第 99 話道具鉄の骨が八本のこうもり傘と、母の番傘
〜梅雨の木戸ぎわで、娘はなぜ張り替えを自分の手でやりたがったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
八本。雨の往来で、ボクが数えたこうもり傘の骨の数だ。鉄の骨が八本、黒い布が八枚の三角に分かれていて、すぼめれば一本の棒になる。
それに引きかえ、番傘の骨は四十八本。数えるだけで指が足りなくなる。竹の林に、油紙一枚でふたをしたようなものだ。
◇ ◇ ◇
明治十二年(一八七九年)の梅雨どき、東京は本所の裏長屋に、わたしは荷をおろしていた。
「甚三さん、また降ってきたよ」
大家のかみさんが、軒先へ顔を出してそう言う。わたしはその名で通っていた。荷といっても、竹の小割りと糊の壺と刷毛、油紙の束、それに錐と小刀だけだ。木戸ぎわの軒下に筵を敷けば、それが店になる。雨の続くかぎりは長屋に居つき、仕事が尽きれば、荷を担いで次の町へ移る。
その日の客は、書生だった。ひじの擦れた紺の洋服で、黒い洋傘を、抱えるように持ってきた。
「これは、直せるか」
開いてみると、八本のうち一本の骨が、くの字に曲がっている。布の先も裂けていた。骨は二段になっていて、親骨の途中に短い受け骨が蝶つがいでとまり、その先が、軸をすべる輪につながる。輪を押しあげれば傘がひらく。つくりの考えは、和傘の轆轤と変わらない。
「風にあおられて、裏返ったことがおありでしょう。そういうとき、八本のうち一本にだけ力が寄って、そこが折れます」
「見ていたのか」
「見なくても、曲がり方に出ますよ」
鉄は、竹とちがって、曲がったものを力ずくで戻せばまた曲がる。わたしは骨を二枚の当て木にはさみ、曲がった側へ少し行きすぎるまで押してから、ゆるめて戻した。裂けた布の先は、糸で骨の先へ綴じ直す。針を入れる穴は、もとの穴をたどる。穴をふやせば、そこからまた裂けるからだ。近ごろは、横浜から入った骨と布を組んで売る店が、この町にも出はじめたというが、直す手は、まだ町に少ない。
書生は、傘を受け取って、礼のかわりに首をかしげた。
「傘屋が、洋傘を直すとは思わなんだ」
「しまうときだけは、気をつけてくださいよ。濡れたまま巻いて土間に立てておくと、鉄が錆びて、布に茶色い筋が出ます。ひらいたまま、軒の陰で乾かして、それから巻く。布の折り目は、骨のあいだへ一本ずつ入れて、ね」
書生は、言われたとおり、指で折り目を一本ずつ骨のあいだへ寄せて、巻いてみせた。四本めで手が止まり、わたしが五本めの折り目を指さすと、残りは一息だった。

書生は傘をばさりと開き、雨のなかへ出ていった。軽い、いい音だった。あの黒い傘が、この町の雨に、これから何本ふえるのだろう。そう思うと、仕事の手が、ひとりでに軽くなった。
書生と入れかわりに、軒の端で雨宿りをしていた娘が、風呂敷づつみを差し出した。十七、八というところか。木綿の着物の肩が濡れている。
出てきたのは、一本の番傘だった。紙は破れ、縁はほつれ、骨は二か所で折れている。柄は、握るところだけが手の脂と雨で黒ずんで、竹の地肌が磨かれたように光っていた。
「張り替えは、自分でやります。母に習いましたから。糊の炊き方も、紙の切り方も」
娘は、柄に目を落として言った。母という人は、雨があがると、かならず傘を軒にひらいて干した。しまうときには、骨のあいだへ手を入れて、一本ずつ、撫でるように確かめたのだという。指を折って数えると、この傘の親骨は四十八本ある。四十八本を、母は毎度、手で撫でて数えていたそうだ。
「ただ、折れた骨の継ぎ方だけは、教わらないうちに、母が亡くなりました。見せていただけませんか」
わたしは、見せるだけならと、うなずいた。
◇ ◇ ◇
まず、折れた骨のわきへ、竹を細く割った添え木をあてがった。小刀で、両端へ向けてうすく削ぎ、折れ口を一寸ずつ越すだけの長さに揃える。
「削ぎが厚いと、継いだところだけが突っ張って、紙を張ったときに山になります」
糸を巻く。巻きはじめの端を骨のうえに寝かせて、その上から巻き込んでゆく。糊をふくませて締めれば、乾くころには竹と一つになる。
