飯を捨てて魚を食う——酢より古い「酸っぱい寿司」のはなし08
平安のころ・近江の湖のほとり読了 約8

飯を捨てて魚を食う——酢より古い「酸っぱい寿司」のはなし

半年も湖の底のような暗がりで眠った魚を、男はなぜ宝物のように掘り出したのか

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narezushi

 寿司、と聞いてボクらが思い浮かべるのは、あの握りだろう。酢で締めた白い飯のうえに、切り身がひとつ。握ってから口に入るまで、ものの数えるほどの間しかない。早くて、軽くて、つやつやしている。

 けれど寿司のいちばん古い姿は、それとは似ても似つかぬものだった。魚を、炊いた飯のなかへ深々と埋める。重しをのせ、暗がりで幾月も寝かせる。やがて飯はとろりと崩れて、つんと鼻を刺す酸いものに変わる。

 ところが、その飯は食べない。魚にまとわりついた分をぬぐい落として、惜しげもなく捨ててしまう。食べるのは、なかで眠っていた魚のほうだ。

 酢などまだ無かった頃の話さ。飯そのものが酸くなることで、魚は腐らずに季節を越せた。酸いものはものを長く保たせる——その理を、誰も言葉では知らぬまま、手だけがちゃんと覚えていたらしい。寿司とはもともと、握って食う贅沢ではなく、ひと夏の魚を冬まで生かす、ぎりぎりの保存の知恵だったのだ。

◇ ◇ ◇

 延喜十五年(九一五年)の夏のことだ。近江の湖のほとりで、網を引いて暮らす漁師の家に厄介になっていた頃の話さ。

 主は与一といって、日に灼けた、口の重い男だった。湖の魚を獲り、塩を分けてもらう代わりに荷を運ぶ。われはそんな駆け引きのついでに、しばらくこの家の軒を借りていた。

 この湖は、海かと見まがうほどに広い。朝もやの晴れた水面に、与一は小舟を出して網を打つ。獲れるのは鮒や鮠、ときに鯉。なかでも、ふっくらと卵を抱えた春先の鮒を、与一はことのほか大切にあつかった。

 梅雨が明けたばかりの朝、与一は獲れた鮒を笊にどっさり広げ、片端から捌きはじめた。腹を裂き、わたを掻き出し、えらを抜く。けれど身は三枚におろさない。背のほうを少し開いただけの、まるごとに近い姿のまま、たっぷりの塩をすり込んでいく。卵を抱えたものは、その卵を腹のなかに残したまま漬けるのだという。

 「丸のまま漬けるのかい」と訊くと、与一は手を止めずに頷いた。

 塩をした鮒を桶に並べ、また塩をふり、重い石をのせる。そうして十日も二十日も置くのだという。塩で身を締めて、まず水気をぎゅうと抜くのだ。やがて取り出された鮒は、ひとまわり痩せて、こちこちに硬く塩辛くなっていた。

 ここからが、われには合点のいかぬところだった。

 与一は塩を洗い落とした鮒の腹に、こんどは炊いた飯をぎっしりと詰めはじめたのだ。腹だけでは足りぬ。桶の底に飯を敷き、その上に鮒を寝かせ、また飯をかぶせ、鮒を重ね——飯と魚を交互に積んでいく。最後にひときわ大きな石をのせ、笹の葉と筵で蓋をした。

 「飯を、そんなにつけて、もったいなくはないかい」

 米は、この頃の暮らしではなまなかの宝だ。それをこうも惜しみなく魚に巻きつけて、いったいどうするのか。

 飯を詰める与一の手つきには、迷いがなかった。鮒の腹のすみずみまで指で押し込み、桶の縁ぎわまで隙間なく敷きつめていく。空いたところがあれば、そこから魚が傷むのだという。飯と魚のあいだに、空も、よけいな水気も、いっさい残してはならぬ。指先で押し固めるその様子は、料理というよりも、なにか念の入った手仕事を見ているようだった。

