続きは、またあした第 12 話文化
文化昭和のころ・東京読了 約8分

続きは、またあした

〜一枚の絵と、たったひとりの声に、なぜ子らはあれほど夢中になったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 カチ、カチ。

 拍子木を打つわたしの腕は、自分のものではないように硬かった。昭和八年。西暦でいえば一九三三年の秋、東京の下町の、路地の入口である。

 わたしは筆や半紙を担いで町から町へ歩く行商で、紙芝居かみしばいの持ち場に立つのは、これがはじめてだった。自転車の荷台には、観音かんのんびらきの扉のついた木の舞台がくくりつけてある。持ち主は銀次さんという。いつもこの路地で商いをしていたのだが、前の晩、荷を積んだ車力しゃりきの車輪に足を巻かれ、腫れあがった足首を抱えて寝込んでしまった。

 「三日でいい。車を押して、木を打って、絵を抜いてくれりゃ、それでいい」

 銀次さんは布団の上で言った。わたしが渋ると、休んでも絵の損料は日ごとにとられる、と続けた。絵は紙芝居屋の持ち物ではなく、元締めの家から一組ずつ借りるもので、飴の仕入れも同じ家だという。客のいない日は、損料だけが残る。わたしは三日だけと答えて、荷台の把手をにぎった。枕元で、『黄金バット』が昨日どこまで進んだかも、あらましだけ聞いた。

 その足で、元締めの家へ車を引いていった。路地の奥の古い二階家で、土間には同じような舞台車が何台も並んでいる。その日に出す絵の束と、水飴の壺を受けとる。絵は一組ずつ紙ばさみにくるんであって、わたしの組には、昨日の続きの絵から、ぶあつい紙が順に重なっていた。壺はずしりと重い。自転車の荷台に壺を載せて縄をかけると、車輪がきいと鳴いて、ふらついた。舞台の箱は、思っていたよりずっと頭が高く、風が吹けば倒れそうだった。

◇ ◇ ◇

 箱の引き出しをあけると、水飴みずあめの壺と、薄く色のついた飴と、せんべいがおさまっていた。

 拍子木を打つと、それまでどこに隠れていたのかと思うほどの子どもらが、路地の奥からわっと駆け出してくる。小銭をにぎりしめた手が、われ先にのびる。いちばん人気は水飴だ。割り箸わりばしを二本わたして、壺からすくった一とすくいを、こねさせる。練るほどに飴は白く濁って、ふんわりとふくらんでいく。子らは肩が痛くなるまで、黙って練りつづける。

 ひとすくいの水飴は一銭だ。壺に箸をさしこんで、ひと巻きして上げる。糸が切れるまで待たずに急いで切ると、子らはそれを見ている。多く載せすぎれば元がとれず、少なければ、明日は来ない。巻き上げる手の加減は、思ったより難しかった。

 飴を買った子は、箱の前のいい場所に座れる。買えない子は、うしろから首をのばして覗くきりだ。わたしは前に座った子を指を折って数えた。六人。うしろに立つのは五人。そのなかに、銭をもたぬくせに毎日いちばん前を狙う小僧がいる、と銀次さんは言っていた。見て見ぬふりをしておけ、とも。叱って追えば、明日の客がひとり減る。小僧は勝坊といった。わたしは黙って勝坊を前の端に座らせた。六人が七人になった。

 路地の向こうでは、荷をおろした車力が、煙草に火をつけながら、知らんぷりをして立っていた。買い物かごをさげたおかみさんも、足を止めている。大人は飴を買わない。買わないくせに、耳だけはそばだてている。わたしが拍子木をもう一度、ひとつ打つと、がやがやしていた路地が、すっと静まった。

