第 23 話言語声が、そのまま紙にのった日——漢字をくずして生まれた、やわらかな女手のこと
〜葦が風になびくようなその文字を、女たちは、なぜ声に出して読みたがったのか〜
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文字を書く、ということを、今はもう誰も「書く」とは思っていない気がする。
指先で硬い板を叩けば、そのとおりの形が勝手に並んでいく。「ありがとう」も「さようなら」も、まるい仮名がするすると流れて、消したくなれば一息で消える。やわらかくて、軽くて、声に出したとおりに書ける——その当たり前を、ボクらは少しも不思議に思わない。
けれど、この国に文字が来たばかりの頃、書くというのはもっとごつごつした営みだったらしい。海の向こうから渡ってきた漢字は角ばっていて、画が多くて、覚えるだけでひと苦労だった。何より、それは「公(おおやけ)」のための字だった。お役所の帳面、法のさだめ、仏のことば——そういう改まった硬い事がらを書きとめるための字で、真名(まな)、つまり「本物の字」と呼ばれていたという。
ところが、誰かが——たぶん、ひとりではなく、たくさんの手が——その角ばった漢字を、すこしずつ崩しはじめた。早く書こうとして角が丸み、続けて書こうとして画がつながり、長い年月のうちに、もとの形が思い出せないほどやわらかく溶けていったらしい。そうして生まれたのが、まるくて、流れるような、あの仮名さ。
公の真名に対して、それは女手(おんなで)と呼ばれたという。女たちが手紙に、歌に、こまやかに使ったからだ。
ボクが見てきたのは、その女手がはじめて「声」を紙にのせた、そういう時代のことだ。
◇ ◇ ◇
永延元年(九八七年)の春、われは都の大路を、文(ふみ)を抱えて駆けまわる文使いだった。
あちらの邸からこちらの邸へ、結ばれた文をひとつ届けては、返しの文をひとつ預かって帰る。それがわれの商いだ。若い時分にすこしばかり役所づとめをして、帳面の真名を読み書きできたから、こういう口にありついた。男の書く真名は角ばっていて、見ればだいたいの中身が知れる。誰それに米を何俵、いつの除目に何の役と、用むきだけが並んでいて、読みやすいといえば読みやすい。
その日、われが文を届けたのは、西の京はずれのこぢんまりとした邸だった。受領(ずりょう)の留守宅で、主は遠い任地にいるという。取り次いでくれたのは、讃岐(さぬき)と呼ばれる女房だった。年のころは三十ばかり、もの静かで、指の細い人だった。
「返しを書くゆえ、しばし待たれよ」
そう言って、讃岐は文机の前にすわった。手持ち無沙汰のわれは、許しを得てすこし離れた簀子(すのこ)に腰をおろし、その手元をなんとはなしに眺めていた。
硯に墨をすり、筆をとる。白い紙のうえを、筆の先がするする、するすると流れていく。それを見て、われは思わず目をみはった。
われの知っている字——役所の真名は、一画ずつ、止めて、はねて、押し込むように書くものだ。書くというより、刻むに近い。ところが讃岐の筆は止まらない。まるで水が低きへ走るように、ひと文字がつぎの文字へつながり、ほどけ、また結ばれて、紙のうえを淀みなく流れていく。葦が風になびいているようだ、とわれは思った。あるいは浅瀬の水が小石をよけて細く分かれていく、あの形に似ていた。
書きあがった文を、讃岐は小さな声でいちど読みかえした。
その声を聞いて、われはまた驚いた。紙のうえの、あのなびく文字の連なりが、讃岐の口から出てくる言葉と寸分たがわず重なっているのだ。「いかにおはしますか」と書いてあるところを、讃岐はちゃんと「いかにおはしますか」と読む。途中の、ためらうような小さな途切れまで、文字のほうがちゃんと待っている。言いよどみも、ため息も、そのまま紙に置かれていた。
役所の真名は、そうはいかない。あれは事がらを刻む字だ。米の数や役の名は写せても、声の調子までは写せない。ところが讃岐の女手は、言葉を、その人がしゃべったとおりの息づかいで、紙のうえに寝かせていた。
「めずらしいか」と、われの顔色を見て讃岐が笑った。「これは女手と申してな。わたくしども女が文や歌に使う字よ。御役所の真名のように、いかめしくはないけれど」
いかめしくはない、どころではない。われには、それが魔法のように見えた。声がそのまま紙の上にのっている。讃岐がいなくなっても、この紙さえあれば、讃岐の声で読める。そういう字だった。
邸の奥からは、幼い娘の声がしていた。讃岐に仕える子か、邸の姫君か、ちいさな手習いの最中らしい。簀子ごしにのぞくと、その子は短い歌を、たどたどしい女手で写していた。墨をつけすぎて滲ませては、ちいさく舌を出す。それでも、まるい字を書くその手つきは、われが役所で真名を覚えたときの、あの歯を食いしばるような苦行とはまるで違っていた。遊んでいるように、歌うように、子どもは女手を覚えていくのだ。角ばった真名を、画の数まで違えずに頭へ入れるのは大人でもひと苦労だ。けれどこのやわらかな字は、まるで言葉を話しおぼえるのと地続きのところに、すっと入っていくものらしかった。
