壁は立てず、布を一枚だけ注文した——几帳のはなし第 97 話文化
文化平安のころ・平安京(西の京)読了 約6分

壁は立てず、布を一枚だけ注文した——几帳のはなし

〜声はすぐそこにあるのに、なぜ、あんなに遠く感じられたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 オフィスの隅に、丈の低いパーテーションが一枚、ぽつんと立っている。声はまる聞こえなのに、姿だけが見えない。ボクは、それによく似た布を、一枚だけ、あつらえたことがある。

◇ ◇ ◇

 寛弘かんこう三年(一〇〇六年)の春、われは、几帳きちょうを一枚、あつらえに行った。

 住まいは、平安京の西の京にある、間借りの一室だった。父を亡くしてから、母と妹とわれの三人は、荒れた屋敷の片隅を借りて、幾年も暮らしていた。このあたりは、都のにぎわいから外れて久しく、崩れかけた築地塀ついじべいや、住む者のない屋敷が、あちこちに残っている。われの間借りも、広い板の間がひとつ続くばかりで、壁も襖ふすまもない。奥に敷いた筵のあたりが、いちおう母と妹の座ということになっていたが、人が訪ねてくれば、声も物音も、そのまま筒抜けだった。

 この春、同じつとめ先に出仕するある男が、妹への文をよこすようになった。返事を書く妹の筆が止まるたび、母がそっと様子をうかがう。文のやりとりだけならまだよい。だが、いずれ男が屋敷を訪ねてくることもあろう。そのとき、母と妹の座を、どう隠すか。われの禄は、いつも心もとなく、壁を新しく普請するほどの蓄えなど、どこを探しても見当たらなかった。板を打ちつけるのも大仰すぎる。かといって、このまま何もせずにおくわけにもいかなかった。

 思案の末、われは、西の京の外れに仕事場を構える、常丸という、几帳や屏風を仕立てる職人を訪ねることにした。値の割に長持ちすると、近所でも評判の男だった。

 西の京は、朝のうちから人影がまばらだった。空き家の軒先に草が伸び、井戸に蓋もされぬまま放られているところもある。表通りから一本外れた小道の奥に、常丸の仕事場はあった。削りかけの柱や、裁ちかけの布が、あちこちに積まれている。木くずの匂いと、糊のりの匂いが入りまじっていた。鑿を打つ小さな音が、途切れとぎれに響いている。常丸は、老いてなお節くれ立った手を休めず、布の端を縫いながら、われの話を聞いていた。

 「壁は建てられぬ。だが、人が来たときだけ、母と妹の座を隠したい」

 われがそう言うと、常丸は、われの値の話を待たず、奥の仕事場から一枚の布を持ち出してきた。厚手の、織りの詰まった布だ。われは、それでよいと思った。姿も声も、これなら残らず隠れる。

挿絵:われがそう言うと、常丸は、われの値の話を待たず、奥の仕事場から一枚の布を持ち出し

 ところが常丸は、その布をいったん脇へ置くと、もう一枚、ずっと薄手の布を持ってきた。そして、われを布の向こうへ立たせ、二枚を順に下げて、声をかけさせた。厚手のほうがよいと思い込んでいたわれには、常丸のやることが、はじめ、飲み込めなかった。

 厚手の布の向こうでは、声がくぐもって、遠くから届くようだった。薄手の布の向こうでは、声はすぐそこにあるように近い。それでいて、姿はやはり見えない。厚みが増すほど、隠れはするが遠くもなる。薄いほど、近くはあるが隠れきらない。

 常丸は、それ以上、何も言わなかった。ただ、薄手の布のほうを、台の寸法に合わせて裁ちはじめた。柱の高さは、われの見立てより、ひとまわり低い。立ったまま使うことを思っていたわれには、意外なほどだった。座ざして使うものだからだと、後になってわかったことだ。布の幅ひとつごとに、野筋のすじと呼ぶ平絹の細い帯を、上から一本ずつ垂らしていく。帯がまっすぐ垂れるたび、常丸の指先が、布の端をひと撫でする。それだけの仕草だった。

 三日目に様子を見に行くと、いったん仕立てた帷子かたびらが、台の脇に置き直されていた。裾の一枚を、丈を詰めすぎたのだという。常丸は、それを畳んで隅へやると、新しい布を、また一から裁ち直しはじめていた。布の端に指を這わせては、幅を確かめ、糸を張り直す。無駄になった布を惜しむふうでもない。値をたずねるのが恐ろしく、われは黙って見ているほかなかった。仕立て直したそれは、はじめのものより、心もち丈が短くなっていた。それでも常丸は、値をひとことも変えなかった。

