第 25 話珠ひとつぶに勘定をあずけ、奉公の童が指先で数を覚えていった日のこと
〜算盤を前に半べそをかいていた小僧は、その朝なぜ自分の指を見つめて笑ったのか〜
数というものは、目には見えぬくせに、暮らしのいたるところに潜んでいる。
米が何升、銭が何貫、反物が何反。誰かと物をやりとりするたびに、人は頭のなかで数を勘定している。けれど数というのは、つかみどころのないものだ。多いか少ないか、足りるか足りぬか、胸のうちで指を折って数えるうちに、ふと取りこぼす。一文の数えそこないが、信用をひとつ崩すこともある。
その見えぬ数を、目に見えるかたちに繰り直してやる道具がある。木の枠に珠を並べて、指で弾く。たったそれだけのことで、頭のなかの霧のような数が、ひとつぶずつ、確かな珠になって並ぶ。
ボクが見てきたのは、その珠を弾く音が、商いの町の背骨になっていく、そのはじまりのころのことだ。指先のはじき方ひとつに、ひとりの奉公人の行く末が、まるごと懸かっていた。
◇ ◇ ◇
天正十四年(一五八六年)の春のことだ。わしは和泉の堺で、納屋者の店に出入りして、帳づけを手伝って回っていた頃の話さ。
堺という町は、銭の匂いがする町だった。
湊には、唐土の船、南蛮の船がもやい、絹や薬種や鉄炮の玉薬まで、ありとあらゆる品が揚がっては捌けていく。町を歩けば、どこの店先からも、ぱちぱちと小さな音が聞こえてくる。あれが、算盤の珠を弾く音だ。明の商人から伝わったと聞く、その木枠の道具を、堺の商人は誰もが手元に置いていた。
わしが世話になっていたのは、納屋の隅で薬種をあきなう、小さな店だった。主は喜兵衛という、算盤にかけては町でも指折りの男でね。客と話しながらでも、目は相手を見たまま、右の指先だけが枠の上を蝶のように走る。話が終わるころには、もう代金の総が珠の上にきれいに並んでいる。見ていて惚れ惚れするほどの早さだった。
堺の商人にとって、算盤がはじけるということは、刀をさす侍が刀をふるえるのとおなじことだった。珠を弾けぬ者は、どれほど人がよくても、帳場には座れない。蔵の鍵は、数を確かに数えられる者の手にしか渡らなかった。だからこの町では、奉公に上がった童が、まず仕込まれるのが算盤だ。文字より先に、珠の繰り方を叩き込まれる子も多かったのさ。
その店に、市松という小僧がいた。
歳は十ばかり、在所の百姓の子で、口減らしに奉公に出されてきたのだという。よく気の利く童で、水汲みも掃除も誰より早い。けれど、ただひとつ、算盤だけが、どうしても覚えられなかった。在所では、米を数えるにも稗を数えるにも、指を折ればこと足りた。けれど堺の商いは、その指の数では、とても追いつかぬほど大きかった。
わしが帳づけに寄るたび、市松は土間の隅で、算盤を前にべそをかいていた。
珠を弾こうとして、人差し指と親指がもつれる。一の珠を入れたつもりが、五の珠まで連れてきてしまう。繰り上がりの段になると、頭のなかがからまって、もう、どこを数えているのかわからなくなる。そのたびに喜兵衛に叱られて、肩をすぼめていた。算盤がはじけぬ奉公人は、いつまでも下働きのまま、帳場には座れない。市松も、それがよくわかっていたのさ。
「ぼん、なにも、頭で数えようとするな」
見かねて、わしは声をかけた。市松が、濡れた目で見上げてくる。
「数は、頭で覚えるもんやない。指に覚えさせるんや。指がさきに動いて、勘定はあとからついてくる。喜兵衛はんかて、いちいち頭で足してはおらん。指が、ひとりでに知っとるんや」
市松は、きょとんとしていた。指で覚える、という言いようが、まだ腑に落ちぬらしい。それも道理さ。指が数を知るなどということは、はじめは誰にも信じられない。
◇ ◇ ◇
それからの市松は、暇さえあれば、算盤を弾いていた。
水を汲みながら、口のなかで珠を繰る。寝床に入ってからも、闇のなかで指だけを動かしている。掃除の合間に土間へしゃがみ込んで、ぱちぱちと、おなじ繰り上がりを、飽きもせず幾度も幾度も繰り返す。指の腹が珠の角でこすれて、赤くなっているのを、わしは見ていた。