讃岐の書いていたのは、遠い任地の主への文ではなく、おなじ都に住む年老いた母御への、なにげない便りだった。庭の桜がもう散ること。先ごろの風邪はすっかり癒えたこと。どうか案じてくださるなということ。——たいした事がらは、ひとつもない。真名で帳面に記すようなことは、なにもない。けれど、その何でもない日々のこまやかな手ざわりを、女手はこぼさず掬いとっていた。
「真名では、こうは書けぬのよ」と讃岐は言った。「母上、お案じ召されますな、と真名で記せば、ただのお達しのようでしょう。けれど女手なら、わたくしの声のまま母に届く。母も、わたくしが口で言うたように聞いてくださる」
聞けば、讃岐の母御はもう目がかすんで、細かな字は追えぬのだという。それでも女手で書かれた文なら、声に出して読みあげてもらえば、娘がそばで話しているように聞こえる。「真名のお達しを読みあげても、母の胸には届きませぬ。けれど女手は、読めば声になる。声になれば、母にも届くのよ」。なるほど、と思った。女手はただ言葉を写すのではない。書いた人の声を、いちど紙のなかに眠らせておいて、読むときにまた目覚めさせる——そういう、ふしぎな器なのだ。
われは、ふと、自分の名を書いてみたくなった。役所で習った真名でなら書ける。けれど、この流れる女手でなら、どう書くのか。おそるおそる訊くと、讃岐は可笑しそうに、紙のはしに、われの名を女手で書いてみせてくれた。角ばった真名とは似ても似つかぬ、まるくやわらかい連なりだった。それが自分の名だと言われても、はじめは信じられなかった。けれど声に出して読めば、たしかにわれの名で、なんだか、自分というものが急にやわらかくなった気がした。
調子に乗って、われも筆を借りて書いてみた。ところが、これがいけない。役所仕込みの手は一画ごとに止めようとして、つい角を立ててしまう。讃岐の筆のように、水が流れるようにはいかない。墨はぼたりと落ち、線はぶつ切れて、まるで小石を並べたようになった。「手が真名を覚えすぎておるのよ」と讃岐は笑った。「いちど止めぬこと。息をつめず、しゃべるように、つづけてお書きなさい」。しゃべるように書く——その言いようが、われには妙に腑に落ちた。女手は、手で刻む字ではない。口で語ることを、そのまま筆に移しただけの字なのだ。だから声に出して読めば、もとの言葉にもどる。
あとで人づてに聞いた話だが、このやわらかな字は、なにも女ばかりのものではないらしい。表向きは真名で帳面をつける殿方も、人知れず歌をしたためるときには、この女手を使うことがあるのだという。声を、息づかいを紙にのせたいと願う心に、男も女もなかったのだろう。
返しの文を懐に、われは邸を辞した。
大路を歩きながら、われは何度も懐に手をやった。届けるのはいつもの結ばれた紙きれだ。重さなど、あってないようなものだ。それでいて、その日のわれは、ただの紙を運んでいる気がしなかった。讃岐の声を、その息づかいのまま母御のもとへ運んでいる——そんな心持ちだった。
真名は、事がらを運ぶ。女手は、声を運ぶ。おなじ「字」でありながら、運ぶものがまるで違う。同じ紙きれが、こんなにも軽く、こんなにも温かいものになるとは、その日までわれは知らなかった。大路には、いつものように牛車が行き、物売りの声が飛び交っていた。その喧騒のなかを、われは懐の声を落とさぬよう、いつもより少しだけゆっくりと歩いた。
◇ ◇ ◇
女手は、それからゆっくりと、この国の言葉そのものを育てていったらしい。
はじめは女たちの私(わたくし)の手紙や、心おぼえの歌にすぎなかったものが、やがて、長い長い物語や、日々のつれづれを綴る日記になっていった。後の世に生まれ、今もなお読みつがれているといういくつもの名高い物語も、もとをたどれば、この女手の流れる一筆から始まったのだと聞く。声を紙にのせられる、というただ一事が、いつのまにか国じゅうの物語を生んでいたわけだ。
ボクらが今、指先で軽々と打っている、あのまるい仮名。あれもまた、もとは誰かが漢字を崩し、崩しつづけた末の、やわらかな女手のなれの果てさ。
声が、そのまま紙にのる。たったそれだけのことを、葦のなびくような筆づかいで書いてみせた讃岐の手元を、ボクはまだ覚えている。あの春の、すこしやわらかくなった自分の名前ごと。
参考文献・もっと詳しく
- 『かな——その成立と変遷』ISBN 978-4-00-412097-1
- 『日本語の世界5 仮名』ISBN 978-4-12-401725-0
- 『日本語の歴史』ISBN 978-4-00-431018-1
- 『日本語の誕生——古代の文字と表記』ISBN 978-4-642-05551-2
※ 平仮名は、漢字を草書体にさらに崩して簡略化した万葉仮名・草仮名を経て、平安時代に成立したとされる。公的・学問的な場で用いられた漢字(真名・男手)に対し、日常の手紙や和歌に用いられた平仮名は女手と呼ばれ、女性たちの手紙・和歌・物語・日記文学を育て、のちの仮名文学(『源氏物語』『枕草子』など)につながったと言われる。永延元年は九八七年(永延は九八七〜九八九年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。『源氏物語』成立(十一世紀初頭)より前の時代設定とした。文使い・讃岐ほか本話の人物・会話・邸は創作。受領は地方官、女房は貴族に仕えた女性の称。
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