星のかたちの、甘い石
〜西の海を渡ってきた砂糖は、ひとりの女の子に、何を見せたのか〜
ボクが、この国で見てきた数えきれない食い物の到来のなかで、いちばん人を騒がせたもの。それは——砂糖だ。
いまでこそ、甘いものなんてそこらじゅうに安く転がっている。けれど、長いあいだ、「甘い」というのは、おそろしく貴重なことだった。干し柿のひとかけら。めったに手に入らない蜂蜜。せいぜい、それくらい。庶民が、舌のしびれるほどの甘さを口にする日なんて、一生のうちに、いったい何度あったか。
ところが、ある時。西の果てから来た南蛮の船が、まったく別もんの甘さを運んできた。あんまり純粋で、目もくらむような甘さだ。南蛮の菓子——かすていらだの、有平糖(あるへいとう)だの。そして、星のかたちをした小さな砂糖の粒。金平糖(こんぺいとう)だ。
あれを初めて見たときの、人々の顔ときたら。
◇ ◇ ◇
天正八年(一五八〇年)の、よく晴れた日。堺の港は、見たこともない南蛮の品で溢れていた。
——商いをしていた頃のボクは、自分を「手前」と呼んでいた。手前は、塩や小間物を背負った、行商の身で、その市の隅をうろついていた。
ひとりの南蛮帰りの商人が、ちいさな硝子(びいどろ)の壺を布の上に、並べている。中には、色とりどりの星のかたちをした粒が入っていた。赤、黄、白。日の光を受けて、きらきらと光る。まるで、砕いた星屑を瓶に詰めたみたいだ。
「なんだい、そのきれいな砂利は」
手前が尋ねると、商人は、得意げに笑った。
「砂利じゃ、ねえ。食いもんよ。南蛮で、『こんふぇいと』とか、言うてな。なんでも、砂糖でできとるそうだ。舐めてみなされ。目玉が飛び出るぞ」
その口ぶりは、自分でもよくは知らぬ、聞きかじりの調子だった。海の向こうの言葉を、舌でまねるだけで、せいいっぱい。それでも、得体の知れぬその響きが、かえって、ありがたみを増していた。
手前のすぐそばに。ぼろをまとった、小さな女の子が、ひとり立っていた。痩せた手で、母親の袖をぎゅっと握りしめて、その光る星から、どうしても、目を離せずにいる。
母親が、申し訳なさそうに、子の手を引いた。
「およし。あんなもん、わしらの口に入るもんじゃ、ない」
その声に、咎める響きはなかった。ただ、あきらめだけがあった。手の届かぬものを、子にねだらせまいとする、母の慣れたあきらめだ。
手前は、なんだか見ていられなくなった。商人に、いくらか銭を渡し、赤い星をひとつ手のひらに受けた。そして、しゃがんで、女の子の前に、そっと差し出した。
「お嬢ちゃん。ひとつ、どうぞ」
女の子は、信じられない、という顔で、母親を見上げた。母親が、おずおずとうなずく。
女の子は、小さな指で、こわごわと赤い星をつまみ、口に入れた。
——次の瞬間。
その子の、痩せて表情の乏しかった顔が、ぱっと花の開くようにほどけた。目を真ん丸にして、両の頬を手で押さえて、それから、声にならない声で、「ふぁあ」と、息を漏らした。
「……あまい。あまい、おかあ。こんなに、あまい」
涙ぐみながら、女の子はそう言った。母親も、もらい泣きしそうな顔で、その頭をなでている。
手前は、その様子を見ながら、思った。この甘さは、いずれ、この国を変えてしまうだろう、と。これほどのものを、一度知ってしまえば、人は、もう後戻りできない。砂糖は、やがて、菓子を変え、料理を変え、暮らしそのものを変えていくにちがいない。
でも、その日、手前の胸に、いちばん残ったのは、そんな大層なことじゃなかった。
ただ、ひとりの女の子が、生まれて初めての甘さに、世界がひっくり返ったような顔をした——それだけ、だった。
◇ ◇ ◇
あれから、砂糖は、ゆっくりと、けれど、確実に、この国じゅうに広がっていった。
はじめは、海の向こうから、はるばる運ばれてくる、夢のような品だったものが、やがて、この国でも、作られるようになっていく。今では、奇跡みたいだった、あの甘さも、すっかりあたりまえになった。金平糖は、瓶に詰められて、駄菓子屋の片隅で、いくらでも売られている。誰も、もうあれを口にして、目を真ん丸にしたりはしない。
ボクの手元には、いまでも、ちいさな硝子の瓶に、金平糖がいくつか入っている。ときどき、ひとつ口に放り込む。
甘い。けれど、あの日の女の子ほどには、たぶん、もう驚けない。
——驚けなく、なるってことが。豊かさ、ってやつの、ちょっとさびしい正体なのかもしれないな。そう思いながら、ボクは、もうひとつ星を口にころがす。
参考文献・もっと詳しく
※ かすていら・金平糖・有平糖といった南蛮菓子の語源(ポルトガル語の Pão de Castela、confeito、alfenim 系など)には、いずれも有力な説があるが、定説として断定はせず、商人の台詞は聞きかじりの口調に留めた。金平糖を織田信長へ献上したという逸話は、後世の編まれた伝承であり、本話には用いていない。和三盆など国産の砂糖が広まるのは江戸後期であり、安土桃山期に庶民が触れた砂糖は、おもに輸入品であった——本話の「生まれて初めての甘さ」という設定は、その点と矛盾しない。「黒船」はのちの幕末を連想させる語のため避け、「南蛮の船」とした。
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