はじめは、もつれてばかりだった指が、ひと月、ふた月とたつうちに、すこしずつ迷わなくなっていく。一を入れる指、五を払う指、桁を送る指。それぞれの動きが、考えるよりさきに、するりと出るようになっていった。塩を背負う者の肩に縄の痕が染みつくように、市松の指にも、珠の道筋が刻まれていったのさ。
ある朝のことだ。わしが店に寄ると、市松が土間にしゃがんで、じっと自分の右手を見つめていた。
どうした、と問うと、童は、ふしぎなものでも見るような顔で、こう言った。
「いま、勘定するのを、忘れとった。なのに、珠が、ちゃんと合うとる」
そうして、もういちど、ぱちぱちと弾いてみせる。米の値に升をかけ、銭を引く。込み入った勘定が、指の上でみるみるほどけて、最後にひとつ、答えの珠が残った。市松は頭でひとつも数えていない。ただ指の動くにまかせただけだ。それでいて、答えはぴたりと合っている。
童は、自分の指を、まるで他人の手でも眺めるように、しげしげと見つめていた。それから、何かがおかしくてたまらぬという顔で、くしゃりと笑った。
「指が、覚えとった」
あの朝の市松の顔を、わしは忘れない。半べそをかいていた子が、自分の指先に、いつのまにか宿っていた力を、はじめて見つけた顔だった。
喜兵衛も、それを見ていた。ふだんは無口な男が、ぼそりと言った。あれはもう、帳場に座れる、とね。指が数を覚えた者は、もう、ただの小僧ではない。店の銭を任せられる、ひとりの奉公人だった。
◇ ◇ ◇
算盤というものが堺に根づいて、商いのありようは、ずいぶんと変わったろう。
珠を弾けば、いくら込み入った勘定も、たちどころに、確かな数になって並ぶ。それまで頭と指折りに頼っていた取り引きが、誰の目にも見えるかたちで合わせられるようになった。数が確かになれば、約束が確かになる。約束が確かになれば、人は安んじて、大きな商いを交わせる。湊に船が増え、品が動き、銭がめぐる。その土台のいちばん下で、ぱちぱちと、珠の音が鳴りつづけていた。算盤は、ただの計算の道具ではない。人と人とのあいだに、信用という見えぬ縄を渡す、糸のようなものだったのさ。
今では、数を扱うのに、珠を弾く者もすくない。指の先で小さな板を叩けば、どれほど大きな数も、またたくまに答えが出る。誰も、勘定に汗をかいたりはしない。あの、指に数を覚えさせる、長い長い稽古のことも、すっかり忘れられてしまった。
それでも、とボクは思う。
帳面の数字が、ぴたりと合った夜があったら、その指先を、いちど見つめてみてほしい。べそをかきながら、赤くなった指で珠を繰りつづけた童がいた。ある朝ふいに、自分の指が数を覚えていたことに気づいて、くしゃりと笑った子がいた。数を扱う力は、頭ではなく、はじめは、そういう指先のうちに宿るものだった。
算盤は、いつだって黙っている。弾かれてはじめて、ぱちりと答える。指が覚えたぶんだけ、確かに答える。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『和算の歴史——その本質と発展』ISBN 978-4-480-09084-3
- 『和算の事典』ISBN 978-4-254-11122-4
- 『堺——海の都市文明』ISBN 978-4-569-60960-7
※ 算盤(そろばん)は中国で発達した計算具が室町末から安土桃山のころに日本へ伝わり、堺などの商業都市の商人のあいだに広まったと伝わる。伝来の年や伝来者については諸説あり、明の商人を通じて渡来したとされるが定かではない。やがて珠を指で弾いて加減乗除を行う技は商家の奉公人の必須の素養となり、近世商業の基盤を支えたとされる。天正十四年は一五八六年で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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