瓜十と豆ひと升で買った、半年ごしの一桶——近江の湖べりの取り決め第 87 話食
食平安のころ・近江の湖のほとり読了 約6分
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瓜十と豆ひと升で買った、半年ごしの一桶——近江の湖べりの取り決め

〜半年のあいだ、男は指を折って日を数えるだけだった〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 瓜十に、豆ひと升。ボクがひと桶おけのなれずしと引き換えに払ったのは、それだけの品だった。

 半年待って、瓜十。安いのか高いのか、いまだにボクには分からない。ただひとつ言えるのは、蓋を切るその日まで、桶の中身はけっして見せてもらえなかったということだ。

◇ ◇ ◇

 寛弘七年(一〇一〇年)の夏、近江の湖のほとりでのことだ。海かと見まがうほどに広いこの湖のほとりで、われは雪の来るまえに、冬を越す支度をしておこうと思い立っていた。傷まぬ食い物がいる。里の者にたずねると、行く先々で皆おなじ名を挙げた。

 「秋丸のところへ行け。あの男の桶より確かなものはない」

 湖べりの村を三つ渡り歩いても、挙がる名は秋丸ひとつだった。

 秋丸は鮒ふなや鮠はや、鯉こいを商う男だった。家の裏手には、大小の桶が二十ばかり並んでいる。どれも蓋がされ、その上から縄で押さえてあった。蓋の上には、それぞれ丸い川石がひとつずつ据えてある。石の重さは桶ごとにまちまちで、蓋と石の隙間に、ときおり水のようなものが上がってきている桶もあった。近づいて覗こうとすると、秋丸はぴしゃりと「まだ早い」と言って、われを追い払った。日に灼けた腕と、桶を数えるときだけ動く太い指。口数の少なさも、あの評判のうちなのかもしれなかった。

 「ひと桶、瓜十でどうだ。それと、豆をひと升添えてもらおうか」

 値を聞いて、われは黙って考えこんだ。雪に閉ざされたひと冬を越す備えだと思えば、高いとも安いとも言いかねた。

 その日、裏の庭先では、秋丸の妻が蒸したての飯を筵に広げて冷ましていた。何にするのかとたずねると、妻は「桶へ入れる」とだけ答えて、湯気の向こうへ顔をそらした。

 「いつ渡してもらえる」

 「半年は待ってもらう。雪の来るころよ。それまでは、誰であろうと蓋も開けぬ」

 秋丸はそれだけ言うと、また桶の縄を確かめに戻っていった。どれほど漬け、いつ仕上がるのか、たずねてもろくに答えない。ただ指を折り、日を数えるようにして「あと何月」とつぶやくのが、秋丸の受け答えのすべてだった。桶の脇には、縄目に沿って小さな刻み目がいくつも彫られている。漬けた日を数えるための、秋丸にしか読めぬしるしだった。

 われは瓜十と豆ひと升を渡し、その場を離れた。渡した瓜と豆は、秋丸の妻が受け取って家の中へ運んでいった。秋丸は桶のひとつの縄に、結び目をひとつ足した。それが、われの桶の印になるのだという。

挿絵:われは瓜十と豆ひと升を渡し、その場を離れた

 それから幾月か、われは稲刈りの手伝いに雇われて日を稼ぎ、瓜十のことは頭の隅へ追いやられていった。秋丸の家の裏を通るたび、桶の並びを盗み見た。数が減ることも増えることもなく、ただじっと据わっている。日ごとに強くなる酸いにおいが鼻をついた。朝ごとに、秋丸は桶を端から数え、縄を確かめ、石の据わりを手のひらでそっと押して回っている。桶のなかで何が起きているのか、外から知れるのは、そのくらいのものだった。

 稲刈りに雇われた家では、昼に粥が出た。湯気の立つ椀を抱えながら、あの桶のなかでは、いま魚と飯とが何をしているのだろうと、ふと思った。粥はすぐに冷めたが、桶の中身は、冷めるどころか、まだ動いているはずだった。

 里の年寄りが、この湖の鮒の鮨は都の朝廷へも貢ぎ物として運ばれていくのだと教えてくれた。あの桶の石まで、ありがたく見えてきた。

 あるとき、桶がひとつだけ庭の隅に離して置かれているのに気づいた。縄が緩み、蓋の端から赤黒い汁がにじみ出ている。通りかかった秋丸の妻にたずねると、「それは駄目になった」とだけ言って顔をしかめた。二十のうち、そうして離されるのはせいぜいひとつかふたつだという。売り物にならぬ桶は、こうして皆から離されるのだと知った。離された桶の前を通るとき、秋丸の妻はいつも足を速めた。

