暑くもないのに、なぜ都じゅうが一日で夏の衣に着替えたのか10
平安のころ・京の内裏読了 約7

暑くもないのに、なぜ都じゅうが一日で夏の衣に着替えたのか

綿を抜き、火桶をしまい——その朝、内裏はからだより先に夏になった

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koromogae

 衣を替えるのに、暦を見る人は、今どれだけいるだろう。

 暑くなれば薄いものを出し、寒くなれば厚いものを羽織る。からだのほうが先にあって、日付は後からついてくる。汗ばんだ日に薄着を引っぱり出し、肌寒い朝に一枚足す。それが当たり前の身ごなしというものだ。

 けれど昔は、これが逆さまだった。

 日のほうが先にあって、からだが後からついていく。「今日からは夏のなりだ」と決められた一日が来れば、暑かろうが肌寒かろうが、皆がいっせいに衣を替えた。何を着ているかが、そのまま暦の頁だった。袖の色を見れば、今がどの季節なのかが知れる。そういう頃があったらしい。

 ボクが見てきたのは、ある一日を境に、宮中の何もかもが夏になっていく、あの不思議な朝のことだ。からだが暑がるより先に、世の中のほうが夏になってしまうのさ。

◇ ◇ ◇

 寛和元年(九八五年)の卯月ついたち。京の内裏で、縫いものと衣のことを束ねるあたりに下働きとして雇われていた頃の話だ。

 われの役は、もっぱら重いものを運ぶことだった。衣を納めた唐櫃を背に担いで、長い渡殿を行ったり来たりする。なかの衣には指一本ふれさせてもらえない。御方々の召すものに、土仕事の手が直にさわってよいわけがないからだ。われはただ、櫃を運び、運んだ先で言われるままに端を持つ。それだけのことに、ひと晩じゅう追い使われた。

 卯月ついたちの前の晩は、内裏じゅうが寝なかった。

 縫女たちが灯のもとに居並んで、冬じゅう着ていた袷の衣を、片端から解いていく。袷というのは、表と裏のあいだに綿を入れて仕立てた、ぬくい衣だ。その綿を、夏の手前で抜いてしまう。糸を少しほどき、指を入れて、薄くのばした真綿を引き出していく。あたたかさを、一枚いちまい衣から抜き取っていく仕事だった。

 抜いた綿は、また来る冬まで大事にしまう。綿を抜かれた衣は、ぺたりと薄くなって、うって変わって軽くなる。そのかたわらで、夏の単や、生絹の薄ものが、次々と櫃から出されていった。透けるほど薄い、青や白の衣だ。

 夏の単や生絹は、冬の衣とは手ざわりからして別物だった。櫃の蓋を開けると、ひやりと乾いた匂いが立った。虫除けに添えた香の匂いだ。縫女が一枚を広げると、生絹は指のあいだをするりと滑って、灯の光を透かした。袷のように腕にずっしり来ることがない。畳んでもかさばらず、幾枚かさねても、手のひらにふわりと軽い。冬の衣がぬくみを抱え込む衣なら、夏の衣は、そのぬくみを身のうちに溜めずに逃がしてやる、風を通すための衣だった。

 われは、その冬の衣をまとめて唐櫃に納め、別の棟へ運ぶ役だった。重ねて担ぐと、ずしりと肩に来る。半年ものあいだ人のぬくみを抱いてきた衣には、こもった汗と、香の名残と、火桶の煙の匂いが、しみついていた。それを担いで暗い渡殿を渡るたびに、冬という季をまるごと背負って運び出しているような心地がした。納屋に積み上げれば、そこだけが、まだ冬のままだった。

 その晩、いちばん手を止めずに綿を抜いていたのが、たへという媼だった。

 腰が曲がって、目もだいぶ弱っているのに、指先だけはおそろしく確かだった。糸の目を見ずとも、指の腹で衣をなで、ここ、と当たりをつけて綿を引く。長く縫いに仕えてきた手だ、と一目でわかった。

 たへの手もとには、抜いた綿が、白い雲のように積もっていった。引き出された真綿は、ひと晩じゅう衣に籠もっていたぬくもりを、まだほのかに残している。それを籠へまとめていくのも、われの役だった。指でつまむと、頼りないほど軽い。これがあの、ずしりと重い冬の衣のぬくみの正体かと思うと、妙な心地がした。

 われは、その晩いちど、つい口をはさんでしまった。

 外はまだ、息が白い。卯月といっても朝晩は冷える。それなのに、ぬくい綿を残らず抜いてしまう。

 「もったいないことを。今日はまだ、寒うございましょうに」

 たへは手を止めずに、ふ、と笑った。

 「寒いから着る、暑いから脱ぐ。おまえはそう思うておるのだろう」

 そのとおりだ、と返すと、媼は首を横にふった。

 ここでは、そうではないのだ、と言う。暑い寒いで替えるのではない。日が来たから替えるのだ、と。卯月のついたちが来れば夏のなり、神無月のついたちが来れば冬のなり。そう決まっている。からだがどう感じていようと、関わりがない。

 「日が、衣を替えさせるのさ。からだではのうて」

 われには、はじめ、それがよくわからなかった。寒いのに薄物を着て、いったい何になるのか。

 たへは、解いた衣を膝に置いて、こう言った。冬の衣を着たまま夏の御方の前へ出るのは、季を取りちがえることだ、と。それは、朝に「おやすみ」と言うのと同じこと。間が抜けて、礼を失する。御方々は、互いの袖の色で季を読み合う。だから皆が同じ日に替える。ひとりだけ季を間違えた衣でいるのは、ひとりだけ違う暦を生きているようで、見苦しいのだ、と。

