第 07 話宗教ひとつの鐘の音が、町じゅうの朝を、いちどに揃えていった日のこと
〜夜明け前の闇に、たったひとり鐘楼へのぼる男は、なぜ一日も撞き遅れまいとしたのか〜
いまのボクらは、時刻というものを、めいめいの手のひらの中に持っている。
小さな板に数の並ぶのを見れば、六時だ七時だと、誰もが同じ時を知る。待ち合わせも、勤めの始まりも、その数ひとつで町じゅうがぴたりと揃う。時は、空気みたいにそこらじゅうにあって、ただではあるのが当たり前になった。
けれど昔は、そうではなかったらしい。
時というのは、もともと、めいめいの腹の具合や、空の明るみで、てんでに測るものだった。日が高くなれば昼、腹が減れば飯どき、暗くなれば寝る。隣の家と自分の家とで、半刻も時がずれていて、それでなんの差し障りもなかった。時は、人それぞれの体の中にあったのさ。
ボクが見てきたのは、その「めいめいの時」が、ひとつの鐘の音で、町じゅうおなじ「刻」に揃えられていく、そのはじまりだ。寺の梵鐘が、ただ仏を拝む合図ではなく、起きろ、働け、休めと、人の一日まで束ねるようになった、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
応永十四年(一四〇七年)の冬のことだ。おれは、とある山あいの寺で、下働きの口を拾われていた。
門前には小さな町があった。米をつく者、紙を漉く者、馬を引く者。家々は谷あいに肩を寄せ合い、朝な夕なに煙を上げていた。みな寺の鐘の音を、暮らしの目印にして生きていた。おれの務めは飯炊きや薪割りが主だったが、そのころから、もうひとつ重い役を仕込まれはじめた。鐘を撞く役だ。
はじめは、いやでたまらなかった。なにしろ、まだ夜も明けきらぬうちに起こされる。ほかの下男はぬくぬくと寝ているのに、おれだけが凍える鐘楼へのぼらされるのだ。割の合わぬ役を押しつけられたと、内心ふくれていた。
仕込んでくれたのは、浄信という年寄りの坊さまだった。腰は曲がり、目もよく見えぬのに、鐘のこととなると人が変わる。鐘楼の太い柱を手でなで、撞座のすり減り具合を指でたしかめ、まるで生き物の機嫌でもうかがうように、毎朝じっと鐘と向き合っていた。
まだ星の沈まぬ刻限に、浄信どのはおれを叩き起こした。
「起きよ。じきに、明けの鐘ぞ」
外はまだ墨を流したような闇だ。霜が降りて、土も草もしろく光っている。おれは寒さに歯を鳴らしながら、坊さまの背について鐘楼の階をのぼった。板はきしみ、息は白くたなびく。撞木の縄を握らされ、息を合わせて引く。撞いては待ち、撞いては待つ。一打ごとに長い間をおくのだと、浄信どのは厳しく言った。
「急いてはならぬ。音と音の間が、人の眠りを起こすのだ。ごおん、と鳴って、その尾が消えきってから、また撞く。早う撞けば、音が重なって、刻がわからぬようになる」
おれは縄を引くたびに腕がしびれた。一打目こそ威勢よく鳴るが、二打、三打と進むうち、長い間をおくのが、かえって難しい。早う鳴らして寝床へ戻りたいと、つい腕が急いてしまう。そのたびに浄信どのは、しわがれた声で「待て、待て」と諭した。
「あの音はな、谷の奥まで届くのだ。風の向きで、いちばん遠い里へ届くまで、ひと呼吸ぶんも遅れる。おまえが急けば、遠い家ほど、刻を取りちがえる」
星の位置を見、撞く間合いを数え、風の冷たさで夜明けの近さを測る。鐘ひとつ撞くのに、これほどのことを身に刻まねばならぬのかと、おれは半ば呆れ、半ば気が遠くなった。
◇ ◇ ◇
はじめのうち、おれにはわからなかった。なぜ毎朝、決まった刻限に、欠かさず撞かねばならぬのか。
