第 07 話食蔦の汁を椀半分の蜜にするまで、冬の山を歩きつづけた翁のこと
〜砂糖を知らぬ世の童は、生まれてはじめて舐めた一さじに、なぜ目をまるくしたのか〜
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甘い、というのは、ごちそうのなかでもいちばん贅沢な味だ。
しょっぱいものや酸っぱいものなら、暮らしのそこらに転がっている。けれど甘いものだけは、どういうわけか、なかなか手に入らない。木の実をかじり、熟れた柿にありついて、ようやく舌が喜ぶ。そういう時代が、ずいぶん長く続いた。
砂糖は、まだ無いに等しかった。海の向こうから薬として渡ってくるばかりで、ひとつまみが目の玉の飛び出るほどの値だったらしい。貴いお方でさえ、めったに口にできぬ代物だ。ましてや庶民の口には、生涯ひとかけらも入らぬのが当たり前だった。
では甘いものが一切なかったのかというと、そうでもない。ボクが見てきたのは、蔦の汁を煮つめて作る、琥珀色のひと舐めの贅沢——甘葛、と呼ばれたものの話だ。
◇ ◇ ◇
長保二年(一〇〇〇年)の冬のことだ。大和の山あいに、蔦の汁を集めて甘葛を煮る老人がいた。名を安麿といった。
われが雪の山道で行き暮れて、ひとすじの煙を頼りにたどり着いたのが、その翁の小屋だった。日はとうに落ちて、手も足も、もう自分のものとは思えぬほどに凍えていた。一夜の宿を乞うと、安麿はだまって囲炉裏のそばを空けてくれた。框にかけた鍋では、何やら琥珀色のものが、とろとろと小さく煮えている。甘い匂いが小屋いっぱいに満ちていて、空きっ腹の虫が、われの腹で間の抜けた音を立てた。翁は、ふ、と笑った。
「甘葛さ」
これを煮るために、冬じゅうこの山にこもっているのだと翁は言った。その晩、囲炉裏の火を挟んで、安麿はぽつぽつと身の上を語った。若い時分から蔦を追ってこの山を歩き、もう幾冬になるか数えるのもやめたという。父も、その父も、おなじ山でおなじことをしていた。節くれだった指は、何百本という蔓を断ってきた手だった。爪のあいだには汁の乾いた黒いものがしみついて、洗っても落ちぬらしい。
「この甘さは、都のお方が氷にかけて召し上がるそうだ」と翁は言った。けれど安麿自身は、都というものを一度も見たことがない。自分の煮た蜜がどんな御殿で、どんな器に盛られるのか、見当もつかぬという。麓の問屋がときおり山まで取りに来て、わずかな米と布を置いていく。それで翁はひと冬を越す。「おらの蜜が、どこの誰の口に入るかは知らねえ。けど、甘いと喜ぶ顔だけは、どこでも同じだろうさ」。そう言って、火の奥をのぞきこむような目をした。
翌朝、われは安麿について山へ入った。雪のちらつくなかを、翁は慣れた足で藪を分けていく。目あては、木々に絡みついた蔦の太い蔓だ。冬枯れの蔦は葉を落とし、ただの枯れ縄のようにしか見えない。けれど甘い汁を溜めているのは、この冬のあいだだけなのだと翁は言う。葉の茂る時分には、汁は薄く水っぽくて使いものにならぬそうだ。なぜ冬の蔦にだけ甘さが宿るのか、翁も知らぬと言った。ただ、親もそうしていたから、自分もそうしているのだと。
蔦は、どこにでも生えているわけではない。日のよく当たる斜面、岩のあいだ、谷をのぞむ崖のふち——翁は、どの木にどんな蔓が絡んでいるか、頭のなかにすっかり入っているらしかった。雪を踏み、藪をくぐり、ときには木に手をかけてよじ登る。そうして山ひとつを半日かけて巡り、めぼしい蔓を残らず断っていく。骨の折れる仕事だ。それでも翁の足取りには、迷いというものがまるでなかった。
安麿は蔓を選び、鉈で断つ。切り口に竹筒をあてがうと、しばらくして縁に汁が玉のように滲んでくる。ぽたり、ぽたりと、筒の底へ落ちていく。じれったいほどゆっくりとだ。
「一本から、これっぽちさ」
翁が傾けてみせた竹筒の底に、汁は指の節ほども溜まっていなかった。これを集めるために、安麿は山じゅうの蔦を歩いてまわる。何十本、何百本という蔓を断っては筒をあて、わずかな滴を一日がかりで寄せ集めるのだ。背の籠にずらりと並んだ竹筒が、翁の丸一日の稼ぎだった。指はかじかみ、頬は雪に赤い。それでも翁は、汁を一滴もこぼすまいと、筒を大事に大事に抱えて山を下りた。
われも竹筒をいくつか預かって運んだ。けれど、かじかんだ手は思うように動かぬ。岩を越えるとき、つい一本を取り落として、せっかくの汁を雪に吸わせてしまった。われは青くなって詫びた。安麿は、ああ、と短く言っただけで、咎めはしなかった。「急ぐと、こうなる。山の恵みだ、惜しんでも追いつかぬ」。そう言って、こぼれた跡の雪を、なんでもないように踏み固めた。けれど、そのあとしばらく無言で歩く背中が、あの一筒の重さを物語っていた。蔦の汁の一滴が、翁にとってどれほどのものか、われはそのとき、ようやく胸に落ちた。
小屋へ戻ると、こんどは煮る仕事だ。集めた汁を鍋にあけ、弱い火で気長に煮つめていく。汁は初め、水のように薄く頼りない。それが火にかかるうちに、だんだんと色づき、とろみを帯びてくる。焦がしては元も子もないから、翁は鍋の前を片時も離れない。木べらで底をなで続け、立ちのぼる甘い湯気と煙のなかで、汁が琥珀色に縮んでいくのを、ただじっと見守る。
