首押さえの椅子の脇に立った母と、海を渡る少年第 48 話文化
文化明治のころ・横浜の写真館読了 約6分

首押さえの椅子の脇に立った母と、海を渡る少年

〜長崎から来た写真師は、なぜ母親に「息子を見るな」と言ったのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 駅のホームで、制服の子らが頭を寄せ合い、ひとつの画面に向かって笑っている。ぱしゃり、と乾いた音がして、それでおしまいだ。撮った顔を確かめるより先に、子らはもう次の話へ移っている。

 写真は、ボクにはとうに見慣れた道具だ。あの画面のなかでは、光が電気の信号に変わってしまいこまれる。百四十年あまり前の横浜では、光が硝子ガラスの上の銀を黒く変えた。光の触れた分だけ何かが変わる、という理屈は同じで、違ったのは待たされる長さだ。あの一枚には、十を数えるあいだ息を殺す覚悟がいった。

◇ ◇ ◇

 明治十五年(一八八二年)の春、横浜の写真館で、わたしは朝から硝子の板を磨いていた。日雇いで入って、まだひと月にもならないが、薬回しは先生の手つきを盗み見て覚え、数日前から任されていた。板は縁を指の腹でつまむ。真ん中に触れれば脂がついて、あとで像に指の形が出るからだ。

 この館の主は、長崎から流れてきた写真師だった。異人の店で技を仕込まれたという話で、二年前にこの町へ移ってきた。土地の者は「先生」と呼びながら、どこか遠巻きにしている。向かいの八百屋のおかみなどは、店の前を通るたび、わざわざ道の向こう側へ寄って、聞こえよがしに言った。

 「あすこの箱に睨まれると、魂が抜けて寿命が縮むそうだよ」

 番頭は、聞こえぬふりで帳場の算盤を弾いていた。先生はといえば、そんな声にも笑って、朝の光の具合ばかりを気にしていた。ただ、先生の薬の匂いだけは、番頭もいまだに好かぬらしい。

 この板は、濡れているうちに撮らねばならなかった。乾いてしまえば、もう役に立たぬ。だから先生は、客を先に椅子へ座らせ、頭を首押さえに預けさせてから、わたしに声をかける。首押さえとは、椅子のうしろに立つ鉄の棒で、先についた小さな股が、頭を後ろからそっと挟んで支える。板ができたときに、客が石になっていなければならないのだ。

 その日の最初の客は、四十ほどの母親と、十五、六の男の子だった。

 母親は、よそ行きの紬を着ていた。男の子は、真新しい洋服に堅い靴で、足を踏みかえている。近く船に乗って、遠い国へ学問に渡るのだという。

 母親は、戸口で一度足を止めた。向かいの八百屋のほうを、ちらりと見た。

 「あの……向かいの奥さんが、こちらの箱は、人の魂を、と」

 言いよどむ母親に、先生はうなずいた。

 「お疑いはもっともです。済みましたら、板をご覧に入れましょう」

 母親は、それでも、母子ならんだ姿を、一枚、写しておきたいのだと言った。

 「もう、なん年も、この顔を見られぬかもしれませんから」

 そう言って、息子の肩の埃をはらい、襟をなおし、ほつれてもいない前髪を指で整えてやった。何度も、撫でるように。男の子は、おっかさん、よしてくれ、というふうに顔をしかめたが、母の手を払いはしなかった。

挿絵:そう言って、息子の肩の埃をはらい、襟をなおし、ほつれてもいない前髪を指で整えてや

◇ ◇ ◇

 男の子が椅子に座ると、わたしは首押さえの股を、その頭の高さに合わせた。ねじを回して、ぴたりと止める。冷たい鉄が後ろ頭に触れて、男の子が肩をすくめた。母親は、その脇へ寄せて立たせた。母と子を並べて、一枚に写すためである。

 「利助、板を」

 先生が、写場の隅から声をかけた。

 わたしは暗室へ入り、磨いておいた板を左手に持ち、右手で壜を傾けた。とろりとした薬が、板の真ん中へ垂れる。板をゆっくり傾けて四つの隅へ順に回し、余りを角から壜へ戻す。一度でむらなく回せなければ、そこでやり直しだ。甘く鼻を刺す匂いが、暗い部屋いっぱいに立った。そのまま、銀の水を張った槽へしずかに沈める。しばらく待つと、板は乳のような色に変わる。

 板を抱えて写場へ戻ると、母親はまだ落ち着かずにいた。息子のそばへ寄りながら、横顔をつい見てしまう。隣にいるのに、目だけが子のほうへ流れていく。もうじき海へ出る子だ。いま目の前にある顔を、一分でも長く見ておきたいのだろう。

 先生が、低い声で言った。

 「奥さん、箱をまっすぐに。お子さんのほうは、見ないでください。十のあいだだけです」

 母親の肩が、びくりと強ばった。すぐ隣に、いとしいせがれの顔がある。手を伸ばせば頬にも触れられる。けれど、動いてはならぬ。見てもならぬ。母親は、黒い箱を見つめ、唇をきつく結んで、息を止めた。