仏への勤めなら、坊さまが己の都合で拝めばよかろう。なぜ星の位置まで気にして、寒空の下、こうも律儀に縄を引くのか。おれはあるとき、たまらず尋ねた。
「坊さま、なにゆえ、そう刻限にこだわられます。少しばかり遅れたとて、仏さまが咎めなさるわけでもありますまい」
浄信どのは、撞木の縄を握ったまま、ふっと笑った。
「咎めるのは、仏ではない。下の町の衆よ」
その意味を、おれはじきに思い知ることになる。
ある朝、おれは寝過ごした。前の晩、薪運びで腰を痛め、つい縄をゆるく握ったまま、まどろんでしまったのだ。気づいたときには、東の空がうっすら白んでいた。あわてて縄に飛びついたが、もう遅い。明けの鐘が、いつもより半刻ばかり遅れた。
たかが半刻と、おれは高をくくっていた。寺の務めをひとつしくじっただけ、誰に咎められるでもなかろう、と。
ところが日が昇って里へ下りると、米つき場の親爺が、渋い顔でおれを呼びとめた。
「今朝の鐘は、遅かったの。おかげで起きそびれた。隣村へ出す荷が、半日まわりおくれたわ。次の市に間に合わぬかもしれぬ」
その隣では、馬を引く男が、まだ眠そうな目をこすっていた。
「鐘が鳴らねば、わしらは起きようがない。陽の高さで起きておったころより、よほど楽になったぶん、鐘がたよりなのだ」
紙漉きの女房も、桶を抱えたまま言った。
「鐘で湯を沸かし、鐘で子を起こし、鐘で亭主を送り出すのよ。あれが鳴らねば、家じゅうの段取りが、みな狂うてしまう。今朝はうちの人が遅れて、棟梁にどやされたそうな」
おれは、はっとした。あの鐘は、もう寺だけのものではなかったのだ。ごおん、とひとつ鳴れば、町じゅうの何十という家が、いっせいに同じ朝をはじめる。竈に火が入り、子が起き、男が野へ出る。たったひとつの音が、ばらばらだった人の暮らしを、ひとつの刻にぴたりと束ねていた。それまで、隣の家とこちらの家とで、起きる刻がてんでにずれていても、誰も困りはしなかった。それが、鐘ひとつで町じゅう同じ朝になった。便利になったぶん、みなが、その音ひとつに己の一日を預けてしまっていた。おれが半刻遅れれば、町じゅうの半刻が、まるごと遅れるのさ。
◇ ◇ ◇
それからのおれは、撞き遅れることを、心の底から恐れるようになった。
夜半に幾度も目を覚まし、星の傾きを確かめる。冬は手がかじかんで縄が握れぬから、懐で指を温めてからのぼる。熱が出ても、足をくじいても、明けの鐘だけは欠かさなかった。おれひとりが楽をすれば、見も知らぬ何十人もの朝が狂う。そう思えば、眠気など吹き飛んだ。
ふしぎなもので、撞きつづけるうち、おれの体のほうが刻を覚えはじめた。目覚ましもないのに、明けの少し前になると、ひとりでにまぶたが開く。星を見ずとも、外の冷えと、鳥の気配で、もう刻限がわかる。おれの体の内に、いつのまにか、小さな鐘がひとつ据えられたかのようだった。
明け、昼、暮れ。日に幾たびも鐘を撞くようになると、町の衆は、その数で刻を聞き分けた。ひとつ、ふたつと指を折り、「ああ、もう昼か」「そろそろ店じまいだ」と口にする。鐘の数が、誰にとっても同じひとつの目印になっていた。日の高さも腹の具合も、もういらぬ。耳ひとつあれば、童でも年寄りでも、おなじ刻を知ることができたのだ。
浄信どのは、そんなおれを見て、ぽつりと言った。
「ようやっと、わかってきたな。鐘を撞くというのはな、刻を、町の衆に分けてやることよ。時というものを、ひとりひとりが手探りで測っておった世から、みなが同じ音で同じ刻を知る世へ——そのつなぎ目に、わしらは立っておるのだ」
