親方と呼んだ子の、しわだらけの手35
江戸のころ読了 約3

親方と呼んだ子の、しわだらけの手

「親方」と呼んでくれたあの子を、ボクはどんな顔で見送ればよかったのか

 歳を取らないということの代償を、ボクはこれまで、いくつも数えてきた。

 そのなかで、いちばんこたえるのは、たぶんこれだ。子を、心から慈しむ。なのに、その子が年々、老いていく。自分はちっとも変わらないまま、ただそれを見ていることしかできない。

 その重さをはじめて骨身で知ったのは、江戸の、ある小さな子のおかげだった。

◇ ◇ ◇

 安永五年(一七七六年)の冬。江戸は神田あたりでのことだ。流行り病で両親をいっぺんに亡くした、六つの男の子がいた。長屋の隅でひとり、膝を抱えて震えているのを、わたしは放っておけなかった。

 江戸の町では、こういう子はめずらしくない。麻疹や疱瘡がひとたび流行れば、親はあっけなく逝く。残された子は、長屋の者が代わるがわる飯を食わせたり、伝手をたどって奉公に出されたりして、どうにか命をつなぐ。それが、あのころの暮らしだった。

 名を、太一といった。

 わたしは太一を引き取り、小間物の商いを教えながら育てた。櫛や白粉、根付や紙入れを天秤に提げて、町から町を売り歩く。そういう細々とした稼業だ。最初の冬、太一が高い熱を出して、三日三晩、わたしが付ききりで看病した夜のことは、今でもよく覚えている。

 太一は、よく笑う子に育った。

 十五で商いを一人で回すようになり、二十歳で近所の働き者の娘を嫁にもらった。祝言の晩、太一は酒に酔って、わたしの手を握って言った。

 「親方。おいらは親方に拾われて、ほんとに運がよかった」

 わたしはただ、笑ってうなずいた。

◇ ◇ ◇

 年月は、川のように流れた。

 太一に子が生まれ、その子にまた子が生まれた。太一の髪は白くなり、背は丸くなった。働き者だった手は、節くれだって皺だらけになった。商いはとうに倅へ譲り、縁側で日向ぼっこをするのが日課になった。

 ——けれど、わたしの姿は、太一を拾った日からひとつも変わらなかった。

 太一はそのことに、たぶんずっと前から気づいていたのだと思う。けれど何も言わなかった。ただ、わたしを見る目にときおり、不思議そうな、けれど咎めるのではない、やわらかな色がよぎるだけだった。

 太一が七十を越えて、床についた。

 もう長くないことは、誰の目にも明らかだった。わたしはその枕元に、毎日座った。若いままの顔で、老いた太一の、骨と皮になった手を握った。

 ある日、太一はかすれた声で、わたしを呼んだ。

 「親方……いや、もうそう呼ぶのもおかしいか。わしのほうが、こんなに爺いになっちまった」

 太一はふ、と、いたずらっぽく笑った。昔の、子どもの頃と同じ笑い方だった。

 「親方が、ふつうの人じゃねえことは……わしはとっくに知ってたよ。でも、いいんだ。聞かねえでおいた」

 わたしは、何も言えなかった。

 「親方は、わしの一生のあいだ、ずっと変わらず、そばにいてくれた。たったひとつの、変わらねえもんだった。それがどんなにありがたかったか」

 太一の目から、涙がひとすじ、こめかみへ流れて落ちた。

 「親方。長生きしなよ。……いや、しちまうんだろうな、きっと。なら、ときどきでいいから、太一って阿呆がいたなって、思い出してくれや」

 わたしは、その手を強く握った。握り返してくる力は、もう、驚くほど弱かった。

 その夜、太一は眠るように逝った。穏やかな顔だった。

◇ ◇ ◇

 太一を送ったあと、わたしはその町を出た。歳を取らない者が、長く同じ場所にいるわけにはいかないからだ。

 ボクはこれまで、何人もの、こういう子を見送ってきた。育て、慈しみ、そして自分は変わらぬまま、その子の一生まるごとを見届ける。そのたびに、胸が引きちぎれるような思いをする。

 いっそ、もう誰のことも慈しまずに生きれば、こんな痛みは負わずにすむ。何度もそう思った。

 それでもボクは、また次の誰かを慈しんでしまうのだろう。

 見送るのがどれほどつらくても——誰かを心から大切に思える日々のほうが、ひとりぼっちで、何も感じずに過ごす千年より、ずっといい。

 太一が、ボクにそれを教えてくれた。あの、しわだらけの手の、最後の弱い力が。

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