堺の菓子屋、七日目の鍋の粒第 22 話食
食安土桃山のころ・堺の港読了 約6分

堺の菓子屋、七日目の鍋の粒

〜南蛮の砂糖を、堺の鍋は星にできたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 半右衛門は、鍋の底をのぞかなかった。炭火の上で平たい銅の鍋をゆすりながら、鼻をひとつ鳴らして、「まだや」と言う。蜜みつの煮え具合を、匂いで知る男だった。

 その名を、ボクはよく覚えている。鍋の前に、丸一日つかまったからだ。

◇ ◇ ◇

 天正てんしょう八年(一五八〇年)。堺さかいの港は、南蛮なんばんの船が着くたびに、見たこともない荷であふれた。

 わしは塩を背負って歩く行商ぎょうしょうで、その日は港に近い菓子屋の裏口へ、塩を納めに行った。

 岸には、帆を下ろしたばかりの船が何艘も寄っていた。荷揚げの掛け声が飛び、樽や木箱が次々と担がれてゆく。香りの強い木、見たこともない布、色のついた小さな硝子。荷の前では、担ぎ手がふと足を止めては、また重そうに歩き出した。

 菓子屋は、その騒ぎから一本入った路地にあった。港の客は、塩をほしがる店と、買わぬ店とにはっきり分かれる。ここは、先月の末から、塩を納めるようになった店だった。

 土間に荷を下ろしたとたん、甘い匂いが鼻を打った。奥の炭火の前に、前掛けの焦げた五十がらみの男がしゃがんでいる。これが半右衛門だった。

 土間の棚には、蒸籠せいろが積んである。その隣に、小さな壺がひとつ。のぞくと、砂糖が、今日の分だけ入っていた。南蛮渡りの砂糖は、塩とは桁の違う値がつくという。半右衛門は、それを匙の腹ですりきりにして使うのだった。

 鍋の中では、米粒ほどの白く丸いものが、からから音を立てて転がっていた。

 「ちょうどええ。手が二本足りんかった」

 男は顔も上げずに言った。弟子が熱を出して寝込んだのだという。三日前から、奥の藁の寝床で唸っているそうだ。その三日のあいだ、半右衛門は、ひとりで鍋と蜜の両方を見ていたことになる。目の縁が赤かった。弟子の顔は、一度も見ていない。

 「塩の勘定は、この鍋が済んでからや。柄を持て」

 断る間もなかった。わしは鍋の柄を握らされていた。

 半右衛門は、傍らの小さな匙で蜜をひとすくい、粒の上にかけた。じゅっ、と音がして、湯気が立つ。

 「回せ。止めるな。止めたら、くっつく」

 蜜のことのほかは、男は多くを言わなかった。蜜をかけては、粒が乾いて、からからと鳴きだすまで、わしが鍋を回す。鳴きだせば、またひとすくい。その繰り返しだった。

挿絵:蜜のことのほかは、男は多くを言わなかった

 炭は、灰をかぶせて火を弱めてあった。半右衛門は、わしの回しかたを横目で見ていて、鍋が火から遠ざかれば、黙って縁を指で押し上げた。近すぎれば、黙って灰を足した。回す手が速すぎれば、粒は鍋の壁に飛びつく。遅ければ、蜜が底で固まる。ちょうどよい手は、ひとすくいごとに、少しずつ違った。

 蜜のほうも、別の小鍋で火にかけてあった。煮詰めすぎれば茶色く焦げ、足りなければ粒にしみて流れる。半右衛門は、ときどき匙の先を指で触っては、鼻へ寄せてから糸の引く長さを見ていた。

 土間の柱には、爪で刻んだ筋が六本並んでいる。

 筋の脇には、小さな丸が、びっしりと彫りつけてあった。蜜をかけた回数らしい。ひと晩寝て、また朝から、ひとすくいずつ。一日に四十ほどは重ねるのだろう。

 「七日目や。まだ丸い」

 半右衛門が言ったのは、それだけだった。笊の隅には、石のように固まった白い塊が捨ててある。蜜を一度に欲張ってかけた日の、先の鍋の成れの果てだという。

 「あの塊ひとつで、おまえの塩が、どれだけ買えるやろな」

 半右衛門は、それも笑わずに言った。塩の値を知るわしには、返す言葉がなかった。

 首すじに炭火が当たって、じりじりと焼けた。腕はしびれてくる。それでも柄を離せば、蜜の乗った粒が、ひとかたまりになる。

 路地の向こうから、荷かつぎの声がもれてくる。あの荷の山のなかで南蛮の品を手にした者が、この鍋の六日を、ひとりでも思うことがあるだろうか。

 昼になると、半右衛門は、冷や飯を握って寄こした。握った手が、蜜でべたついていたのだろう。飯は、うっすらと甘かった。それを片手で頬ばりながら、もう片手で、鍋を回し続けた。

 半右衛門は、棚から南蛮の硝子の壺を下ろした。船の者から手に入れたという、白い星のかたちの粒が、中に光っている。船の者とは言葉が通じず、教わったのは、鍋を回すしぐさだけだったという。男はその壺から一粒を取って二つに割り、掌にのせ、無言でわしの鼻先へ突き出した。

