第 05 話食年の暮れ、臼の音が里じゅうに鳴りわたった日のこと
〜ふだんは粟稗の粥をすする里が、なぜ一年に一度だけ、白い餅を神に供えたのか〜
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餅は、ハレの日にだけ顔を出す食べ物だった。
ふだんの膳には上らない。正月、祝いごと、節句——年に幾度かの晴れがましい日にだけ、白くつやつやと現れて、また姿を消す。今でこそ袋を破ればいつでも食べられるが、もとはそういう、特別な日のための食べ物だったのさ。
なぜ特別だったのか。元をたどれば、米そのものが特別だったからだ。
ボクが見てきたころ、白い米は、まだ誰もが腹いっぱいに食べられるものではなかったらしい。ふだん里の者が口にするのは、粟や稗を煮た粥のたぐいが多かったと聞く。手をかけて作った米は年貢に取られ、神に供えられ、自分たちの口に入るのはほんのわずか。その貴い米を蒸して搗き、さらに手間をかけてこしらえるのが餅だった。だから餅は、ただの食べ物ではない。米のいのちを、ぎゅっと搗き固めた、めでたさのかたまりだったのだろう。
ボクが見てきたのは、その白いかたまりが、神への供え物から、暮らしの節目を刻む食へと移っていく、その手前のころの話だ。
◇ ◇ ◇
長和四年(一〇一五年)の、年も押し詰まったころのことだ。大和の山あいの里で、餅を搗く手伝いをしていた頃の話さ。
世話になっていたのは、たねという媼の家だった。腰はくの字に曲がっていたが、餅のことになると、里じゅうの誰よりも口やかましい人でね。前の晩から、たねは別の甕に取り分けた米を、せっせと水に浸していた。よく粘る米だ。ふだん食う米とは違う、と言って、ことのほか大事に扱う。
「これは歳神様に上げる米だでね。粗末にすると罰が当たるよ」
夜のうちにたっぷり水を吸わせた米を、朝になって蒸す。湯気が立ちのぼり、家じゅうが甘い匂いに包まれた。蒸し上がった米を、たねは指でひとつまみ取って口に入れる。ほろりと崩れて、それでいて、もう粘りけを帯びている。「よし」とうなずくと、いよいよ臼の出番だ。
庭に据えた石の臼へ、湯気の立つ米を移す。男たちが代わるがわる杵を握った。はじめは搗くというより、粒をつぶすように、ぐい、ぐいと体じゅうの重みをかけて練る。これをしくじると、粒が残って舌ざわりが悪くなるのだという。みなの見ている前で、若い衆が額に汗を浮かべて練っていた。
じゅうぶんに練れたところで、ようやく搗きが始まる。
ぺたん、ぺたん、と杵が餅をたたく。搗き手が杵を振り上げるあいだに、たねが濡らした手をさっと臼へ差し入れ、餅をひっくり返す。あの合いの手は、見ているこちらが息を呑むほどだった。杵が落ちる、その寸前に手が抜ける。ひと呼吸でもずれれば、たねの手は潰されてしまう。けれど媼の手は、長年の勘で、いつも杵よりわずかに速かった。
ぺたん、の音が、しだいに重く、粘っこくなっていく。臼の中の米は、もう粒の影もない。白くなめらかな、ひとかたまりの餅になっていた。
その音を聞きつけて、近所の者がぞろぞろと集まってくる。年の暮れの餅搗きの音は、里じゅうへ「もう一年が終わる」と知らせる合図のようなものだ。隣の家でも、その向こうでも、ぺたん、ぺたんと臼が鳴る。あちらこちらの音が重なって、里全体が、ひとつの大きな心の臓のように脈打っているふうにも聞こえた。子どもらは庭の隅で、いつ餅が食えるかと、そわそわ待っている。
たねの家の搗きも、終わりが近づいていた。最後のひと臼は、特別だ。歳神様に上げる、いちばん大事な餅になる。たねは杵を握る若い衆に、ことさら念を押した。心を込めて搗け、よそ見をするな、と。米を蒸す竈の火も、たねは朝からひとときも絶やさせなかった。火が落ちれば、神に上げる餅に不浄が移る——そう信じているふうだった。なぜそこまで、と思うほどの念の入れようでね。けれど里の者は、誰ひとり、それを変わったこととは思っていない。一年でいちばん貴い米を、いちばん丁寧に搗く。当たり前のことを、当たり前にしているだけの顔をしていた。
その年は、夏に水が足りず、里はずいぶん難儀をしたと聞いた。田の実りは細く、秋の蓄えも心もとない。それでも、たねは餅だけは欠かさなかった。
「苦しい年こそ、上げにゃならん」
米をけちって、神への供えを薄くすれば、来る年はもっと痩せる。逆に、苦しいなかでも精いっぱいの白い餅を供えれば、歳神様はきっと、来年こそはと目をかけてくださる——里の年寄りたちは、揃ってそう信じていた。豊かだから供えるのではない。供えるから、また一年を生きていける。順序が、われの考えていたのとは逆さまだった。乏しい蓄えを割いてでも、白い餅を神の前に据える。その心意気が、痩せた里に、年の暮れのささやかな張りを与えていた。
搗き上がった餅を、たねは板の上に取り、手早く丸めていく。まず大きく平たい円をふたつ。大小を重ねて、神棚に供えるのだという。
「なんで丸くこしらえるんだね」と、われは訊いてみた。
たねは、こともなげに言った。鏡の形だよ、と。歳神様は、年のはじめにそれぞれの家へ降りてきて、この丸い餅に宿りなさる。だから鏡に似せて、まんまるにこしらえる。とがったところがあっては、神様が居心地を悪くしなさるからね——そう、自分の祖母から教わったままに、たねは餅を撫でて丸めた。理屈ではないのだ。そう伝わってきたから、そうする。ただそれだけの、迷いのない手つきだった。
