第 09 話食水につければ、飯は旅立ちの朝にもどった——干した米が運んだ、いちばん古い「即席めし」のこと
〜峠の下で、若い旅人は、ふやけたひと粒を、なぜあんなに大事そうに噛みしめたのか〜
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旅に出るというのは、要するに、何日ぶんもの飯をどう背負うか、という話だった。
今の暮らしなら、腹が減ればどこででも何かしら手に入る。袋を破ればすぐに食えるものが、棚いっぱいに並んでいる。湯をそそげば、数えるほどの間に湯気の立つ一杯ができあがる。そういう「すぐ食える」を、誰も不思議とも思わない。
けれど道のほとんどに何もなかった頃、人は食う物を、まるごと自分の背に乗せて歩くしかなかった。生の米は重いし、炊くには火と鍋と水と、それを待つ間がいる。腹をすかせた旅人に、いちいち竈を据えている暇はない。
そこで人が考えついたのが、いちど炊いた飯を、からからに干してしまうことだった。糒、と呼ばれていたらしい。干飯、とも言った。炊いた飯から水気を抜けば、軽くなり、なかなか傷まなくなる。噛めばそのまま腹に入り、湯か水につければ、また飯にもどる。旅の荷の底に、いつも忍ばせておく——いわば、いちばん古い「即席めし」さ。
ボクが見てきたのは、その白い乾いた粒が、人の背に乗って遠くの峠を越えていく、そういう道のことだ。
◇ ◇ ◇
延久二年(一〇七〇年)の夏のことだった。われは東山道を東へ、信濃のほうへと下る旅の途中にいた。
その干飯を持たせてくれたのは、坂本の宿はずれで旅人に飯を商う、たけという女だった。日に灼けた、よく笑う人で、客の腹具合を顔色から見てとって、握り飯の数をぴたりと言い当てた。これから碓氷の坂を越えて信濃へ抜けると話すと、たけは大げさに眉をひそめた。あの坂のうえには、飯を売る者も、湯を沸かす家も、しばらくはないという。
「握り飯じゃ、坂のなかばで饐えちまうよ。あんたには、こっちを持たせよう」
そう言って、たけが竈のそばで作りはじめたのが、干飯だった。作るところを、われはひと朝じゅう、そばで眺めていた。
まず米を蒸して、こわい飯に炊きあげる。炊きたてのいい匂いが湯気とともに立つのに、たけはそれを食わせてはくれない。蒸しあがった熱い飯を、桶の水にざぶりと放って、手早く洗うのだ。こうして粘りを落としておくと、よく乾くのだという。それから、水を切った飯を笊と筵に薄く広げて、夏の強い日の下にさらす。
日が高くのぼるにつれ、ふっくらしていた飯粒が、みるみる縮んでいく。半日も照らせば、つやが消え失せて、白く乾いた小石のようになった。指でつまむと、おどろくほど軽い。かさかさと音を立てそうなほど軽い。さっきまで竈いっぱいに満ちていた湯気と匂いが、いったいどこへ消えたのかと思うほどだった。
「これがね、ふしぎと長もちするのさ」とたけは言った。生の飯はひと晩で饐えてしまうのに、こうして乾かしておけば、夏を越えても腐らないのだという。なぜそうなるのか、たけは知らない。ただ、母も、その母も、ずっとこうしてきた、というだけのことだ。理屈は知らずとも、手だけがそれを覚えていた。
乾いた粒を、たけは麻の袋にざらざらと詰めて、われの腰にしっかりとくくりつけた。
「腹がへったら、そのまま噛みな。歯が立たなけりゃ、水につけるといい。沢の水でも、宿で借りた湯でもね。しばらく待てば、ちゃんと飯にもどるから」
ちゃんと飯にもどる。その言いかたが、なんだか可笑しかった。乾いて死んだようになった一粒が、また生き返るとでもいうように、たけは事もなげに言うのだ。礼を言って袋を下げると、たけは「気をつけて行きな」と手を振った。
われはその軽い袋を腰に、坂をのぼりはじめた。
歩いてみて、まず驚いたのが、その軽さだった。何日ぶんもの飯が、こんなに頼りなく軽くていいのかと、いっそ肩透かしを食らうほどだった。生の米なら、これだけ持てば背がしなって、汗みずくになる。炊いた飯なら、夏のさかりだ、半日もすれば饐えて捨てるしかない。それが、たった一袋の乾いた粒におさまって、汗ばんだ腰のあたりで、かさ、かさ、と乾いた音を立てている。重さを背負わずに、飯だけを連れて歩いている——そんな、不思議な身軽さだった。
坂はきつかった。木の根が階のように張り出し、蝉の声が耳を塞ぐほどに降ってくる。汗が目に入る。それでも、腰の袋が軽いというだけで、足はずいぶん助かった。腹が空けば食えるものを身につけている、という安心が、坂をのぼる力になるのだと、このとき体で知った。
昼が近づき、腹がへった。手ごろな木陰に腰をおろして、袋から乾いた粒をひとつかみ、口に放り込む。
これが、硬い。歯のあいだで、こり、こり、と小石のように鳴る。米とも干菓子ともつかぬ、そっけない味だ。けれど噛みつづけているうちに、唾を吸ってだんだんふやけて、奥のほうから、かすかな飯の甘みがにじみ出してくる。豪勢な膳ではない。香の物ひとつないそっけない昼餉だ。それでも、たしかに腹の底にたまっていく。歩くための飯だ、と体のほうが得心する、そういう味だった。
その日の昼すぎ、峠を下りきった沢のほとりで、ひとりの若い旅人と行きあった。
