細く、長く——年の瀬にすするもの
〜細く長く切られた一杯のそばに、人はどんな願いを込めたのか〜
ボクが思うに、人というのは食べるものにまで願いをかけずにいられない生きものだ。腹を満たせばそれで足りるはずなのに、わざわざ意味を盛りつける。これは縁起がいい、あれは縁が切れる、と。
そばが、いい例だね。
もとはぼそぼそした粉を湯でこねて、団子のようにして食うくらいのものだった。それを水でこね、薄くのして、細く細く切って、さっと湯がく。そば切り、というやつだ。麺になったのは、そう古い話じゃない。それが江戸の屋台にのって、ずるりと手繰れるようになると、せっかちな江戸の者は、これにすっかり夢中になった。
なにより、ボクはあの湯気が好きだった。寒い晩、暗い辻にぽっと提灯がともって、白い湯気が立ちのぼっている。そこだけ、ふっと人のぬくもりが浮かんでいるみたいでね。
◇ ◇ ◇
寛政五年——西暦でいえば一七九三年の、江戸の暮れでのことだ。
諸国を歩いて小商いをしていた頃でね。その年の瀬は、江戸の市中をぶらついていた。
年の暮れの江戸ってのは、それはもう、てんやわんやの大騒ぎだ。煤払いの埃が往来に舞い、餅をつく音がそこかしこから聞こえる。掛け取りの番頭が、帳面を抱えて小走りに駆けていく。借りた金を返す者、返せずに逃げまわる者、しめ飾りを売る声、年の市の人いきれ。一年の貸し借りも義理も、今日のうちにきれいに片づけて、新しい年を迎えようってんで、町じゅうがそわそわしている。
底冷えのする大晦日の晩だった。吐く息が白く凍る。おいらが首をすくめて路地を抜けると、辻の角の屋台から、湯気と出汁の匂いがどっと流れてきた。
提灯のあかりに、男たちが何人も丼を抱えてすすっている。ずる、ずる、と、そばを手繰る音が、寒空にやけに勢いよく響く。鼻をすする者、はあと指を温める者。みな肩をすぼめて、しかし顔だけは、湯気の前でほころんでいた。
「親父、おいらにも一杯くんな」
屋台の親父は、常吉という、四十がらみのよく肥えた男だった。返事のかわりに、ぐらぐら煮立った釜へ手早くそばを放りこむ。さっと湯がいて、笊で湯を切って、丼へ移して、上から熱いつゆをざっとかける。葱をぱらりと散らして、ほれ、と差し出す。一連の手さばきに、よどみがない。
「あつあつだ。気をつけな」
受け取ると、丼ごしに掌があたたまる。つゆをひとくちすすると、醤油と鰹の香りが、鼻の奥から腹の底へすうっと落ちていく。冷えきった体に、じんと染みた。そばを箸で手繰って、ずるりとやる。細いくせに、こしがあって、するすると喉を通っていく。うまい。寒い晩のそばってのは、どうしてこう、五臓六腑にしみるんだろうね。
隣で食っていた職人風の男が、そばを箸で高く持ちあげて、しみじみと言った。
「これを食わねえと、年が越せねえ」
「ほう。そういうもんかい」とおいらが返すと、男は当たり前だという顔をした。
「細く、長く、だよ。細く長く、達者に暮らせるようにってな。大晦日にこいつを手繰っとかねえと、どうも落ち着かねえ」
常吉が釜の向こうから口をはさんだ。
「うちの常連にゃあ、商家の旦那衆も多くてね。あの連中はもともと、月の末ごとにそばを手繰る。みそか蕎麦ってやつさ。月末は掛け取りだ棚卸しだで、しまいまで忙しい。落ち着いて飯も食えねえ。だもんで、するっと胃の腑におさまるそばで、ちょいと一息つくのよ。その月末のそばが、年の一番しまいの晦日には、とびきりめでてえそばになるってわけだ」
なるほどね、とおいらは思った。月末の慌ただしさをなだめる一杯が、年の瀬には、暮らしの願かけにまで化けるらしい。
「だがよ親父」と、別の客が茶々を入れた。「そばは切れやすいだろう。縁が切れるってんで、嫌うやつもいるじゃねえか」
常吉は、ふん、と笑った。
「そいつぁ逆さに言うやつもいてな。切れやすいからこそいいんだと。今年の悪い縁や苦労は、すっぱり断ち切って、新しい年を迎えるんだとよ。同じそばを、細く長くと拝むやつもいりゃ、すっぱり切れるとありがたがるやつもいる。どっちが本当だか、おれにもわからねえ。まあ、めでてえほうに取っときゃ、間違いはねえやな」