残りの餅は、ちぎって小さく丸め、きな粉や、煮た小豆をまぶして、その場のみなに配られた。
子どもらが、われ先にと手を伸ばす。搗きたての餅は、口の中でとろりと伸びて、ほのかに甘い。ふだん粟や稗の粥をすすっている子らだ。白い餅の甘さに、みな目をまるくしていた。
たねの孫に、まだ四つばかりの童がいた。生まれてはじめて餅を食う子で、どこまでも伸びる餅に仰天して、口のまわりをきな粉だらけにしている。たねが、その頬をぬぐってやりながら、目を細めた。
「これを食やあ、またひとつ歳を取る。来年も達者で、これを食えると、ええなあ」
童は、媼の言うことなど聞いてもいない。ただ、伸びる餅と格闘しては、きゃっきゃと声をあげて笑っていた。
歳を食う、と土地の者は言った。年が改まれば、この餅を汁に入れて食う。餅を食えば、それだけ力がつき、ひとつ年を重ねられる。白い餅は、ただ甘いだけのものではなかった。新しい一年を生き抜くための、力のかたまりでもあったのさ。
配り終えたあと、たねは小さく丸めた餅をいくつか、麻の布にくるんで、われの手に握らせた。
「あんたも持っておいき。旅の途中で力が要るときに食うといい」
受け取った餅は、まだほのかに温かかった。手のひらに、米のいのちの重みが、ずしりと伝わる。これだけの餅をこしらえるのに、どれほどの手間がかかっているか。前の晩から米を浸し、夜明けに蒸し、汗だくで練って搗き、媼が命がけの合いの手を入れて——その一切が、この小さなひとかたまりに詰まっている。重いはずだった。けれど不思議と、その重みは、肩に食い込む荷の重さとは違っていた。手のひらが、じんわりと温かくなる、そういう重みだ。
その晩、里の者たちは、餅を腹に入れて、めいめいの家へ帰っていった。明日からまた、粟や稗の粥の暮らしに戻る。けれど今日だけは、誰もが白い餅を食べ、神に供え、笑っていた。一年の労苦を、白い一日で締めくくるのだ。
日が暮れるころ、たねは、いちばん大きな鏡餅を、神棚にうやうやしく供えた。葉のついた小枝を上にあしらい、塵ひとつ払って、餅の据わりを幾度も直す。納得のいくまで手を入れて、それから、しわだらけの手を合わせた。何を願っているのかは、口にしない。ただ、長いこと、目を閉じていた。
あの四つの童も、媼の横で、見よう見まねに小さな手を合わせている。意味など分かってはいまい。それでも、ばあがするから、自分もする。そうやって、丸い餅を供えて手を合わせる仕草は、言葉よりも先に、童の体へ移っていくのだろう。
一年の終わりに神を迎え、また新しい年が静かに回りはじめる。その大きな節目に、白い餅が、ぽつんと据えられていた。暗くなっていく板間で、それだけが、ほのかに白く浮かんで見えた。
◇ ◇ ◇
あの鏡餅が、いつから正月の決まりごとになったのか、ボクにもはっきりとは分からない。
ただ、その後の暮らしを見ていると、餅はいよいよ、一年のあちこちで顔を出すようになった。正月の鏡餅、ひな祭りの菱餅、端午のちまき、秋の餅。節目節目に白い餅が据えられ、人々はそれを目印に季節を数えるようになっていった。米を搗いて神に供えたあの一夜の餅が、いつしか、暮らしの暦そのものを刻む食になっていったのさ。
今では、年の瀬になると、店の棚に鏡餅が並ぶ。中の餅は小さく切られて袋に入り、外側だけが、つやつやと丸い。臼の音も、湯気の匂いも、たねの濡れた手も、もうどこにもない。
それでも、とボクは思う。
正月に餅を食べるとき、誰かがほんの少しでも「今年もよろしく」と手を合わせるなら、それはあの里の媼が、まんまるに撫でた餅と、まっすぐつながっている。とがったところのない、まるい一年であるように。歳神様が、居心地よく過ごせるように。ボクは、そういう願いのかたちが、けっこう好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『もち(糯・餅)』ISBN 978-4-588-20891-1
- 『餅と日本人——「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論(増補版)』ISBN 978-4-642-07132-1
- 『知っておきたい 日本の年中行事事典』ISBN 978-4-642-08068-2
- 『日本の食文化史——旧石器時代から現代まで』ISBN 978-4-00-061088-9
※ 餅は、よく粘る品種の米(糯米)を蒸して搗き固めた食で、古くからハレの日の特別な食べ物とされた。日常の主食が粟稗などの雑穀だった層も多かったと考えられ、白い米やその餅は貴重だったと伝わる。正月に歳神を迎えて鏡餅を供える習俗は、鏡(神霊の依代)を模した円形に作るとも言われるが、その由来や全国への広がりの時期には諸説がある。長和四年は一〇一五年(長和は一〇一二〜一〇一七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本文中の里・人物・会話は創作。
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