たねの家の二升の糯米と、暮れの里に鳴る臼の音第 43 話食
食平安のころ・大和の山里読了 約5分
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たねの家の二升の糯米と、暮れの里に鳴る臼の音

〜ふだんは粟稗の粥をすする里が、苦しい年にも白い餅を搗いたのは〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 「火を絶やすでないよ」

 たねという媼おうなはそう言うなり、腰をくの字に曲げたまま、甕のほうへ行ってしまった。われは竈かまどの前にしゃがみこんで、薪を一本くべる。長和四年(一〇一五年)も押し詰まった大和の山あいの里で、旅の途中に泊めてもらった家の、暮れの朝のことだ。

 ゆうべ、われは水を夜通し三度汲まされた。甕の水が濁るたびに、たねは黙って柄杓で捨て、新しい水を張らせる。二升の糯米もちごめに、それだけの手間をかけるのだ。米は水を吸って粒が白く太り、よく粘る。ふだん食う米とは別に、たねが大事に取ってあったものだった。戸口からは、隣の女房が首だけ入れて、甕の中をのぞいた。

 「去年は五升だったねえ」

 「二升さ」

 たねはそれだけ答えて、底に残った米を手でさらった。夏に水が足りず、田の実りが細かったことは、里に着いた日から誰の口にものぼっていた。隣の女房は、それ以上なにも言わなかった。その手には、粟の粥を煮る鍋の柄が握られたままだった。

 朝の膳は、粟と稗を煮た粥かゆだった。甕の糯米には、たねの家の者でさえ、目をやらない。

 たねは甕の米を、柄杓で半分ずつに分けた。片方は、竈のうしろの別の甕に移し、口に麻の布をかぶせる。あとで蒸す分だ。量りもしなければ、数えもしない。柄杓が同じ深さで往き来しただけで、二つの甕の米は同じ高さになった。

 蒸す。竈にかけた甑こしきから、湯気がまっすぐ立ちのぼる。われは火を見ていた。たねが来て、薪を一本抜け、と手ぶりで言う。火を弱めると、たねは甑の蓋を取り、上のほうの米をひとつまみ、口に入れた。ほろりと崩れて、もう粘りを帯びている。うなずいて、蒸し布の四隅を寄せ、われに、持て、と顎をしゃくった。

 臼には、朝のうちに熱い湯が張ってあった。冷えた臼に米をあけると、餅がすぐに冷めて、伸びなくなるからだ。たねはその湯を、われに捨てさせた。庭の土は霜で白く固く、湯はそこへ落ちて、白い湯気を上げて消えた。

挿絵:臼には、朝のうちに熱い湯が張ってあった

 布は熱くて重かった。端を指先でつまむように持って庭へ運んだが、胴のくびれた木の臼うすの縁で、つまんだ手が熱に負けた。ひとつかみほどの米が、土の上にこぼれた。

 たねは何も言わず、しゃがんで、こぼれた粒を指先で一粒ずつ拾いはじめた。二升のうちのひとつかみが、減った。その顔に何か出ることはなかったが、拾う指は、最後の一粒まで止まらなかった。土のついた粒は、たねの手のひらの上で、乾いた音をたてた。われは、それから布の端を両手で握った。

 若い衆がふたり、竪杵たてぎねを一本ずつ持ち、代わるがわる臼に立つ。はじめは搗くというより、粒をつぶすように、体じゅうの重みをかけて、ぐい、ぐいと練る。しくじると粒が残って、舌ざわりが悪くなるのだそうだ。ひとりが息を切らして杵を渡し、もうひとりが掌をこすり合わせて握り直す。その一瞬にも、臼の縁で待つたねの手は、餅から離れなかった。

 やがて、ぺたん、と音が変わった。搗きが始まる。杵が上がっているあいだに、たねが濡らした手を臼へ差し入れて、餅をひっくり返す。杵が落ちる寸前に手が抜ける。ひと呼吸ずれれば、たねの手は潰される。けれど媼の手は、いつも杵よりわずかに速かった。