挿絵:半右衛門は、棚から南蛮の硝子の壺を下ろした

 割れた面には、黒い芥子の粒がひとつ。そのまわりを、木の年輪のように、白いものが幾重にも包んでいた。

 ひと粒の中に、数えきれぬほどの層がある。ひとすくいずつ重ねて、七日、十日と続ければ、この厚みになるのか。わしは、柄を握る自分の腕を見た。

 わしは、鍋の中の丸い粒を見た。ここまで、あと何日かかるのか。見当もつかなかった。

 そのとき、戸口に影が差した。炭の籠を背負った母親が、女の子の手を引いて立っている。炭を納めに来る、近所の炭売りの母子らしい。

 女の子は、籠の紐を片手でつかんだまま、鍋から目を離さなかった。

 母親は、炭の籠を土間の隅に下ろし、半右衛門から炭の代の銭を数えて受け取った。小さな銭が、掌の上で、ちゃりと鳴った。それをしまう間も、女の子の目は、鍋にあった。

 半右衛門は、笊の中から丸いままの粒をひとつつまんだ。

 「売り物にならん。捨てるくらいなら、誰か食うてくれたほうがええ」

 そう言って、女の子の掌に落とした。

 「ならん」と母親が小さく言った。止める声ではなかった。ただ、そう言うのが癖になっている声だった。

 女の子は、白い粒を口に入れた。

 ——次の瞬間。

 痩せて動かなかった顔が、ふっとほどけた。目を丸くして、両の頬を手で押さえ、息だけで「ふぁあ」と言った。

 「……あまい。かかさま、あまい」

 母親は答えられなかった。半右衛門に頭を下げようとして、下げかたがわからぬように、片足を引いた。それから黙って、炭の籠の紐を握り直した。

 鍋の音が止まりかけた。

 「回せ」

 半右衛門の声は、さっきと同じだった。わしは、あわてて柄を回した。

 午後は、長かった。腕は肩まで棒のようになり、首すじの熱は、もう熱さを感じなくなった。蜜が鍋に落ちるたび、甘い湯気が顔にかかった。蜜をかけ、回し、鳴くのを待つ。二十ほどで、腕のほうが先に数えなくなった。土間の隅では、わしの塩の包みが、湿り気を吸ってゆく。今日の市は、もう間に合わない。外では、荷揚げの掛け声が、いつのまにか昼下がりの間延びした声に変わっていた。

 日が傾くころ、男は柱に七本目の筋を刻んだ。

 半右衛門は、鍋を火から下ろし、粒を木の板に広げた。灯りの下で、粒は白く丸く、朝より少しだけ大きくなっていた。指でつまむと、表はざらりとして、蜜の熱がまだ残っていた。角は、どこにもない。

 「あと、三日か四日やろ」

 独りごとのように言って、鍋の縁についた白い粉を、親指でゆっくりぬぐった。炭火が、ぱちりと鳴った。男は、蜜のこびりついた匙を、水の桶に投げ入れた。

 塩の勘定のかわりに、半右衛門は、丸いままの粒を紙にくるんで寄こした。

◇ ◇ ◇

 あの菓子屋の鍋が、星の角を結んだのかどうか、ボクは知らない。南蛮の壺の粒に追いついたのかも、どの書き付けにも載っていない。女の子の名も、炭売りの母親の名も、同じだ。

 ボクの手元には、小さな硝子の瓶がある。金平糖が、いくつか入っている。

 瓶へのばした手が、いちど止まる。それから、ひとつ口に入れる。舌が先に、角の数を知っている。溶けてゆくまで、角はひとつも崩れない。

 鍋の上にかがんで、炭の火にあぶられていた。覚えているのは、そのことだ。

 ボクは、もうひとつ星を口に入れる。首すじに、炭火の熱。

参考文献・もっと詳しく

※ 半右衛門・炭売りの母子をはじめ、本話の人物・会話・情景は創作である。天正は一五七三〜九二年。金平糖の核は芥子の粒とされ、鍋で蜜を重ねて育てるのに一〜二週間ほどかかるというが、堺の菓子屋がその試作をしていたという記録は確かめられず、国産化の記録は十七世紀の長崎以降に見える。作り手と日数は創作であり、そのため結びでは行方を「知らない」と留めた。かすていら・金平糖・有平糖の語源(ポルトガル語の Pão de Castela、confeito、alfenim 系など)には諸説があり、一つに定めていない。和三盆など国産の砂糖が広まるのは江戸後期で、安土桃山期の砂糖はおもに輸入品であった。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。

このサイトを応援する →
同じテーマの話
食浜の火で二晩煮つめた塩と、海を知らぬ山あいの里食晦日の辻の屋台、左の端に伏せてある欠けた丼食三輪の里の縄に結ばれた印は、何を数えていたのか
同じ時代の話
道具堺の店先で見た、褐色の珠と、白い木肌の珠衣服皮屋の小屋の梁から子がおろした、二枚の皮の切れ端