ひと寺ひと寺、亡き子の名を唱えて歩いた道が、いつしか祈りそのものになっていった日のこと05宗教
宗教室町のころ・西国の観音霊場をめぐる道読了 約8

ひと寺ひと寺、亡き子の名を唱えて歩いた道が、いつしか祈りそのものになっていった日のこと

なぜ人は、足を擦りむいてまで、寺から寺へと歩いて巡ったのか

 巡礼というのは、寺から寺へと、ただひたすら歩いていく旅のことだ。

 いまのお遍路を思い浮かべてもらえばいい。白い装束に菅笠をかぶり、杖を一本ついて、決められた札所を順に拝んでまわる。一つの寺で手を合わせ、また次の寺をめざして、長い道をてくてくと歩く。西国に三十三、四国に八十八。霊場というのは、点と点で散らばっているらしい。その点を、人は己の足だけを頼りに、ひとつずつ結んでいく。

 不思議なのは、ただ近くの寺で拝めば足りそうなものを、人はわざわざ難儀をして、遠い寺々を歩いてまわったことだ。

 ボクが見てきたのは、その歩く行いそのものが、いつのまにか祈りになっていく、その移り変わりだ。寺で手を合わせるのが祈りなのではない。寺と寺のあいだの、あの果てしない泥道を、足を引きずって歩くことそのものが、祈りになっていった。そういう時代の入口を、ボクはたしかに見てきたのさ。

◇ ◇ ◇

 応永二十二年(一四一五年)の春のことだ。おれは西国の観音霊場をめぐる道を、ひとりで歩いていた。

 紀ノ国の在所で田を打っていた、ただの百姓さ。前の年の夏、流行り病でおれの娘が死んだ。八つになったばかりだった。看取ってやることもできず、おれは野良へ出ていて、戻ったときにはもう冷たくなっていた。坊さまに経をあげてもらい、ささやかに弔いはした。それでもおれの胸の底には、火の消えぬ炭のようなものが、ずっと残っていた。

 その炭が、おれをこの道へ押し出したのだ。村の年寄りが言った。観音さまの霊場を、三十三、足で巡って拝めば、亡くなった者の供養になる。歩いた苦しみのぶんだけ、あの世の子が楽になる、とね。理屈は、おれにもよくわからなかった。ただ家でじっとしているのが、もう耐えられなかった。

 笠をかぶり、杖を一本ついて、おれは在所を出た。手甲脚絆を巻き、わずかな銭と、娘の形見の小さな櫛を、ふところに入れて。

 歩くというのは、聞いていたよりずっと、つらいものだった。山ひとつ越えるのに半日かかる。雨が降れば道は泥になり、草鞋はたちまち擦り切れる。足の裏は豆だらけになり、潰れては血がにじんだ。岨道では足を滑らせ、谷へ落ちかけたこともある。日が暮れれば、ひと気のない御堂の軒下で、震えながら夜を明かした。

 道々、おれは何度も心が折れかけた。銭はじきに尽きた。腹が減れば、村里の門口に立って、ひと椀の飯を乞うた。物乞いと変わらぬ身なりさ。それでも在所の者は、巡礼と見ると、邪険にはしなかった。たいていは黙って、麦の握り飯や、煮た芋をひとつ、おれの手に握らせてくれた。観音さまへの喜捨は、めぐりめぐって己の徳になる。そう信じられていたらしい。施しを受けるたび、おれは深く頭を下げた。見ず知らずの者の情けで、おれの足は、また前へ出た。

 それでも、ひと寺にたどり着いて、本堂の観音さまの前に立つと、不思議とからだの芯がほどけた。おれは膝をつき、手を合わせ、娘の名を、声に出さずに唱えた。それだけで、胸の炭が、ほんの少し冷えるような気がした。先達に教わったとおり、おれは自分の名と在所を書きつけた小さな札を、本堂の柱へ、そっと貼りつけた。こうして巡った証を、寺へ残していくのだと言う。柱には、おれより先に歩いた者たちの札が、幾重にも貼り重なっていた。その一枚一枚が、誰かの祈りなのだと思うと、おれは見も知らぬその人々が、急に身近に思えた。

◇ ◇ ◇

 道中、おれと同じように歩く者と、幾度も行き合った。

 深い山あいの道で、追いついてきたのは、おれよりいくつか年上の男だった。摂津から来たという。聞けば、女房を亡くしての巡礼だと言った。並んで歩きながら、ぽつりぽつりと、おたがいの事情を語り合った。

 「なあ、おまえさんは、歩いて、なにが変わると思うてなさる」

 おれが尋ねると、男はしばらく黙って、それから言った。

 「変わりゃせんよ。死んだ者は、戻ってこん。それでもな、こうして足が痛むと、あいつのことを、ひと足ごとに思い出せる。家におると、忘れまいとしても、日々の暮らしに紛れてしまう。歩いておると、忘れようがない。痛みが、あいつを連れて歩いてくれる」

 おれは、はっとした。そうか、と思った。歩く苦しみは、罰でも功徳の取り引きでもない。死んだ者を、忘れずにいるための、いちばんたしかな手だてなのだ。足が痛むかぎり、おれは娘を、忘れずにいられる。

 その晩、ふたりで山を下り、麓の小さな宿に泊まった。巡礼者を泊めることを生業にしている、貧しい家だった。差し出された粥は薄く、汁の実もろくに無い。それでも宿の婆さまは、おれたちの腫れあがった足を見て、炉の灰の中から、温めた塩袋を引っ張り出してきた。

