第 66 話文化厨子のいちばん良い場所に、欠けた椀ひとつが据えられていた
〜なぜたきは、欠けた素焼きの椀ひとつを、漆の棚のいちばん良い場所に据えたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
両の手のひらに、重い木の感触が甦る。指を掛けると、金具がひやりと冷たい。力をこめて引くと、枢がひと呼吸遅れて、みし、と鳴った。
なかから漂うのは、古い漆と紙の匂いだ。分厚い両開きの扉の向こうに、幾つもの棚が組まれ、書物や道具が行儀よく並んでいる。厨子と呼ばれた、その棚に、ボクは長く仕えていた。
◇ ◇ ◇
寛弘六年(一〇〇九年)の春のことだった。われは都の五条わたり、とある受領の家に仕える、下人のひとりだった。あるじは伊予のあたりの任を終えて都に戻った男で、暮らしむきはけっして豊かではない。屋敷にはほかに、あるじの妻と、幼い一人息子、それに古参の使用人が数人いるばかりで、人の出入りも多くはなかった。それでも家のなか、母屋の隅にだけ、妙にあらたまった気配を放つ場所があった。一基の厨子である。
その厨子をひとりで預かっていたのが、たきという古参の下女だった。痩せて背の曲がった、もう若くはない女で、口数は少ないが、手だけはよく動く。奉公にあがってまもなく、われはその掃除を言いつけられた。
たきは、ただひとこと、「傷めるな。それだけだ」と言い残し、あとは何も教えなかった。
なかは幾段にも棚が組まれ、巻物が筒のまま寝かされ、草子が積まれ、黒い漆の硯箱や、貝を散らした櫛の箱が、それぞれの場所に収まっている。柔らかい布で、上の段から順に、ひとつずつ拭う。それだけのことだと、われは高をくくっていた。
だが、拭くにも、ただの拭きかたでは通らなかった。巻物は寝かせたまま、軸の埃を端から端へひと息に払わねばならぬ。硯箱は蓋と身をいったん離し、それぞれ別に拭う。櫛箱の貝の細工は、布をきつく当てれば剥がれる。息でふっと吹いてから、撫でるようにあてねばならなかった。
ある朝、われはうっかり布を強く当てすぎて、貝の細工をひとかけら、浮かせてしまった。冷や汗をかきながら、指先でそっと押し戻す。幸い、欠けずに収まったが、その日は一日、生きた心地がしなかった。そんなふうに、われの手は幾度も物を傷めかけ、そのたびに、たきの目がすっと動くのが分かった。叱る声はない。ただ、われの手が、ひとりでに止まる。

硯箱の蓋は、力を込めずとも吸いつくように閉まる。無理に押しつければ、かえって閉まりが悪くなった。巻物の軸は、持ち上げる角度をわずかに違えるだけで、紐の結び目の向きが変わる。たきの言葉ではなく、指先に伝わるその手ざわりだけが、触れていい力の加減を、われに教えた。
棚のいちばん前、いちばん目につく場所に、ひとつだけ、どうにも釣り合わぬ物があった。欠けた、素焼きの椀である。縁がひとところ欠け、色も垢じみて、貧しい家の土間にでも転がっていそうな代物だ。漆の硯箱や貝の櫛箱と並べるには、あまりに見劣りがした。
そうして幾月かが経ち、われの拭き方にも、たきが目を留めなくなった。任せて大事ないと見たのだろう、たきはこの頃、厨子から少し離れた場所で繕い物をしながら、われの手もとを気にも留めなかった。
ある日、あらたまった客が来ると聞き、われはひとりで厨子の支度を任された。上等な物から順に、見ばえのする段へ並べ替える。あの欠けた椀は、隅の暗がりへしまい込んだ。恥ずかしい物を人目から隠すように。
支度を終え、ひと息ついたところへ、たきがやってきた。棚をひとわたり眺め、何も言わずに、隅の椀を取り出す。そうして、いちばん前の、いちばん目につくあの場所へ、そっと戻した。それから、われの手に、次に磨くべき布を握らせた。
われは、わけが分からなかった。あんな粗末な物を、なぜ。
客を迎え、扉が開け放たれると、棚の段々が、いっせいに客のほうへ顔を向けた。客はその段々をしばし眺めて、ほう、と低く息をついた。上の段の巻物を指し、これはどちらから、と尋ねる。あるじは待っていたとばかりに、その来し方を語りはじめた。別の客は、香を焚きしめた小箱に目をとめ、良い香りだ、と褒めた。あるじの顔に、ほのかな誇らしさが浮かぶのを、われは棚のかたわらから見ていた。
