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平安のころ・都読了 約6

畳んで、ひらく——海を渡っていった風のこと

たためばふところに、ひらけば風——この小さな道具は、なぜ海を渡って出ていったのか

 ボクが長く生きてきて、おもしろいと思うことがある。

 たいていのものは、海の向こうからこの国へ入ってくる。文字も、仏の教えも、ずっとあとで広まる茶もそうだ。みんな、よそから来た。ところがごくまれに、その逆が起きる。この国で生まれたものが、海を渡って出ていくのだ。扇が、まさにそれだった。

 あおいで風を起こす道具なら、唐土には古くからあった。けれどあれは一枚板の、たためぬ団扇だ。ふところにしまえる扇——薄い板や細い骨を要(かなめ)でひとつに束ね、ひらけば弧をえがくあの仕掛けは、この国の手から生まれた。

 ボクが見たのは、その小さな道具が、都の片すみの工房で組み上げられていく、ちょうどそんな頃のことだ。

◇ ◇ ◇

 承保二年(一〇七五年)の夏。都でのこと。

 諸国を歩いて小商いをしていた頃で、その年は暑いさかりを、都の市の近くで過ごしていた。紙や筆を負って売り歩く身だから、文字や書きものを欲しがる人のいるところに居れば、なんとか食いつなげる。

 扇折りの弥四郎の工房に足を向けたのも、はじめは商いのためだった。扇には紙がいる。骨に貼る紙を、ひとまとめに買ってくれる得意先だ。

 はじめて軒をくぐったとき、工房はひんやりと、檜のにおいで満ちていた。削りたての白い木のにおいだ。弥四郎は土間に膝をつき、薄く削った檜の板を、何枚も手もとに重ねていた。板はどれも同じ幅で、爪の半分ほどの薄さしかない。光にかざせば、向こうがうっすら透けて見えるほどだ。

 「ずいぶんと、薄う削るものだな」

 われが声をかけると、弥四郎は手を止めずに答えた。

 「これより厚うては、たたんだとき、ふところでかさばりますでな。薄う、薄う、しかし割れぬように。そこが思案のしどころで」

 その削りようを、しばらく黙って見ていた。弥四郎は刃を寝かせ、板の上をひとなですると、薄い屑が、ひらり、と土間に落ちる。同じ厚みに、同じ幅に。十枚そろえても、重ねれば一枚に見えるほどぴたりとそろっている。指の腹で端をなぞって、ささくれの一つもないのをたしかめ、それでようやく次の板にかかる。気の遠くなるような手わざだ。

 「ひと夏に、いくつほど作る」

 「腕のよい日で、二つ三つ。木の機嫌の悪い日は、一つもまとまりませぬ」

 木に機嫌がある、という言いぶりが、われにはおかしかった。

 重ねた板の端には、小さな穴がひとつ、きりであけてある。そこへ細い軸を通し、ぱちりと、一点でとめる。たったそれだけのことだ。たったそれだけのことが、ただの板の束を、風を呼ぶ道具に化けさせる。その一点を、弥四郎は要(かなめ)と呼んだ。かなめが甘ければ、扇はひらくそばからばらけてしまう。きつすぎれば、二度とひらかぬ。ほどよく締めて、ほどよくゆるめる。その加減ひとつに、扇の命がかかっているのだという。

 弥四郎は要をつまんで、手のなかでくるりと回してみせた。重ねた板が、扇のかなめを支点に、すっとひらいていく。閉じていたときには一本の棒のようだったものが、見るまにひろがって、弧をえがいた。ひらききったその瞬間、板と板のあいだの風が、いちどにこちらへ寄せてきた。

 頬に、涼しい。

 「これは、おもしろい」

 思わず声が出た。弥四郎は、ふ、と得意げに口の端をあげた。

 「畳めば、これこのとおり」

 言うなり、手首をひとひねりする。ひろがっていた板が、ぱちりと音を立てて、もとの一本にもどった。ふところへすべりこませれば、もう、どこにあるかもわからない。

 「夏のあいだだけ、ふところに夏をしのばせて歩くようなものでござりますよ」

 うまいことを言う、と思った。

 弥四郎の手もとには、もう一つ、別の扇があった。さっきの檜の板を重ねたものとはちがう。細い竹の骨が五本ばかり、扇のかなめから放射に開いて、その片面に、薄い紙が一枚、ぴたりと貼ってある。

 「これは、また別のものか」

 「檜の板のは檜扇、こちらは紙を貼った扇でな。骨も軽う、紙も軽う、檜のよりなお持ちよい。ひらいたかたちが、夜とぶ蝙蝠(かわほり)の翼に似ておると申して、かわほり、などと呼ぶ者もおりますよ」

