山ひとつぶんの蔦を巡って、椀半分の甘さにするまで第 52 話食
食平安のころ・大和の山里読了 約6分

山ひとつぶんの蔦を巡って、椀半分の甘さにするまで

〜冬の山で集めた汁が、椀の半分になるまで〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 木の匙の先に、飴色のものが、ひと粒。

 傾けても、すぐには落ちない。糸を引いて伸び、やっと切れて、手のひらに落ちる。鼻を寄せると、煙の匂いがする。囲炉裏いろりの煙を、何日ぶんも吸いこんだ匂いだ。舐めれば、舌のうえでじわりと広がる。野の花の蜜に似て、けれどもっと深い。

 蜂の仕事ではない。砂糖でもない。砂糖はまだ、海の向こうから薬として渡ってくるばかりで、ひとつまみが目の玉の飛び出るほどの値だったという。貴いお方でさえ、めったに口にできぬ代物だったらしい。

 今ふうに言うなら、木の蜜、とでも呼べばいいのか。ボクは口にしかけて、言い直す。当時、そんな呼び方をする者はいない。甘葛あまづら——それが、この一粒の名だった。

◇ ◇ ◇

 長保二年(一〇〇〇年)の冬、大和の山あいで、われは、蔦と呼んでいた蔓を集めていた。里から里へ、季節の実りを追って歩く身だ。この山に入るのは、この冬がはじめてだった。

 里の者は、われを渡りの男と呼ぶ。決まった田畑も家も持たない。この村では、蔦の入る山を貸してもらう代わりに、薪割りや雪かきを手伝う。それで冬のあいだの宿と、わずかな粟が回ってくる。その日の分の薪を割り、屋根の雪を落とし終えると、ようやく山へ入る刻限になる。日は短い。急がねば、蔓を探すまえに暮れてしまう。

 目あては、木々にからみついた太い蔓だ。冬枯れのそれは葉を落とし、ただの枯れ縄のようにしか見えない。けれど、甘い汁を溜めているのは、この冬のあいだだけだ。日のよく当たる斜面、岩のあいだ、谷をのぞむ崖のふち——どの木にどんな蔓が絡んでいるか、はじめの数日は目が追いつかず、空の蔓ばかり断って日が暮れた。数日目には、日当たりのよい斜面の、指ほどに太った蔓を選べるようになった。はじめの日に汁の入った筒は三本、五日目には七本。数えるだけが、腕の上がったことのたしかな証だった。崖のふちに伸びた一本などは、片手で岩をつかみ、もう片方の手だけで鉈を振るわねばならない。落ちれば命はない高さだ。それでも、そこにこそ、よく肥えた蔓が絡んでいることが多い。息を吐くたびに白い塊が顔の前に漂い、指先の感覚はとうに怪しい。

 汁が甘く濃くなるのは、寒い冬のあいだだけだという。なぜかは、仔細までわからぬ。

 蔓を選び、鉈なたで二か所を断つ。切り出した蔓の一方に口をつけ、息を吹きこむ。吹く加減も、はじめは何本もの蔓をむだにして知った。もう一方の切り口に竹筒たけづつをあてがっておく。筒は口に木の栓をはめて持ち歩き、あてがうときだけ抜くのだ。そうすると、汁が玉のように滲み出て、ぽたり、ぽたりと筒の底へ落ちていく。頬が痛くなるほど吹いても、じれったいほどゆっくりとだ。一本から採れるのは、指の節ほどの量にもならない。日の暮れるまで蔓を断ってまわっても、筒の底に溜まるのは指の幅ほどずつだ。これを何日も何日も繰り返さねば、鍋いっぱいにはならない。

挿絵:蔓を選び、鉈で二か所を断つ

 背の籠に並んだ竹筒が、その日の稼ぎのすべてだ。汁を一滴もこぼすまいと、筒を大事に抱えて山を下りる。

 凍えた指から、竹筒がひとつ、すべり落ちた。栓が抜け、汁は瞬く間に雪へ染みて、消えた。

 その筒にも、指の幅ほどの汁が溜まっていた。雪に指を突っこんで、せめて跡形だけでも確かめる。もちろん、戻りはしない。ひとしずくの重さを、われは指先で覚えた。以来、栓は指でしかと押しこんでから籠に入れる。息を吐き、また歩き出す。

 宿を借りている家へ戻ると、こんどは煮る仕事だ。幾日かぶん集めた汁を鍋にあけ、炉の上に吊るして、弱い火で気長に煮つめていく。汁は初め、水のように薄く頼りない。それが火にかかるうちに、だんだんと色づき、とろみを帯びてくる。はじめの一鍋は火を強くしすぎ、縁が焦げて苦い匂いが立った。それきり、火は指の幅ほどに落とすことにした。焦がしては元も子もないから、鍋の前を片時も離れない。木べらで底をなで続け、立ちのぼる甘い湯気と煙のなかで、汁が琥珀色に縮んでいくのを、ただじっと見守る。顔は火照り、背中だけが底冷えに晒される。長く座っていると、腰も膝も固まってくる。それでも姿勢を崩せば、鍋の中の色づきを見誤る。

