扉を開けば、それは「しまう」ではなく「飾る」になった——書物と調度を納めて誇った、厨子という棚のこと22
平安のころ・都(五条わたり)読了 約8

扉を開けば、それは「しまう」ではなく「飾る」になった——書物と調度を納めて誇った、厨子という棚のこと

なぜあの古女房は、欠けた素焼きの椀ひとつを、漆の棚のいちばん良い場所に据えたのか

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zushi

 物をしまう場所と、物を飾る場所は、今ではきれいに分かれている。

 戸棚の奥や引き出しの底は、しまう場所だ。普段は閉めておいて、使うときだけ開ける。客の目に触れる棚や台のうえには、見せたいものだけを選んで並べる。しまうものと飾るものを、別々のところへふりわけて暮らしている。誰もそれを不思議とは思わない。

 けれど、しまうことと飾ることが、ひとつの家具のなかでぴたりと重なっていた頃があった。背の高い、両開きの扉のついた棚だ。厨子、と呼ばれていたらしい。もとは海の向こうの唐から伝わった調度だとも言われるが、確かなところはボクも知らない。

 その棚には、書物や巻物、硯や櫛の箱、家に伝わる大切な物を納めておく。普段は扉を閉じておく。そうして人が訪ねてくると、両の扉をぱたりと開ける。すると、しまってあったはずの物が、そのまま客のほうへ向きなおって、ずらりと飾られているという按配になる。しまうことが、扉ひとつでそっくり飾ることに変わる。それが厨子という棚だった。

 その棚の前で、人の持ち物にいつのまにか格や来歴がにじんでいくのを、ボクは見てきた。

◇ ◇ ◇

 寛弘六年(一〇〇九年)の春のことだった。われは都の五条わたり、とある受領の家に、下仕えとして奉公していた。あるじは伊予のあたりの任を終えて都に戻った男で、暮らしむきは、けっして豪勢ではない。それでも、家のなかでひとところだけ、妙にあらたまった気を放っている場所があった。母屋の隅に据えられた、一基の厨子である。

 その厨子をひとりで預かっていたのが、たきという古参の女房だった。痩せて背の曲がった、もう若くはない人で、口は重いが、手だけはよく動く。奉公にあがってまもなく、われはそのたきに、厨子の掃除を仕込まれることになった。

 「ここは、ただの棚じゃないからね」

 たきはそう言って、まず両の扉を、押しいただくようにゆっくりと開けた。なかは幾段にも棚が組まれて、巻物が筒のまま寝かされ、草子が積まれ、黒い漆の硯箱や、貝を散らした櫛の箱が、それぞれの居場所におさまっている。埃ひとつ立てぬよう、柔らかい布で、上の段から順に、ひとつずつ拭いていくのだ。

 拭くにも、ただの拭きかたではない。巻物は寝かせたまま、軸の埃を端から端へとひと息に払う。硯箱は、蓋と身をいったん離して、それぞれ別に拭う。櫛箱の貝の細工は、布をきつく当てれば剥がれるから、息でふっと吹いてから、撫でるようにあてる。物ごとに、触れていい力と触れてはいけない力があって、たきの手はそれを残らずわきまえていた。われの手はぎごちなく、はじめのうちは、たきに何度も布を取りあげられた。

 われは初め、なぜこんな手間をかけるのかと、内心いぶかしく思っていた。物をしまうだけの棚なら、扉を閉めて埃をよければよい。それを、ひとつずつ取り出しては拭い、また元の場所へ戻し、向きまでそろえる。まるで物そのものに、客へ見せる支度をさせているようだった。

 その意味が、すこしずつわかってきた。

 ある日、家にあらたまった客が来ると、たきは朝のうちから厨子の前にかかりきりになった。いつもより念を入れて拭きあげ、巻物の並びを直し、いちばん見ばえのする草子を、上の段の手前へとそっと移す。そうして客を迎えるまさにそのとき、両の扉をすっと開け放つ。

 すると、奥にしまわれていたはずの物たちが、いっせいに客のほうへ顔を向ける。この家がどれほどの書物を持ち、どんな調度を伝えてきたか。それが扉ひとつで、ものも言わずに語られる。客はその段々をしばし眺めて、ほう、と低く息をついた。そうして、上の段の巻物のひとつを指して、これはどちらから、と尋ねる。あるじは待っていたとばかりに、その来し方を語りはじめる。物が口火を切り、人の話がそこからほどけていく。厨子の前は、いつのまにか、その家の自慢と思い出があふれ出る場所になっていた。

 しまうことと、見せて誇ること。そのふたつが、この棚のなかでは同じことなのだと、われはようやく腑に落ちた。閉じておけば、それは人目から守られた蔵だ。開けば、それはそのまま家の格を映す鏡になる。同じ物が、扉の開け閉てひとつで、隠されもし、誇られもする。そういう器用な棚を、われはほかに知らなかった。

 ところが、その立派な段々のなかに、ひとつだけ、どうにも釣り合わぬ物があった。

 欠けた、素焼きの椀である。縁がひとところ欠け、色も垢じみて、貧しい家の土間にでも転がっていそうな代物だ。漆の硯箱や貝の櫛箱と肩を並べて、それが棚のいちばん目につく場所に、後生大事に据えられている。

