峠のふもとで分けた、白く乾いた一にぎり——旅人が腰から離さなかったもの第 77 話食
食平安のころ・東山道(信濃路)読了 約6分

峠のふもとで分けた、白く乾いた一にぎり——旅人が腰から離さなかったもの

〜峠の下で、若い旅人は、ふやけたひと粒を、なぜあんなに大事そうに噛みしめたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 コンビニのレジ脇、電子レンジの上の棚に、カップ麺がずらりと並んでいる。

 蓋を開けて湯を注げば、三分で、湯気の立つ一杯になる。

 誰も、それを不思議とは思わない。

◇ ◇ ◇

 延久二年(一〇七〇年)の夏のことだった。われは東山道とうさんどうを東へ、信濃を抜けて坂東のほうへと下る旅の途中にいた。

 東山道とうさんどうの入山峠いりやまとうげ、信濃側のふもとに、うねという女が住んでいた。日に灼けた、よく笑う人で、峠越えを控えた旅人があれば、乞われるまま一夜だけ泊めてやる。数えきれぬ旅人を見てきたのだろう、顔色から腹具合を見てとって、握り飯の数をぴたりと言い当てた。

 陽がまだ高いうちに、われがその軒先で一夜の宿を乞うと、うねは、竈のそばに広げてあった蒸し米を指して、「泊めてやるかわりに、あんたも手伝っておくれ」と椀を寄こした。

 言われるまま、われは蒸したての飯を桶の水にざぶりと放り、手早く洗いはじめた。粘りを落として、よく乾くようにするためだ。幾度となく同じことをしてきた者のような、迷いのない手の動きだった。

 「そこまで洗ったら、笊にあけとくれ」

 水を切った飯を笊ざると筵むしろに薄く広げ、庭先の夏の日盛りにさらす。日が高くのぼるにつれ、ふっくらしていた飯粒が、みるみる縮んでいく。半刻おきに、木べらで飯粒をかえす。日の当たりむらを均さないと、湿ったまま黴を呼ぶ粒が出るのだという。こうして日を幾日も越し、つやが消え失せて白く乾いた小石のようになるまでさらす。手のひらに一握りすくい、耳もとで軽く揺すって、かさかさと乾いた音がすれば、ようやく仕上がりの合図だ。

 「これがね、ふしぎと長もちするのさ」とうねは言った。生の飯はひと晩で饐えてしまうのに、こうして乾かしておけば、夏を越えても腐らない。

 その夜は、うねの家に泊めてもらった。

 明くる朝、発つというわれに、うねは、先だって干しておいた干飯を麻の袋に詰めて、腰にしっかりとくくりつけた。指でつまむと、おどろくほど軽い。幾日も日を吸って乾ききったのだろう、白く乾いた小石のような粒だけが、袋の中でかさこそと鳴った。

 「これから入山峠を越えて上野へ抜けると話したね。あの峠のうえは、飯を売る者も、湯を沸かす家も、しばらくはないよ。歯が立たなけりゃ、水に浸けてやりな。しばらく待てば、やわらこうなる」

 礼を言って峠道へ踏み出すと、うねは「気をつけて行きな」と手を振った。

 われはその軽い袋を腰に、坂をのぼりはじめた。うねが言うには、この一袋で、峠を越えて三日は保つという。歩いてみて、まず驚いたのが、その軽さだった。何日ぶんもの飯が、こんなに頼りなく軽くていいのかと、いっそ肩透かしを食らうほどだった。生の米なら、これだけ持てば背がしなって、汗みずくになる。それが、たった一袋の乾いた粒におさまって、汗ばんだ腰のあたりで、かさ、かさ、と乾いた音を立てている。重さを背負わずに、飯だけを連れて歩いている——そんな、不思議な身軽さだった。

挿絵:われはその軽い袋を腰に、坂をのぼりはじめた

 坂はきつかった。木の根が階のように張り出し、蝉の声が耳を塞ぐほどに降ってくる。汗が目に入る。行き交う旅人の姿はまばらで、峠の頂きに近づくほど、人家の煙も見えなくなった。それでも、腰の袋が軽いというだけで、足はずいぶん助かった。

 日が高くのぼったころ、腹がへった。手ごろな木陰に腰をおろして、袋から乾いた粒をひとつかみ、口に放り込む。これが、硬い。歯のあいだで、こり、こり、と小石のように鳴る。米とも干菓子ともつかぬ、そっけない味だ。噛みつづけているうちに、唾を吸ってだんだんふやけて、奥のほうから、かすかな飯の甘みがにじみ出してくる。漬物つけものひとつない、そっけない昼餉ひるげだ。それでも、たしかに腹の底にたまっていく。

