親方と呼んだ子の、しわだらけの手第 83 話家族
家族江戸のころ読了 約6分

親方と呼んだ子の、しわだらけの手

〜棚に上がった背負い箱と、柱に並んだ背丈の線〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 手もとに、柘植つげの櫛がひとつある。歯が三本欠けて、背に細い割れが走っている。

 値の付かない櫛だ。それでも捨てられず、ボクは何度も袖の底へ入れ直してきた。これを握るたびに、自分の手が、受け取った日とすこしも違わないことに気づく。

 この櫛を腰に差していた男の子の話をしよう。

◇ ◇ ◇

 安永あんえい五年(一七七六年)の冬、江戸は神田の長屋に流行り病はやりやまいが回った。六つの男の子が、ひと晩のうちに両親をなくした。

 弔いの日、長屋の者は男の子の椀に飯を盛り、代わるがわる頭をなでて帰っていった。引き取り手は決まらなかった。どこの家も、自分の口で精一杯なのだ。夜になっても、子は部屋の隅で膝を抱えて動かない。わたしは隣の戸口から、それをしばらく見ていた。

 やがて、その手を引いて自分の部屋へ連れていった。

 名を、太一といった。

 連れ帰った晩から、太一は熱を出した。額に載せた手拭いは、置いたそばから温くなる。わたしは井戸へ走った。釣瓶つるべの縄は凍って固く、水をくむたびに指の先から感覚が抜けていく。それでも手拭いを絞って替えた。三日三晩、それを繰り返した。

 四日目の朝、熱が引いた。太一は目をあけて、わたしの顔をしばらく眺めた。粥の椀を出すと、三口すすって置き、少し間をおいて四口めを自分で持ち上げた。

 わたしは小間物こまものの商いをしていた。櫛くし、白粉おしろい、根付ねつけ、紙入れ。商いは、背負い箱の担ぎ方から教えた。小間物は軽いようで、引き出しいっぱいに詰めれば肩に食い込む。

 太一は九つで箱を背負って町へ出て、夕方、ひとつも売らずに帰ってきた。箱の中には柘植の櫛が一枚、手垢で黒ずんでいる。客に手に取らせては返され、また手に取らせたらしい。

 翌日も、その櫛がいちばん上にあった。その次の日も売れなかった。七日めの夕方、わたしが「もう下げようか」と言うと、太一は黙って櫛を引き出しから抜き、自分の帯に差した。

挿絵:翌日も、その櫛がいちばん上にあった

 それが、太一の櫛になった。

 十二の夏、太一は箱をすっかり空にして帰ってきた。黙って巾着きんちゃくを畳にあけ、一文ずつ数えはじめる。数え終えると、はじめからもう一度数えた。合っていたのだろう、ほっと息をついて、わたしを見上げた。

 「親方、飯にしよう。おいらが炊く」

 その晩の飯は焦げていた。二人とも、残さず食べた。太一は箸を置くと、空になった巾着を枕のそばへ置いて寝た。

 太一は、よく笑う子に育った。

 ある日、長屋の柱に、わたしの背丈と太一の背丈の傷を並べてつけた。以来、背が伸びたと思うたびに線を足した。六つの冬は、わたしの腰のあたりだった。十になると胸の下、十三で肩のあたりまで来た。十五になった年、太一は柱にあるわたしの背丈の傷より上へ、ぐいと背伸びして線を引いた。わたしの傷は、その後もずっと同じ高さの一本きりで、その上へ太一の線だけが並んだ。

