第 36 話あの人の癖を、百年あとの誰かに見た
〜なぜ手前は、その面影を確かめずにいるのか〜
長く生きていると、ときどき、こんなことが起きる。
ふと出会った誰かの、ちょっとした仕草や、ものの言い方に、胸をつかまれる。——とうの昔に喪った大切な誰かが、見知らぬ人の顔を借りて、こちらを見ているような。
本当にその人なのか。ただの空似なのか。確かめる術はない。そしてボクは、長い時をかけて学んだ。——確かめなくて、いいのだと。
◇ ◇ ◇
永禄のころ——西暦でいえば一五六〇年あたり、戦国の世だ。手前にはお種という、忘れがたい人がいた。
恋仲ではない。手前がまだ若い行商だった時分、面倒を見てくれた、姉のような、母のような人だ。口は悪いが情に厚く、困った者を見ると放っておけない。「あんた、また無理しとるね」と、よく手前を叱っては、飯を食わせてくれた。
その、人を叱るときの、頬をぷうとふくらませる癖を、手前はよく覚えていた。
お種は戦の年に、流行り病であっけなく逝ってしまった。手前が町を留守にしている、わずかなあいだの出来事だった。別れも言えなかった。
◇ ◇ ◇
——それから、百年あまりが過ぎた、江戸でのことだ。
手前がある居酒屋の隅で飲んでいると、店を切り盛りする若い女将の声が聞こえてきた。
「ちょいと。また無理して、酔っぱらいの世話を焼いてるじゃないの。あんた、お人好しにもほどがあるよ」
手前ははっとして、顔を上げた。
その女将が、酔客を叱りながら、頬をぷうとふくらませていた。
——お種だった。いや、お種の、あの癖そのものだった。
手前はしばらく、息ができなかった。
むろん、別人だ。お種が生き返るはずもない。血のつながりすらあるかどうか、わからない。ただの空似かもしれない。
けれどその女将の、人の悪口を言いながら、結局はいちばん親身に世話を焼いてしまう、その不器用なやさしさは——あまりにもお種に似ていた。
◇ ◇ ◇
手前はそれから、その店によく通った。
女将にお種のことは、もちろん何ひとつ言わなかった。言えるはずもなかった。ただ、その「お種に似た誰か」が、元気に、明るく生きている。それを近くで眺められる。それだけで手前の胸は、あたたかい、なつかしいもので満たされた。
ある晩、女将が手前に酒を注ぎながら、笑って言った。
「お客さん、なんだかあたしのこと、やけにやさしい目で見るねえ。昔のいい人にでも似てるのかい」
手前はどきりとして、それから笑った。
「ああ。よく似た、大切な人にな」
女将はけらけらと笑って、「やだよ、口説かないでおくれよ」と、手前の肩をぽんと叩いた。その叩き方まで、お種に似ていた。
◇ ◇ ◇
結局ボクは、あの女将がお種と何か関わりのある人だったのか、ただの空似だったのか、最後まで確かめなかった。
確かめなくて、よかったのだと思う。確かめてしまえば、やっぱり別人だったと、知ってしまうかもしれない。それより、「もしかしたら」を胸に抱いたまま、その面影をいとおしむほうが、ずっとあたたかい。
喪った人は、どこかへ消えてしまうわけじゃない。——その人の、いちばんその人らしかったところが、巡り巡って、生きている誰かの中に、ひょっこり顔を出す。そんな気が、ボクにはするのだ。
長い旅の途中で、ボクは何度も、そういう面影に出会ってきた。手を伸ばして確かめたりは、しない。ただ、ああ、また会えたね、と、心のなかでつぶやくだけだ。
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