第 21 話灯ひとつが、昼と夜を分けていた——油皿のあかりを惜しんで暮らした、夜がいちばん暗かったころのこと
〜灯心を撚る老女は、なぜ、たった一晩だけ、客のために灯を惜しまなかったのか〜
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夜が本当に暗かったころの話を、すこしだけしようか。
今は指先ひとつで夜が消える。壁の小さな出っぱりを押せば、部屋のすみずみまで白い光が行きわたって、外が夜なのか昼なのか、すぐにはわからなくなる。寝るのも起きるのも、好きな刻限に決められる。暗いから寝る、明るいから起きる——そんな順序を、今では誰も気にかけない。
けれど灯りがまだ高くついたころ、夜の暗さは今の比ではなかった。日が沈めば、家のなかは墨を流したように暗い。月のない晩は、伸ばした自分の手のひらすら見えない。その闇のなかにぽつりと灯る豆粒ほどのあかり——それが、その日の昼と夜を、起きている刻と眠る刻を、きっぱりと分けていた。
あかりといっても、立派なものではない。浅い皿に油をすこし張り、藺草の芯を一本浮かべて、その先へ火を移すだけのものだったらしい。皿は、三本の細い棒を中ほどで結わえて立てた台の上にのっていた。結び灯台、と呼ぶのだと、ボクは後になって知った。
油は高かった。ひと晩じゅう灯しておけるような家は、そう多くはなかったらしい。だから人は灯りを惜しんだ。惜しんで、暗くなれば早々に寝てしまう。明るさそのものが、銭のかかる贅沢だったのさ。
ボクが見てきたのは、その豆粒ほどのあかりを、銭を数えるように大事に灯していた、ある冬の夜のことだ。
◇ ◇ ◇
寛弘四年(一〇〇七年)の冬、京の都の北のはずれに、灯心を商う老女がいた。名を、おとよといった。
われはそのころ、あてもなく都をうろついていて、ひと晩の軒先を借りるつもりで声をかけた家が、たまたまおとよの住まいだった。痩せた小さな家で、土間のすみに藺草の束が山と積んである。おとよはその青い茎を割って、なかの白い髄を爪の先で器用に引き出しては、細くより合わせていた。これが灯心になるのだという。寺や、よほどの屋敷では、この芯がいくらでもいるから、撚っては売りに出すのだと、しわがれた声で話してくれた。
日のあるうちは、それでよかった。土間の戸を開け放てば、冬の薄い日ざしでも手元は見える。けれど日が傾くと、家のなかはみるみる暗くなった。
その暮れ方の暗さを、なんと言えばいいだろう。今の夜とは、まるで色が違う。日が落ちるにつれ、ものの輪郭が端から溶けていって、やがておとよの顔も、積んだ藺草の山も、ただの黒いかたまりになる。窓のそとも、同じ闇だ。あの晩は月がなかった。ほんとうに、伸ばした指の先さえ見えなかった。
おとよは、暗くなりきる前に、土間のすみの灯台へ火を入れた。
それが、結び灯台だった。背の低いわれの腰ほどの高さに、細い棒を三本、中ほどで麻緒できつく結わえてある。結び目から上は開いて皿を受け、下も開いて足になる。なるほど、結わえてあるから結び灯台か、と妙に得心したものだ。てっぺんの浅い土の皿へ、おとよは小さな壺から油を、ほんのすこしだけ注いだ。一滴をこぼすまいとする、惜しむような手つきだった。撚っておいた灯心を一本、その油に横たえ、片端を皿のふちに引っかけて出す。火打ちで火をおこして芯先へ移すと、ぽっ、と豆粒ほどの炎が立った。
たったそれだけの炎が、家のなかを、ふいに別の場所に変えた。
