灯ひとつが、昼と夜を分けていた——油皿のあかりを惜しんで暮らした、夜がいちばん暗かったころのこと第 19 話文化
文化平安のころ・京の都読了 約7分

灯ひとつが、昼と夜を分けていた——油皿のあかりを惜しんで暮らした、夜がいちばん暗かったころのこと

〜灯心を撚る老女は、なぜ、たった一晩だけ、客のために灯を惜しまなかったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 灯りは、いつから、こんなにも惜しまれなくなったのだろう。

 今は指先ひとつで夜が消える。壁の小さな出っぱりを押せば、部屋のすみずみまで白い光が行きわたって、外が夜なのか昼なのか、すぐにはわからなくなる。寝るのも起きるのも、好きな刻限に決められる。暗いから寝る、明るいから起きる——そんな順序を、今では誰も気にかけない。

 けれど灯りがまだ高くついたころ、夜の暗さは今の比ではなかった。日が沈めば、家のなかは墨を流したように暗い。月のない晩は、伸ばした自分の手のひらすら見えない。その闇のなかに小さく灯る豆粒ほどのあかりが、その日の昼と夜を、きっぱりと分けていた。

 あかりといっても、立派なものではない。浅い皿に油をすこし張り、藺草いぐさの芯を一本浮かべて、その先へ火を移すだけのものだった。皿は、三本の細い棒を中ほどで結わえて立てた台の上にのっていた。結び灯台むすびとうだい、と呼ぶのだと、ボクは後になって知った。

 油は高かった。ひと晩じゅう灯しておけるような家は、そう多くはなかった。だから人は灯りを惜しんだ。惜しんで、暗くなれば早々に寝てしまう。明るさそのものが、米や布と引き換えにするほどの贅沢だったのさ。

 その豆粒ほどのあかりを、惜しんで惜しんで灯していた、ある冬の一夜がある。

◇ ◇ ◇

 寛弘四年(一〇〇七年)の冬、京の都の北のはずれに、灯心とうしんを商う老女がいた。名を、おとよといった。

 われはそのころ、幾つかの国をわたり歩いて、その先々で、灯りの世話のしかたをいくつか見知っていた。都へたどり着いたその晩、ひと晩の軒先を借りるつもりで声をかけた家が、たまたまおとよの住まいだった。痩せた小さな家で、土間のすみに藺草の束が山と積んである。おとよはその、乾いて褐色になった茎を割って、なかの白い髄ずいを爪の先で器用に引き出しては、細くより合わせていた。これが灯心になるのだという。寺や、よほどの屋敷では、この芯がいくらでもいるから、撚っては売りに出すのだと、しわがれた声で話してくれた。

 日のあるうちは、それでよかった。土間の戸を開け放てば、冬の薄い日ざしでも手元は見える。けれど日が傾くと、家のなかはみるみる暗くなった。ものの輪郭が端から溶けていって、やがておとよの顔も、積んだ藺草の山も、ただの黒いかたまりになった。あの晩は月がなかった。

 おとよは、暗くなりきる前に、土間のすみの灯台へ火を入れた。

 それが、結び灯台だった。背の低いわれの腰ほどの高さに、細い棒を三本、中ほどで麻緒あさおできつく結わえてある。結び目から上は開いて皿を受け、下も開いて足になる。名の通り、結わえただけの道具だった。てっぺんの浅い土の皿へ、おとよは小さな壺から油を、ほんのすこしだけ注いだ。一滴をこぼすまいとする、惜しむような手つきだった。この油も、撚った灯心をひと束、寺へ納めるたびに分けてもらう、荏胡麻の油だという。壺の中身は、もう底が見えていた。撚っておいた灯心を一本、その油に横たえ、片端を皿のふちに引っかけて出す。火打ひうちで火をおこして芯先へ移すと、ぽっ、と豆粒ほどの炎が立った。

挿絵:それが、結び灯台だった

 たったそれだけの炎が、家のなかを、ふいに別の場所に変えた。

 明るい、とはとても言えない。炎のまわり、せいぜい腕をのばしたあたりまでが、ぼうっと橙に染まるだけだ。そのわずかな輪のそとは、さっきと変わらぬ闇のまま。それでも、何ひとつ見えなかった暗がりに、ひとつ、よりどころができた。手元の藺草が見える。おとよの皺ばんだ指先が見える。たったそれだけのことが、妙にありがたかった。荏胡麻の焦げるような、香ばしい匂いが、灯心のあたりから立ちのぼる。炎は、戸の隙間から入る風に、たえずちろちろと身をよじっていた。

 ふたりで湯漬ゆづけをすすって、しばらくすると、おとよが、ふっと炎を吹き消した。

 また、墨のような闇がもどってくる。それがどういうわけか、われには問うまでもなかった。目を使う仕事もないのに灯しておくのは、どこの国でも贅沢だ。話をするだけなら、暗くてもできる。たしかに、見えぬまま、ふたりはぽつぽつと言葉を交わした。声だけが、闇のなかを行き来する。明るいうちは寝るのが惜しいが、暗くなれば、寝るよりほかにすることもない。だから人は日とともに眠るのさ、とおとよは言った。

 戸の隙間から、外のようすがわずかに知れた。あたりの家々も、みな同じように暗かった。灯りの洩れる窓など、どこにもない。日が落ちれば、この界隈ぜんたいが、ひとつの大きな闇に沈んでしまうのだ。たまさか遅く帰る者があれば、月か星の明かりだけを頼りに、手さぐりで道をたどっていく。だから、ひと晩じゅう灯りの洩れる屋敷は、それだけで人目を引いたし、近づけば暖かそうにも見えたものだ。

