第 90 話衣服暑くもないのに、なぜ都じゅうが、示し合わせたように衣を替えたのか
〜たへの指先だけは、幾年重ねても迷わなかった〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
たへは、指の腹だけで、衣の重さを覚えていた。
歳も、生まれた土地も、当人はとうに忘れてしまっていたが、指先だけは、衣を一枚あらためるたびに、何かを数えているようだった。同じ場所に何十年と座りつづけているというのに、誰も本名で呼ぶ者はいなかった。
◇ ◇ ◇
寛弘八年(一〇一一年)の卯月ついたち。京の内裏、装束をあずかる内蔵寮のあたりでのことだ。われは、衣を納めた唐櫃を背に担いで、長い渡殿を行ったり来たりしていた。たへがあらためる前の衣には、指一本ふれさせてもらえない。御方々の召すものに、土仕事の手が直にさわってよいわけがないからだ。われはただ、櫃を運び、運んだ先で言われるままに端を持つ。それだけのことに、ひと晩じゅう追い使われた。
卯月ついたちの前の晩は、上から下まで、内裏じゅうが寝なかった。今宵かぎりで、冬のしつらいをひとつ残らず仕舞い、夏のものに入れ替える。それが、この晩の決まりだった。装束は内蔵寮が、御簾や几帳、火桶といった調度は掃部寮が受け持ち、二つの役所が同じ一夜のうちに、内裏じゅうを塗り替えていく。
縫女たちが灯のもとに居並んで、唐櫃から出した冬の綾の装束を、たたんでは重ねていく。そのなかで、たへの役目は、畳まれた一枚一枚を最後にあらためることだった。糸のほつれ、裾の擦れ、虫に食われた跡がないか。指の腹で衣をなで、傷んだ箇所があれば、すぐに縫女の一人へ回す。傷みのない衣だけが、唐櫃の奥へ納められていく。半年ののちにまた出されるまで、誰の目にも触れない衣だ。
その数は、けっして少なくなかった。この時分、内裏に仕える誰もが、幾領もの衣を持つ。灯が尽きかけても、たへの指先だけは止まらなかった。
並んだ唐櫃の別の一つからは、夏の単や、生絹の薄ものが、次々と出されていった。蓋を開けると、ひやりと乾いた香の匂いが立った。虫除けにたきしめた香だ。透けるほど薄い、青や白の衣。厚い綾は濃い紅や紫が多かったが、薄ものは決まって水にゆらぐような色ばかりが選ばれていた。畳んでもかさばらず、幾枚かさねても、手のひらにふわりと軽い。
われは、その冬の衣をまとめて唐櫃に納め、別の棟へ運ぶ役だった。重ねて担ぐと、ずしりと肩に来る。ひと冬のあいだ人のぬくみを幾度となく受けてきた衣には、しみついた汗と、香の名残と、火桶の煙の匂いが、まだ残っていた。それを担いで暗い渡殿を渡るたびに、冬という季をまるごと背負って運び出しているような心地がした。納屋に積み上げれば、そこだけが、まだ冬のままだった。積み上げた冬の衣の山は、朝が来るころには、われの背丈ほどにもなっていた。何度運んでも、肩の痛みには慣れなかった。

その晩、居並ぶ縫女のうちで、いちばん手を止めずにあらためていたのは、あの、指の腹で重さを覚えるたへだった。
腰が曲がって、目もだいぶ弱っているのに、指先だけはおそろしく確かだった。糸の目を見ずとも、指の腹で衣をなで、傷みのある箇所だけを探り当てる。見誤って傷のない衣を回すことも、傷んだ衣を見逃すこともない。長く縫いに仕えてきた手だ、と一目でわかった。
たへが確かめ終えた衣を、われは唐櫃へ運んで納める。その日、並んだ唐櫃のうち奥の一つを、われは避けていた。庇の下の暗がりに置かれた唐櫃だ。よそで幾つもの屋敷を渡り歩くうち、日の当たらぬ隅に置かれた唐櫃ほど、開けたときに湿った匂いがすることを、われは覚えていた。いくつかの屋敷で見た、同じしくじりだった。どこの縫殿でも、奥の暗がりに置かれた唐櫃だけが、なぜか蓋の裏に染みを作っていた。たへは、われの手もとをちらりと見ただけで、何も言わなかった。だが次に確かめた衣を、たへも手前の唐櫃のほうへ、みずから差し出した。奥の唐櫃は、その晩、とうとう一度も開かれなかった。
外はまだ、朝の冷えが残っていた。卯月といっても、明け方はまだ肌寒い。それでも、ぬくい綾をひとつ残らず仕舞ってしまう。しかも、翌日にはもう、薄い単を身に着けるのだという。われには、はじめ、それがよくわからなかった。寒いのに薄物を着て、いったい何になるのか。誰かひとりの都合で決められることではないはずだった。