明るい、とはとても言えない。炎のまわり、せいぜい腕をのばしたあたりまでが、ぼうっと橙に染まるだけだ。そのわずかな輪のそとは、さっきと変わらぬ闇のまま。それでも、何ひとつ見えなかった暗がりに、ひとつ、よりどころができた。手元の藺草が見える。おとよの皺ばんだ指先が見える。たったそれだけのことが、妙にありがたかった。胡麻を搾った油らしく、灯心のあたりから、香ばしいような、すこし焦げたような匂いが立ちのぼる。炎は、戸の隙間から入る風に、たえずちろちろと身をよじっていた。
ふたりで湯漬けをすすって、しばらくすると、おとよが、ふっと炎を吹き消した。
また、墨のような闇がもどってくる。なぜ消すのかと問うと、おとよは闇のなかで笑った。油は高い。目を使う仕事がないのに、ただ灯しておくのはもったいない、と言う。話をするだけなら、暗くてもできるだろう、と。たしかに、見えぬまま、ふたりはぽつぽつと言葉を交わした。声だけが、闇のなかを行き来する。明るいうちは寝るのが惜しいが、暗くなれば、寝るよりほかにすることもない。だから人は日とともに眠るのさ、とおとよは言った。
闇に目が慣れてくると、戸の隙間から、外のようすがわずかに知れた。あたりの家々も、みな同じように暗かった。灯りの洩れる窓など、どこにもない。日が落ちれば、この界隈ぜんたいが、ひとつの大きな闇に沈んでしまうのだ。たまさか遅く帰る者があれば、月か星の明かりだけを頼りに、手さぐりで道をたどっていく。だから、ひと晩じゅう灯りの洩れる屋敷というのは、それだけで人目を引いたし、近づけば暖かそうにも見えたものだ。あかりは、ただ手元を照らすだけではなかった。ここに人が起きている、という、闇のなかの目じるしでもあったのさ。
おとよは、若いころ仕えた屋敷の話をした。夜ふけまでこうこうと灯りの絶えぬ部屋があって、そこではいつも、誰かが筆を持ち、書をしたためていたという。油をいくらでも灯せる身分というものが、この世にはあるのだと、そのとき初めて知ったそうだ。けれど、と、おとよは闇のなかで言い添えた。あかりが多ければ、その下の暮らしが豊かとはかぎらぬ。豆粒ひとつの灯りでも、惜しんで分けあえば、ずいぶんあたたかい。撚りためた灯心の手ざわりを確かめながら、おとよは、そんなことを、ひとりごとのように言った。
夜半に、ふと目がさめた。
闇のなかに、また豆粒の炎が立っている。おとよが、灯台のそばで身をかがめ、せっせと藺草を撚っていた。明日のうちに、まとまった数の灯心を寺へ納めねばならぬのだという。眠るのを惜しんで、夜なべに精を出していたのだ。
起き出して、われも炎の輪のなかへにじり寄った。眠っていられぬ寒さでもあった。炎の橙が、おとよの手元と、われの膝先までを、かろうじて照らす。藺草の青い匂いと、油の焦げた匂いが、せまい輪のなかに溶けあっていた。
見ているうちに、炎がだんだん細く、心もとなくなってきた。皿の油が、目に見えて減っている。これは油を足すのだろうと思っていると、おとよは油には手を伸ばさず、かたわらの細い竹串で、灯心の先を、ちょい、と持ち上げた。
すると、しぼみかけていた炎が、ぱっとまた背を伸ばした。
油を足さずとも明るくなるのか、と驚いて見ていると、おとよは、これを「かき立てる」のだと教えてくれた。芯先が燃えて炭になり、ひとりでに沈んでくると、火が痩せる。そこを串で起こして、新しい芯を炎へ送り出してやる。油を惜しむなら、足すより先に、まず芯をかき立てよ——母から、その母から、ずっとそう言われてきた、とおとよは言った。理屈は知らぬ。ただ、指がそれを覚えていた。
われも一度、串を借りてやってみた。力を入れすぎて、危うく炎を倒しかける。おとよが、あわてず、ちょい、と直す。その手つきの、なんと馴れていたことか。何千もの夜を、この豆粒の炎ひとつと過ごしてきた手だった。
やがて、皿の油がいよいよ底をつきかけてきた。
