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言語明治のころ・東京読了 約6

春を運ぶ一枚

年に一度の「おめでとう」を、人はなぜ、わざわざ一枚の紙に託したのか

 年の瀬になると、ボクの手のひらは妙に忙しい。

 画面を指でひと撫でするだけで「あけましておめでとう」が誰かのもとへ飛んでいく。スタンプひとつ送れば絵文字ひとつが返ってくる。海の向こうの相手にさえ、ほんの一瞬だ。

 ずいぶん楽になったものだと思いながら、ボクはいつも昔を思い出す。新年の挨拶が、まだ人の足で運ぶものだった頃のことを。

 あのころ「おめでとう」は口に出して言うものだった。元日の朝になれば人は晴れ着に着がえて年始回りに出る。世話になった家を一軒ずつたずね、門口で頭をさげ、年の口上を述べる。それが古くからのならいだった。けれど歩いて回れる相手など、たかが知れている。町が広がり、人の縁が国を越えてのびるにつれて、会いに行けぬ相手のほうが、誰の暮らしにもふえていった。

 そこへあらわれたのが、一枚のはがきだったんだ。

◇ ◇ ◇

 明治四十年。西暦でいえば一九〇七年。東京の冬は乾いていて、吐く息がまっ白に立った。

 諸国を歩いて小商いをしていた頃のことだ。その年のわたしは下町の郵便局のすぐそばに、筆と紙とをならべてささやかな店を出していた。郵便局といっても煉瓦づくりの立派なものではない。格子の窓口がひとつあるきりの、こぢんまりとした受け持ちの役所だ。それでも年の瀬になると、その窓口の前には毎日のように人の列ができた。

 なぜ列ができるか。年賀のはがきを出しに来るのだ。

 数年まえから、妙な取り決めができていた。年の暮れのうちに年賀のはがきを託しておけば、役所がそれを元日の朝まで預かって、そろって配ってくれる。大晦日までに出した一枚が、ちょうど年の明けた朝、遠い在所の戸口へ舞いこむという寸法だ。顔を合わせずとも声を届けずとも、新年の心がそっくり相手のもとへ運ばれていく。そんな手立てがようやく誰の手にも届くものになっていた。

 わたしの店には、はがきを買ってその場で一筆したためていく者が多かった。だから墨と硯と、貸しの筆を何本もそろえておいた。寒さで墨が凍てつかぬよう、火鉢のそばに硯を置いて、息を吹きかけながら磨る。指がかじかんで、うまく筆を運べぬという者には、わたしが代わって書いてやった。刷り物の賀状もならべて売った。松だの鶴だの、めでたい絵を木版で刷ったしゃれた一枚だ。文句まで刷りこんであるから、名さえ書けば出せる。気のきいた商家の主などはそういうものをひと山買っていった。

 けれど、刷り物では足りぬという者も来る。

 「あのう」と若い女が店先で立ちどまったのは、暮れも押しつまった頃だった。

 手は赤くひびわれて、奉公人の身なりをしている。聞けば在所を離れてもう三年、母の顔を見ていないという。せめて年の挨拶を送りたい。だが筆が不得手でどうにも形にならない。刷り物の賀状も見せてもらったけれど、よその絵とよその文句では、どうにも心がこもらぬ気がする。書いては丸め、書いては丸めしているうちに、墨ばかりが減っていくのだと女は力なく笑った。

 わたしは紙をひろげて、何を伝えたいのかとたずねた。

 女はしばらく宙を見て、それからただ一言「達者でいるか、と」とつぶやいた。

 わたしはその一言を芯にして短い文をこしらえた。母御さま、あけましておめでとうございます。こちらは息災にしております。どうぞお体をいといくださいませ。墨をふくませた筆で、はがきの面にていねいに綴っていく。格子窓から冬の薄日がさしこんで、墨の濡れたところだけがつやりと光った。

 読んで聞かせると、女は目もとをそっとおさえた。たったこれだけのことが、自分の手では言えなかったのだという。出来あがった一枚を女は両手で押しいただくように受けとって、窓口の列の最後尾についた。やがて自分の番が来て、それを役人の手に託す。託したあとも、しばらく窓口のあたりに立って、はがきの行く先を見送るような目をしていた。