挿絵:路地の向こうでは、荷をおろした車力が、煙草に火をつけながら、知らんぷりをして立っ

◇ ◇ ◇

 絵は、ぶあつい紙に、毒々しいほど鮮やかな色で描いてある。木の枠に立てて、扉をあける。題は『黄金バット』。名だけは、わたしも知っていた。金色の骸骨の顔をした男が、空を飛んで悪者をこらしめる話だ。子らはその名を口々に叫んで、宙に向かって拳をふりまわしている。

 わたしは、その名を耳で聞くだけで、実物の絵を目の前に見るのは、これがはじめてだった。紙は思ったより厚く、色は思ったよりずっと濃い。路地の薄暗がりでも、金色だけが、ぎらりと光る。

 絵の裏には、つぎの絵のぶんの筋書きが書きつけてある。いま立てた絵を抜いて脇へ送りながら、その裏の字を読む。読み終えてから、つぎを抜く。それが段取りだった。終わり方のほうは、教わるまでもなく知っていた。いちばんいいところで止めて、続きはあしたに持ち越す。そう思っていた。

 ところが、手が追いつかない。絵を抜くのと裏を読むのとを一度にやろうとして、裏を読まぬうちに、つぎの一枚を抜いてしまった。筋が飛んだ。悪者の声は裏返り、声色こわいろをつくろうとするたびに喉が笑った。前の列の子が、きょとんとしてから、げらげら笑いだした。

 「おじさん、バットはそんなこと言わねえや」

 勝坊だった。それでも最後の一枚まで、なんとか行きついた。刀がふりおろされる寸前の絵だ。わたしは、やれやれと息をついて、そのまま扉をぱたんと閉めてしまった。子らは、あれっという顔で、ぱらぱらと散っていった。ねえ、もう一枚だけ、と拝む子はひとりもいなかった。

 わたしは、荷台の箱をくくりなおしながら、ずいぶん長いこと、子らの散っていった路地を眺めていた。裏声の出ない喉が、ひどく重い。絵のことは分かっていたつもりだった。止めどころも、分かっていた。それでも、手のほうは、知っているとおりには動かなかった。

 銭箱をあけると、一銭玉は十九枚きりだった。親指ほどの小さな銅の玉が、箱の底で、かすかな音を立てた。

 飴の仕入れと絵の損料を引けば、手に残るのは、煙草が一箱買えるかどうか、というところだ。銀次さんが、この商いで日々を送っていることの重みが、ようやく腹に落ちた。人の前に立って声を出すのは、筆を売るのとは、まるで別の仕事だった。

◇ ◇ ◇

 その晩、わたしは絵の裏を、ひとつ残らず先に読んだ。声はつくれない。つくれぬなら、つくらない。低く、おさえて、ゆっくり読む。かわりに絵を抜く手だけを稽古した。じらすところは、ゆっくり。ここぞというところは、しゃっと。

挿絵:その晩、わたしは絵の裏を、ひとつ残らず先に読んだ

 空き地の隅で、絵の裏の筋書きを、声に出して三度読んだ。読みながら、ここでひと息、ここで目をあげる、と紙の端に爪で小さく印をつけていく。つぎに絵を抜く手の、いちばんいい速さをはかる。引くのが早すぎれば子らの目がついていけず、遅ければ、むなしい間があく。何度かやり直すうちに、指の腹が紙の角でひりひりした。

 二日目、拍子木を打つと、昨日の七人に、さらに六人がついてきた。昨日の子が連れてきたらしい。わたしは低い声のまま読んだ。子らは身を乗り出して、「うしろ、うしろ」と叫んだ。そして最後の一枚、刀がふりおろされる寸前で、わたしは手を止めた。扉は閉めない。絵を立てたまま、子らの顔を見る。ひとつ、ふたつ、みっつ。みな、息をつめている。そこで絵をすっと伏せた。

 その伏せるときの音も、わたしは二日目の朝、空き地でたしかめておいた。紙が紙に重なる、ぱさり、という軽い音だ。強く叩きつければ子らは驚くだけで、静かに置けば、胸のなかの絵がそのまま残る。