 残りの日、母は幾度も、値の高さを口にした。妹は、何も言わずに、ただ庭先の桜を眺めていた。

 次に仕事場を訪ねたとき、常丸は、組み上がりつつある几帳を、台に立てて見せてくれた。四幅の布を綴じ合わせて垂らしただけの、飾り気のない代物だったが、それでも、そこだけ、ほのかに空気が違って見えた。

 仕上がりまでは十日ほどかかるという。手間賃は、布を二反、渡す約束をした。それは、母が何年もかけて機で織りためた絹の、ほとんどすべてだった。それでも、壁を立てるよりは、よほど安い。われは、迷わず頷いた。

挿絵:仕上がりまでは十日ほどかかるという

◇ ◇ ◇

 十日ののち、常丸の使いの少年が、台と柱と布を運んできた。真新しい布からは、まだ糊の匂いが抜けきっていなかった。組み立てそのものは、柱を台にさし、横木を渡すだけの、拍子抜けするほど容易なものだった。几帳を受け取ったその場で、われは、約束の絹を二反、少年に持たせてやった。少年は、それを大事そうに小脇に抱えると、来たときと同じように、黙って帰っていった。

 母は、届いた几帳を、とりあえずと、戸口のすぐ脇に、壁へ沿わせて立てた。それでは、人が来ても、声も物音も筒抜けのままだ。われは、何も考えるより先に、几帳を戸口から少し離し、斜めに立て直していた。声は通るが、座っている姿までは見通せない、その角度に。母は、そんな置き方があったのかと、几帳と、われの手もとを、しばらく見比べていた。

 几帳は、置く場所も角度も、そのつど選べた。母がひとりで繕い物をする日は、光の差す縁先へ寄せて、几帳の陰から出て仕事をした。妹が着替える折は、戸口のすぐ内側まで引き寄せて、部屋の隅を覆った。同じ一枚が、日によって、違う場所で違う仕事をした。

 届いたその夜、妹は、几帳の裏に座ってみて、くすぐったそうに笑った。声を出すと、思いのほかよく響くのだと、はじめて知ったふうだった。

 数日後、かの男の使いが、文の返しを取りに来た。朝からめずらしく晴れた日で、几帳の布に、庭からの光が透けて、薄い陰影をつくっている。母は、使いをどこに座らせたものか、部屋の隅であれこれ迷っている様子だった。われは、几帳から一間ほど離れた場所を、迷わず示した。近すぎれば布の意味がない。遠すぎれば、声も届かない。

 使いの男は、几帳の手前に控える母に向かって、あらたまった口上を述べた。母は、それを布越しに、静かに妹へ取り次いだ。妹の返事は、ふたたび母の口から、使いへと渡された。声は届くのに、妹の姿は、使いの目にも届かない。男は用件だけを手短に述べ、几帳の陰へ深く一礼して、帰っていった。布は、風もないのに、かすかに揺れていた。

 客が去ったあと、母は、ほう、と小さく息をついた。几帳の陰に阻まれて、来客の視線が届かなかったことに、いくらか安堵したふうだった。

 それからというもの、人の来る日は、几帳をあの角度に据えるのが、いつしか、われの役目になっていた。

 布が一枚あるだけで、近さと隔たりが、同時に立つ。声はすぐそこにあるのに、そこにいる姿は、遠い国のことのように、見えない。

◇ ◇ ◇

 オフィスの隅、パーテーションの向こうから、コーヒーの匂いが流れてくる。声も、匂いも、布一枚をやすやすと越えてくるのに、姿だけが、見えない。隣のブースで、誰かが電話に出る声がする。ボクは、マグカップを片手に、しばらくそこに立っている。

参考文献・もっと詳しく

※ 几帳(きちょう)は、台に二本の柱を立て横木を渡し、帷子(かたびら)と呼ぶ布を掛けて垂らした、移動できる間仕切りの調度とされる。壁の少ない寝殿造の住まいでは、屏風・几帳・帳・御簾などの布の調度で空間を区切っていたといわれる。高貴な女性は几帳や御簾の陰で人と接し、顔を直に見せない習わしだったと伝わる。こうした几帳の作法は、下級の家々でも、貴族の様式にならって広く用いられたと考えられる(本話の人物・会話は創作)。寛弘三年は一〇〇六年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。西の京は平安京の右京にあたる呼称として用いた。

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