 煮るには、ひと晩かかる。その夜、炉の火明かりのなかで、われは何度も同じ姿勢で鍋をなでていた。木べらの動く音と、ときおり雪の枝から落ちる音のほかは、何ひとつ動かぬ夜だった。甘い匂いだけが、だんだんと濃く、家の隅々まで満ちていった。肩が痛み、目蓋が重くなっても、火から離れるわけにはいかない。目を離した隙に、何日もかけて集めた汁を煮詰まらせてしまっては、元も子もない。われは頬を叩いて、鍋の前に座り直した。

挿絵:煮るには、ひと晩かかる

 この家の童が、その晩、土間の隅から見ていた。「なぜ、冬にしか採れぬのだ」と、たずねてきた。「冬のあいだしか、甘い汁は上がらぬのだ」。われはそう答えた。童はよくわからぬという顔をしたが、それ以上は聞かなかった。その代わり、しばらく鍋の色が変わっていくのを黙って眺め、飽きると土間の隅でうずくまって眠ってしまう。われは、己の羽織っていた古い衣を童の肩にかけてやった。外はまだ雪が降り続いていた。家の中だけが、火のぬくもりでかろうじて保たれている。童の寝息と、鍋の煮える音だけが、夜のあいだじゅう続いた。

 ひと晩煮て、ようやく鍋の底に、とろりとした飴色の甘葛が残った。あれだけ山を歩いて集めた汁が、煮あがってみれば、ようやく椀の半分ほどだった。

 われは、その貴い一滴を木の匙ですくって、童の口もとへ運んでやった。

 童は匙を舐めると、目をまんまるに見ひらいて、それから、ふにゃりと顔をほころばせた。世にこんなに旨いものがあるのか、という顔だった。

 「もっと」と童は言って、われの裾を引っぱった。「今日はここまでだ」とわれは笑って、童の頭をひと撫でした。この冬のうちに、あと幾晩、煙の前で過ごすことになるだろう。たった椀半分の蜜と、あの顔のために。

 夜が明けると、村の者たちが鍋のまわりに集まって、黙って眺めていた。誰も手を出さず、匙を取る前に手を洗う者までいた。われの手も、煤と汁でひどく汚れていたのを、そのとき初めて気づかされた。口にできたのは、匙の先にひと舐めずつだった。山を巡り、ひと晩煙にむせて、鍋の底に指の二節ほどの深さ。それが、この村が差し出せるいちばんの品なのだった。

 冬の終わり、村の者が、その冬に煮上げた甘葛を国衙こくがへ納めに行くことになった。山を借りる村には、冬の終わりに甘葛を納める定めがあるのだという。われは小さな壺に蜜を移し、口を布できつく縛って手渡す。移すときに手のひらへ跳ねた一滴は、ぬぐわずにおいた。村の者は、壺の重さを手のひらで確かめてから、うなずいた。それを宝のように包み、背に負う籠の底へ据える。あの蜜は、やがて都へ上り、夏には削った氷にかけて食されるのだという。冷たい白の上に、この飴色がひと筋落ちるさまを、われは思い描いた。われは、籠が藪の向こうに消えるまで、戸口に立って見送った。惜しむふうでも、誇るふうでもない。ただ、ひと冬の仕事をひとつ終えた者の、静かな心地だった。

 われはもう一度だけ、その手のひらに残った一滴を、舌の先で確かめた。蔦の汁の一滴一滴、山を歩いた何日もの寒さ、煙にむせたひと晩——その何もかもが、この小さな一舐めの甘さに、溶けて入っているのだった。

◇ ◇ ◇

 今は、指を汚さずとも、甘いものはいくらでも手に入る。

 あの冬、山ひとつぶんの仕事の果てに、ボクの手のひらに乗ったのは、ほんの一滴だけだった。ボクの掌には、いまもその一滴の重さだけが残っている。

参考文献・もっと詳しく

※ 甘葛(あまづら)は、砂糖が広まる以前の日本で珍重された甘味料とされる。蔦の類の樹液を冬に集めて煮つめ、琥珀色の甘い蜜(甘葛煎)を得たと伝わるが、原料植物の特定(ツタ・アマチャヅル等の諸説)や正確な製法には不明な点が多い。『枕草子』には削り氷に甘葛をかけて食したと記され、平安期には貴族の上等な甘味であったらしい。長保二年は一〇〇〇年(長保は九九九〜一〇〇四年)。砂糖は当初、薬として少量が輸入される貴重品であったとされる。

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