第 73 話言語借りた一冊の草子に、幾つもの手が重なっていた
〜借りた物語を写したあの娘は、なぜ、写し手がまぎれ込ませた一行を、いちばん大事に抱えたのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
七日。
厚い一冊の物語を、人の手で端から端まで書き写すのに、早い者でもそれだけの日数がかかったという。物語を刷って広める、ということは、まだされていない時分だ。だから一冊のなかに、手が幾つも入っていることがある。
ある家の縁先で、写しかけの草子を前に、途方に暮れていた娘がいた。
◇ ◇ ◇
長元四年(一〇三一年)の春、平安京の東のはずれ、五条のあたりだった。
垣根ひとつ隔てた家に、ちぐさという娘がいた。遠国へ国守として下った父の留守を、年老いた乳母とふたりで守っている、まだ髪を上げる前の娘だった。墨を磨る音が好きなのだと言って、われの家の縁先まで、よく顔を出した。
その娘が、あるとき思いつめた顔でやってきた。
「写してみたいのです。けれど、わたくしの手では、とても」
都で、ある物語がたいそう評判になっているという。女房づとめの従姉が、それは美しい姫君の出てくる長い物語だと、何度も話して聞かせてくれた。だが、その物語は、どこにも売ってなどいない。読みたい者は、持っている人から一冊借り受けて、自分の手で写し取るよりほかに、手に入れる道が無かった。貸してくれた従姉自身も、また誰かから借りて写し取ったものだと言っていた。
ちぐさの手は、まだ仮名を覚えたてだった。乳母にねだって従姉から借りてもらったのはいいが、長い物語をひと冊写すという分量に、しりごみしてしまったらしい。
われは、その借り物の草子を手に取った。
幾枚もの紙を重ね綴じた、ずしりと重い一冊だった。表紙は手ずれて、墨の色も褪せている。開いてみて驚いたのは、筆跡がひと色でないことだった。前のほうはのびやかな女手で、なかほどから急にぎこちない、稚い手に変わる。終わりのほうは、また別の、撥ねの強い達者な手だった。指で墨のにじみをたどると、書いた者ごとに力の込め方まで違うのが分かった。数えてみれば、都合三人の手が渡り歩いた勘定になる。
借りた人が借りた人へ、写しては貸し、貸しては写し——そうして手から手を渡るうちに、いくつもの筆が、この一冊の中に積み重なっていったらしい。
「これはな、ひとりの物語じゃない」と、われはちぐさに言った。「写した者みんなの、いわば寄り合いの物語さ」
ちぐさは、よく意味が分からぬという顔をしていた。
まあいい。とにかく写してやろう。娘の手に余るぶんは、われが写してやる。その代わり、終いのところだけは娘に書かせて、自分で写したという覚えを残してやろう、と。ちぐさは、ぱっと顔を明るくした。

それから幾日か、われは縁先で、その物語を写しつづけた。
写すというのは、ただ目で追うのとはまるで違う。もう幾百とこなしてきた仕事だ、勝手は分かっている——そう思っていたが、いざ筆を執ると、そうはいかなかった。いつものおのれの呼吸で書き進めようとすると、行の継ぎ目がどうにも合わない。文字の大きさも、行の間も、前の写し手の呼吸に、こちらの手を合わせていくよりほかなかった。指に馴染んだ運びを一度捨てて、見知らぬ誰かの手に、自分の手を明け渡すような心地だった。
紙は貴重だった。一枚も無駄にはできない。書きそこねれば、墨の上にそっと線を引いて消したしるしだけ残し、脇へ書き直す。薄い紙は削ればすぐに破れてしまう。消した跡には薄墨の影がうっすらと残り、下に何と書いてあったかまでたどれた。墨が濃すぎれば裏まで透け、薄すぎれば初めから字が霞んで見えにくい。そうやって一日じゅう写していると、夕方には指の節が固まって、しばらく筆を握ったままの形からほどけなくなった。
ちぐさは、その間も飽きずに縁先に来ていた。墨を磨ってくれたり、写し終えた紙を縁先の陽だまりに並べ、乾いた端から重ねてくれたり。乾くのを待つあいだ、われが声に出して読んでやると、娘は膝を抱え、身じろぎもせずじっと聞き入る。来ぬ人を待つ姫君の名を呼んでは、まるで近しい者のように案じてみせた。