わたしが一か所を継いでみせると、娘はもう一か所を、自分でやった。巻きはじめの端が浮いて、糸はゆるんだ。わたしは何も言わずに、その糸を一度ほどき、端を寝かせる所作だけをもういちど見せた。娘は、ほどいたところから巻きなおした。二度目は、締まった。
次に、古い紙を剥がす。水を含ませた刷毛を紙にあてて、糊がゆるむのを待てば、紙は骨からすうっと離れる。剥がれた紙は、茶色く脂じみて、雨のしみが地図のように広がっていた。
剥がした紙は、娘が自分で、軒の下の屑かごへ丸めて入れた。母が死んで初めて、その傘の肌を替えるのだ。手つきに、ためらいはなかった。

骨だけになった傘は、しばらく竹の林そのものだった。骨の根もとを、わたしは指でひとつずつ弾いて、音を聞いた。にぶい音の骨は、どこかが割れている。娘も真似て、一本ずつ弾いた。四十八本のうち、にぶい音は、継いだ二本のほかに、もう一本あった。
「これも、継ぎます」
娘は、自分で添え木を削りはじめた。小刀を寝かせる角度は、さっき見たとおりだった。削り終えた添え木を折れ口にあてると、わたしの継いだ一本と、見分けがつかなかった。
新しい紙は、娘が自分で切って張った。紙を骨にあてがい、糊を薄くのばして、指の腹でなでつける。しわが寄れば、そこだけ湿らせて、ゆるめてやる。わたしは、手を出さなかった。出す場所が、見あたらなかったのだ。
紙は、一度に張りきれない。一枚の乾くのを待つあいだ、娘は軒の下に座って、雨の脚を眺めていた。わたしは、その横で、別の破れ傘の骨を継いでいた。竹を削る音と、軒から落ちる雨だれの音とが、同じ拍で重なっていた。糊の炊き加減を見るのに、娘は小指の先を壺にちょんとつけて、指のあいだで糸を引かせてみた。母の手つきだったのだろう。迷いがなかった。
それから一日、軒の陰でそっと干した。翌朝、わたしは油の壺と刷毛を、筵の端に置いた。娘は、荏の油を刷毛にふくませ、骨のあいだを一間ずつ、むらなく引いていった。油は紙にしみて、白かった紙が、飴色に透けてくる。あとは幾日か、風に当てて、油の匂いを抜くだけだ。その間、娘は毎朝、長屋の路地へ顔を出して、傘の乾き具合を、指先でたしかめていった。
受け取りに来た日も、雨だった。
傘の上のほうは、新しい紙の色で明るい。そこから下の、骨と柄だけが、古いままだ。紙の明るさと柄の黒さが、一本のうえにならんでいた。わたしは、長屋の軒から傘を受け取る娘の手を、ただ見ていた。
娘は、店先で傘をひらいた。ばさり、ではなく、竹と紙の、ぱんと張る音がした。その下へ身を入れて、しばらく、紙ごしの雨の音を聞いていた。
それから、表通りへ出ていった。黒いこうもり傘が二、三本、行き交うなかを、飴色の傘が、ゆっくりと遠ざかっていく。娘は、傘をいくぶん左へ傾けていた。左には誰もいない。右の肩に、雨が落ちていた。
長屋の木戸のところで、大家のかみさんが、遠ざかる傘を見送っていた。
「甚三さん、あの子、ひとりで張ったんだねえ」
「はあ。わたしは、継ぎ口を見せただけで」
かみさんは、ふうん、と鼻で笑って、井戸のほうへ戻っていった。
わたしは、その日のうちに、荷を担いで次の町へ移った。
◇ ◇ ◇
いまの雨の日にも、骨の数は数えられる。軒先に並んだビニール傘の骨を勘定すれば、八本のものが多い。あの書生の傘と同じ数で、ばさりと開く音までよく似ている。雨のなかで、あの音を聞くたびに、あの木戸ぎわの軒が、ふっと頭に浮かぶ。骨の数は、事典の頁にも載っている。
きのうの雨の下校どき、校門の前で、ビニール傘を子の側へ倒した母親がいた。傘の外へはみ出した、右の肩と、濡れた背。
参考文献・もっと詳しく
※ 和傘(番傘・蛇の目傘)は竹の骨に油紙を張ったもので、破れや骨折れを張り替えて修理しながら長く用いた。幕末から明治にかけて鉄骨に布を張った洋傘(こうもり傘)が輸入・普及し、文明開化の装いの一つとして広まったと伝わる。やがて洋傘が雨具の主流となり、和傘や傘の張り替え職は次第に姿を消したとされる。明治十二年は一八七九年。※本文の人物・会話・情景は創作。
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