続きは、またあした
〜一枚の絵と、たったひとりの声に、なぜ子らはあれほど夢中になったのか〜
ボクが長く見てきて、つくづく思う。人は、物語に弱い。
石を蹴り、まりをつき、走りまわって遊ぶ子らも、ひとたび誰かが「むかし、むかし」と語りはじめると、ぴたりと動きを止めて聞き入ってしまう。続きが知りたくてたまらなくなる。その心は、いつの世も変わらない。
いまでは物語は、いつでも手のなかにある。光る板を指でなでれば、続きはいくらでも好きなだけ流れてくる。「またあした」と焦らされることなど、もうない。それでもボクは、夕暮れになるとふと思い出すんだ。昭和の路地の底から、カチ、カチと響いてきた、あの乾いた音のことを。
◇ ◇ ◇
昭和八年。西暦でいえば一九三三年。東京の下町に、紙芝居で口を糊する男がいた。みな親しみをこめて、銀次さんと呼んでいた。
わたしはその年、筆だの紙だの半紙だのを担いで町から町へ売り歩いていた。荷をおろして煙草を一服やっていると、夕方の路地の奥から、カチ、カチ、と拍子木の音がしてくる。すると、それまでどこに隠れていたのかと思うほどの子どもらが、わっと駆け出してくる。向かう先は決まっていた。一台の自転車だ。
銀次さんの自転車には、荷台に木の枠を載せた箱がくくりつけてある。観音びらきの扉のついた、立派な舞台だ。子らはその前にぎゅうぎゅうと寄り集まって、まだ何もはじまらぬうちから、もう目を輝かせている。
◇ ◇ ◇
銀次さんは、いきなり絵を見せたりはしない。まず商いだ。
箱の横の引き出しをあけると、なかには水飴の壺やら、薄く色のついた飴やら、せんべいやらがおさまっている。子らは小銭をにぎりしめて、われ先にと手をのばす。いちばん人気は水飴だった。割り箸を二本わたされた子が、壺からすくった一とすくいを、こねて、こねて、ねりあげる。練るほどに飴は白く濁って、ふんわりとふくらんでいく。
「もっと練れ。白うなるほど甘うなるぞ」
銀次さんがそう言うと、子らは本気で信じて、肩が痛くなるまで練りつづける。脇では、薄い板飴を針でつついて、型を抜こうとしている子もいた。星だの、ひょうたんだの、めでたい絵の形だ。へりを欠かさず、きれいに抜けたら、もう一枚おまけがもらえる。けれど、これがなかなか抜けない。子らは舌を出して、息をつめて、針の先に魂をこめている。
飴を買った子は、箱の前のいい場所に座れる。買えない子は、うしろから首をのばして覗くきりだ。なかには銭をもたぬくせに、毎日いちばん前に陣どる小僧がいて、銀次さんもそれは見て見ぬふりをしていた。叱って追えば、明日の客がひとり減る。そのあたりの呼吸も、心得たものだった。わたしも一銭はらって、子らのいちばんうしろに立った。いい大人が紙芝居を覗くなど、と思われそうなものだが、なに、立ち止まっているのはわたしだけではない。荷をおろした車力も、買い物かごをさげたおかみさんも、みな足を止めて、知らんぷりをしながら耳だけはそばだてている。物語というのは、子どもより、案外おとなのほうが渇いているものらしい。
◇ ◇ ◇
飴がいきわたると、いよいよだ。
銀次さんは観音びらきの扉をひらき、木の枠に絵を立てた。ぶあつい紙に、毒々しいほど鮮やかな色で描いた絵だ。一枚、また一枚と引き抜いては、うしろの絵を表に送り出す。その抜きかたが、また心得たものだった。じらすところはゆっくりと、ここぞというところでは、しゃっと鋭く引き抜く。絵が変わるたびに、子らの息がそろってのまれる。
そして声だ。声色が、くるくると変わる。
悪者が出れば、腹の底から低くすごむ。姫が泣けば、裏声をふるわせて、か細く震わせる。年寄りになり、赤子になり、化け物になり、たったひとりの喉で、何人もの命を吹きこんでいく。たった一枚の絵と、たったひとりの声だ。それなのに、せまい路地の上に、見たこともない遠い国が、ありありと立ちあがっていく。
子らは身を乗り出し、こぶしをにぎりしめる。悪者がせまれば「うしろ、うしろ」と叫び、味方があらわれれば、そろって歓声をあげる。絵は動かない。動かないからこそ、足りないところを、子らが胸のなかで勝手に動かす。炎は揺らぎ、刀は光り、馬は土ぼこりをあげて駆ける。誰の頭のなかでも、それぞれの色で、いちばん大きく燃えあがっているのだ。
