第 16 話文化叱るとき頬をぷうとふくらませる、酒屋の隅の女
〜その頬は、どこから来たのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
永禄三年(1560年)の春、尾張の清洲の町は、人も荷も、どこか急ぎ足だった。
手前は行商の荷を担いで、その裏通りにある、おまきの店の戸口に立った。
「あんた、また無理しとるね。その肩、見せてみなさい」
おまきは手前の荷を土間へ下ろさせると、紐の食い込んだ肩を、ぱんと叩いた。痛いと声を上げたら、今度は頬をぷうとふくらませた。
「痛いのは、あんたが自分の体を粗末にしとるからだがね。ほれ、座りんさい」
おまきは口が悪い。だが叱った分だけ、麦飯の椀は山になった。汁には、その日の売れ残りの菜がたっぷり浮いていた。
店といっても、軒先に筵を張り、土間に板と丸太を並べただけのものだ。人足や足軽が、日に何人も麦飯をかき込んでいった。払いは、古布の切れ端のこともあれば、草鞋一足のことも、米ひとつかみのこともあった。
ある日、年若い足軽が、腹を鳴らしたまま戸口で立ちつくした。払えるものは何もないと、うつむいている。おまきは頬をふくらませて、「戦に出る者が、腹を空かせてどうするの」と、その背を、手前にしたのと同じようにぱんと叩いた。そして黙って、椀を山にした。
若者は、むせて、それから泣き笑いの顔で飯を空にした。言葉が追いつく前に、背に残った手のひらの熱が、先に腹へ届いたのだろう。
一度だけ、なぜ流れ者の手前にここまでするのかと尋ねたことがある。おまきは鼻を鳴らして、「うちの前で倒れられたら、片づけるのが面倒だわ」と言って、椀に汁を足した。その汁の菜は、手前が戸口をくぐるたびに、少しずつ増えていた。
恋仲ではない。姉のようでもあり、母のようでもある人だった。
手前が町を発つ朝には、決まって戸口に立った。「草鞋の紐が、もう擦り切れかけとるがね。履き替えていきんさい」と、新しい一足を手前の足もとへ放る。握り飯を二つ、笹の葉に包んで、荷の上へ載せることもあった。ひとつは道中で食べ、ひとつは次の町で誰かに分ければいい、と言う。手前がそのとおりにすると、次の町には、おまきの握り飯の話をしたがる者が、ひとりふたりと増えていった。
戻るたび、おまきは「また痩せたね」と怒った。その怒り方が嬉しくて、手前は戻る町の順を、いつのまにか清洲に合わせて組むようになっていた。
手前の荷には、針と糸、櫛、紅の小皿が入っていた。おまきは紅だけは決して買わなかった。「こんな顔に、塗る場所があるかね」と笑う。そのくせ、針と糸はいつも多めに買い込んで、店に来る足軽の継ぎ当てを、ただで引き受けていた。膝に布を広げて、針を運ぶあいだも、口だけは休まない。「あんたが選んだ糸は、色が一本だけ違うがね。まあ、おまけしといてやるわ」。糸の端が、歯で噛み切られた。
おまきの麦飯は、水加減がいつも少し多かった。人足の腹を、ひと口でも多く満たすためだという。柔らかく炊いた飯は、かき込みやすく、早く冷めた。冷めた飯でも食えるように、塩だけは惜しまなかった。手前はその塩の加減を、いまでも舌で覚えている。
戦の噂は、日ごとに濃くなっていった。夏の初め、手前が一月ほど町を離れる前の晩、おまきは足軽たちのために、ありったけの麦と米を炊いた。握り飯を作る手は、誰の顔も見ずに動いていた。あれが、手前の見た、おまきの最後の働きぶりになった。
戻ってみると、店の戸は閉まっていた。隣の婆さんが、流行り病で十日前に、と教えてくれた。
手前は荷を下ろそうとして、紐を握った手が、そのまま動かなくなった。閉めた戸の脇の敷居のきわに、おまきの草履が一足、そろえて置いてあった。鼻緒のほつれは、色が一本だけ違う糸で繕ってあった。手前が売った糸だった。

あの晩の足軽たちの何人が、戻ってきたのか。手前は知らない。ただ、顔のない握り飯がどれも同じ大きさだったことだけは覚えている。
