第 13 話道具乙丸の五本骨——かわほりの扇ひとつが仕上がるまで
〜板と骨をひとつに束ねる「要」は、どこまで締めればよいのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
「十日。それより早うは、仕上がりませぬ」
承保二年(一〇七五年)の夏、都の東のはずれの工房で、主はわれの顔も見ずにそう言った。
暑さに負けて、眠れぬ夜が幾夜もつづいた。手のひらで風を起こすのにも飽きて、扇を一本、誂えにきたのだ。手もとには、旅先の手伝い仕事で受けた米がある。紙を貼った蝙蝠の扇がよい。人づてに、乙丸という男の作る骨は狂いが少ないと聞いていた。
◇ ◇ ◇
土間には竹と檜の削り屑が散って、においが濃い。乙丸は膝をついたまま、竹の骨を一本、指の腹でなぞっている。細い骨だ。端から端まで、わずかな節くれも許さぬ手つきだった。
「代は、米三升。納めるときにいただきます。骨は五本。紙は、そちらで選びなされ」
棚から出された紙は二種あった。厚手のほうは、光にかざしても向こうが見えない。薄手は、指のかたちがうっすら透ける。われは薄手を選んだ。ひらいたときに軽いほうがよい。
乙丸は小さくうなずいて、仕事に戻った。値と日数のほかは、ほとんど口をひらかぬ男だった。
待つあいだ、われは土間の隅へ目をやった。壁に釘が一列に打ってあり、骨組みだけの扇が七つ、紙も貼らずに掛けてある。どれも要のあたりの仕上がりが、わずかずつ違う。
乙丸のほうを見ると、顎で「取ってよい」と言うので、端の一つを手にした。
一つめは、ひらこうとしたとたん、骨がばらりと散った。二つめは、ひらいても、手を離すと骨が自分の重みでずるずると垂れた。三つめと四つめも似たようなものだ。五つめは、ぱらりと軽く扇のかたちになり、手を離しても崩れなかった。六つめは、ひらくのに指へ力がいる。七つめは、骨がかたまって、びくとも動かなかった。
七つのうち、扇として生きているのは五つめだけだ。
足もとの籠には、割れた竹の骨が十本ばかり捨ててあった。どれも、要の穴の縁から裂けている。穴を端へ寄せすぎたのだろう。いま乙丸が削っている骨の穴は、籠のどれよりも、端から奥にあけてあった。
◇ ◇ ◇
扇なら、ボクには見慣れたものだ。ぱち、と骨の鳴る音の出どころを、千年前の土間で見たことになる。少しおかしくて、うれしかった。
折りたためる扇は、この国で生まれたものとされている。唐土にもあおぐ道具はあったが、あれは一枚板の団扇だったという。骨や板を一点でとめ、ひらけば広がり、たためばふところに入る。その一点が要(かなめ)だ。締めてもゆるめても、扇は扇にならない。壁の七つと籠の十本は、乙丸がその幅を手でさぐった跡だったのだろう。

檜の薄板を綴じた檜扇は、あおぐというより、手にして居ずまいを整えるための具だったと聞く。涼をとるのは、骨に紙を貼ったほうの扇だ。夕暮れに飛ぶ蝙蝠の翼に似るので、かわほりと呼ばれたらしい。ボクの知る扇子の、いちばん近いご先祖は、こちらになる。
◇ ◇ ◇
はじめの日は、戸口で竹を割る音を聞いただけで、工房をあとにした。
五日目に行くと、脇の山に積まれた骨は、割った竹の半分にも満たなかった。残りは、籠とは別の隅に、薪のように束ねてある。ひと筋の竹から、扇の骨に育つのはほんのわずか。値が米三升になるわけは、その山の低さに出ていた。骨の端には、もう穴があいていた。錐が竹をこじるきしみが、土間に細く響く。穴をあけるたびに、乙丸は骨を空にかざして、光を通した。
この日、乙丸は新しい要をひとつ組んだ。五本の骨に細い軸を通して、ひらく。ひらかない。軸を抜いて、刃で削る。通して、ひらく。まだ重い。また削る。通す。四度めで、骨がするりと広がった。乙丸は、息をひとつ吐いた。
壁に掛ける気配はなかった。これは、われの扇になるのだと分かった。削った軸の屑は、木目に沿って巻かず、ぷつりと折れて土間に落ちた。乙丸は軸の木をもう一度、向きを変えて持ち直した。竹も木も、ひとつとして同じ顔をしておらず、組むたびに、手が合わせ直していくらしい。