 おとよは、若いころ仕えた屋敷の話をした。夜ふけまでこうこうと灯りの絶えぬ部屋があって、そこではいつも、誰かが筆を持ち、書をしたためていたという。油をいくらでも灯せる身分というものが、この世にはあるのだと、そのとき初めて知ったそうだ。それから、おとよは何も言わず、撚りためた灯心の束を、そっと膝に引き寄せた。冷えた指先で、その手ざわりだけを確かめるように、しばらくそうしていた。

 夜半に、ふと目がさめた。

 闇のなかに、また豆粒の炎が立っている。おとよが、灯台のそばで身をかがめ、せっせと藺草を撚っていた。明日のうちに、まとまった数の灯心を寺へ納めねばならぬのだという。眠るのを惜しんで、夜なべに精を出していたのだ。

 起き出して、われも炎の輪のなかへにじり寄った。眠っていられぬ寒さでもあった。炎の橙が、おとよの手元と、われの膝先までを、かろうじて照らす。藺草の乾いた匂いと、荏胡麻の油の焦げた匂いが、せまい輪のなかに溶けあっていた。

挿絵:起き出して、われも炎の輪のなかへにじり寄った

 見ているうちに、炎がだんだん細く、心もとなくなってきた。おとよが、手を止めずに、竹串たけぐしの先で芯先を、ちょい、と持ち上げる。炭になった先が起きて、炎がまた息を吹き返した。迷いのない、慣れた一突きだった。

 けれど、しばらくすると、また同じように萎んでいく。それも道理だと、われは思った。戸の隙間から入る風が、たえず炎の横腹を撫でていく。風にあおられて揺れる炎は、まっすぐ立つ炎より早く油を食う——旅先で、灯を扱う者から聞き覚えたことがあった。おとよの結び灯台は、ちょうどその風筋に据えてあった。

 われは、灯台の脚をそっと持ち上げ、戸口の風筋から離れた壁ぎわへ、据え直した。一度では決まらず、二度、三度と場所を変えて、ようやく炎がまっすぐに立つ場所を見つけた。

 炎は、それきり、揺れることが少なくなった。おとよは何も言わず、壁ぎわの灯台と戸口とを見くらべてから、数を揃えかけていた灯心の束へ手を戻した。

 やがて、また炎が細くなってきた。おとよが、二度目の一突きをくれる。炭を起こし、炎が伸びる。それでも皿の油は、確かに減っていた。風を防いでも、灯心が燃えるかぎり、油は尽きていくのだ。

 おとよはもう、灯心の山を撚りおえていた。あとは数を揃えて束ねるだけで、それなら手だけでもできる、暗くてもできる、と言う。長年やってきた指は、闇のなかでも狂わぬらしい。では、消すのだろうと思った。残りわずかな油を、惜しまぬはずがない。

 ところが、おとよは消さなかった。芯先へ、三度目の一突きをくれただけだった。

 最後のひとたらしの油が燃えつきるまで、炎をそのままにしておいた。われに向かって、静かに言う。客人を、まっくらな土間に寝かせたまま朝まで放っておいては、寝覚めが悪い、と。明日からはまた、お前さんも当てのない夜を歩くのだろう、せめて今夜くらいは、灯りのそばで寝めばいい——そう言って、炎のほうへ、われの寝床のほうへと、灯台をそっと寄せてくれた。

 惜しんで惜しんで、米粒を数えるように灯していたその油を、おとよは、ゆきずりのわれのために、最後のひとたらしまで使いきった。豆粒ほどの炎が、最後にひときわ明るく伸びて、それから、すうっと細くなって、消えた。

 あとには、また墨のような闇と、油の焦げた匂いだけが残った。われは、その匂いのなかで、なんだか胸のあたりがあたたかいまま、目を閉じた。

 翌朝、おとよは束ねた灯心を背に、寺へと出かけていった。礼を言って戸口で別れると、また撚りに来るがいい、と笑って手を振る。明るい朝の光のなかでは、ゆうべの豆粒の炎も、結び灯台も、なんだか嘘のように小さく見えた。

◇ ◇ ◇

 壁の出っぱりを指先ひとつで押せば、部屋じゅうが白く満ちる。今のボクの部屋には、豆粒の炎も、油の匂いもない。

 灯りをともす指先の動きだけは、あの晩と変わらない。ただ、当時の指先は、いつも、残り少ない油の目方を気にしていた。今の指先は、もう何も気にしない。

 あの夜、おとよが芯をかき立てたのは、三度だけだった。背をまるめ、肩を寄せて豆粒の炎をのぞきこむ恰好は、四十年か五十年か、幾千の夜をひとりで重ねてきた者の形だった。ボクが渡せたのは、旅先で見て覚えた、風よけの工夫ひとつ。おとよが渡してくれたのは、その何倍もの、数えきれぬ夜の記憶だった。

 肩を寄せ、まるめた背の感触だけは、ボクはまだ覚えている。

◇ ◇ ◇

参考文献・もっと詳しく

※ 結び灯台は、三本の棒を中ほどで結わえて組み、上に油皿をのせる平安期以来の灯火具の一形とされる。油皿に油を張り、藺草(い草)の髄から作った灯心を浸して灯したと伝わる。灯火用の油は荏胡麻油や胡麻油が用いられ高価で、平安期の灯火は寺社や貴族の暮らしが中心、庶民の多くは日暮れとともに眠ったと言われるが、本話の人物・会話は創作。芯をかき立てて明るさを保つ所作も民俗として伝わるもの。寛弘四年は一〇〇七年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。京の都の北のはずれは、都の周縁にあたる住まいの設定として用いた。

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