三輪の里の縄に結ばれた印は、何を数えていたのか第 11 話食
食永享のころ・大和の三輪読了 約6分

三輪の里の縄に結ばれた印は、何を数えていたのか

〜凍える山を越えてきた男は、たった一束の白い糸に何を見ていたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 なぜ素麺そうめんは、あんなに細いのだろう。

 夏になれば、束になって安く売られている。氷を浮かべた水へくぐらせ、つるつるとすすって、それで暑い一日をやり過ごす。ひとすじが髪ほどしかないことなど、たいていの人は気にも留めない。細いのが当たり前、白いのが当たり前。ただの夏のたべものさ。

 だが、小麦の生地を切れもせず、ちぎれもせず、髪のように細く、しかも長く延ばすのは、もとはとんでもない難事だった。太いほうが腹はよほどふくれるし、手間もかからない。それなのに、なぜわざわざ、腹の足しにもならぬ細さへ、人はこれほどの日数と手を注ぎ込んだのか。

 その答えを、ボクは一本の縄なわの結び目に教わった。

◇ ◇ ◇

 永享六年(一四三四年)の冬、大和の三輪の里には、乾いた風が吹いていた。

 三輪は、古くから麺づくりの里として知られていた。山あいで小麦がよく実り、水は清く澄み、冬には乾いた風が山から吹き下ろす。麺を干すには、これ以上ない土地だった。

 おれは夜明け前の暗がりで、甕かめを担いで土間との間を何度も往復していた。索麺そうめんづくりの朝は、日の出よりずっと早く始まる。井戸の水は指先が凍えるほど冷たく、担ぐたびに肩の骨がきしんだ。土間には粉と油の匂いが入り混じり、ほかに二人の下働きがいたが、口数は少なく、黙々と手だけを動かしていた。

 親方は、小麦の粉に塩水を打って、ひたすら生地を練った。腕の太い男が肩で息をしながら、生地を踏み、こね、丸める。一度目は硬く、二度目はやわらかく、三度目でようやく手になじむ。それを一刻ばかり寝かせては、また練り直す。この間あいを、日に幾度も繰り返す。

 「休ませねば、生地は言うことを聞かぬ。急いては細うならぬ」

 塩の量は、升で測るのではなく、指先で感じて決めるのだと、あとで知った。今日は湿り気が多いから心持ち多めに、乾いていれば控えめに——そのさじ加減は、幾年も同じ台に立たなければ、口で容易に伝えられるものではなかった。

 親方の言葉は短かった。おれには、その意味がまださっぱり分からなかった。同じように練ったつもりでも、おれの生地はぼそぼそとちぎれ、親方の生地は、まるで生き物のようにしなやかに伸びた。

 太い縄のように綯なわれた生地は、甕のなかで寝かされたのち、細長い紐へと変えられていく。そのとき親方は、小さな器の油を指にとり、生地の一本一本へ、ていねいに塗りつけていった。乾いても互いにくっつかぬよう、麺と麺のあいだへ油を着せてやるのだと、おれは見よう見まねで覚えた。指にまとわりつくその油の匂いは、幾日たっても手のひらから消えなかった。

挿絵:太い縄のように綯われた生地は、甕のなかで寝かされたのち、細長い紐へと変えられてい

◇ ◇ ◇

 凍てつく風が吹きすさぶ真昼どき、いちばん見ものは、最後の仕上げだった。

 親方は、二本の細い竹串へ生地の輪を八の字に掛け、串と串とを左右へ引きながら、両の手で縒よっていく。縒れば麺は細く締まり、締まりながらするすると下へ垂れていく。指ほどもあった紐が見るまに細くなり、しまいにはおれの髪よりも細い、白いひとすじになった。日に透かすと、その一本いっぽんが銀の糸のように光った。

 「やってみよ」

 うながされて竹串を握ったが、力の加減がまるで分からぬ。強く引けばぶつりと切れ、ゆるめれば麺どうしがくっついて太い塊にもどる。おれの手のなかで、白い糸がつぎつぎと無残にちぎれた。

 一日目は、十のうち九が切れた。二日目も、さして変わらなかった。三日目になっても、まともに垂れる糸は数えるほどしかなかった。ある日など、力任せに引きすぎて竿ごと倒してしまい、地面に落ちた麺が砂にまみれて使いものにならなくなったこともあった。ほかの下働きたちは、とうに一人前の細さを出せるようになっていたが、おれだけがいつまでも麺を無駄にし続けていた。それからの幾日も、おれはひたすら切ってばかりいた。朝から晩まで竹串を握り、夜は腕が上がらぬほど疲れ果てた。夜、凍えるほど冷たい井戸端で手を洗っても、指のあいだにしみ込んだ油は落ちなかった。吐く息は白く、闇に溶けて消えた。竹串の跡が両の掌に赤く残り、握るだけで痛んだ。いつまでこの実らぬ稽古を続けるのか、竿の下にしゃがみこんだまま、投げ出したくなる晩もあった。

