第 57 話衣服頭のてっぺんを隠す男たちと、三条の烏帽子折
〜なぜ、それを人に見せてはならなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
なぜ、たかが頭のてっぺんひとつのことで、大の男があれほど取り乱すのか。
三条の烏帽子折の仕事場で、ボクはそのひと月ほどのあいだ、それを幾度となく見ることになった。
◇ ◇ ◇
天喜二年(一〇五四年)の春、京の三条に住む烏帽子折・熊丸のもとへ、われはしばらく通うことになった。隣に住む、熊丸のもとで働く弟子が急に里へ帰ってしまい、人手を欠いていると聞いた伯父に、断りきれず言いつけられたのだ。好きで選んだ勤めではなかった。
家の中は、思っていたよりずっと静かだった。もの言わぬ職人と、もの言わぬ道具ばかりが並んでいた。
熊丸は無口な男だった。糊を煮ろ、木型を運べ、それだけを言って、あとは自分の仕事に戻ってしまう。烏帽子の作りようを、口で教えてもらった覚えは、ついぞ無い。
布をそのまま縫うのではないと知って、はじめは目をうたがった。薄い絹に、刷毛で漆をごく薄くかけ、こよりや木型で形をつけ、乾かしてはまた薄くかける。厚く掛ければ、たちまち強張って布の萎えが死に、板のように突っ張ってしまう。薄く、幾度も重ねてこそ、布のやわらかさを保ったまま、艶だけが黒く増していく。根気だけで、しなやかさを損なわずに仕立てる仕事だった。
家の奥の柱には、小さな刻み目が並んでいた。一枚仕上がるたびに熊丸は縦の線を一本引き、そこから新しい列を始める。列の中では一日ごとに刻みを一つ足していくらしい。数えてみると、早く仕上がった列は三つで終わり、念の入った列は七つを超えている。列ひとつが、そのまま一枚の烏帽子に薄い漆を重ねる日数だと、われはしばらくして気づいた。
棚の隅には、ひび割れた烏帽子がいくつか伏せてあった。捨てずに残されている。数えてみると、六枚あった。厚く塗りすぎたものほど、強張って撓まず、割れの筋が深い。薄く、幾日もかけて塗り重ねたものほど、艶が澄み、指で押せばしなやかに萎れて、割れがない。塗りの日数を惜しんだものほど、この棚に多く並んでいた。並べて見比べれば、誰に教わらずとも、それだけで道理がわかった。
乾いた晴れの日には、熊丸は烏帽子を戸棚の奥へしまい込み、水を張った小皿と湿らせた布をかたわらに置いた。湿った曇りの日には、表の棚へ出し、風にはあてずそのまま置いた。何日も見ているうちに、われはその使い分けの理由に自分で思い至った。乾いた日の漆は、いつまでも粘ついて固まらない。待ちきれずに厚く重ねれば、表だけが先に固まって縮み、しわが寄る。しめった日の漆は、放っておいてもひとりでに艶を増して固まっていく。ちょうどよい湿り気を、熊丸は毎朝、空の色と地面の湿りで量っているのだった。

われが布の張りようをしくじり、皺をひとつ残したまま漆を重ねてしまった日があった。熊丸は叱らなかった。ただ、その一枚を黙って棚の隅——あのひび割れた失敗作の並ぶ場所へ、置いた。われの分もいずれそこに並ぶと言われた気がして、頬が熱くなった。
熊丸のもとには、いろんな男が訪ねてきた。丈の高い、艶の深い立烏帽子を誂える身分の高い客もいれば、もっと小ぶりで頭に添うように仕立てたもの、風にふわりと折れるものを好む客もいた。漆を重ねる回数が増すほど黒はどこまでも深く艶めいたが、布の萎えはどの一枚も損なわれず、指で押せばしなやかに萎れた。同じ木型を使っても、仕上がりの高さや反り、掛ける漆の厚みは、客の求めに応じて微妙に違えた。頭の形も人それぞれで、ぴたりと合う一枚に仕上げるまで、熊丸は何度も指で頭の丸みを確かめていた。求める形はさまざまでも、どの男にも共通していることが、ひとつあった。
みな、頭をさらすのを死ぬほど嫌がる。古い烏帽子を取り替えに来た客でさえ、載せ替えるほんのいっときを、ひどく気にした。手で頭をおおい、人目をはばかるように背を向ける。あるとき、三条の道を通りかかった男の烏帽子を、不意の春風がさらった。黒いものがころころと往来を転がっていく。男は顔色を変えて駆けだし、頭を片手で押さえたまま、地を這うようにしてそれを追った。裾が跳ね上がるのもかまわなかった。拾いあげて頭に載せなおすまで、誰とも目を合わせようとしなかった。