おとよはもう、灯心の山を撚りおえていた。あとは数を揃えて束ねるだけで、それなら手だけでもできる、暗くてもできる、と言う。長年やってきた指は、闇のなかでも狂わぬらしい。では、消すのだろうと思った。残りわずかな油を、惜しまぬはずがない。
ところが、おとよは消さなかった。
最後のひとたらしの油が燃えつきるまで、炎をそのままにしておいた。われに向かって、ぽつりと言う。客人を、まっくらな土間に寝かせたまま朝まで放っておいては、寝覚めが悪い、と。明日からはまた、お前さんも当てのない夜を歩くのだろう、せめて今夜くらいは、灯りのそばで寝めばいい——そう言って、炎のほうへ、われの寝床のほうへと、灯台をそっと寄せてくれた。
惜しんで惜しんで、銭を数えるように灯していたその油を、おとよは、ゆきずりのわれのために、最後のひとたらしまで使いきった。豆粒ほどの炎が、最後にひときわ明るく伸びて、それから、すうっと細くなって、消えた。
あとには、また墨のような闇と、油の焦げた匂いだけが残った。われは、その匂いのなかで、なんだか胸のあたりがあたたかいまま、目を閉じた。
翌朝、おとよは束ねた灯心を背に、寺へと出かけていった。礼を言って戸口で別れると、また撚りに来るがいい、と笑って手を振る。明るい朝の光のなかでは、ゆうべの豆粒の炎も、結び灯台も、なんだか嘘のように小さく見えた。
◇ ◇ ◇
それから、灯りはすこしずつ安くなっていった。
菜種から搾る油が出まわって、油皿の火も、ずっと気軽に灯せるようになったらしい。やがて紙の火屋で炎を囲う行灯ができ、蝋燭が灯り、ずっと後には、火を使わぬ明かりまで生まれた。今では、夜のほうが昼より明るい町さえある。灯りを惜しむ、という言葉そのものが、もう通じなくなってしまった。
ボクたちは、もう、灯りを銭で数えたりはしない。暗いから寝る、明るいから起きる——あの、灯ひとつが昼と夜を分けていた順序も、とっくに手ばなした。それは、たぶん、ありがたいことなのだろう。
それでも、と思う。壁の出っぱりを押して部屋じゅうを白く満たすたびに、ボクはときどき、あの京の冬の土間を思い出す。腕をのばしたぶんしか届かない、豆粒ほどの橙の輪。その狭さが、かえって、人とのあいだを近くしていた気がするのだ。
油が惜しいなら、足すより先に芯をかき立てよ——竹串で、ちょい、と炎を起こしてやったおとよの手つきを、ボクはまだ覚えている。あれだけ油を惜しんだ人が、最後のひとたらしを、見ず知らずのボクのために灯しきってくれたことも。
◇ ◇ ◇
参考文献・もっと詳しく
- 『日本住宅史図集』ISBN 978-4-8446-0291-0
- 『日本のあかり』ISBN 978-4-7838-9612-8
- 『日本建築史』ISBN 978-4-320-07663-1
- 『平安女子の楽しい!生活』ISBN 978-4-00-500772-1
※ 結び灯台は、三本の棒を中ほどで結わえて組み、上に油皿をのせる平安期以来の灯火具の一形とされる。油皿に油を張り、藺草(い草)の髄から作った灯心を浸して灯したと伝わる。灯火用の油は荏胡麻油や胡麻油が用いられ高価で、平安期の灯火は寺社や貴族の暮らしが中心、庶民の多くは日暮れとともに眠ったと言われるが、本話の人物・会話は創作。芯をかき立てて明るさを保つ所作も民俗として伝わるもの。寛弘四年は一〇〇七年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。京の都の北のはずれは、都の周縁にあたる住まいの設定として用いた。
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