近ごろは妙ちきりんな衣装の正義の味方が出てくる話が、たいそう人気だと聞いた。空を飛んで、悪者をやっつけるのだそうだ。わたしは名までは覚えていないが、子らはその名を口々に叫んで、宙に向かって拳をふりまわしていた。
◇ ◇ ◇
そうして、いちばんいいところで——銀次さんはぴたりと絵を止めた。
刀がふりおろされる、まさにその寸前。姫の手が、もう少しで悪者の檻にとどく、そのきわどいところ。子らが、ああ、と身を乗り出した、ちょうどその一瞬に、すっと絵を伏せてしまう。
「——さあ、つづきは、またあした」
子らは、ええっ、と声をあげた。そんなあ、いま、いいとこだったのに。ねえ、もう一枚だけ。手をあわせて拝む子までいる。けれど銀次さんは、にやりと笑って、箱の扉を閉めてしまう。子らは口々に文句を言いながら、それでもみな、目をきらきらさせている。明日が、待ちきれないのだ。
わたしは、その引きぎわの見事さに、いつも舌を巻いた。あれは商いの呼吸だ。続きを焦らされた子は、明日もまた、なけなしの一銭をにぎって走ってくる。けれど、それだけではあるまい。あの男は、子らが何にいちばん飢えているかを、よく知っていた。腹を満たす飴ではない。次が知りたくてたまらない、あの胸の高鳴りのほうだ。
帰りぎわ、銀次さんがぽつりと言ったことがある。
「絵は、おらが描くんじゃねえ。あいつらの頭んなかで、あいつらが描くのさ。おらはただ、続きを、ちょいと取りあげてやるだけよ」
自転車を押して、また次の路地へ消えていく背を、わたしはしばらく見送っていた。きいきいと鳴る車輪の音が、夕闇のなかへ遠ざかっていく。荷台の箱のなかには、明日のいちばんいいところが、まだ伏せたまま、そっとしまわれている。あの男が次の角を曲がれば、また向こうの路地で、別の子らが拍子木の音に駆け出してくるのだろう。
◇ ◇ ◇
あれから、ずいぶんになる。
やがて、どの家にも物語を映す箱がそなわるようになって、路地の拍子木は、いつのまにか聞こえなくなった。子らは家のなかで、銀次さんよりずっと大きな、ずっと色とりどりの物語を、ただ座って眺めるようになった。指でなでれば、続きはいくらでも、こちらの都合で流れてくる。「またあした」と焦らされることなど、もうない。
それでも、とボクは思う。
人は今も、続きが気になって眠れない夜を過ごす。先が知りたくて、つい夜ふかしをしてしまう。あの、路地で飴をなめながら、次の絵を、息をつめて待った心は、何ひとつ変わっていない。動かぬ一枚の絵を、自分の胸のなかでいちばん大きく燃えあがらせた、あの力だけは、いまも誰の胸にも、ちゃんと残っているのだ。
ボクは、カチ、カチという拍子木の音を、いまでもときどき、夕暮れの底に聞く気がするんだ。続きは、またあした——と。
参考文献・もっと詳しく
- 『紙芝居昭和史』ISBN 978-4-00-603096-4
- 『紙芝居 街角のメディア』ISBN 978-4-642-05503-1
- 『メディアとしての紙芝居』ISBN 978-4-906563-98-2
- 『紙芝居文化史 資料で読み解く紙芝居の歴史』ISBN 978-4-89347-127-7
※ 自転車に紙芝居の舞台を積み、駄菓子や水飴を売りながら町々をまわって演じる「街頭紙芝居」は、昭和のはじめ(一九三〇年前後)に東京や大阪などの都市で広まったとされる。本話の舞台とした昭和八年(西暦一九三三年)は、その街頭紙芝居がもっとも盛んになっていく時期にあたり、元号と西暦の対応も史実に整合する。飴を買った子だけが前で見られるという仕組みは、紙芝居屋にとって絵を見せること自体ではなく、駄菓子を売ることが商いの本体であったことを示している。作中の「空を飛ぶ正義の味方」は当時人気を集めた連続物の気配を借りたもので、特定の作品名は断定していない。なお、街頭紙芝居は戦後しばらく隆盛を保ったのち、テレビの普及とともに急速に姿を消していった。
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