別れの言葉を言えなかったことより、握り飯の礼を、まだ誰にも伝えていなかったことが、のどに引っかかった。手前は荷を担ぎ直し、その日のうちに町を出た。
◇ ◇ ◇
ボクがあの頬のふくらみにもう一度出会ったのは、二百年あまりのちの江戸だった。
のちに聞いたところでは、居酒屋はもともと、酒屋が量り売りの酒を店先で飲ませた「居酒」から育った店の形だという。肴は煮しめや田楽の串ほどで、客は樽や床几に腰を掛けて、燗のついた酒をちびちびやった。
居酒屋と名のつく店が江戸にふえていくのは、もう少しあとのことだと聞く。ボクが通ったころは、酒屋の片隅で飲ませる、居酒のほうが近かった。
明和四年の冬。手前は神田の酒屋の隅に腰を掛けて、その燗酒をやっていた。 店を切り盛りしているのは、おゆうという女だった。土間を行き来する小僧の竹松は、まだ十二にもならない。その竹松が、燗徳利を六本もいちどきに抱えて通りかかると、おゆうの声が飛んだ。
「ちょいと、あんた。そんなに持って、また無理して。落としたらどうするのさ」
手前ははっとして、顔を上げた。
おゆうは小僧を叱りながら、頬をぷうとふくらませていた。
——おまきだった。いや、おまきの、あの癖そのものだった。
手前はしばらく、息ができなかった。
むろん、別人だ。声も違えば、生まれも違う。二百年のあいだに、血がどこかでつながっていたとしても、その筋をたどる術はない。ただの空似かもしれない。
けれど、人を叱りながら、結局はいちばん親身に世話を焼いてしまう、その不器用なやさしさは、あまりにもおまきに似ていた。
店は、酒屋の土間の半分を使っているだけだった。奥の棚には樽が並び、一合ずつ量って売る枡が、柱の釘にかかっている。客は量った酒をその場で燗にしてもらい、肴は、煮しめの小鉢か、味噌を塗った田楽を二串ほどつまむ。長居をする者はいない。——そのはずなのに、おゆうの店には、戸を閉める間際まで客が残った。
おゆうは、その客たちを片っ端から叱った。
「あんた、今月もつけが溜まってるじゃないか。飲む前に、まず払いな」 つけを溜めた左官が、首をすくめる。おゆうは、それでも肴の皿を、左官の前に置いた。叱りながら、よそう手は止まらなかった。
◇ ◇ ◇
手前はそれから、その店によく通った。 おゆうには、おまきのことなど何ひとつ話さなかった。ただ、元気に、明るく立ち働くその姿を、近くで眺めていられる。それだけで、手前の胸には、あたたかいものが満ちた。
通い始めて半月ほどで、おゆうは手前の名を尋ねた。「甚三」と答えると、おゆうは何度か口の中で転がして、「じゃあ甚さん、うちの帳場の隅は、あんたの席だね」と、床几の端を指で示した。それきり、その席に他の客が座ることはなかった。手前が遅れて入る晩には、おゆうは床几の端に、先に枡と小鉢を置いて待っていた。流れの暮らしの手前に、居場所と呼べる席ができたのは、久しぶりのことだった。
雪のちらつく晩に、戸を引いて入ると、おゆうは手前の顔をひと目見て、眉を寄せた。
「お客さん、顔色が悪いよ。ちゃんと食べてるのかい」
田楽ではなく、汁の椀が出てきた。大根と菜がたっぷり浮いている。手前は椀を両手で包んだまま、すぐには口をつけられなかった。湯気の向こうで、おゆうが、また頬をふくらませていた。
ある晩、おゆうが手前に酒を注ぎながら、笑って言った。
「お客さん、なんだかあたしのこと、やけにやさしい目で見るねえ。昔のいい人にでも似てるのかい」
手前はどきりとして、それから笑った。
「ああ。世話になった人に、よく似ていてな」
おゆうはけらけらと笑って、「やだよ、口説かないでおくれよ」と、手前の肩をぱんと叩いた。その叩き方まで、おまきに似ていた。

痛いと声を上げそうになって、手前は黙って盃を持ち直した。盃を持つ指が、しばらく宙で止まっていた。