 なぜこんな物を、と、とうとうわれはたきに尋ねた。立派な物ばかりのなかで、この椀だけが場ちがいに見えます、と。

 たきは布を使う手をとめ、その椀をそっと両手にのせた。

 「これはね、亡くなった先代の奥さまが、若い時分に旅の宿で使われた椀さ。道中で病みつかれてね、何も喉を通らないなか、宿の女がこれに薄い粥を入れて差しあげた。それを召しあがって、命をとりとめなすった。奥さまは都へ戻られてからも、この欠けた椀を、ずっと手放さずにおられた」

 たきは、その椀の欠けた縁を、指の腹でなぞった。

 「作りで言うなら、これより上等な椀は、いくらでもこの家にある。けれどね、この椀には、奥さまの命がひとつ宿っている。それは、どんな上等な漆にも、貝の細工にも、よう真似のできぬものさ」

 われは、その椀をあらためて見なおした。さっきまで場ちがいに見えていた欠けた縁が、今は、なにか妙にあたたかいものに見えてくる。作りの良し悪しではなく、その物がくぐってきた来し方こそが、その物の値打ちになる。たきの言いようは、そういうことらしかった。

 それからというもの、厨子のなかの物が、われには違って見えはじめた。

 この巻物は、あるじが任地で世話になった人から贈られたもの。この硯は、あるじが文字を習いはじめた幼い日から使っているもの。この色あせた小箱には、亡き母御の文が幾つもおさめてあって、年に一度、命日にだけ扉が開けられる。ひとつひとつに、誰かとの間柄や、過ぎた年月が畳み込まれている。物が古びるというのは、ただ傷むことではない。くぐってきた時のぶんだけ、来歴が積もり、格が宿っていくことなのだった。

 あるとき、まだ幼いあるじの子が、厨子の前で硯箱を引きずり出し、危うく床へ落としかけたことがあった。たきはふだんの重い口が嘘のように、するどい声で子を叱った。けれど叱ったあとで、その子を膝に呼び、硯箱を一緒に持たせて、これはお父ぎみが手習いをはじめた日からの硯なのだと、来歴を静かに語ってきかせた。子は神妙な顔で、その硯を、両手でそろりと棚へ戻した。物を粗末にするなと頭ごなしに言うより、その物のくぐってきた時を語るほうが、よほど子の手をやさしくするらしかった。来歴を知れば、人は物を、自分よりも長く生きてきた何かとして扱いはじめる。

 たきは、その来歴をひとつ残らず覚えていた。どの物が、いつ、誰の手から、どんないきさつでこの家へ来たのか。そらんじている数は、棚におさまった物の数だけある。物は黙っているけれど、たきの覚えがある限り、その物のくぐってきた時は消えずに残る。たきはいわば、この厨子の物たちの、生き字引のような女房だった。そうして、客が来るたびに扉を開け、物に代わって、その来し方を静かに語ってやる。しまっておくことは、忘れずに守ること。飾ることは、その物が背負った時を、人に見せて誇ること。厨子という棚は、そのふたつを、ひとつの扉でつないでいたのだ。

 われが厨子の物の名と来歴をようやく覚えはじめた頃、たきは年老いて、奉公を退くことになった。引き継ぎのその日、たきは棚の前にわれを座らせ、物のひとつひとつを指しては、もう一度その来し方を語ってきかせた。この巻物は、この硯は、この欠けた椀は——と、まるで遠い縁者をひとりずつ引きあわせるような口ぶりだった。覚えておくれ、覚えていてやっておくれ、と何度も言った。物の来歴を覚える者がいなくなれば、その物はただの古い品に戻ってしまう。たきがいちばん恐れていたのは、物が傷むことではなく、忘れられることだったのだろう。

 語り終えると、たきは最後にあの欠けた椀を両手にのせ、「物は、持つ人の心しだいで、いくらでも値打ちが変わる。覚えておおき」と、われの目を見て言った。そうして、皺だらけの手で、厨子の扉をことりと閉めた。その閉まる音が、なんだか、ひとつの時代をそっとしまうように聞こえた。

◇ ◇ ◇

 厨子という棚は、それからも長いこと、人の暮らしのなかに在りつづけた。

 書物を納める棚としても、大切な調度を飾る棚としても、形を変えながら受け継がれていった。やがて世が下ると、仏を祀る小さな宮の形にも、その名は移っていったらしい。しまって守るものと、開いて拝むもの。そのふたつが重なる場所として、厨子という呼び名は、ずいぶん遠くまで運ばれていった。

 しまうことと飾ることを、ボクらは今ではきっぱり分けてしまった。けれど、ふと思う。机のうえに、誰かにもらった欠けた品を、捨てもせず飾りもせずに置いていることが、ボクにもある。それを目にするたび、その物がくぐってきた時のことを、ほんの少し思い出す。

 あれは、たきがしていたことと、たぶん同じなのだ。物のなかに畳まれた来し方を、忘れずにそばへ置いておく。扉のついた棚はもうないけれど、心のなかには、今もきっと、小さな厨子がひとつある。

 欠けた縁を指でなぞって、奥さまの命がひとつ宿っている、と言ったあのたきの声を、ボクはまだ覚えている。

参考文献・もっと詳しく

厨子(ずし)は、書物・調度・器物などを納め、両開きの扉を開いて飾った棚状の調度とされ、源流は中国(唐)の調度に求められるとも言われるが諸説ある。寝殿造の室内で、書物や愛蔵の品を納めて家の格を示す道具のひとつだったと考えられている。後世には仏像・経典を安置する厨子(仏龕)へと意味が広がった。寛弘六年は一〇〇九年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。受領は任地から都へ戻った中級貴族を指し、本話の人物・会話・椀の来歴はすべて創作。

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