 峠を越えれば、そこはもう上野だった。下りにかかると、道はいくらか楽になった。日がまだ高いうちに、峠を下りきった沢のほとりで、ひとりの若い旅人と行きあった。

 まだ角髪みずらを結うような年で、こちらも東へ下る道だという。痩せて、片足を引きずっていた。草鞋の緒が擦れたのか、足の甲に血のにじんだあとがある。聞けば、遠い国の伯父を頼って、ひとり旅をしているのだという。荷をのぞくと、その子もまた、同じような干飯を持っていた。けれど袋はもう半分も減って、しかも長旅で歯を傷めたのか、硬い粒をうまく噛みくだけずにいる。喉につかえては、沢の水で流し込んでいた。それでも足を止めずに歩きつづけてきたのだろう、荷の紐の結び目が、何度も締めなおされて固くなっていた。

挿絵:まだ角髪を結うような年で、こちらも東へ下る道だという

 われは黙って椀を出し、沢の冷たい水を汲むと、その子の分の干飯をぱらぱらと放した。手だけが迷わず動いた。子は、われが何をしているのか分からぬまま、じっとそれを見ていた。

 しばらく、白い粒が水の上で小さく踊っている。それから、待った。さして急ぐ旅でもない。蝉の声を聞き、流れの音を聞きながら、ただ、待った。

 やがて、粒が水を吸って、ひとつ、またひとつと、ふっくらふくらみはじめる。白くにごった椀の底で、乾いて縮こまっていた粒が、ゆっくりと、もとの姿を取りもどしていく。

 「これで、噛める」

 われがそう言って椀を差し出すと、その子は、ふやけた粒を指でつまんで、口に入れた。こり、ではなく、ほろ、とほどける。傷んだ歯でも、これなら噛めた。その子は、ふやけたひと粒を、いつまでも、いつまでも大事そうに噛みしめていた。

 「……あったかい飯みたいだ」と、その子はぽつりとつぶやいた。

 冷たい沢の水で戻したのだから、あたたかいはずなどない。それでも、置いてきた里の朝に、母が炊いていたであろう飯の、あの湯気の立つあたたかさを、その子の舌が勝手に思い出したのだろう。家を離れて幾日も、硬い乾いた粒ばかり噛んできた口に、水を吸ってほどけた飯は、すこしばかりやさしすぎたのかもしれない。

 われは笑って、自分の袋から、ひとつかみ分けてやった。袋の底は、まだたっぷりと残っていた。「峠のふもとの女に、たんと持たされたのさ」と言うと、その子も、ようやく少し笑った。

 飯が腹におさまると、その子の足どりは、目に見えてしっかりしてきた。二人して椀をすすぎ、しばらくは同じ道を、東へ並んで下った。その子は、伯父の家で覚えたいこと、いつか里へ持ち帰りたいものを、たどたどしく、けれど嬉しそうに話した。里に残してきた弟や妹の背丈のことも、指を折りながら数えて聞かせた。話すうちに、引きずっていた足のことも、忘れているようだった。

 日がまだ落ちきらぬうちに、道がふたまたに分かれるところへ出た。ここはもう上野の内で、片方は東山道をそのまま東へ、もう片方は上野の奥へと分け入る道だった。われは奥のほうへ、その子はそのまま東山道を東へと、行く先が違っていた。

 別れぎわ、われはもうひとつかみ、その子の袋に移してやった。その子は深く頭を下げて、乾いた粒の鳴る袋を、宝物のように両手で抱えなおした。そうして、東の道へ、ひょこひょこと下っていく。

 遠ざかるその背を見送りながら、われは腰の袋に手をやった。分けてやったぶん、たしかに軽くなっている。それでいて、峠のふもとを発ったときより、なぜだか満ちている気がした。

◇ ◇ ◇

 いまも、コンビニのレジ脇では、カップの蓋を開けて、湯を注ぐだけで済む。

 ボクはビニール袋の持ち手を、掌でぎゅっと握りなおす。峠で分けてやった、あの乾いた粒の軽さが、いまも掌のどこかに残っている。

参考文献・もっと詳しく

※ 干飯(ほしいい・糒/かれいひ)は、蒸した飯を水で洗って粘りを落とし、天日で乾かした携行保存食とされる。軽量で長く保ち、そのまま噛むか、水・湯で戻して食べた古代以来の旅糧・備蓄食で、後の水飯・湯漬けの源流のひとつとも言われる。『伊勢物語』東下りの段に、三河の八橋で乾飯を食べる場面があると伝わるが、本話の人物・会話は創作。延久二年は一〇七〇年(延久は一〇六九〜一〇七四年)。東山道は当時、現在の碓氷峠よりやや南の入山峠を越えており、峠道の宿・人物名は創作である。

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