 ほかの桶は無事なようだった。われのひと桶も、あの並びのどこかで眠っている。

 刈り入れの忙しさが里を駆けぬけ、やがて木々の葉も落ちた。湖を渡る風が、日に日に冷たさを増していった。

 雪の舞うころ、秋丸の家を訪ねると、ようやく「できた」と言われた。裏手に回ると、あの桶のひとつの蓋が、縄を解かれて開けられていた。ほかにも、われとおなじように受け取りを待つ男が二人、桶を前に並んでいた。誰もが値と刻み目だけを頼りに、半年も待ち続けてきた顔をしていた。

 秋丸が縄を解くその手つきを、われも待っていたほかの二人も、息を詰めて見つめていた。瓜十を払った日から数えて、ちょうど半年が経っていた。

挿絵:秋丸が縄を解くその手つきを、われも待っていたほかの二人も、息を詰めて見つめていた

 蓋を持ち上げたとたん、つんと鼻を刺すにおいが立ちのぼり、思わず目がうるんだ。慣れぬ者には噎せ返るような、強いにおいだ。秋丸はその中から、飴色あめいろに染まった鮒を一匹、両手でそっと掬い上げた。

 「瓜十と豆ひと升の値打ちは、これだ」

 差し出されたひと切れを口に入れる。酸い。塩辛い。骨まで柔らかく溶けて、生の魚とはまるで別の生きものの味がした。半年前、この桶へ沈んだ魚の姿を、われは一度も見ていない。見ていないだけに、いま手の中にあるものと、どうしても結びつかなかった。腹に抱えていた卵は橙色だいだいいろにねっとりと締まって、ひと粒ひと粒がべつの食い物のようだった。

 桶の底には、どろりと崩れた白いものが残っていた。秋丸はそれに手を付けず、われの桶の魚だけを掬って、持ってきた器に移していく。数えると、鮒は十一匹。瓜ひとつにつき、鮒ひと匹あまりの勘定だった。同じく待っていた二人の客のうち、ひとりが飯へ指を伸ばしかけた。秋丸は黙ってその手首を桶の縁から下ろさせ、それから魚だけを、それぞれの器に移していった。飯を食う者は、ひとりもいなかった。半年のあいだ魚を抱いていた飯は、役目を終えた、ということらしかった。

 秋丸の足もとには、幼い娘がまとわりついていた。「くさい」と鼻をつまみながらも、父の手からひと切れせがみ、しかめっ面のまま頬張っている。もうひと切れ、と手を伸ばす娘に、秋丸は「今日はそれまでだ」と、客に分ける分を惜しむような顔で笑った。秋丸は娘の頭を一度撫でただけで、また桶に向き直った。

 二人の客は、ひとりは桶ごと、ひとりは布に包んで、それぞれの流儀で魚を持ち帰った。値も渡す日も、桶ごとに少しずつ違うのだと、秋丸はあとになって教えてくれた。早くに頼んだ客ほど、良い場所の桶を回してもらえるのだという。

 「来年も頼むかい」と秋丸に聞かれ、われは首を横に振った。雪が解けたらここを発つのだと告げると、秋丸は「そうか」とだけ言って、それ以上は問わなかった。

 秋丸は見送りに、ひとつかみの塩を持たせてくれた。桶の並びを盗み見ることも、もうない。受け取った鮒の重みだけが、この村で過ごした半年の証だった。

◇ ◇ ◇

 瓜十で買ったあの鮒は、とうに食べ尽くした。半年待った桶も、いまはもうどこにも無い。

 近江の鮒寿司の店先を通ると、いまでもあの桶の前へ戻される。同じ手間で、たいして変わらぬやり方で、漬け続けられている。握り寿司の酸い飯の奥にも、あのにおいの遠い先祖が潜んでいる。

 それでも、蓋を開けたあの一瞬だけは、まだ首すじのあたりに残っている。どんな帳面にも記されず、誰の口の端にも上らなかった、ただの一瞬。鼻を突かれた刹那の、粟立あわだちだ。

参考文献・もっと詳しく

※ なれ寿司(熟れ鮨)は、塩でしめた魚を炊いた飯に漬け込み、数か月から年単位で乳酸発酵させる保存食で、握り寿司に先立つ「寿司の最古の形」とされる。飯は発酵のための漬け床で、本来は食べずに魚だけを食べる「本なれ」が古い形と伝わる。稲作文化とともに東南アジア方面から伝来した魚の保存法に起源をもつという説が有力とされる。『延喜式』には各地から鮨(鮓)が貢納された記録が見え、平安期にすでに広く作られていたと考えられている。近江の鮒寿司は、この古い製法を今に伝える代表例として知られる。寛弘七年は一〇一〇年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。

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