第 89 話衣服浸すこと八度、たった一色が生まれるまで
〜盛りを過ぎた花の色を、なぜ選んではならなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
浸すこと、八度。
薄い絹を藍や紅花の汁にくぐらせ、それだけの回数を重ねて、ようやく望む色が絹に宿る。一度や二度では、色は表を滑るだけで、じきに落ちてしまう。七度でも、まだ足りない。数を数え違えれば、色そのものが違う色になる。一色の襲をひと揃い仕立てるには、幾つもの甕を、幾日も行き来せねばならない。
ボクは、その色を染めて仕立てる家のかたわらで、しばらく暮らしていたことがある。
◇ ◇ ◇
長和四年(一〇一五年)の春のことだ。都の東の京、とある受領の館で、衣の染めと仕立てを一手に束ねる、いとという老女がいた。この館に仕えて、もう四十年になるという。われはその染め場で、下働きをしていた。藍の甕をかき混ぜ、染め上がった絹を物干しへ運ぶ。藍は甕の中で生き物のように発酵して、覗き込めばつんと鼻を突く匂いが立った。その年がいくつなのか、若い下働きには見当もつかなかったが、いとの色を見る目だけは少しも衰えていなかった。
染め場には色という色が干されていた。薄紅、濃き紫、淡い萌黄、白がかった青。風の通るたびに絹が揺れ、色と色が触れ合って、見ているこちらまで目が染まりそうだった。われの手は、いつも爪の先まで藍に染まっていた。ほかにも若い下働きが二人いたが、色を決めて甕にかかりきりになることを許されているのは、いとだけだった。われらはみな、言われたとおりに甕をかき混ぜ、絹を運ぶだけだった。
いとの指の節は、藍と紅が幾重にも染み込んで、洗っても落ちぬ色になっていた。もう何十年も前、いとも若い下働きだったころ、色の見きわめを一度だけしくじったのだと、古株の女房から聞いたことがある。何を間違えたのかまでは、誰も覚えていなかった。ただ、それきりいとは、甕の前を離れずに歳を重ねたのだという。
いとは、朝いちばんに庭へ出るのを日課にしていた。露の乾き方、風の向き、木々の芽吹き。毎朝おなじことをしているように見えて、その実、庭の移ろいをひとつひとつ数えているふうだった。われは、その背をぼんやり眺めるばかりで、何を見ているのかまでは、そのころまだ分かっていなかった。
その日、館は大わらわだった。家の若い姫がはじめて宮仕えに上がる。この冬から、いとの指は甕の湯にひどく強張るようになっていた。その晴れの装束のうち、いちばん外に重ねる一枚の色合わせを、われがやってみよ、といとが言う。染め場に入って半年あまり、はじめて任された仕事だった。甕をかき混ぜるだけの日々から、ようやく一歩出られる気がした。
姫はかねて、庭の桜をたいそう気に入っていた。その庭の桜がちょうど盛りのころ、われは紅花の甕の前に座った。去年の夏に摘んで寝かせ、干しておいた花を水に戻す。黄の汁を幾度も水で洗い流し、最後にわずかに残る紅だけを灰汁で引き出す。薄い絹をその紅に浸しては日の当たらぬ軒下に干し、乾ききらぬうちにまた浸す。紅は日に当てれば褪せる。風の乾いた日は乾きが早く、湿った日は一度分よけいにかかる。一度、二度、三度……指を折りながら重ねて、八度目でようやく望む濃さの桜色に仕上がった。表を白、裏にこの紅を通しておいて重ねれば、そのどちらでもないもう一つの色——桜の襲が生まれる。光にかざすと、白い絹の奥からほんのりと花の色が浮いた。指の先まで染まった甲斐があったと、われは思った。仕上がりに、落ち度は無いはずだった。

ところが、いとはそれを一目見るなり、黙って染め場の外へわれを連れ出した。
庭の桜は、まだ盛りだった。枝という枝が白く重たげに揺れている。いとは何も言わず、築地の根方を指さした。塀の外から吹き寄せられた花びらが、茶色く乾いて溜まっていた。踏めば音もなく崩れそうなほどだった。よその屋敷の桜は、とうに散っていたのだ。遠くで鳥が鳴き、風が吹くたびに、塀の向こうから、また乾いた花びらが舞いこんできた。
われは、気づいた。色の出来そのものに落ち度は無い。だが、この色を姫が袖にすれば、都の花がとうに散ったのも知らずに纏う娘だと、宮の女房がたに映ってしまう。誰も口には出さぬだろう。それでも、袖の端の色ひとすじが、姫の代わりにそれを語ってしまう。
いとは、この庭の桜が都のほかの屋敷の桜よりいつも十日ほど遅れて散ることを知っていた。長年この館に仕え、幾つもの春をこの同じ庭で見送ってきたからだ。庭木の根方は南の築地に寄り添い、南からの日が塀にさえぎられて、ほかの庭より当たりが薄い。日の当たらぬぶん、この庭はいくらか冷え、そのぶん、花の盛りも散り際も、ほかの庭よりいつも遅れてやってくる。長い年月そこに立ち続けた者でなければ、わざわざ数えもしない十日だった。だからこそ、この庭の花にばかり目をやっていては、都のほかの屋敷ではとうに桜が終わっていることに気づけない。色の出来ではなく、色を選ぶ物差しそのものが、この庭ひとつに寄りすぎていたのだと、口を利くまでもなく見て取ったのだろう。