なかほどまで写し進めたところで、われは妙な一行に行きあたった。
待つ姫君の場面だった。来ぬ人を待ちわびる姫を描いた、しっとりとしたくだりだ。その一行に、こうあった。——姫君は袖を顔におし当てて、月の出るまで待っていた、と。
われは筆を止めた。
というのも、われはずっと前に、これと同じ物語の、別の写しをのぞいたことがあったのだ。そのときの本では、ここはただ「待っていた」とだけ書かれていた。袖を顔におし当てる、などという一行は、無かった。
誰かが、ひとこと書き足したのだ。
おそらく、この稚い手で写した誰かだろう。来ぬ人を待つ姫が、あんまり不憫で、つい自分の心持ちのほうを、筆が勝手に足してしまった。袖を顔におし当てて、と。物語にもとから在った言葉ではない。ある写し手の胸のうちが、こぼれ落ちて紛れ込んだ、ありもしない一行さ。

さて、どうしたものか。われは少し迷った。もとの形に直して、ただ「待っていた」と写すのが、写し手の筋というものかもしれない。けれど、その足された一行が、なんとも捨てがたかった。それがあるとないとでは、姫君のさみしさの色が、まるで違ってしまう気がした。
結局、われはその一行を、書かれたとおりに写した。袖を顔におし当てて、と。一字も削らず、足しもせず。前の誰かの心持ちごと、そっくり次へ送ってやることにしたのだ。
思えば、われが前に見たという「待っていた」だけの本も、それがほんとうの始まりの形だったとは、誰にも言いきれない。そのまた前の写し手が、何かを削ったのかもしれない。読み違えて、べつの言葉を落としたのかもしれない。どこまでさかのぼっても、最初に書いた人の手そのものには、もう誰も行き着けないのだ。残っているのは、写されては変わり、変わってはまた写された、幾重もの手の跡だけだった。
幾日かして、写しはすべて出来あがった。終いのところを、ちぐさは舌を出さんばかりに息をつめて、たどたどしく書き写した。墨をなんども落とし、字はあちらこちらへ転んだが、ともかくも娘は、自分の物語を一冊、手にしたのだった。
出来あがった写しを、ちぐさは飽きもせず繰り返し読んでいた。そうしてある日、垣のむこうから、上気した顔で言ってきた。
「いちばん好きなところが、決まりました」
どこだと問えば、娘の挙げたのは、まさにあの一行だった。袖を顔におし当てて、月の出るまで待っていた——。そこを読むたび、胸がいっぱいになるのだと、ちぐさは言う。姫君のさみしさが、まるで自分のことのように分かるのだ、と。
われは、つい笑ってしまった。その一行は、もとの物語には無い。誰とも知れぬ写し手が、ふと足してしまったひとことを、垣根ひとつ隔てたこの娘が、いちばん大事に抱きしめている。
◇ ◇ ◇
その草子は、それからも写されつづけたのだろう。
ずいぶん後になって、ボクはまったく別の土地で、同じ物語の写しを見かけたことがある。何度も写し継がれ、もう誰の手が始まりかも分からぬほど褪せた一冊だった。紙の色はすっかり飴色に変わり、綴じ糸も幾度か替えられていた。待つ姫君のくだりには、ちゃんとあの一行が在った。袖を顔におし当てて、と。
誰かが足した、ありもしない一行が、海山を越え、年を越え、知らぬ者の手をいくつもくぐって、ちゃんと旅をしていたのだ。
ちぐさは、あれから幾年もして、乳母とふたり都を離れたと聞いた。写した草子だけは手放さず、旅の荷にくくりつけていったそうだ。終いのところを書き写す間じゅう、息をつめて丸まっていた、あの娘の肩と背を、ボクはまだ覚えている。
参考文献・もっと詳しく
※ 平安時代には木版・活字による印刷はまだ一般的でなく、物語などの仮名文学は写本(書写)によって伝えられ、借り写し・回し読みで広まったとされる。書き写す過程で写し手による誤写・脱落・加筆が生じ、同じ作品でも本文の異なる「異本」が多数生まれたと考えられている。本話の人物・会話・引用した一行はすべて創作で、特定の現存作品を指すものではない。長元四年は一〇三一年(長元は一〇二八〜一〇三七年)。
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