壁を立てず、布で部屋をこしらえた——几帳の陰が、人と人の「間」をつくっていたころ20
平安のころ・平安京(西の京)読了 約8

壁を立てず、布で部屋をこしらえた——几帳の陰が、人と人の「間」をつくっていたころ

布一枚を隔てただけの女房は、なぜ、すぐそこにいるのに遠く感じられたのか

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kicho

 部屋を仕切るというと、今ならまず壁を思い浮かべる。

 板でも土でも、いちど立ててしまえば動かない。こちらと向こうがきっぱり分かれて、声も姿もそうそう抜けてこない。襖や障子にしたって、溝に嵌まって家のかたちを決めてしまう。部屋というのは、たいてい初めからそこにある四角い箱だ。誰もそれを疑わない。

 けれど、ずっと昔の高い屋敷には、その壁というものが、おどろくほど少なかったらしい。広い板の間がのっぺりと続くばかりで、柱はあっても、間を塞ぐ壁がない。寝殿造、と後に呼ばれる住まいのことだ。

 ではどうやって暮らしの場を分けていたのかというと、人は布で分けていた。屏風を立て、帳を垂らし、そして、几帳というものを置いた。台に細い柱を立て、横木を渡して、そこから布をはらりと下げただけの、いわば持ち運べる仕切りさ。

 壁で部屋を区切るのではなく、布の調度で「間」をこしらえる。ボクが見てきたのは、その一枚の布が、人と人のあいだに、ふしぎな遠さと近さを同時にこしらえていた、そういう暮らしのことだ。

◇ ◇ ◇

 寛弘三年(一〇〇六年)の春のことだった。平安京の西の京に、几帳や屏風を仕立てては、あちこちの屋敷に納める、為光という老いた職人がいた。われはその下で、布を裁ち、柱を削る見習いだった。

 几帳をこしらえるのは、思っていたよりずっと地味な仕事だった。まず木地師から来た台に、二本の細い柱を立てる。柱のあいだに横木を渡し、そこに、帷子と呼ぶ布を継いで掛ける。布の裾には野筋といって、細い縫い目の筋を何本も通しておく。ただそれだけのことだ。釘で固めるわけでもなし、壁のように据えつけるわけでもない。

 「これは、置くものではない。立てるものでもない」と、為光はよく言った。「気配を、こしらえる道具よ」

 はじめは、何を言っているのか、われにはわからなかった。布を垂らした台が、なぜ気配などをこしらえるのか。仕切りなら、もっと丈の高い屏風のほうがよほど隠れる。几帳の布は、人ひとりの背丈ほどしかない。屈めば下から覗けるし、横へ回ればすぐに向こうが見える。隠すというには、あまりに頼りない一枚だった。

 その頼りなさの値打ちを、われが思い知ったのは、ある屋敷へ納めに上がった日のことだ。

 あるじが、奥向きの広い母屋に、新しい几帳をいくつも立てたいという。為光に従って、われは布を掛けた台をいくつも担ぎ込んだ。広い板の間に、これといった壁はない。ただ柱が立ち、御簾が下がり、薄暗がりがどこまでも続いている。そこへ、為光は几帳を、ひとつ、またひとつと、ためつすがめつ置いていった。

 おどろいたのは、布を一枚立てるたびに、のっぺりしていた板の間に、すうっと「間」が生まれてくることだった。

 ここは人の通る道、ここは控えの場、この奥は女君のおわす場——壁などひとつもないのに、布の在りかひとつで、場の分けめがおのずと立ちあがる。几帳のこちらとあちらでは、もう空気の張りが違う。声をひそめるべき側と、そうでない側とが、布一枚を境にして、はっきりと分かれてしまうのだ。

 「ほら、もう、ここから先は奥になったろう」と、為光は几帳の裾を直しながら言った。たしかに、なった。さっきまで、ただの板の間だったところが、布を一枚下げただけで、踏み込むのをためらう奥座敷に変わっている。

 仕事を終え、帰りぎわのことだった。

 奥の几帳の向こうに、女房がひとり座しているのが、布の裾のあわいから知れた。屋敷の女君に仕える人らしい。為光が仕立ての具合をうかがうと、その人は、布の向こうから、よく通る声で答えた。継ぎ目の按配がよい、裾の重みもちょうどよい、と。

 声はすぐそこにある。手を伸ばせば届くほどの近さだ。布一枚を隔てているだけで、几帳の柱に手をかければ、向こうの気配がはっきりと伝わってくる。衣ずれの音も、ふとした息づかいも。

 それでいて、その人は、ひどく遠かった。

 われは、その人の顔を見ていない。見てはならぬものとして、几帳がやわらかく隔てている。布の陰にいるというだけで、その人は、すぐそこにいながら、遠い国にいるように遠い。覗こうと思えば覗ける、けれど覗いてはならぬ——その、隠すには頼りなく、近づくには遠すぎる、ちょうど真ん中の隔たりを、たった一枚の布がこしらえているのだった。

 壁なら、ここまで近くはなかった。壁なら、声も気配も奪ってしまう。布だからこそ、近さを残したまま、心の境だけを立てられる。隠しきらず、けれど触れさせない。その曖昧さこそが、几帳という道具のかんどころなのだと、このときようやく腑に落ちた。

 帰り支度をしていると、屋敷の表のほうから、客人が一人通された。女君に文の返しを乞いに来た男らしい。男は母屋には上がらず、几帳の手前に膝をついて、布の向こうへ言葉をかけた。