その夜は、店を出てからも、肩の熱がしばらく抜けなかった。神田の通りには雪が薄く積もり、草履の裏から冷えが上がってくる。手前は、一足ごとにその冷えを確かめるように、ゆっくり歩いた。永禄の清洲でも、おまきの店を出た朝は、土の冷たさが同じように足裏へ上がってきたのを思い出した。 燗は、土間の隅に据えた銅壺の湯で付けた。徳利を湯に沈める時間は、おゆうの頭の中の数で決まる。「熱すぎると、お客さんが舌を焼くからね」と言いながら、湯から上げた徳利を、指先で弾いて音を聞く。手前が眺めていると、その音ひとつで、おゆうは客の好みの燗を言い当てた。叱る口と同じ速さで、手は動いていた。
閉め際の店で、おゆうが樽の栓を締めながら、ぽつりと言ったことがある。
「うちは、酒を売る店が、ついでに飲ませてやってるだけさ。お客さんは、酒の代わりに、叱られに来てるようなもんだけどね」
笑いながら、枡を柱の釘へ掛け直す。そのとき、枡の縁を指でなぞったおゆうの手つきが、おまきが椀の縁をなぞる手つきと、少しだけ重なって見えた。
つけを溜めていた左官は、正月の前に、溜めた分をそっくり払いに来た。おゆうは数えもせずに銭を受け取ると、「来月からは、ちゃんと月ごとに払うんだよ」と釘を刺し、それから、左官の杯を、なみなみと満たした。左官は頭をかいて笑い、隣の客は、いつものことだと笑った。叱られて、うれしそうな顔をする客ばかりがいる店だった。
おゆうは叱ったあとで、決まって徳利の持ち方を見せた。首のくびれに指を二本かけ、残りの徳利は腕に寄せて抱える。「ほら、こうすりゃ六本でも落ちやしない。覚えるまで、何度でも叱ってやるから」と、竹松の手を取って、持たせ直す。竹松は半べそをかきながら、何度目かの朝には、一度も落とさずに土間を渡りきった。
竹松が運び終えて振り向くと、おゆうはもう別の客を叱っていた。閉め際には、空いた床几を拭く竹松の背に、おゆうが残り物の田楽を一串、黙って押しつけた。誰も礼を言わず、誰も褒めない。ただ皿が置かれ、徳利が空になっていく。それが、あの店の日々だった。
その竹松が、小鉢を山と載せた盆を肩に預けすぎて、よろけたことがあった。手前は荷を担いだ歳月の癖で、黙って盆の下へ手を差し入れ、肘を腰に寄せて、膝を落としてみせた。重さが腕から足裏へ降りていくのを、竹松は目を丸くして真似た。盆は、ぴたりと止まった。おゆうは何も言わなかったが、その晩から、手前の席の小鉢は、竹松が運んでくるようになった。
その冬の終わりに、もうひとつ見たものがある。新しく入った小僧が燗徳利を割ったとき、いつもおゆうに叱られていた竹松が、年下の背中へ向かって、「あんた、そんなに急いで、また無理して」と言いながら、頬をぷうとふくらませたのだ。
癖は、血が通っていなくても、叱られた者から次の叱る者へ、いつのまにか渡っていく。小僧の頬には、おゆうのあの膨らみが、もう移っていた。
◇ ◇ ◇
ボクは、あの店に通った一冬のことを、ときどき思い出す。おゆうの頬は、遠い清洲の土間と並んで、胸の中へ戻ってくる。
ボクは、あの二つの土間を並べてみる。広さも、匂いも、客の身なりも違う。違わないのは、叱る声のあとに、必ず皿や椀が出てきたことだ。
結局ボクは、おゆうがおまきと何か関わりのある人だったのか、ただの空似だったのか、最後まで確かめなかった。
おゆうの身の上は、客の口からいくらか耳に入っていた。酒屋の主人に十のときに拾われ、それから土間を磨いてきた、というところまでだ。その前の、どこの生まれで誰に叱られて育ったのかは、問えばあっさり返ってきただろう。けれどボクは、盃を持ったまま、問わなかった。縁者かもしれない、という思いを胸に置いたまま、あの頬をいとおしんで通うほうが、冬の晩はずっとあたたかかった。
おまきの土間を踏んだのは、永禄の三年。おゆうの店の土間を踏んだのは、それから二百七年あとの、明和四年の冬。通った晩は二十と三。竹松が徳利を落とさなくなるまでに、三日。足裏に上がってきた土の冷えは、どちらの店も同じだった。
参考文献・もっと詳しく
※ 永禄三年は西暦一五六〇年にあたる。人物・会話・場面は創作。明和四年は一七六七年。
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