 言われてみれば、なるほど、骨を翼の筋に見立てれば、夕闇をよぎるあの黒い翼に、よく似ている。

 われはその紙貼りの扇を一本、譲ってもらうことにした。骨に貼るための紙を、いつもより多めに置いていく、その代わりにと。弥四郎は、貼りそこねの皺が端にうっすら残った一本を選んで、これは売りものにはならぬが、と前置きして寄越した。

 「お武家や、お公家の手にわたるようなものではない。けれど、あおぐぶんには、なんの不足もありませぬで」

 その日から、扇はわれの荷の片すみに、いつもあった。

◇ ◇ ◇

 歩いていると、この小さな道具に、人がいろいろなものを託しているのが見えてきた。

 暑さをしのぐだけではない。物言いたげな女が、口もとをそっと扇で隠す。あらたまった席で、菓子やら文やらを扇に載せて、うやうやしく差し出す。歌の得手な者は、ひらいた紙の面へさらさらと一首を書きつけ、思う相手のもとへ届けさせる。

 ひらいたり、閉じたりするだけのものだ。なのにそこへ、涼や、恥じらいや、もてなしや、恋ごころまでが、いくつも重なって載っていく。要ひとつでひらく道具に、人の心づかいが、幾重にもたたみこまれていった。

 あるとき、辻で見かけた若い女が、すれちがいざまに、ひらいた扇で半分だけ顔を隠した。隠したつもりが、伏せた目もとと、薄い紙ごしの頬の色は、かえってよく見えている。隠すことが、隠さぬよりずっと、人の目を引く。扇というのは、そういう使われ方まで覚えていくのだ。閉じれば、ただの一本の棒にすぎぬのに。

 われ自身は、歌など詠めぬ無骨な男だったから、もっぱら、あおぐためにそれを使った。炎天の街道で、首すじへ風を送る。汗のひいたあとの、あの一瞬の涼しさを、なんべん荷の上で味わったかしれない。要のあたりはやがて手の脂で黒ずみ、紙の端はささくれ、それでも、ぱちりと開けば、ちゃんと風が来た。

◇ ◇ ◇

 やがてこの畳む扇は、海を越えて、唐土へと渡っていったと聞く。

 あちらにも、あおぐ道具はあった。けれど、たたんで持ち歩けるこの仕掛けは、めずらしがられたらしい。むかし、唐土の朝廷へ、この国の僧の使いが、檜扇を二十、かわほりの扇を二つ、たてまつったと、ものの本に残っている。よそのものをありがたがってばかりのこの国から、めずらしく、何かが出ていったのだ。

 のちには、もっと遠い、西の海の果ての国々にまで渡って、向こうの人びとが、絹を張った華やかな扇を手に舞踏会とやらで顔をあおいだという。そこまでいくと、ボクの見てきた、檜のにおいのする土間の話とは、もう、別の道具のようでもある。

 それでも、もとをただせば、あの弥四郎の手が、薄い板を一点でとめた、あの仕掛けひとつから始まっている。要ひとつで風を起こす。たったそれだけの工夫が、海をいくつも越えていった。

◇ ◇ ◇

 今では、扇風機がまわり、冷房が部屋を冷やす。あおいで涼をとる者など、ほとんどいない。

 それでも夏になると、人はふと、扇子をひらく。ぱちりと音をさせて手首を返し、首すじへ風を送る。要ひとつで風を起こすあの仕掛けは、千年たっても、何ひとつ変わっていない。

 ボクの荷にあった、あの貼りそこねの一本は、とうに失くしてしまった。けれどボクはときどき思い出す。檜のにおいの満ちた土間で、弥四郎が薄板をすっとひらいてみせた、たったいちどの、頬をなでた小さな風を。

参考文献・もっと詳しく

うちわ(団扇)は古く中国に源をもつ一枚板の道具だが、骨や薄板を要でとめて畳める「折りたたみ式の扇」は日本で生まれたとされる。檜扇は薄い檜板を重ねて綴じた扇で、奈良時代の出土例があり、現存最古級には京都・東寺の千手観音像内から見つかった檜扇(元慶元年=八七七年の銘を伴う)がある。蝙蝠扇は細い骨に紙を片面貼りした扇で、平安中頃までに現れた。『宋史』日本伝には、北宋の端拱元年(九八八年)、日本僧奝然の弟子・喜因が檜扇二十枚と蝙蝠扇二枚を献上した旨が記され、日本から中国への伝播を示す。作中の承保二年は一〇七五年(承保は一〇七四〜一〇七七年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。

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