 ぺたん、の音が、しだいに重く、粘っこくなっていく。臼の縁に置いたわれの手にも、ひと搗きごとの震えが伝わってきた。足もとの土が、ぺたんのたびに、かすかに沈む。その音を聞きつけて、近所の者がぞろぞろと集まってきた。隣の家でも、その向こうでも、臼が鳴る。あちらこちらの音が重なって、里じゅうが、ひとつの拍子で年の暮れを数えているようだった。どの家の臼も、たねの家のよりは小さい。それでも音は、負けず劣らず、まっすぐ山にぶつかって返ってきた。

 日が高くなるころ、ひと臼めが搗き上がった。たねは餅を手早くちぎって小さく丸め、塩をつけたのや、煮た小豆をまぶしたのを、集まった者に配った。掌の半分ほどのかけらを、二十ほどの手から手へ、ひとつずつ渡していく。搗きたての餅は、口の中でとろりと伸びて、ほのかに米の甘みがある。ふだん粟や稗の粥をすする者たちだ。誰もしばらくは口をきかず、ただ噛んでいた。半分だけ食べて、あとを懐へ入れる女もいた。家で待つ者のぶんなのだろう。

挿絵:日が高くなるころ、ひと臼めが搗き上がった

 配るかけらの中から、たねは四つ五つを別によけて、麻の布にくるんだ。それをわれの手に押しつける。

 「持っておゆき。道々、腹の足しになろう」

 懐に入れると、餅はまだほのかに温かかった。

 ふた臼めは、竈のうしろの甕に置いた米だった。蒸し方も搗き方も、ひと臼めと変わらない。われは今度は火を見ながら、湯を沸かす番も言いつかった。変わったのは、搗き上がった餅を、たねが若い衆にも触らせなかったことだ。自分で臼の縁を濡れ布で拭き、藁を敷いた上に餅を取ると、ひとりで丸めはじめた。

 まず、手のひらで押して、大きな円にする。とがったところができると、掌のつけ根でそっと撫でて、ならす。ならしては、離して、しばらく眺める。また撫でる。われが数えただけでも、七回は撫でていた。熱い餅から、たねの手のひらへ湯気が立つ。丸くなった餅は、その手の下で、つやを増していく。

 たねは、丸い餅を両手で持ち、戸口の内側の土間の隅へ運んだ。藁を敷き、葉のついた小枝を添えて、餅を据える。据わりが悪いと、手を伸ばして直す。拾った米粒を水でゆすいだ小皿も、餅のそばに置かれた。しわだらけの手を合わせ、長いこと目を閉じていた。

 その晩、里の者はめいめいの家へ帰った。懐に餅を入れた女は、戸口で振り向いて、たねに深く頭を下げた。われは竈の灰に火を埋める役を言いつかった。埋め火の赤が細くなるまで、しゃがんで見ていた。土間の隅では、丸い餅が暗がりのなかで、そこだけほのかに白い。遠くの家では、まだ臼がひとつ、ぺたん、ぺたんと鳴っている。われは灰の温みを手の甲に確かめてから、寝床の藁へもぐった。

◇ ◇ ◇

 あの土間の隅の、丸い餅。ボクの知る店先の鏡餅は、大小の二つに重なっているが、その根は、都で鏡に見立てられた餅と、こうした里の丸餅と、ふた筋あったのかもしれない。

 何年かのち、ボクはあの里を通った。田はいくらか持ち直したのか、暮れの里には臼があちこちで鳴っていた。あの若い衆かどうかは、ボクにも分からない。ただ、いくつもの臼のなかで、いちばん低く、重い杵の音がひとつ、里の奥から聞こえていた。

参考文献・もっと詳しく

※ 餅は、よく粘る品種の米(糯米)を蒸して搗き固めた食で、古くからハレの日の特別な食べ物とされた。日常の主食が粟稗などの雑穀だった層も多かったと考えられ、白い米やその餅は貴重だったと伝わる。古い時代の餅搗きには、胴のくびれた木の臼と竪杵が用いられたとされる。正月に餅を供える習俗の由来や、各地への広がりの時期には諸説がある。長和四年は一〇一五年(長和は一〇一二〜一〇一七年)。本文中の里・人物・会話は創作。

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