 われは柱の陰で、片づけの手を止めて、そのやりとりを聞くともなしに聞いていた。

 男の声は、初めこそ硬かった。改まった物言いで、当たりさわりのない口上をならべている。ところが、布の向こうから女房を介して返ってくる言葉が、ひとつ、ふたつと重なるうちに、男の声から、すこしずつ強ばりがほどけていった。顔を見られていない、という安心が、たしかにその声をやわらかくしていくのが、傍からも知れた。

 几帳の布は、春のかすかな風にも、はらり、はらりと揺れる。揺れるたびに、向こうの衣の色が、ほんの一筋だけ覗いては、また隠れる。覗けそうで覗けない。聞こえそうで聞きとれない。その、じれったいような隔たりのなかで、男と布の向こうの人は、面と向かってはとても言えぬであろう言葉まで、ぽつり、ぽつりと交わしていた。

 もし、ここに壁が立っていたら、と、われは思った。声は途切れ、気配は失せ、この二人は互いの息づかいすら知らずに別れただろう。逆に、何も隔てるものがなければ、男はあれほど打ちとけては話せなかったにちがいない。隠すでもなく、あらわすでもない。布一枚ぶんの隔たりが、ちょうどよい間合いとなって、人の口を、そっと軽くしているのだった。

 やがて男は丁重に頭を下げ、満ち足りた顔で帰っていった。布は、何ごともなかったように、まだ揺れていた。

 帰り道、われは為光に、あの頼りなさが値打ちなのかと尋ねた。老人は、めずらしく嬉しそうな顔をした。

 「壁は、人を切り離す。布は、人を、隔てながら結ぶ。あちらにいるのが分かる。けれど踏み込めぬ。その、もどかしい間合いを、人はことのほか好むのよ」

 几帳の陰で交わす言葉は、面と向かっては言えぬことまで、ふしぎとこぼれ出るのだという。顔を見られぬという安心が、舌をほどく。布一枚が、人の口を軽くし、心の戸を細く開ける。それは、壁では決してできぬことだった。

 そしてもうひとつ、為光がしきりに念を押したのが、几帳は動くものだ、ということだった。

 壁は据われば二度と動かぬ。けれど几帳は、台ごと持ちあげて、好きなところへ運べる。日が傾いて差しこむ光が変われば、それを避けるように動かす。人の数が増えれば、新たに一枚立てて間を割る。誰かが奥へ移れば、その人について布も移ろう。住まいのかたちは固まっていないのだから、几帳を置きなおすたびに、家のなかの「間」のかたちが、そのつど描きなおされる。

 「部屋が先にあって、人が入るのではない。人のいるところへ、部屋のほうが寄っていくのよ」と、為光は言った。

 その言いようが、われには妙に心に残った。後の世のように、初めから区切られた箱に人が住むのではない。布を立て、布を運び、その日その時の人の居どころに合わせて、暮らしの場を、手ずから仕立てなおしていく。几帳ひとつ動かすことが、住まいを一枚ずつ織りなおすような営みなのだと、老人は飽きもせず説いた。

 げんに、あの屋敷でも、女君が母屋から廂のほうへ座を移すと、女房たちは几帳を持ちあげて、するすると後を追っていった。布の壁が、人にしたがって流れていく。動かぬ壁では、決して真似のできぬことだった。

 以来、几帳を立てるたび、われは布の置きどころに念を入れるようになった。半尺ずらすだけで、人の通り道が変わる。気配の届きかたが変わる。隠すための布ではなく、間をこしらえるための布なのだと思えば、一枚の帷子の重みが、まるで違って手に乗った。

◇ ◇ ◇

 壁を立てぬ暮らしは、それからゆっくりと変わっていった。

 やがて家のかたちが移り、襖や障子が溝に嵌まって、部屋は動かぬ箱になっていく。持ち運べる仕切りの出番は、すこしずつ減っていったらしい。それでも、布で間をこしらえるという心は、思いのほか長く生きのびた。暖簾も、衝立も、元をたどれば、あの几帳のいとこのようなものさ。

 今でも、暖簾を一枚くぐるだけで、表と奥の空気が変わる店がある。布をはらりと下げただけで、「ここから先は別の場ですよ」と告げてくる。壁ほど隔てず、けれど、たしかに境を立てる。あの曖昧な間合いは、まだ、ちゃんと生きている。

 隠すには頼りない一枚の布が、近さを残したまま、心の境だけをそっと立てる——あの屋敷の薄暗がりで、布の向こうの声を聞いたときの、すぐそこにいるのに遠いという、あのふしぎな心もちを、ボクは今でも、暖簾をくぐるたびに思い出す。

参考文献・もっと詳しく

几帳(きちょう)は、台に二本の柱を立て横木を渡し、帷子(かたびら)と呼ぶ布を掛けて垂らした、移動できる間仕切りの調度とされる。壁の少ない寝殿造の住まいでは、屏風・几帳・帳・御簾などの布の調度で空間を区切り、「間」や気配をつくっていたといわれる。高貴な女性は几帳や御簾の陰で人と接し、顔を直に見せない習わしだったと伝わる(本話の人物・会話は創作)。寛弘三年は一〇〇六年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。西の京は平安京の右京にあたる呼称として用いた。野筋・帷子等の名称は要確認。

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