 それでも親方は、急かしもしなければ、慰めもしなかった。ちぎれた麺の屑を黙って拾い、笊へ取り分けていく。賄いの汁物にでもするのだろう、一すじも無駄にはせぬ人だった。

 日が高くなると、延ばし終えた麺は、戸外の長い竿へ簾すだれのように掛けて干された。乾いた風が吹き抜けると、白い糸がいっせいに揺れ、さやさやと鳴った。まるで軒先に銀の雨が降っているようだった。干し場の隅には、いつも一人の婆様ばあさまが、綿入れの襟を掻き合わせながら腰を落ち着けて座り、空の色と風の向きを一日じゅう静かに見張っていた。日が照りすぎれば麺がもろくなり、風が湿れば乾きが甘くなる。婆様の言うとおりに竿の高さを直すと、麺はいつもよりよく乾いた。婆様は、もう何十年もこの干し場に座り続けているのだと、ほかの下働きから聞いた。この干し場の番を任された年から、ずっとこの縄を腰にさげているのだという。

挿絵:日が高くなると、延ばし終えた麺は、戸外の長い竿へ簾のように掛けて干された

 昼過ぎ、親方が茹でたての麺を熱い出汁とともに丼どんぶりに盛って寄越した。

 「これは寒の内の味見よ。乾し終えて蔵で寝かせたのちは、夏の日に井戸水で冷やしてすする食い物になる」

 湯気を吸い込みながらすする。六百年近くのちの世でも、夏になれば同じ白い糸を冷やしてすするのだと思うと、おれの胸に、ひどく古い懐かしさが込み上げた。

◇ ◇ ◇

 その冬の半ばを過ぎたころ、ひとりの男が息を切らして山を越えてきた。着物の裾は霜にまみれ、草鞋わらじの紐も擦り切れかけていた。三輪の素麺は隣の国にも名が通っており、男は三日がかりで雪の残る山をいくつも越えてきたのだと、白い息を吐きながら語った。遠い村の者で、近く娘の祝言しゅうげんがあるのだという。いちばん上等な素麺を、一束だけ譲ってくれと頭を下げた。

 親方は蔵の奥から、とびきり細く延びた一束を出してきた。それを受け取り、包んだのは、おれの役目だった。教わったとおり、まず藁わらしべで軽くくくって形を崩れぬようにしてから、白い麻布で包み、両端を紐で結ぶ。指を震わせながら、その手順をなぞった。束は思いのほか軽く、それでいて幾日もの手間がずしりと詰まっているように、おれの掌には感じられた。

 男は、束を大事に抱え、何度も頭を下げながら、来た道を戻っていった。その後ろ姿が、乾いた風の吹きすさぶ山道の向こうへ小さくなり、やがて山陰に消えるまで、婆様はじっと見送っていた。

 婆様は、祝言か弔いへ送る荷が仕上がるたび、腰にさげた古い縄へ、指先で結び目を一つ足す。日々の食い扶持に売る束には、結び目は足さない。

 おれは、はじめてそれに気がついて尋ねた。

 「その縄は、何の印です」

 「祝言と、弔いと。わしがこの干し場を任されてこのかた、ずっとよ」

 婆様の答えは、それだけだった。縄には古い結び目と新しい結び目とが入り混じり、擦り切れて黒ずんだものもあれば、まだ白いものもあった。おれは、その凸凹を指でなぞりながら、幾日も竹串を引いて皮のむけたおのれの掌てのひらを思った。太い縄よりも、細い糸のほうがわざわざ選ばれてきた理由を、おれはその結び目の数のなかに見た。

 男が去ったあと、親方はおれに何も言わず、束ねた麺を蔵へ運ぶ仕事をそのまま任せた。次の荷からは、竹串を引く場も譲られた。

◇ ◇ ◇

 あの冬から、六百年近い歳月が過ぎた。婆様の縄は、もうどこにも残っていない。だが、あの結び目を指でなぞったときの、擦り切れた縄の硬い手ざわりは、いまも掌に残っている。

 あの男が山を越えて持ち帰った一束も、いずれ誰かの結び目になっただろう。指でなぞって数えられただけでも、あの婆様の縄に結ばれていた印は、すでに百を超えていた。祝言と弔いのたび一つずつ、婆様が干し場の番を任されてこのかた積み重ねられた、その数だけ。

参考文献・もっと詳しく

※ 小麦の生地に油を塗りながら手で縒り延ばして細い麺をつくる「手延べ」の技は中世に各地へ広まったとされ、索麺(そうめん)の名で寺院の記録や日記類にも見えると伝わる。大和の三輪は素麺の古い産地として知られ、乾燥した麺は保存がきき、暑い季節やハレの席の食として重んじられ、その細さ・手間ゆえに贈答の品ともされたという。永享六年は一四三四年(永享は一四二九〜一四四一年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

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