丸は自分の桶が空くたびに、子の籠をのぞいては、たまった滓をひとつかみ、空いた桶へ放り込んだ。朝からの灰汁と烏梅の汁が、桶の隅にまだ少し残っている。それを注いで軽く揉むだけの、二度目の仕事だ。花が山だったときのような赤は出ない。桶の底に、うっすらと色の滲んだ水が溜まるだけだ。重丸は、日が暮れるまでに、同じことを幾度か繰り返していた。

表に牛車が停まり、車輪の軋む音とともに、上等な単衣の女が降りてきた。奥方の使いだという。仕上がった紅の塊をいくつもまとめて求め、代には艶のある絹を幾反も置いていった。付き従う従者が、その絹をひと巻きずつ数えながら重丸の前に積んでいく。反物が積み上がる音が、木戸の外まで聞こえた。白粉で白く塗った顔に、頬と唇へほんのひとさし紅を置くのが、宮あたりの女たちのならわしだと、居合わせた誰かが話すのが聞こえた。
入れ替わるように、木戸のそばへ、ひとりの娘がおずおずと近づいてきた。
洗いざらした麻の衣に、節くれだった手。懐から出したのは、麻糸をひとかせ、丸くたばねたものだった。ずいぶん夜なべに績んだのだろう、節だらけで太さもまちまちの糸だ。指先には、糸を繰った跡らしい赤みがまだ残っていた。
「これで、ほんの少しでも」
重丸はその糸をしばし手に取り、目方でも確かめるように軽く上下させてから、庭の隅の子どもへちらと目をやり、それから桶の隅にしゃがんで、二度目の汁が溜まった桶の底をのぞき込んだ。小さな布切れを差し入れ、うっすらと色の滲んだ水をゆっくり吸わせる。布はしだいに、淡い紅色に染まっていった。重丸はそれを丁寧にたたんで、娘に差し出した。
娘は包みを両手で押しいただくと、結び目をほどき、色を吸った布切れに指先を押し当てた。店先の水を張った桶を鏡がわりに、その指先で唇にひと刷き、そっとのせた。指先から落ちた雫が水面に散る、小さな音だけが庭に響いた。
顔が、変わった。日に灼けた娘の頬が、唇にのったたった一色でぱっと明るんで見えた。娘は水面の自分をしばらく信じられぬという顔で見つめ、それから、うれしそうに口もとを押さえた。
誰に見せるとも、娘は言わなかった。われも尋ねようがない。ただ、遠目にその後ろ姿を見送っただけだ。包みを胸に抱えて、うきうきと弾むように、暮れていく道を帰っていった。すれ違った村の子どもたちが、何ごとかと振り返るほどの足取りだった。
牛車で運ばれていった紅の塊と、子どもが選り分けた滓から重丸が二度目に引き出した、あのわずかな紅と、もとの花はきっと同じものだったろう。だが、あの娘の足取りを見るかぎり、値の差など、どうでもよいことに思えた。
われはそのまま木戸を離れ、西へ向かう道を歩き続けた。振り返れば、重丸はまた次の花の山に取りかかっており、子どもは相変わらず、滓を指先でこすっていた。誰ひとり、われがそこにいたことにすら、気づいた様子はなかった。あの庭に、二度と立ち寄ることはなかった。
◇ ◇ ◇
あの庭には、絶えず何かの音がしていた。桶の水音、竹筒から汁の垂れる音、値を言う声、そして、二度目の汁を注ぐ、ちゃぷりという小さな音。京の西のはずれの、あの一角だけに満ちていた音だ。手のひらの、あの黒っぽい塊を思い出すたび、まずよみがえるのは色ではなく、その音のほうだ。
今、紅は指先ひとつで買える。レジ前の静けさの中、あるのは、小さな蓋を開ける、かすかな音。
参考文献・もっと詳しく
※ 紅花は西アジア・エジプト方面を起源とし、大陸を経て古く日本へ渡来した草とされる。花弁には水溶性の黄色色素が大半を占め、紅色素はごくわずかで、黄を水で洗い流したのち灰汁(アルカリ)で紅を抽出し、烏梅(燻して乾かした梅の実を水に浸したもの)など酸で発色・沈殿させて採るのが古来の製法と伝わる。少量しか採れないため紅は高価で、平安期には主に貴族の女性が頬紅・口紅に用いた。長保二年は一〇〇〇年(長保は九九九〜一〇〇四年)。
当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。
この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。
このサイトを応援する →