 その年から商いを一人で回した。二十歳で、隣町の紙屋の働き者の娘、おまちを嫁にもらった。

 祝言の晩、盃を重ねた太一は、わたしの手を両手で握って言った。

 「親方。おいらは親方に拾われて、運がよかった」

 わたしは笑ってうなずいた。そばで聞いていた長屋の大家が、赤い顔で「いい子だ、いい子だ」とくり返し、座がどっと笑った。わたしも笑いながら、盃の底を見ていた。

 嫁のおまちは、あとで洗い物をしながら、ぽつりと言った。

 「うちの人は、親方のことになると、なんにも訊かないんです。ふしぎなくらい」

 わたしは、拭いた皿を重ねる手を止めずに、「そうかい」とだけ答えた。

 所帯を持った太一は、あるとき言った。

 「親方、うちで一緒に飯を食わねえか。毎晩」

 わたしは礼を言って、これまでどおり隣の戸口に住みつづけた。太一は二度と言わなかった。朝晩、戸口から顔を出しては、おまちの漬物を持ってきた。

◇ ◇ ◇

 祝言の翌々年、太一に子が生まれた。産湯のあと、太一は赤子を布にくるんで、おそるおそるわたしの腕へ載せた。

 「親方、抱いてやってくれ」

 六つの太一よりずっと軽く、そして熱かった。落とすまいと肘を固めたわたしを見て、太一が吹き出した。

 ある年の暮れには、神田に火が出た。長屋は半分が焼けて、太一の家も柱だけになった。灰の中で、太一は黒くなった背負い箱を掘り出し、袖で煤を拭って言った。

挿絵:ある年の暮れには、神田に火が出た

 「箱が残ったなら、また売れる」

 その春、焼け跡で一番に商いを再開したのは、太一だった。

 倅せがれの栄助が十三になった朝、太一は倅のために誂えた小ぶりの背負い箱を持ち出して、倅の肩へかけた。紐の締め方を直し、「肩に食い込んだら、すぐ言え」と言う。栄助は、はい、と返事をして、わたしの顔を見た。わたしはうなずいて、戸口から二人を送り出した。

 栄助が嫁を連れてきた日、太一は羽織の襟を何度も直し、戸口と奥を行ったり来たりした。やがて孫の男の子が生まれると、産着の包みを抱いたまま、近所の戸を一軒ずつ叩いて見せてまわった。そのころ太一は五十をすぎて、髪が白くなり、背が丸くなっていた。帰ってくるなり、背負い箱の紐を自分の手でほどいて、棚に上げた。商いは、その日から倅のものになった。

 戸口の床几しょうぎで日向ぼっこをするのが日課になった。わたしは毎朝、茶を運んだ。太一は筋の浮いた手で湯呑みを受けとると、いつも先に、湯気で指をあたためた。

 孫は五つになった。ある日、とことこ床几まで来て、太一の膝によじのぼり、わたしを見上げた。

 「じいちゃん、おやかたって、だれの親方?」

 太一は喉の奥で笑った。

 「おいらの親方だ。いいから、団子を食え」

 孫は首をかしげて、団子を食った。

 七十を越えた冬、太一は床についた。

 もう長くないことは、誰の目にも明らかだった。熱が出た晩、わたしは井戸へ走った。釣瓶の縄は、あの冬と同じに凍っていた。指の先から感覚が抜けるのを待たずに手拭いを絞り、枕元へ戻る。何度か替えたところで、太一が薄目をあけた。

 「……あの冬と、逆さまだな」

 わたしは返事のかわりに、手拭いを額へ載せなおした。それから毎日その枕元に座って、しわだらけの、骨と皮になった手を握った。

 ある日、太一はかすれた声でわたしを呼んだ。

 「親方……いや、もうそう呼ぶのもおかしいか。わしのほうが、こんなに爺いになっちまった」

 ふ、といたずらっぽく笑った。子どもの頃と同じ笑い方だった。

 「ふつうの人じゃねえことは、とっくに知ってたよ。聞かねえでおいた」

 わたしは、何も言えなかった。

 「たったひとつ、変わらねえもんだった。……長生きしなよ。しちまうんだろうが。ときどきは、太一って阿呆がいたなって、思い出してくれや」

 わたしは、その手を強く握った。握り返してくる力は、驚くほど弱かった。

 その夜、太一は眠るように逝った。穏やかな顔だった。

 野辺送りの列は、長屋の端まで続いた。棺の脇を栄助が支え、わたしはそのうしろを歩いた。軒下に出た近所の者が、列が過ぎるたびに手を合わせ、わたしにも小さく頭を下げた。おまちは最後まで、泣かずに歩いていた。

 翌日、栄助が紙に包んだものをわたしの前に置いた。

 「おやじが、親方に渡せと」

 歯の欠けた柘植の櫛だった。わたしはそれを袖に入れ、その日のうちに荷をまとめて長屋を出た。

◇ ◇ ◇

 あの握り返す力のことを、ボクはときどき、手のひらで思い出す。

 何十年かのち、神田を通った。太一が最後に暮らした家の戸口の床几に、小さな男の子が座っている。膝の上に箱の引き出しを広げて、櫛をひとつずつ並べている。

 床几の日だまりで揺れる、小さな足裏がふたつ。

※ 本文の人物・会話・情景は創作である。安永は一七七二〜八一年。

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