まだ前髪の残るような年で、こちらも東へ下る道だという。痩せて、片足を引きずっていた。聞けば、奉公の口を頼って、ひとり遠くの国を目指しているのだという。荷をのぞくと、その子もまた、同じような干飯を持っていた。けれど袋はもう半分も減って、しかも長旅で歯を傷めたのか、硬い粒をうまく噛みくだけずにいる。喉につかえては、沢の水で流し込んでいた。
われは、たけの言葉を思い出した。歯が立たなけりゃ、水につけるといい、と。
二人で椀を出し、沢の冷たい水を汲んで、干飯をぱらぱらと放してやった。しばらく、白い粒が水の上で小さく踊っている。それから、待った。さして急ぐ旅でもない。蝉の声を聞き、流れの音を聞きながら、ただ、待った。
やがて、粒が水を吸って、ひとつ、またひとつと、ふっくらふくらみはじめる。白くにごった椀の底で、乾いて縮こまっていた飯が、ゆっくりと、もとの姿を取りもどしていく。坂本の竈のそばで見た、あの炊きたての飯のかたちへと。乾いて死んだようだったものが、たしかに、よみがえっていくのだ。
若い旅人は、ふやけた粒を椀から指でつまんで、口に入れた。こり、ではなく、ほろ、とほどける。傷んだ歯でも、これなら噛めた。その子は、ふやけたひと粒を、舌のうえでそっと転がすように、いつまでも、いつまでも大事そうに噛みしめていた。
「……あったかい飯みたいだ」と、その子はぽつりとつぶやいた。
冷たい沢の水で戻したのだから、あたたかいはずなどない。それでも、置いてきた里の朝に、母が炊いていたであろう飯の、あの湯気の立つあたたかさを、その子の舌が勝手に思い出したのだろう。家を離れて幾日も、硬い乾いた粒ばかり噛んできた口に、水を吸ってほどけた飯は、すこしばかりやさしすぎたのかもしれない。
われは笑って、自分の袋から、ひとつかみ分けてやった。袋の底は、まだたっぷりと残っていた。「坂のうえの女に、たんと持たされたのさ」と言うと、その子も、ようやく少し笑った。
飯が腹におさまると、その子の足どりは、目に見えてしっかりしてきた。痩せた体に、ふやけた飯のあたたかさがいきわたったのだろう。二人して椀をすすぎ、しばらくは同じ道を、東へ並んで下った。その子は、奉公先で覚えたいこと、いつか里へ持ち帰りたいものを、たどたどしく、けれど嬉しそうに話した。話すうちに、引きずっていた足のことも、忘れているようだった。
やがて、道がふたまたに分かれるところへ出た。われは信濃のおく、その子はさらに東へと、行く先が違っていた。
別れぎわ、われはもうひとつかみ、その子の袋に移してやった。「この先の峠でも、水につければ飯にもどる。たけって女が、そう言っていた」。その子は深く頭を下げて、乾いた粒の鳴る袋を、宝物のように両手で抱えなおした。そうして、東の道へ、ひょこひょこと下っていく。
遠ざかるその背を見送りながら、われは腰の袋に手をやった。分けてやったぶん、たしかに軽くなっている。それでいて、来たときより、なぜだか満ちている気がした。乾いた粒は、腹だけでなく、こういうものまで運ぶらしい。
◇ ◇ ◇
干飯は、それからも長いこと、旅の道づれだった。
武士が遠くの戦に下るときも、巡礼が幾国も越えていくときも、腰には乾いた飯の袋が下がっていた。後の世の物語にも、旅の道すがら、川のほとりで干飯に涙を落とした、という一節があると聞く。乾いた一粒に、置いてきた家やひとの面影を見るのは、あの若い旅人にかぎった話ではなかったのだろう。
水につければ飯にもどる、というたけの言葉を、ボクは今でもときどき思い出す。乾かして、軽くして、遠くへ運んで、また水で戻す。その当たり前のからくりの底に、人が何百年も道を歩きとおすための知恵が、ひとつぶずつ畳まれていた。
今では、湯をそそげば数えるほどの間に、湯気の立つ一杯ができあがる。あまりに早すぎて、誰も、戻るのを待ったりはしない。
それでも、と思う。袋の中で乾いて縮んでいたものが、水を吸って、ゆっくり元のかたちにもどっていく——あの、椀の底で待った静かな間は、今の即席めしの一杯にも、たしかにまだ畳み込まれている。
硬い粒が、ほろりとほどけて飯にもどる。たったそれだけのことを、峠の下で、舌の上で大事そうに噛みしめていた、あの若い旅人の顔を、ボクはまだ覚えている。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本の食文化史——旧石器時代から現代まで』ISBN 978-4-00-061088-9
- 『日本料理史』ISBN 978-4-06-535678-4
- 『日本食生活史』ISBN 978-4-642-06341-8
- 『日本食物史』ISBN 978-4-642-08023-1
※ 干飯(ほしいい・糒/かれいひ)は、蒸した飯を水で洗って粘りを落とし、天日で乾かした携行保存食とされる。軽量で長く保ち、そのまま噛むか、水・湯で戻して食べた古代以来の旅糧・備蓄食で、後の水飯・湯漬けの源流のひとつとも言われる。『伊勢物語』東下りの段に、三河の八橋で乾飯を食べる場面があると伝わるが、本話の人物・会話は創作。延久二年は一〇七〇年(延久は一〇六九〜一〇七四年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。坂本は東山道・碓氷坂の西麓にあたる宿の名として用いた。
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