六日目も七日目も、われは暑さで寝つけず、夜明け前に庇の下へ出て、手のひらで顔をあおいだ。風は来るが、手首がすぐに疲れる。早く十日が過ぎればよい、と、そればかり思っていた。夜が明けても、都の空気は日の出から生ぬるく、庇の影に入っても、肌にはりつく熱は抜けなかった。
八日目、骨の上に薄手の紙が載っていた。骨の影が、紙の下にうっすらと透けている。乙丸は刷毛で糊をひろげ、紙を骨の一本ずつへ、端から端まで撫でつけていった。息を止めているような手つきだった。糊は米を煮たもので、土間のにおいに甘い湯気が混じる。われは戸口の柱にもたれて、紙がたわまぬよう、乙丸が骨を一本ずつ手のひらで押さえていくのを、日の傾くまで見ていた。帰りぎわ、乙丸は骨のあいだの紙を、指の先でつんと弾いて、音を聞いた。

十日目に行くと、乙丸は首を横に振った。紙の貼りがまだ乾かぬ、と言う。「米をもう一升足せば、一日は縮まるか」と、われは訊いてみた。「米で糊は乾きませぬ」と、乙丸は手を休めずに答えた。それで、急かす気は失せた。
作業台の端に、檜扇が一つ置いてあった。檜の薄板を重ねただけで、綴じ紐はまだ通っていない。板は爪の半分ほどの薄さしかなく、十枚そろえても一枚に見えるほどそろっている。だれかの注文の仕掛かりの品だろう。乙丸は、そちらには目もくれなかった。軒下に渡した細い縄には、糊の乾ききらぬ扇が、ひらいたまま一本ずつ吊るしてある。紙の端は、骨の端へ回して貼りつけてあった。
そこへ使いの若者が檜扇を受け取りに来て、まだ仕上がらぬと聞くと、黙って頭を下げ、また三日後に来ると言って帰った。待たされるのは、われひとりではないのだった。檜扇の主も、きっと今ごろ、どこかで汗をぬぐっているだろう。われは、あと二日、待つことにした。
十二日目、扇はできていた。
五本の骨が一点から開き、薄手の紙が、その上にぴんと張ってある。骨と骨のあいだで、紙はごくわずかにたわみ、ひらくたびに、かさ、と乾いた音を立てた。受け取って、ひらく。ぱち、と小さな音がして、骨は扇のかたちにひらき、そのまま止まった。
手首を返して、一度あおぐ。首すじを、風がなでていった。生ぬるい夏の空気が、いったん動いて、肌にふれるぶんだけ涼しい。
骨の端、要のそばの穴は、籠のどれよりも奥にあった。ひらいても閉じても、骨は一度も引っかからなかった。乙丸が横から手を伸ばし、扇を受け取って、ひらいたまま手を離す。扇は垂れなかった。乙丸はそれを三度くり返してから、返してよこした。たたんでみる。五本はひとつにそろい、ふところへすべりこんだ。
米三升を、乙丸の前に置く。乙丸は数え直しもせず、受け取ると、ひとこと言った。
「半月も使えば、要がなじんで、すこし動きが変わりましょう。ゆるんだと思うたら、持っておいでなされ。締め直しましょう」
われは扇を帯にさして、土間を出た。外は眩しかった。道の土は、昼の熱をまだ抱えていて、足の裏が焼けるようだった。袖に、檜のにおいが残っていた。
その夜は、幾夜ぶりかで眠れた。枕もとの扇を、寝返りのたびにひらいては、ひとあおぎして、また閉じた。要はまだ新しく、ひらくたびに、ほんの少しだけ重かった。
◇ ◇ ◇
いまの涼の出どころは、壁の箱が吐く冷え。あの夏のそれは、手首の先の、生ぬるい風。
参考文献・もっと詳しく
※ うちわ(団扇)は古く中国に源をもつ一枚板の道具だが、骨や薄板を要でとめて畳める「折りたたみ式の扇」は日本で生まれたとされる。檜扇は薄い檜板を重ねて綴じた扇で、奈良時代の出土例があり、現存最古級には京都・東寺の千手観音像内から見つかった檜扇(元慶元年=八七七年の銘を伴う)がある。蝙蝠扇は細い骨に紙を片面貼りした扇で、平安中頃までに現れた。『宋史』日本伝には、北宋の端拱元年(九八八年)、日本僧奝然の弟子・喜因が檜扇二十枚と蝙蝠扇二枚を献上した旨が記され、日本から中国への伝播を示す。作中の承保二年は一〇七五年(承保は一〇七四〜一〇七七年)。
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