煮るには、まる一日では足りぬ晩もあった。その夜、われは何度も眠りに落ちかけては目を覚ました。そのたびに、囲炉裏の火明かりのなかで、翁が同じ姿勢で鍋をなでているのが見えた。木べらの動く音と、ときおり雪の枝から落ちる音のほかは、何ひとつ動かぬ夜だった。甘い匂いだけが、だんだんと濃く、小屋の隅々まで満ちていった。
半日とひと晩も煮て、ようやく鍋の底に、とろりとした飴色の甘葛が残った。あれだけ山を歩いて集めた汁が、煮あがってみれば椀の半分にも足りない。
安麿は、その貴い一滴を木の匙ですくって、われの手のひらにそっと落としてくれた。
舐めた。
……甘い。
舌のうえに、じわりと蜜のような甘さが広がった。野の花の蜜に似て、けれどもっと深く、こくのある甘さだ。冬の山の冷えで強ばっていた体の芯が、その一舐めでほどけていくようだった。われは恥も忘れて、手のひらをいつまでも舐めていた。翁が、また笑った。
この甘葛は、ほとんどが都へ運ばれていくのだという。やんごとないお方が、夏に氷を薄く削り、その上にこの蜜を回しかけて召し上がる。そういう涼やかな贅沢のために、安麿は冬の山にこもって、蔦の汁を一滴ずつ集めているのだった。
「おらたちの口には、めったに入らねえ」
そう言いながらも、翁は鍋の底をぬぐった匙を、孫らしい童に舐めさせていた。年に一度、甘葛を煮上げた日にだけ許される、その子の何よりの楽しみなのだという。童は匙を舐めると、目をまんまるに見ひらいて、それから、ふにゃりと相好を崩した。世にこんなに旨いものがあるのか、という顔だった。安麿は、その顔を見るのが何よりの褒美なのだと言った。
童は名残惜しそうに匙をしゃぶってから、翁の袖を引いた。来年もまた舐められるか、と小さな声でたずねる。安麿は、達者でいたらな、と笑って、節くれだった手で童の頭をなでた。来年の冬も、この翁は同じ山を歩き、同じように蔦を断ち、煙の前で半日を費やすのだろう。たった一椀の蜜と、童のその顔のために。
数日の後、麓から問屋の男が背負子を担いで上ってきた。安麿は煮上げた甘葛を小さな壺に移し、口を布できつく縛って渡した。男はそれを宝のように包み、慣れた手つきで背負子に括りつける。あの椀半分の蜜が、これから幾つもの山と川を越えて、都の御殿まで運ばれていくのだ。翁は、壺が藪の向こうに消えるまで、戸口に立って見送っていた。惜しむふうでも、誇るふうでもない。ただ、年に一度の仕事を一つ終えた者の、静かな顔だった。
われはもう一度だけ、手のひらに残った甘さを、舌の先で確かめた。蔦の汁の一滴一滴、翁が冬の山を歩いた幾日もの寒さ、煙にむせんだ半日——その何もかもが、この小さな一舐めの甘さに、溶けて入っているのだった。
◇ ◇ ◇
甘葛は、長いこと、この国でいちばん上等な甘味だった。
貴いお方は削り氷にかけ、餅に絡め、薬を練るのにも使ったと伝わる。けれど、その甘さの裏にはいつも、安麿のような者がいた。冬の山を歩き、蔦を断ち、煙の前で半日を費やして、椀半分の蜜を絞り出す者が。甘さというのは、それほど手間のかかる、得がたい味だったのさ。
やがて海の向こうから砂糖が安く入ってくるようになると、あれほど貴ばれた甘葛は、いつのまにか忘れられていった。今では、作り方さえはっきりとは伝わっていない。蔦のどの種を使い、どう煮たのか——確かなことは、もう誰も知らないのだろう。
今は、甘いものなどどこにでもある。袋を破れば、白い砂糖がいくらでもこぼれてくる。ひと舐めに、誰も冬の山を思い浮かべたりはしない。
それでも、とボクは思う。
うんと甘いものを口にしたとき、ほんの一瞬でいい。これがどれほど貴いものだったかを、思い出してみてほしい。蔦の蔓に滲む、ぽたりぽたりのひとしずくを。それを椀半分に煮つめた、煙くさい半日を。匙を舐めて目をまんまるにした、あの童の顔を。
甘い、というのは、もともと、それくらい得がたい味だったのさ。
参考文献・もっと詳しく
- 『古典がおいしい!平安時代のスイーツ』ISBN 978-4-7803-1176-1
- 『日本の食文化史——旧石器時代から現代まで』ISBN 978-4-00-061088-9
- 『枕草子』ISBN 978-4-00-300161-5
- 『事典 和菓子の世界 増補改訂版』ISBN 978-4-00-061259-3
※ 甘葛(あまづら)は、砂糖が広まる以前の日本で珍重された甘味料とされる。蔦の類の樹液を冬に集めて煮つめ、琥珀色の甘い蜜(甘葛煎)を得たと伝わるが、原料植物の特定(ツタ・アマチャヅル等の諸説)や正確な製法には不明な点が多い。『枕草子』には削り氷に甘葛をかけて食したと記され、平安期には貴族の上等な甘味であったらしい。長保二年は一〇〇〇年(長保は九九九〜一〇〇四年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。砂糖は当初、薬として少量が輸入される貴重品であったとされる。
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