むずかしい理屈は、おれにはわからなかった。ただ、夜明け前の闇の中で、たったひとり縄を握っていると、妙な心持ちがした。この一打で、谷じゅうの家の戸が開く。この一打が、人々の一日を起こす。おれは仏を拝んでいるのか、それとも町の朝そのものを撞き起こしているのか、わからなくなる。
暮れの鐘には、また別の務めがあった。ある晩、山仕事の者が日暮れに道を見失い、谷をさまよったことがあった。その者は、暮れの鐘の鳴る方角をたよりに、どうにか里へ下りてきたという。あくる朝、寺の門前で手を合わせ、おれにこう言った。
「あの音がなければ、おれは山で凍えておった。鐘は、刻を告げるだけではない。迷うた者に、ここに人の住む里があると、教えてくれるのだ」
おれは、なんと答えてよいかわからなかった。ただ、毎日あたりまえに撞いていたあの一打が、どこかの誰かの命をつないでいたのかと思うと、撞木の縄が、急に重く感じられた。
その冬、おれは一日も撞き遅れなかった。
◇ ◇ ◇
寺の梵鐘が、勤行の合図にとどまらず、里の人々へあまねく時刻を告げるようになったのは、おおよそこのころからだと伝わる。やがて鐘は、夜明けや日暮れだけでなく、一日を刻んで幾たびも鳴らされるようになり、人はその数を聞き分けて「いまが何刻か」を知ったという。ボクは、その移り変わりを、いくつもの門前の町で見てきた。
時というものが、めいめいの腹や、空の明るみから、町じゅうおなじ「刻」へと変わっていった。それは、人と人とが、同じ時を生きはじめた、ということでもある。鐘ひとつで朝を合わせ、昼を合わせ、暮れを合わせる。離れて暮らす者どうしが、見えぬ糸でつながれていく。
今でも、時を告げる音は、町のどこかで鳴っている。正午のサイレンや、駅の知らせや、手のひらの小さな数で。けれど、それを「誰かが、夜明け前の闇の中で、撞いてくれている音だ」と思う者は、もう、そうはいない。時は、いつでもただでそこにあるものになった。
それでも、とボクは思う。
どこかで時を知らせる音を聞いたら、その向こうに、撞く者がいたことを、少しだけ思い出してほしい。星の傾きを頼りに、寒さに指を温めながら、見も知らぬ町の朝のために、たったひとり縄を握っていた者がいた。誰のためとも知れぬまま、欠かさず一打を撞きつづけた者がいた。
鐘は、ただ鳴っているだけだ。ごおん、と尾を引いて、闇に消えていくばかりさ。それでも、その一打には、人の暮らしを束ね、みなの朝を起こし、ばらばらの時をひとつにつないでいった者たちの、長い背中が映っている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『暦と天文の古代中世史』ISBN 978-4-642-02474-7
- 『時計の社会史』ISBN 978-4-12-100715-5
- 『日本の梵鐘(新装版)』ISBN 978-4-642-01660-5
- 『日本の時刻制度(増補版)』ISBN 978-4-827-33055-7
※ 寺院の梵鐘は、もともと勤行や法会の合図として撞かれたが、やがて門前の町や里の人々に一日の時刻(刻)を告げる役割を帯び、人々は鐘の音とその数を聞いて時を知るようになっていったとされる。日の高さや体の感覚でめいめいに測られていた時間が、共有された「刻」へと移ろっていく過程は中世から近世にかけてのものと伝わり、町ごとに鐘を撞く役の者が、夜明け前から欠かさず務めを果たしていたと伝わる。応永十四年は一四〇七年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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