思わず声がこぼれた。「……もったいないことを」。たへは手を止めずに、ふ、と笑っただけだった。答えらしい答えは、それだけだった。
夜が白んでくると、あちこちで人の行き来が増え、騒ぎはいよいよ大きくなった。
替えるのは、衣だけではなかった。冬じゅう部屋を温めてきた火桶が、次々と片づけられていく。御簾が新しいものに掛けかえられ、几帳の帷子が、厚い冬のものから、風の通る薄い夏のものへと替わる。縫女の手から、厚ぼったい冬のそれを受け取って畳むと、それもまた、われの櫃へ納められた。掛け替えられた夏のものは、向こうの灯がうっすら透けるほど薄く、裾が朝の風にかすかに揺れた。一夜のうちに、御殿そのものが、虫の殻を脱ぐように夏へと変わっていった。板敷きに敷かれた御座まで、夏のものに敷き改められた。厚い茵から、薄く涼しげな敷物へ。座る場所ひとつにまで、夏が行き渡っていく。

すっかり明るくなりきった頃、渡殿の向こうを、ひとりの女房が通っていった。
夜のうちに替えたばかりの、薄い夏の単だ。冷えた朝の風に、青い袖がふわりと泳ぐ。寒くないはずがない。げんに、その肩はかすかにすくんでいた。それでも背すじはまっすぐで、けっして冬の衣に逃げ込もうとはしない。朝の風はまだ肌に冷たかったが、袖の中に手を隠そうとはしなかった。今日が夏のついたちだからだ。
われは、運びかけていた唐櫃の端を、しばらく下ろせずにいた。からだの震えより先に、日付のほうが夏を決めている。その背中を見送りながら、われはただ、唐櫃の重みを担ぎ直した。
たへは、最後にあらためた衣を膝の上でひと撫でしながら、その後ろ姿を見送っていた。
「ああして、また夏が来た」
たしかに、その一瞬、内裏へ夏が来たのだと、われも思った。たへが衣をあらため、ほかの縫女たちが装束を入れ替えて、ひと晩かけてととのえていた、その仕事の続きが、いま目の前を通り過ぎていったのだ。
たへは、自分の齢を、もう忘れたと言っていた。代わりに、幾たびの春と幾たびの秋、唐櫃を出し入れしたかで、過ぎた年を数えているのだ、と。指先に伝わる衣の重みで、巡ってきた季を覚えている。数の代わりに、指先に季を刻んでいく。そういう人だった。
◇ ◇ ◇
あの一夜の唐櫃は、また来る神無月に、逆の役目を負うことになる。奥に眠らせた冬の衣は、その日まで誰の手にも触れられずにいる。夏の単をふたたび冬の綾に持ち替え、いま奥に眠った冬の衣を呼び出す番が来る。同じ唐櫃が、季のあいだをただ行き来しているだけなのに、人にはそれが冬と夏、まったく別のしつらいに見える。それを、たへはもう何十年とくりかえしてきたのだろう。
六月と十月、今もどこかで、日を合図に衣がいっせいに替わる場所がある。だが今は、たいてい、からだのほうが先に音を上げて、上着を脱ぐか羽織るかを決めてしまう。暑ければ脱ぎ、涼しければ羽織る。日付は、あとから追いついてくるだけのものだ。あの朝の内裏だけは、順序が逆だった。からだがどれほど震えていようと、日付のほうが先に、夏を決めていた。
あの晩、背丈ほどの衣の山のなかから、たへの指が傷みを探り当てて縫女へ回したのは、わずか七枚。使われなかった奥の唐櫃は、とうとう一度も開かれなかった。残りの幾領は、そのまま半年の眠りについた。冬がひとつ、たへの指の先で終わっていった。夜どおし唐櫃の蓋を開けるたび立ちのぼった、虫除けの香と、まだ誰も袖を通していない生絹の、あの乾いた匂いだけは、いまも鼻の奥にはっきりと残っている。
参考文献・もっと詳しく
※ 平安期の宮廷では、四月一日と十月一日を境に夏装束・冬装束を入れ替える「更衣(こうい/ころもがえ)」の習いがあったとされる。装束は内蔵寮が、御簾・几帳の帷子・火桶などの調度は掃部寮が受け持ち、冬の綾の装束を仕舞って夏の紗の単や生絹を出すとともに、御殿のしつらいも一夜のうちに改めたと伝わる。暑さ寒さではなく定められた日に一斉に替える点に、衣が暦であり礼でもあった当時の感覚がうかがえる。寛弘八年は一〇一一年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。現在の学校等で六月・十月に行われる衣替えも、この宮中行事に淵源をもつとされる。
当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。
この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。
このサイトを応援する →