やがて客の目が、あの欠けた椀にとまった。あるじの肩が、ほんのわずかにゆるむのを、われは見逃さなかった。
「おお、その椀は相変わらずそこか。何年経っても、いちばんの場所じゃな」
客は懐かしそうに目を細め、あるじに向かって続けた。「亡くなられた先の奥方が、若い時分に旅先で病に臥せられたとき、宿の女子が薄粥を差し出したという、あの椀であろう。それを召しあがって、命を拾われたと聞く。爾来、手放されなんだとか」

――ふと、遠い先の世にも、来客のときだけ開ける戸棚が、どこかの家にあるような気がした。ふだんは奥に仕舞われていて、客の刻にだけ、いちばん良い器が、表を向くのだろう。
その夜、客が帰ったあと、われはひとりで厨子の前に座った。もう一度、あの椀を手に取る。縁の欠けたところを、指の腹でなぞってみた。
――と、指が、思いがけないものに触れた。欠けた縁のふちだけが、ほかのどこよりも、なめらかに丸みを帯びている。土器の割れ口は、本来もっと粗く尖っているはずだ。それが、まるで幾年も撫でられ続けたかのように、つるりとなだらかになっていた。
もうひとつ、気づいたことがあった。棚のほかの品は、拭くたびにわずかに位置がずれる。けれど、この椀だけは、いつも寸分違わず同じ場所に、同じ向きで戻される。まるで、そこにしか収まらぬ形があるかのように。
物は何も語らない。けれど、この椀の丸くなった縁と、寸分違わぬ置き場所とが、たしかに何かを語っていた。長い年月、幾つもの手が、幾度も幾度も、この同じ場所に触れてきたのだと。
それからというもの、厨子のなかの物が、われには違って見えはじめた。この硯は、あるじが手習いをはじめた幼い日から使っているもの。貝を散らした櫛の箱は、あるじの妻が輿入れの折、里から持たされた数少ない品のひとつだという。色あせた小箱には、亡き母御の文が納められている。開けるのは、年に一度、命日の朝だけだ。厨子に納められた品は、数えて二十あまり。ひとつひとつの縁や角に、幾つもの手の跡が、目には見えぬ形で積もっていた。
幾つもの季節が巡るあいだに、その硯を拭う手が、われ自身どうしてか、いつもより長く止まることが、たまにあった。
あるとき、まだ幼いあるじの子が、厨子の前で硯箱を引きずり出し、危うく床へ落としかけたことがあった。われは思わず声をあげ、子の手から硯箱を受け取った。叱る言葉は出てこず、ただ、子の小さな手を取って、硯箱の角を、そっとなぞらせた。ここが、幾つもの手で丸くなっているだろう、と。子は神妙な顔で、その角を、指でたしかめていた。その日から、子は厨子の前を通るたび、そっと会釈をするようになった。
そんな年月を幾つも重ね、厨子の物の来歴を、われがひととおり読み取れるようになった頃には、あるじの子も、すっかり背が伸びていた。たきは年老いて、奉公を退くことになった。引き継ぎのその日、たきは何も言わず、厨子の前に立つのをやめた。長年そこにあった場所に、ぽつりと隙間ができて、われはそこに立った。
◇ ◇ ◇
あの厨子の扉を開けるとき、ボクはいつも両手に力をこめた。厚い板の重みが、押しあけるたびに、じん、と肩へ乗った。
今の戸棚の扉は、指先ひとつで開く。そこにあるのは、羽根のような軽さだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 厨子(ずし)は、書物・調度・器物などを納め、両開きの扉を開いて飾った棚状の調度とされ、源流は中国(唐)の調度に求められるとも言われるが諸説ある。寝殿造の室内で、書物や愛蔵の品を納めて家の格を示す道具のひとつだったと考えられている。仏像・経典を安置する厨子(仏龕)としての用法も古くから並行して存在したと言われ、両者の先後関係は判然としない。寛弘六年は一〇〇九年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。受領は諸国に赴任してその国を治めた国司の最上位者(多くは守)を指し、あるじは伊予の任を終えて都へ戻った元受領。本話の人物・会話・椀の来歴はすべて創作。
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