第 11 話頭のてっぺんを隠さねば一人前ではなかった、そのころの男たちのこと
〜もとどりを人前にさらすことが、なぜ命より惜しい恥だったのか〜
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頭のてっぺんを人に見られたくない、という日は誰にでもある。
寝癖がはねているとか、髪が薄くなってきたとか、まあ、その程度のことだ。帽子をかぶるのも、たいていは寒さよけか日よけにすぎない。脱げと言われれば、ちょっと髪を直してさっと脱ぐ。それで困る者は、今どきいない。
けれど、ボクが暮らしていたころは、ちがった。
一人前の男が、頭をむきだしのまま人前に出る——それは身ぶるいするほどの恥だった。寝癖どころの話ではない。ひたいの上にきちんと被り物を載せていること、それ自体が「もう子どもではない」「人前に出てよい体になった」という、しるしだったのだ。だから男たちは、家の中でも、寝るときでさえ、頭から黒いものを離さなかったらしい。
その黒いものを、烏帽子といった。
◇ ◇ ◇
天喜二年(一〇五四年)の春のことだ。京の三条のあたりに、作助という烏帽子折がいて、われはその店で糊を煮たり布を干したりして働いていた。
烏帽子折というのは、その名のとおり、烏帽子をこしらえる職人だ。
作りようを、はじめて見たときは目をうたがった。布をそのまま縫うのではない。薄い絹に何度も何度も漆を塗り重ね、こよりや木型で形をつけ、乾かしてはまた塗る。そうやって、布なのに紙のように軽く、それでいて指ではじけば、こつ、と固い音のする黒い被り物に仕立てあげる。柔らかいものを固くするのが、この仕事の勘どころだった。
手順は、見ているぶんには地味なものだ。まず絹を木型に張り、皺をのばす。そこへ作助は、平たい刷毛にひとすくいの漆をとり、布の目へ刷り込むように、薄く、薄く塗っていく。一度に厚く塗ってはならぬ、と作助は口ぐせのように言った。厚く塗れば乾きむらが出て、あとでひび割れる。だから一日に一塗りか二塗り、塗っては乾かし、乾いてはまた塗る。そうして幾日もかけて、絹はだんだんと、紙とも貝殻ともつかぬ硬さを帯びていく。
漆は気むずかしい。乾きが早すぎても遅すぎてもいけない。湿った日には乾かず、からからの日にはひび割れる。作助は朝いちばんに空を見上げ、それから店先の地面へ手をあて、今日は奥で干す、今日は表へ出すと、毎朝きまりを変えた。われはその言いつけのとおりに、できかけの烏帽子を木型ごと、あちらへこちらへと運んでまわった。「漆は手より天気の言うことを聞く」と作助はよく笑った。
店の奥は、いつも漆の匂いがこもっていた。鼻の奥につんと刺さる、青くさいような匂いだ。慣れぬうちは頭が痛くなり、手の甲に漆がついて赤くかぶれもした。それでも馴れてしまえば、その匂いのしない日はかえって落ちつかなくなる。並んだ木型に、塗りかけの黒い被り物がいくつも伏せられて、ひっそりと乾きを待っている。それを眺めていると、まだ顔のない男たちが、ずらりと順番を待っているようにも見えた。
われが布の張りようをしくじって、皺をひとつ残したまま漆を塗ってしまった日、作助は叱りはしなかった。ただその一枚を陽にかざし、「ここに、世間へ出たあとの恥が一つ残る」と静かに言った。被り物の皺は、かぶる男の落ちつかなさになる。指の先のいい加減が、見も知らぬ誰かの肩のこわばりになる。そういう仕事なのだと、われはそのとき教わった。
この店には、いろんな男が来た。
身分の高い人のは、丈が高くつるりと張った立烏帽子が多いように見えた。町で働く者のは、ぺたりと頭に沿って折り伏せた折烏帽子をよくかぶっていた。形のちがいが、そのまま暮らしのちがいを映しているようにも思えた。けれど、どの男にも共通していることが、ひとつあった。
みな、頭をさらすのを死ぬほど嫌がる。
古くなった烏帽子を取り替えに来た客でも、新しいのを載せ替えるほんのいっときでさえ、落ちつかない。手で頭をおおい、人目をはばかるように背を向ける。まるで裸を見られるよりもばつが悪い、という顔をするのだ。あるとき、店の前を通りかかった男の烏帽子を、不意の春風がさらった。黒いものがころころと往来を転がっていく。男は顔色を変えて駆けだし、頭を片手で押さえたまま、地を這うようにしてそれを追った。拾いあげて頭に載せなおすまで、その男は誰とも目を合わせようとしなかった。
なぜそこまで、と若いわれは内心おかしかった。が、口には出さなかった。
ある日のことだ。元服したばかりだという、ひょろりと背の高い若者がやってきた。
名を、千代松といった。声はもう太いのに、烏帽子の載った頭をしきりに気にして、たびたび手でさわっては形を直している。聞けば、ついこの間まで、まだ前髪のある童だったという。それが髪を結いあげ、もとどりを立て、はじめて烏帽子を載せてもらった。その日から、子どもではなくなったのだ。
「どうも、おさまりが悪うて」と千代松は赤い顔で言った。
手はたびたび頭へ伸びる。けれど、つい今しがた誰かに見られた気がするのか、あわてて手をおろし、また何ごともなかったように胸を張る。その繰り返しが、見ているこちらまでくすぐったかった。子どもの前髪を落とし、男の頭になったばかりの落ちつかなさが、肩のあたりにまだ残っている。烏帽子の重さに、心がまだ追いついていないのだ。