 与一は、ようやく少し笑った。

 「この飯はな、食わぬ。魚のための床よ」

 飯は魚を生かすための寝床で、それ自体は食うものではないのだという。半年、いや、暑い年なら年を越すまで、この暗い桶の底で魚を眠らせておく。蓋を開けるのは雪の季節だ。その頃には飯はどろりと溶けて、酸いにおいを立てている。けれどその酸いにおいこそが、魚を腐らせぬ証なのだと、与一は言った。

 「飯が酸うなったぶん、魚は傷まぬ。理屈は知らん。親父も、その親父も、こうしてきた。そういうものよ」

 なぜ酸くなれば腐らぬのか——その問いに答えられる者は、この湖べりにひとりもいなかった。ただ、そうすれば冬じゅう魚が食えると、手と舌が覚えていた。それで充分だったのだ。

 桶は土間の隅の、いちばん暗くて涼しいところへ据えられた。与一はときどき石の重みをたしかめ、にじみ出た水を捨てては、また蓋を戻す。日が過ぎ、月が過ぎても、桶はただ黙って隅にあるばかりだ。われはそのうち、その桶のことなどすっかり忘れていた。

 夏が過ぎ、稲が実り、刈り入れの忙しさが里を駆けぬけていった。われは荷を負って近くの里を行き来し、また与一の家へ戻る。そのたびに土間の隅の桶は、何ごともなかったような顔でそこにある。けれど近づくと、日に日に酸いにおいが強くなっていくのがわかった。

 「腐ってはおらぬのかい」とからかうと、与一は鼻をひくつかせて、「ちょうどよう、すすんでおる」と言った。腐るのと、すすむのと。漂うにおいはよく似ているのに、与一の鼻はその二つをきっぱり嗅ぎ分けるのだ。長く魚を漬けてきた者だけが持つ、目に見えぬ物差しだった。

 雪の舞う頃、与一が「そろそろよかろう」と言って、ようやく重石をどけた。

 蓋の笹をめくったとたん、つんと酸いにおいが土間じゅうに満ちた。鼻の奥を突くような、噎せ返るにおいだ。思わず袖で鼻を覆ったわれを見て、与一はからからと笑った。この強いにおいこそ、半年がうまくいった何よりの証なのだという。慣れぬ者には鼻をつまむような臭みでも、漬けてきた者の鼻には、たまらない馳走の香りなのだ。

 覗いてみれば、白かったはずの飯はとろとろに崩れ、黄ばんだ粥のようになって魚を包んでいる。与一はその崩れた飯を手で払いのけ、なかから一匹の鮒を、まるで土から芋を掘り出すように、そろりと引き上げた。掘り出すたびに、ぷんと酸いにおいが立つ。けれど与一の顔は、宝の壺でも開けたように、ほころんでいた。

 飯を落とされた鮒は、艶のある飴色に染まっていた。半年前のあの青白い生魚と同じものとは、とても思えない。骨まで柔らかく溶けて、薄く切るとねっとりと舌に絡む。包丁を入れるたびに、しっとりと脂のにじむ音がした。

 口に入れて、われは思わず眉を寄せた。酸い。塩辛い。そして、嗅いだことのない深い旨みが、舌の奥でじわりと広がっていく。生魚の生臭さはどこにもない。半年の暗がりが、まるきり別のものに作り替えてしまったのだ。

 卵を抱えた鮒の腹を割ると、なかからは橙色の卵が、ほろほろとこぼれ出た。ひと粒つまんで舐めれば、ねっとりと濃く、舌に貼りつくような旨みがある。与一はこの卵をいちばんの馳走だと言って、椀の底にそっと取り分けた。

 「半年も待たされて、たったこれだけかい」と笑うと、与一は首を振った。たったこれだけを、ひと冬かけて少しずつ食う。獲れたての魚なら二日で腐って捨てるしかないものが、こうして漬ければ、雪のあいだじゅう日もちする。待つことそのものが、魚を生かす術なのだと、与一は言いたげだった。