屋台のまわりで、男たちがどっと笑った。
そこへ、身なりのいい年寄りがひとり、丼を受け取りながら蘊蓄を垂れた。聞けば金箔を扱う細工の職人だという。
「そばはな、金を集めるんだ。わしらの仕事場じゃあ、床に散った金粉を集めるのに、そばの粉を練ったやつを使う。べたりと押しつけて、金をくっつけて拾うのよ。だもんで、そばを食やあ金が集まる、身代がふくらむ——縁起物さ」
そばで金を集める、か。おいらは半分眉に唾をつけて聞いていたが、まあ、こういう尾ひれは、つけたやつの勝ちだ。本当だろうが作り話だろうが、めでたい話は、寒い晩にはよく効く。
みな同じ屋台に首を寄せ、同じ丼をすすって、口々に勝手な願いを唱える。細く長くと拝む者、悪縁を断つと言い張る者、金が集まると胸算用する者。願いはてんでんばらばらなのに、湯気の前では、みな同じ顔で笑っていた。切れやすい一杯のそばを、わざわざこれだけの縁起物に仕立て上げるのだから、人ってのはおかしなものだ。けれど、その願かけのおかげで、年の瀬の一杯は、ただの夜食より、ずっとあたたかい味がした。
「親父は、毎晩こうして引いてんのかい」とおいらが尋ねると、常吉は釜から目を離さずに答えた。
「ああ。日が暮れりゃあ天秤かついで、決まった辻を流して歩く。湯をたぎらせて、つゆをあっためて、客が来りゃあ一杯ずつ手繰らせる。夜鳴き蕎麦ってやつさ。寒けりゃ寒いほど、客は来る。雪の晩なんざ、ありがてえもんよ」
言いながら、常吉は手ぬぐいで額の汗をぬぐった。冷えきった夜なのに、釜の湯気を浴びつづける親父の顔は、てらてらと汗で光っている。湯気と汗と、出汁の匂い。屋台ひとつのまわりだけ、まるで小さな夏みたいだった。
おいらはもう一杯くれと頼んで、二杯目をすすった。一杯目より、もっとうまい気がした。腹がくちくなって、足の先まで血がめぐる。隣の職人も、向こうの年寄りも、みなおかわりを頼んで、丼の湯気に顔をうずめている。誰も家路を急がない。あと半刻もすれば年が改まるという、その境い目の夜を、屋台のまわりでぐずぐずと惜しんでいるみたいだった。
遠くで、ごおん、と除夜の鐘が鳴りはじめた。常吉は手を止めず、また新しいそばを釜へ放る。湯気が、いっそう白く立ちのぼった。
◇ ◇ ◇
今でも、大晦日になると、人はそばを手繰る。
店で食う者もいれば、家でゆでる者もいる。除夜の鐘を聞きながら、あかるいテレビを眺めながら、それでも、細く長いものを箸で持ちあげて口へ運ぶ。「細く、長く」と、誰かがつぶやく。なぜそうするのか、はっきり言える者は、案外少ない。月末の忙しさをなだめた一杯のことも、屋台の親父の調子のいい蘊蓄も、もう誰も覚えちゃいない。
それでも、願いだけは、丼の湯気にのって、ちゃんと残った。寛政の屋台で聞いたあの「細く、長く」が、そっくりそのまま、今も年の瀬の食卓に生きている。
ボクも年の瀬になると、つい一杯、手繰りたくなるんだ。湯気の向こうで肩を寄せ合っていた、あの寒い晩の男たちを思い出しながらね。
参考文献・もっと詳しく
※ 蕎麦は古くは「蕎麦がき」など餅状・団子状で食され、麺状の「そば切り」が一般化したのは近世とされる。江戸では屋台でそばを供する形が広まり、庶民の手軽な食として親しまれた。年越しそばは、商家が月末に食べた「三十日蕎麦」が大晦日の年越しに転じたものと考えられ、文化十一年(一八一四年)刊『大坂繁花風土記』には年越しそばの記述が見える。「細く長く達者に」「切れやすいので悪縁を断つ」「金を集める縁起物」など由来には諸説があり一定しないため、本話でも当時の人々の伝聞・俗説として相対化して描いた。常吉ほか登場人物と会話は創作だが、道具・食・身分・言葉は時代と矛盾しない範囲にとどめた。寛政五年は西暦一七九三年(寛政元年=1789年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。
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