作助は若者の頭をひとめ見て、ああ、と笑った。烏帽子が頭に馴染んでおらぬのだという。馴染ませるには、もとどりを烏帽子の内へきっちり結びつけ、頭と被り物をひとつにしてしまうのがよい。そうすれば、走っても転んでも、めったなことでは脱げぬ。脱げぬというのが、肝心なのさ、と作助は言った。
われは千代松のそばで、作助の手元を見ていた。指でもとどりの太さをはかり、烏帽子の内へ小さな紐を通し、根もとへくぐらせて、きゅっと結ぶ。たったそれだけの所作なのに、結び終えると、若者の頭から烏帽子がぴたりと動かなくなった。試しに首を振らせてみても、ずれもしない。千代松は半信半疑の顔で頭をゆすり、それからようやく、ほっと肩の力を抜いた。「これで……人に取られませぬか」と聞く。作助は「むやみには、な」とだけ答えた。
その意味を、われはほどなく、いやというほど思い知ることになる。
数日のち、三条の大路で、男ふたりが取っ組みあいの喧嘩をしていた。荷の貸し借りでもめたらしい。野次馬が輪をつくる。そのうちのひとりが、相手の烏帽子を、ぱっと地面へはたき落とした。
その途端、辺りの空気が変わった。
殴られた当人より、まわりの者のほうが息をのんだ。烏帽子を落とされた男は、顔を真っ赤にして、なぐられた以上に逆上した。地に落ちた黒いものへ飛びつき、土をはらって頭へ載せなおす。その手が、わなわなと震えていた。むきだしのもとどりを人にさらした——ただそれだけのことが、この男にとっては、頬を打たれるよりずっと深い傷だったのだ。
喧嘩はそこで終わった。烏帽子を落とした側が、ばつ悪そうに目をそらし、そそくさと立ち去ったからだ。手を出したほうが、なぜか分が悪い。そういう恥のかかせ方だった。
店へ戻って、われは作助にそのことを話した。
作助は別に驚きもせず、漆の刷毛を動かしながら言った。頭のてっぺんは、人に見せるところではないのだ、と。子は前髪を垂らし、髪を結うてもとどりを立て、烏帽子を載せて、はじめて一人前の体になる。その被り物を取られるのは、いわば一人前の証しを奪われること。だから、脱げぬように結びつけ、命のように守る。喧嘩で相手の烏帽子をはたき落とすのは、刃物を抜くのとそう変わらぬ侮りなのさ、と。
だからこそ、おれの結ぶ紐ひとすじが、男の恥を支えているのだ、と作助は言った。烏帽子そのものは軽い。手のひらに載せれば、息で飛びそうなほどだ。けれど、その軽いものを頭から離すまいとして、男たちは命がけになる。作助はそういう男たちのために、何度も漆を塗り、皺ひとつ残すまいと刷毛を運んでいたのだった。
帰りぎわ、作助はあの千代松の烏帽子も、もとどりにしっかり結いつけてやったらしい。次に店へ来たとき、若者の手はもう頭へ伸びなくなっていた。被り物と頭がひとつに馴染んで、はじめからそこに在ったような顔をして、千代松は往来を歩いていった。一人前の男の、まっすぐな背中だった。
それを聞いてから、われはもう、客が頭を隠すのをおかしいとは思わなくなった。
この黒い被り物ひとつが、その人が世間に出てゆくための、いわば顔の半分だったのだ。だから作助の塗る漆の一刷毛は、ただの飾りを作っているのではなかった。男たちが胸を張って往来を歩くための、見えない芯のようなものを、こしらえていたのだと思う。
◇ ◇ ◇
そののち、烏帽子の形も作りようも、時代ごとに移り変わっていった。
われが見ていたこのころから、絹に漆を重ねて固める作りは、しだいに広まっていったらしい。はじめは頭にやわらかく添うものだったのが、漆で固めた張りのあるものになり、やがて武士の世になると、こんどはそれを揉んで皺をつけたやわらかいものが幅をきかせていったという。けれど「一人前の男は頭を隠す」というあの感じ方は、ずいぶん長く、人の心にこびりついていたらしい。
今では、もう誰もそんなことを思わない。電車の中で帽子を脱いでも、誰ひとり恥じない。頭のてっぺんは、ただの頭のてっぺんだ。
それでも、ときどき思い出す。地に落ちた烏帽子を、震える手で頭へ載せなおした、あの男の顔を。たかが被り物ひとつに、あれほど胸を張ったり、あれほど傷ついたりできた——人というのは、おかしくて、いとおしい。ボクは、そういうものを見るのが、けっこう好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本服飾史』ISBN 978-4-490-20713-2
- 『有職故実 日本の古典』ISBN 978-4-8273-3008-3
- 『有職故実図典——服装と故実』ISBN 978-4-642-07467-4
- 『日本の髪形と髪飾りの歴史』ISBN 978-4-7739-9802-3
※ 平安期、成人男性が烏帽子を常に着用し、もとどり(髻)を人前にさらすことを強い恥としたことは、各種の服飾史・有職故実書で広く指摘される。元服によって髪を結い烏帽子を着けることが成人の標識とされ、烏帽子を打ち落とす行為が重い侮辱とみなされたとも伝わる。烏帽子は薄絹に漆を塗り重ねて固める技法で作られたとされ、立烏帽子・折烏帽子など身分や用途による形の別があったという。天喜二年は一〇五四年(天喜は一〇五三〜一〇五八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。
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