 「——さあ、つづきは、またあした」

 ええっ、と声があがった。昨日は聞かなかった声だ。そんなあ、いま、いいとこだったのに。手をあわせて拝む子もいる。わたしは何も言わずに笑って、箱の扉を閉めた。子らは口々に文句を言いながら、それでも目だけは、きらきらさせている。

 路地のうしろで、荷をおろしていた車力が、ぼそりとつぶやいた。「で、刀はどうなった」。おかみさんが、思わず吹き出した。わたしは、答えなかった。答えないのが、商いだった。

 銭箱の一銭玉は、三十八枚になった。飴をふたつ買う子も出たのだ。帰りぎわ、勝坊が、まだ路地の角に立っていた。「あした、また来るぜ」と言って、駆けていった。

 雨の日は、紙芝居は出ない。紙が濡れれば、絵が台なしになるからだ。三日目は、明け方まで小雨が残っていた。昼すぎに雨はあがったが、空は低く曇ったままで、路地はまだ濡れている。十月も末で、雨あがりの風が冷たかった。損料は、雨でも日ごとにとられる。わたしは舞台の屋根に油紙の合羽をひろげ、絵を濡らさぬよう扉を半分だけあけて、拍子木を打った。傘をたたんだ子が、ぽつりぽつりと集まってきた。いつもより声をさらに低くして読み、濡れた路地で、ひと呼吸ぶん、長く絵を止めた。誰も、笑わなかった。

 たたんだ傘の骨から、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。その音のほかには、路地に何も聞こえない。子らの肩は、さっきまでの雨で濡れていたが、誰も帰ろうとはしなかった。合羽の下で、わたしの手の拍子木も、じっとりと湿っていた。勝坊が、仲間を引きつれてきていたのだ。三日目の銭箱は、五十枚をこえた。

 三日目の晩、銀次さんが杖をついて路地の入口に立っていた。銭箱を受けとって、ひとつ振る。ざらり、と重い音がした。わたしは手間賃のかわりに、荷台の奥にしまわれていた、角のすり減った拍子木を一組、もらいたいと言った。銀次さんは黙って杖を荷台の奥へのばし、一組、引き寄せて寄こした。翌朝、わたしは筆と半紙を担いで、別の町へ向かった。

◇ ◇ ◇

 ボクの手のなかには、いまもその拍子木がある。

 樫の木は、打つたびに角が減り、あの三日のあいだにも、ひとつ、ふたつ、小さな欠けをこしらえた。銀次さんの手の脂が染みた跡は、いまも黒く光っている。

 水飴は、練ると空気をふくんで白くなる。甘さが増すわけではない。それでも子らは、肩が痛くなるまで練った。あれから年を経て、連続ものの物語の終わりぎわに「つづく」の二文字が出るたび、ボクは、あの路地で止めた手のことを思い出す。あの二文字は、「またあした」のなれのはてだ。

 打ち合わせてみる。返ってくるのは、冷たい樫の木と、カチ、という乾いた音がひとつ。

参考文献・もっと詳しく

※ 自転車に紙芝居の舞台を積み、駄菓子や水飴を売りながら町々をまわって演じる「街頭紙芝居」は、昭和のはじめ(一九三〇年前後)に東京や大阪などの都市で広まったとされる。本話の舞台とした昭和八年(西暦一九三三年)は、その街頭紙芝居がもっとも盛んになっていく時期にあたる。水飴を割り箸で練って売る商いは、この時期に広まったとされる。飴を買った子だけが前で見られたのは、紙芝居屋の収入が絵を見せることよりも駄菓子の売上にあったためとされる。絵は元締めの家から借りるのが一般的だったとされる。作中の『黄金バット』は昭和のはじめ(一九三〇年ごろ)に登場し、街頭紙芝居の人気を集めた連続物とされる。なお、街頭紙芝居は戦後しばらく隆盛を保ったのち、テレビの普及とともに急速に姿を消していった。

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