 囲炉裏端では、与一の小さな娘が顔をくしゃくしゃにしていた。

 「くさい」と言って鼻をつまみ、それでもひと切れ口に入れて、もぐもぐと噛んでいる。しかめた顔のまま、もうひと切れ手を伸ばす。くさいと言いながら、箸は止まらない。与一は娘の頭を撫でて、声をたてずに笑っていた。

 その晩、与一は薄く切った鮒を木の椀に取り分け、隣の老夫婦のもとへも届けさせた。雪の季節に魚を分け合うのは、この湖べりの古いならわしらしい。漬けた桶のひとつは、その家ひとつの腹を満たすだけでなく、寒さに縮こまった隣近所を、ひと切れずつ温めてまわるのだ。

 返しに、老夫婦の家からは干した瓜と、ひと握りの豆が届いた。銭の動かぬ里では、酸い魚も、しなびた瓜も、めいめいの暗がりで蓄えた冬の備えを、こうしてそっと持ち寄って分けあう。ひとつの桶の半年が、こうして幾つもの囲炉裏端を、ほんのり酸っぱく温めてまわるのだった。

 雪に閉ざされて、新しい魚など獲れぬひと冬を、この一桶が支える。飯を捨て、魚を残す。捨てた飯さえ惜しまぬほどに、暗がりで化けた魚は、この家にとって——いや、この湖べりにとって、確かな備えだった。

◇ ◇ ◇

 あの酸っぱい魚が、寿司の祖先だ。

 もとは遠い南の国から、稲をつくる暮らしとともに渡ってきた知恵だったらしい。飯に漬けて魚を生かす——その手は時とともに少しずつ崩れ、いつしか人は、酸くなった飯のほうも一緒に食べるようになった。さらに気の短い者が現れて、「ならば初めから飯を酸くしておけばよかろう」と、酢を混ぜた。半年待たずに、握ったそばから食える早寿司の出来あがりさ。

 つやつやした握りの白い飯——その奥には、暗がりで半年も魚を抱いて酸くなっていった、あの古い飯の記憶が、ほんのりと残っている。酢飯のあの酸っぱさは、捨てられた飯たちの、遠い忘れ形見なのかもしれない。

 近江の湖べりでは、今でもあの古い手のままに魚を漬けると聞く。蓋を開ければ、土間に満ちる、あの噎せ返るにおい。鼻をつまみながら、それでも箸を止められない人々が、まだそこにいるらしい。

 握りをひとつ、つまむとき。あの飴色の鮒と、くさいくさいと言いながら笑っていた娘の顔を、ボクはときどき思い出す。寿司はもともと、こんなにのんびりと、半年もかけて作るものだったんだ。

◇ ◇ ◇

 飯を捨てて、魚を残す。ずいぶん思い切ったことをするものだと、はじめは呆れた。

 けれど雪の夜、あの一切れがあるとないとでは、ひと冬の心細さがまるで違う。捨てたように見えて、飯は半年かけて、ちゃんと魚のなかへ姿を変えて沁み込んでいたのだ。

 無駄に見えるものが、いちばん遠くまで人を生かす。湖の底のような暗がりが、ボクは存外、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

なれ寿司(熟れ鮨)は、塩でしめた魚を炊いた飯に漬け込み、数か月から年単位で乳酸発酵させる保存食で、握り寿司に先立つ「寿司の最古の形」とされる。飯は発酵のための漬け床で、本来は食べずに魚だけを食べる「本なれ」が古い形と伝わる。稲作文化とともに東南アジア方面から伝来した魚の保存法に起源をもつという説が有力とされる。『延喜式』には各地から鮨(鮓)が貢納された記録が見え、平安期にすでに広く作られていたと考えられている。近江の鮒寿司は、この古い製法を今に伝える代表例として知られる。延喜十五年は九一五年(延喜は九〇一〜九二三年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。

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