何がそれほどまでに、と若いわれは、半ば面白がるように眺めていた。
ある日、烏帽子を初めてかぶる年頃になったという、ひょろりと背の高い若者が訪ねてきた。名は千鳥丸といい、まだどこかぎこちなく名乗った。三条に住み、反物を商う家に生まれたのだと、あとで聞き知った。声はもう太いのに、頭に載った烏帽子をしきりに気にして、たびたび手でさわっては形を直している。ついこの間まで、まだ前髪のある童だったという。

「どうも、おさまりが悪うて」と千鳥丸は赤い顔で言った。
手はたびたび頭へ伸びる。けれど、つい今しがた誰かに見られた気がするのか、急いで手をおろし、また何ごともなかったように胸を張る。その繰り返しが、見ているこちらまでくすぐったかった。
熊丸は若者の頭をひとめ見て、棚から一本の古い紐を取り出した。幾年も使い込まれ、根もとの結び目がすり減って光っている。それを新しい紐と並べて千鳥丸に示し、そのまま手つきだけで示すように、もとどりへ小さな紐を通し、根もとへくぐらせて、きゅっと結んだ。たったそれだけの所作なのに、結び終えると、若者の頭から烏帽子がぴたりと動かなくなった。試しに首を振らせてみても、ずれもしない。
すり減った古い紐と、真新しい紐。熊丸はそれを並べて見せただけだった。すり減るとは、脱げずに幾年も守り抜いた証だと、それだけでわれにはわかった。
千鳥丸は半信半疑の顔で頭をゆすり、それからようやく、ほっと肩の力を抜いた。「これで……人に取られませぬか」
熊丸は「むやみには、な」とだけ答えた。
その意味を、われはほどなく、いやというほど思い知ることになる。
数日のち、三条の大路で、男ふたりが取っ組みあいの喧嘩をしていた。荷の貸し借りでもめたらしい。野次馬が輪をつくる。そのうちのひとりが、相手の烏帽子を、ぱっと地面へはたき落とした。
その途端、辺りの空気が変わった。殴られた当人より、まわりの者のほうが息をのんだ。烏帽子を落とされた男は、顔を真っ赤にして、なぐられた以上に逆上した。地に落ちた黒いものへ飛びつき、土をはらって頭へ載せなおす。その手が、わなわなと震えていた。
むきだしのもとどりを人にさらす——それだけのことが、この男にとっては、頬を打たれるよりずっと深い傷だったのだ。
烏帽子という被り物があったことは、知識としては知っていた。だがそれを一枚、幾日もかけてこしらえる手間も、男たちがこれほどまでに本気で守ろうとするさまも、この目で見るのははじめてだった。
喧嘩はそこで終わった。烏帽子を落とした側が、ばつ悪そうに目をそらし、そそくさと立ち去ったからだ。手を出したほうが、なぜか分が悪い。そういう恥のかかせ方だった。
家へ戻って、われは熊丸にそのことを話した。熊丸は漆の刷毛を動かす手を止めなかった。止めたのは一度だけ、棚の奥のひび割れた失敗作へ、目をやったときだった。それきり、また刷毛を動かしはじめた。
伯父に借り出された日々は、ひと月ほどで終わった。最後の日、熊丸は次の客の頭の寸法を測りながら、われの手に薄絹の端切れを一枚、握らせた。三条を歩いて帰る道すがら、近ごろの京はどうも物騒だという噂を、また誰かが口にしていた。行く先の定まらぬ身の上を思うと、胸の底が、少しだけ冷えた。
◇ ◇ ◇
それから幾年か経ったころ、風のたよりに、千鳥丸が家業の商いを継ぎ、所帯を持ったと聞いた。あの日、真新しかった紐も、今ごろはいくらかすり減っているだろうか。
今でも、ふと漆の匂いを嗅ぐと、あの家の奥の暗がりが浮かぶ。
参考文献・もっと詳しく
※ 平安期、成人男性が烏帽子を常に着用し、もとどり(髻)を人前にさらすことを強い恥としたことは、各種の服飾史・有職故実書で広く指摘される。元服によって髪を結い烏帽子を着けることが成人の標識とされ、烏帽子を打ち落とす行為が重い侮辱とみなされたとも伝わる。烏帽子は薄絹に漆を塗り重ねて固める技法で作られたとされ、立烏帽子など身分や用途による形の別があったという。天喜二年は一〇五四年(天喜は一〇五三〜一〇五八年)。(本話の人物・会話は創作)
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