 わたしは、板を収めた枠を、先生の手へ渡した。先生が箱の蓋を、すっと開ける。

 先生は口のなかで数えていた。唇の動きで、十まで数えるのが分かった。硝子の屋根から、春の白い光が、ふたりの上へ降っている。母も子も、彫りつけられたように動かない。写場には、誰の息の音もしなかった。

 わたしは、母親の目を見ていた。まっすぐ前を向いたその目に、じわりと水が盛り上がってくる。動けば板がだいなしになる。だから、こぼすわけにはいかぬ。母親は、まばたきもせず、あふれそうなものを目のふちで支えていた。

 先生の手が、ことり、と蓋を閉じた。母親は、こらえていた息を、ふうっと吐いた。とたんに、目のふちで支えていたものが、頬を伝った。あわてて手の甲でぬぐい、隣のせがれを見て、照れたように笑った。男の子も、強ばった肩をほどいて、首押さえからそっと頭を離した。

挿絵:先生の手が、ことり、と蓋を閉じた

 わたしは、枠を胸に抱えて暗室へ駆けた。鉄の薬を、板の上へ一息に流す。灰色の霧が硝子の上に湧いて、そのなかから、顔の形が浮かんでくる。襟。洋服のボタン。ほつれた鬢の毛。いつ見ても、この浮かびあがる一瞬には、口元がゆるんでしまう。水を流して洗い、定めの薬に沈めた。像がすっかり定まったところで、先生を呼んだ。

 先生は、母親を暗室の戸口へ招き、板の裏へ黒い布を当て、水の上でそっと傾けて見せた。母親は、硝子のなかの顔を見た。それから、うしろで居心地悪げに立つ息子を見た。硝子と、息子と、もう一度、硝子。二度、見比べてから、ゆっくり息を吐いた。八百屋のおかみの話は、それきり母親の口から出なかった。

◇ ◇ ◇

 船は、三日後の朝に出る。写真は、その前の晩までに渡さねばならなかった。

 二日目の朝は、まだ暗いうちから手を動かした。卵の白身を引いた紙の端をつまみ、銀の水の上へ、しわの寄らぬよう端から寝かせて浮かべる。三分ほどそのままにして引き上げ、暗いところへ吊って干す。乾いたところで板と重ねて枠に締め、中庭の日向へ運んだ。焼けるのは日の光だけが頼りだ。雲が出れば、そこで焼けが止まる。空を見上げては、枠の裏を半分だけ開けて色の出具合をのぞき、また閉じる。三度、雲に待たされた。焼けた紙は、金の薬に通して色を落ち着かせ、定めの薬に沈めてから、水でよく洗って干した。乾いたところで台紙へ貼り、余白に店の名を押す。

 その干し場を、塀のむこうから、八百屋のおかみがのぞいていた。前を通りがかったふりで、首だけ伸ばしている。台紙の上の男の子は、襟を立てて、こちらを見返していた。

 「……似すぎているのも、気味が悪いもんだね」

 おかみは、そう言い捨てると、また道の向こう側へ渡っていった。疑いは、町からそう簡単に消えるものではない。帳場から出てきた番頭だけが、干した台紙を黙って手に取り、日にかざして、しばらく眺めていた。

 夕方、母親が取りにきた。台紙を受け取ると、その場で立ちつくして、息子の顔から目を離さなかった。あの十のあいだ、見てはならなかったぶんを、取り戻すようだった。男の子は、後ろで所在なげに靴を鳴らしていた。

 先生は、台紙をもう一枚、別に包んで差し出した。同じ板から、同じ日に焼いた一枚だ。「こちらは、お子さんが船へ持ってゆかれるように」。男の子は、少し迷ってから、それを洋服の内かくしへ入れた。母親は、その手つきを、こんどは見ることを許されて、じっと見ていた。

◇ ◇ ◇

 あの写場では、撮るあいだじゅう、薬の匂いが鼻を刺していた。母親の涙が頬を伝ったときも、板を洗う水の匂いが、暗室の戸口から流れていた。

 ホームの子らの掌にあるのは、新しい樹脂の匂いだ。

参考文献・もっと詳しく

※ 明治初期の写真は、硝子の板に感光剤を塗って撮影する湿板法などが用いられ、感度が低いため露光に長い時間を要したと伝わる。撮影の間、被写体は身じろぎできず、頭を後ろから支える首押さえ(ヘッドレスト)を使い、まばたきもこらえて静止したため、表情が硬くなったとされる。撮影後は板に薬を流して像を出し、日光で卵白紙に焼き付けて台紙に貼る手順であったと伝わる。横浜は開港地として早くから写真術が伝わり、写真館が営まれた土地のひとつと伝わる。明治十五年は一八八二年。※本文の人物・会話・情景は創作。

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