 「これで、足をお温めなされ。明日も長い道じゃ」

 銭にもならぬのに、婆さまはそう言って、おれたちの足のそばに、その塩袋を置いてくれた。聞けば、この道を巡る者の多くが、誰かを亡くした者だという。だから婆さまは、わが子のように、巡礼を世話するのだと言った。道ゆく見も知らぬ者の苦しみを、わがことのように思う心が、この道沿いには根づいていた。おれは灰の温もりに足を浸しながら、なぜだか涙がこぼれて、止まらなかった。

◇ ◇ ◇

 摂津の男とは、いくつか先の寺で別れた。彼は別の霊場へ回ると言い、おれの肩を一度たたいて、また独りの道へ戻っていった。

 巡る道で行き合うのは、亡き人を悼む者ばかりではなかった。海沿いの険しい岬道で、おれは年若い男とならんだ。歳のころは二十そこそこ。妙に思いつめた顔をしていた。問わず語りに、彼は己の罪を口にした。若いころ酒に酔って、人を傷つけ、死なせてしまったのだという。在所には居づらくなり、坊さまに諭されて、この道に出たと言った。

 「歩いても、死なせた者は、戻りはせん。それは、わかっておるのです。それでもこうして足を運ばねば、おれは己を、許せる気がせんのです」

 彼は本堂の前で、長いこと、地に額をつけて動かなかった。おれは、そっとそばを離れた。人にはそれぞれ、抱えて歩くものがある。この道は、そういう者ばかりが集まってくる。喜びを抱えて巡る者は、まずいない。みな、家に置いてはおけぬ重たいものを背負って、ひと足ずつ、それを軽くしに来るのだ。

 険しい山越えの道では、先を行く老婆が、節をつけて何かを唱えていた。寺ごとに伝わる、ご詠歌というものらしかった。観音さまをたたえる、短い歌だ。息を切らしながら、それでも婆さまは、その節を絶やさなかった。歌うと、足の運びが、いくらか軽くなる。苦しい上り坂も、歌に合わせて踏めば、不思議と一歩ずつ進めた。おれもいつしか、その節を覚え、口のなかで小さく唱えながら歩くようになっていた。歌が、おれの足を、前へ前へと送り出してくれた。

◇ ◇ ◇

 三十三の寺を、おれはとうとう巡りおえた。

 最後の寺の石段を登りきったとき、おれの草鞋は、もう何足めか知れなかった。足の裏は固くなり、豆は潰れて、また固まっていた。本堂の前に立ち、おれは娘の櫛を取り出して、しばらく手のひらに載せていた。

 石段を下りながら、おれは出立のころの己を思い返した。あのときのおれは、ただ家から逃げ出したかっただけだった。歩いて供養になるという理屈も、ろくに信じてはいなかった。それが今は、どうだ。何百里を歩くうちに、おれは数えきれぬほどの人と行き合った。施しをくれた村人。足を温めてくれた婆さま。亡き女房を語った男。己の罪に額をつけた若者。みな、おれと同じく、何かを抱えて歩いていた。その姿を見るたび、おれは、ひとりではないと知った。悲しみを抱えているのは、おれだけではないのだと。

 胸の炭は、消えてはいなかった。たぶん、死ぬまで消えはしないのだろう。それでも、その炭の熱さは、もう、おれを焼かなかった。ただ静かに、おれのなかで、ともり続けるものに変わっていた。娘を失った悲しみと、おれは、これから先も一緒に生きていける。歩いた長い道のりが、おれに、そう教えてくれたのさ。在所へ帰る道は、来たときよりずっと、足どりが軽かった。

◇ ◇ ◇

 寺で手を合わせることではなく、寺と寺のあいだを歩くことそのものが祈りになる——そういう信心のかたちが、人々のあいだに広く根づいていったのは、世が乱れ、人がよく死んだ、このころのことだと伝わる。ボクは、その移り変わりを、いくつもの泥道で見てきた。

 誰かを亡くした者が、その悲しみをどこへも置けずに、足だけを頼りに歩きはじめる。足が痛むほどに、亡き人を近くに感じる。道で行き合う者もまた、同じ痛みを抱えている。だから労り合える。やがてその道沿いには、巡礼を世話する宿が生まれ、礼を尽くす慣いが育ち、歩く者と迎える者とが、見知らぬまま心を通わせる仕組みになっていった。一本の道が、悲しみを抱えた者たちを、そっと支える器になっていったのだ。

 今でも、人は札所を巡って歩いている。白い装束に菅笠をかぶり、杖をついて。けれど、その一歩一歩に、亡き人の名を唱えている者が、どれほどいるだろう。道はずいぶん歩きやすくなり、難儀をしに行く者は、もう、そう多くないのかもしれない。

 それでも、とボクは思う。

 どこかの古い山道で、笠をかぶり、杖をついて歩く人の後ろ姿を見かけたら、その背に、誰かの面影が乗っているかもしれない、と思ってみてほしい。足を擦りむいてまで歩くのは、苦しみたいからではない。忘れたくないからだ。歩いているかぎり、その人は、亡き人を連れていられる。

 道は、ただそこに伸びているだけだ。歩けば、足が痛むばかりさ。それでも、その一本の道には、誰かを失い、それでも生きていこうとした人々の、長い長い足あとが、いまも静かに刻まれている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

観音菩薩の霊場を順に巡拝する信仰は古くからあり、西国三十三所をはじめとする観音霊場めぐりは中世を通じて庶民へ広まっていったとされる。亡き身内の供養や願掛け、罪障消滅などを願って人々が徒歩で札所を巡り、その道中の苦行そのものに祈りの意味を見いだす心性や、巡礼者を世話し宿を提供する沿道の慣行も、こうした流れのなかで育っていったと伝わる。応永二十二年は一四一五年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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