 「衣は、その日が何の日かを、人にかわって言うてくれるものよ。暑い寒いより、よほど確かな暦さ」

 では、あの薄物で寒さに震える御方はどうなさる、と重ねて尋ねた。たへは、ふ、ともういちど笑った。

 寒ければ、内に一枚、目につかぬ衣を忍ばせる。火桶のそばに寄る。それでよいのだ、と言う。表向きの袖さえ季にかなっていれば、内でどうぬくもりを足そうと、誰も咎めはしない。大事なのは、人の目に映る袖が、皆と同じ季を語っていることなのだ、と媼は言った。

 「我慢くらべではないのよ。皆で同じ日を、同じ衣で迎える。それが何より大事なのさ」

 言われてみれば、と思った。文字を読めぬ者は、御所にいくらでもいる。われもそのひとりだ。暦の紙を見せられても、いつが夏のついたちかなど、わかりはしない。それでも、御方々の袖が薄い夏のものに替われば、ああ夏が来たと、ひと目で知れる。衣ならば、字を知らぬ者にも季が読める。世じゅうの者が同じ日に替えるからこそ、袖の色が、皆に通じる暦になるのだ。たへの言う礼とは、つまり、ひとりだけ別の暦を生きて世を乱さぬための、心づかいのことだったのだろう。

 夜が白んでくると、騒ぎはいよいよ大きくなった。

 替えるのは、衣だけではなかった。冬じゅう部屋を温めてきた火桶が、次々と片づけられていく。御簾が新しいものに掛けかえられ、几帳の帷子が、厚い冬のものから、風の通る薄い夏のものへと替わる。帷子を掛けかえる縫女の手から、厚ぼったい冬の帷子を受け取って畳むと、それもまた、われの櫃へ納められた。掛け替えられた夏の帷子は、向こうの灯がうっすら透けるほど薄く、裾が朝の風にかすかに揺れた。敷物まで、夏のしつらいに改められる。一夜のうちに、御殿そのものが、虫の殻を脱ぐように夏へと変わっていった。

 明るくなりきった頃、渡殿の向こうを、ひとりの女房が通った。

 夜のうちに替えたばかりの、薄い夏の単だ。冷えた朝の風に、青い袖がふわりと泳ぐ。寒くないはずがない。げんに、その肩はかすかにすくんでいた。それでも背すじはまっすぐで、けっして冬の衣に逃げ込もうとはしない。今日が夏のついたちだからだ。からだが寒がっていても、その人は、誇らかに夏を着ていた。

 たへは、その後ろ姿を、目を細めて見送っていた。

 「ああして、また夏が来た」

 われは、ようやく少しわかった気がした。あの薄い袖が泳いだ瞬間に、確かに内裏へ夏が来たのだ。暦の上でもなく、暑さの上でもなく、人の着ている衣の上に、季が来る。たへたち縫女が、ひと晩かけて綿を抜き、薄物をととのえ、そうやって季そのものを縫って、人に着せていたのさ。

 たへは、自分の齢を、もう忘れたと言っていた。

 代わりに、綿を入れては抜き、抜いてはまた入れて、それを幾度くりかえしたかで、過ぎた年を数えているのだ、と。手のひらの綿の冷たさで、巡ってきた季を覚えている。そういう人だった。

◇ ◇ ◇

 あの一夜の綿は、また来る冬に、衣へ戻されたろう。

 卯月に抜かれ、神無月にまた入れられる。同じ綿が、季のあいだを行ったり来たりしながら、人を冬は温め、夏は身軽にしてやる。たへは、それを幾十度とくりかえして、衣の上に季を運びつづけたのだろう。

 その習いは、形を変えて、今もまだ残っている。

 六月のついたちと、十月のついたち。ある朝とつぜん、町じゅうの制服がいっせいに夏のものに変わり、また冬のものに戻る。べつだん、その日が急に暑くなるわけでも、寒くなるわけでもない。それでもわれわれは、暑さよりも先に、日付に従って衣を替える。からだより、暦のほうを信じる。あの卯月ついたちの朝と、根は同じことをしているのさ。

 暑い寒いだけで生きていたら、季のかわり目は、ずるずると曖昧になっていく。だからどこかで、線を引く。「今日からは夏」と、衣で世に告げる。たへの抜いた綿の冷たさが、確かに季を区切っていたように。

 衣は、着る人より少しだけ先に、季を知っている。

 薄い袖が冷たい風に泳ぐのを見ると、ボクは、いつでもあの朝を思い出す。からだが寒がるのもかまわず、誇らかに夏を着ていた人と、その後ろで満足げに目を細めていた、綿の冷たさで齢を数える媼のことを。

参考文献・もっと詳しく

平安期の宮廷では、四月一日と十月一日を境に夏装束・冬装束を改める「更衣(こうい/ころもがえ)」の習いがあったとされる。袷の綿を抜き差しして衣の厚みを替えるほか、火桶・御簾・几帳の帷子・調度なども季に応じて改めたと伝わる。暑さ寒さではなく定められた日に一斉に替える点に、衣が暦であり礼でもあった当時の感覚がうかがえる。寛和元年は九八五年(寛和は九八五〜九八七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。現在の学校等で六月・十月に行われる衣替えも、この宮中行事に淵源をもつとされる。

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