 あの一枚は元日の朝、母御の戸口へ届くのだろう。わたしはそんなことを思った。

◇ ◇ ◇

 その冬、わたしの店先には入れかわり立ちかわり人が来た。

 字の書けぬ年寄り。奉公に出て里へ帰れぬ小僧。遠くの恩人を忘れかねる商人。海の向こうへ働きに出た息子をもつ、漁師あがりの父親もいた。どの一枚も宛て先はみな手の届かぬところにあった。歩いてたずねるには遠すぎ、駕籠を仕立てるには貧しすぎる。それでも年の初めには声をかけたい相手がいる。みな会いに行けぬ誰かを胸に抱えて、たった一枚の紙にその心を託していこうとした。わたしは一筆ずつ、それを書いた。

 書きながら、ふと昔を思った。人の想いを遠くへ運ぶのは、もとはたやすいことではなかった。同じ方角へ下る旅人を幾日も待ち、ようやく見つけて口で言づけを頼む。その人が無事に着くかどうかも、言づけを違えず伝えてくれるかどうかも、こちらにはわからない。届いたという報せすら返ってこぬまま、ただ拝むようにして祈るしかなかった。飛脚に頼めば早いけれど、それはひと握りの金持ちの話だ。それが今は一枚のはがきに乗って、決まった朝にちゃんと着く。たった一銭か二銭で、貧しい奉公人の「達者でいるか」さえ、海辺の在所まで運んでくれる。想いを遠くへ運ぶ手立てが、ついに誰の手にも握れるものになったのだ。

 元日の朝、わたしは店を閉めて町なかを歩いてみた。

 角を曲がると、肩から大きな鞄をさげた配達夫がせかせかと駆けていく。鞄のなかは、ぱんぱんにふくれたはがきの束だ。それを一軒ずつ、戸口の隙間から差し入れていく。前の晩から町じゅうの暮れの想いがそこへ集められて、夜のうちに仕分けられ、こうして元日の朝、いちどきに人の手もとへ落ちていくのだ。やがてどの家からも束になったはがきを手にした人が出てきて、寒空の下で一枚ずつめくっては口もとをほころばせていた。なかには差出人の名を見たとたん、あっと声をあげて、その場で何度も読みかえす者もいた。会えずにいた誰かの手が、たしかにこの紙に触れたのだと、束の厚みがそのまま伝えてくるのだろう。

 あの女の母御も今ごろ戸口で、束のなかから娘の一枚を見つけ出しているだろうか。皺だらけの一枚を、何度も読みかえしているだろうか。そう思うと、わたしまでなんだか温かい心もちになった。

◇ ◇ ◇

 今は、もっと早い。

 書く手間も出しに行く道のりもいらない。指のひと撫でで年の挨拶は海さえ越えていく。元日を待つこともない。日付の変わったその瞬間に、もう届いている。

 それでも、とボクは思う。

 年が明けるたび、人は誰かに「あけましておめでとう」を送ろうとする。会えずにいる相手ほど、その一言を届けたくなる。運ぶ手立てはすっかり変わった。けれど、その一言に込める心だけは、あの暮れの店先で「達者でいるか」とつぶやいた女の、あのまなざしと少しも変わっていない。

 ボクは年の瀬の郵便局の前を通るたびに、ふと、あの冬の墨の匂いを思い出すんだ。

参考文献・もっと詳しく

日本の郵便制度は明治四年(一八七一年)に創設された。年内に差し出した年賀状を元日にそろえて配達する「年賀郵便の特別取扱い」は明治三十二年(一八九九年)に始まったとされ、本話の明治四十年(一九〇七年)は、その仕組みが定着し年賀状が庶民へ広まりつつあった時期にあたる。元号と西暦の対応(明治四十年=一九〇七年)は史実に整合する。お年玉付き年賀はがき(昭和二十四年=一九四九年〜)は本話の時代には存在しないため登場させていない。明治四十年時点の通数・普及度の具体的数値は断定していない。

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