染め場へ戻ると、染め上げたばかりの桜色の絹は、もう姫には使えぬものとして、われの手に戻されていた。もう一度誰かに纏われることもないその端切れを、「持っておけ」と、いとが言った。
われがこの館に流れ着いたのは、去年の秋のことだ。田畑を回って働き口を探していたところを、染め場の下働きが一人減ったと聞いて拾われた。土地の桜がいつ盛りを迎え、いつ散るかなど、考えたこともなかった。われが知っている春は、まだこの庭の春ひとつきりだった。
われは甕の前に戻った。今度は、表を紫、裏を青に替える。紫は、紅花とはまるで勝手の違う色だと、いとに教わりながら知った。花の汁ではなく、紫草の根を臼で搗き、ぬるい湯でよく揉み出し、椿の灰で作った灰汁にくぐらせて色を留める色だという。熱い湯を使えば色がくすむとかで、湯の熱さと揉む力の加減だけを頼りに、色の出るところを見きわめる。言われたとおりに手を動かしても、その見きわめだけは、まだ自分の勘に頼れなかった。裏の青は、勝手知ったる藍の甕へ——とはいえ、藍だけでは色が沈みすぎる。浸しては空気にさらし、浸しては空気にさらし——一度、二度、三度……数えながら、望む深さまで色を呼び出したあとに、黄檗の汁を一度くぐらせて、ようやくこの家でいう青になる。八度目に絹を引き上げたときには、腕にはもうだるさが残っていた。透かして見た色は、桜のときよりずっと落ち着いて見えた。藤の色だ。散った桜の名残を惜しみながら、来る夏へも続いていく色だと、以前に聞いたことがあった。

いとはその絹を手に取ると、物干しのいちばん風の通る場所に掛けた。それだけだった。ほかの色たちより、少し高い場所に。
その絹が仕立て上がった日、姫はひと目見るなり、頬をゆるめた。桜ではないその色を、惜しむふうはもう無かった。むしろ、藤のほうが自分に似合う、とでも言いたげに、袖を広げて陽にかざしていた。その袖を最後にたたんで長持ちに収めたのは、われの手だった。
その後の幾日か、われは色あわせのたび、まず庭に出て花の様子をたしかめる癖がついた。紅梅のつもりで仕立てた色が、一度、紅が強すぎて桜寄りに見え、染め直しになったこともある。花や葉の名で呼ばれる色が、季節の数だけこの甕から生まれていくのだと、そのたびに思い知らされた。同じ紅花でも、浸す日の暑さ寒さでわずかに色の乗りが違う。その差を測るのも、結局は甕の前に座り続けた年月の分だけだった。われはまだ、季節の数だけある色の名を、半分も覚えられずにいた。それでも、庭に出て花を見る癖だけは、その日からずっと続いた。
宮へ上がる朝、姫は藤の襲を装った。表は紫、裏は青。薄い絹を通して、紫の上から青がうっすらと透け、境目のあたりだけ、藤の花房のようににじんで見えた。歩くたびに、それが揺れる。散りゆく春と来たる夏とが、その一人の娘の袖の上で、静かに重なり合っていた。
門を出ていく姫の後ろ姿を、われは染め場の前から見送った。藤の色は日の光のなかでいっそう淡く、白い陽炎のように揺れている。あの色のなかには、われが数え直した八度の浸しと、いとの見てきたこの庭の幾十の春とが、そっくり畳み込まれているのだろう。姫を送り出したあと、いとは何も言わずに、また次の甕の前へ座った。
◇ ◇ ◇
その色の名は、今もいくつか残っている。紅梅、萌黄、桜、藤。色見本の帳をめくれば、隅のほうに小さな四角で、そんな名がふられていることがある。それだけだ。いとがなぜあの朝、桜でなく庭のほうへわれを連れ出したのか、口で教わったことは一度もない。それでも、われの手には、いまもその答えのようなものが残っている。
いまなら、胸のうちの一色は、言葉のまま文字にして送ればいい。声に出さずとも、指先ひとつで、遠く離れた誰かにも一瞬で届く。あの時代にも、文や歌に思いを託すすべはあった。だが、何も書かず、声も出さず、ただそこに立つだけで伝わるものといえば、身にまとう色くらいのものだったろう。その色ひとすじを選ぶのに、幾度もの浸しと、幾十年の春の記憶が要った。
いとの指の節には、藍と紅の色が、幾重にも染み込んだままだった。あの年月を持たぬわれは、あの日、紅の甕の前でそれを思い知った。
ボクの手もとには、いまも一切れの絹の端切れが残っている。あの春、姫のために八度浸して、最後は使わずじまいだった桜色の余り布だ。捨てるに捨てられず、幾度も宿を移りながら、ここまで持ち歩いてきた。取り出して指に挟むと、絹はひやりと冷たい。あの日、庭に立って花びらを踏んだときの冷たさと、よく似ている。
参考文献・もっと詳しく
※ 襲(かさね)の色目は、平安期の貴族や受領といった家々で、複数の衣を重ねて着る際の、表裏や層の配色の取り合わせを指すとされる。薄い絹を通して裏の色が透ける効果も含め、紅梅・萌黄・桜・藤・卯の花など草木や季節の名で呼ばれ、時季にふさわしい配色を選ぶことが教養とみなされたと伝わる。長和四年は一〇一五年(長和は一〇一二〜一〇一七年)。色目の名称・組み合わせの定義は文献・時代により異同があり、本文の表裏の対応は代表的な一例として扱う。
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