第 05 話宗教西国三十三所、旅人たちが道々に残した草鞋の山
〜なぜ人は、足を擦りむいてまで、寺から寺へと歩いて巡ったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
「これじゃ、あと十里ともつまい」
菅笠の下でそう呟いて、男は道端に腰を下ろした。差し出した足の裏は、皮が破れて血がにじんでいる。おれは背の荷から、新しい草鞋をひと足取り出して、黙って渡した。銭は要らない。脱いだ古い草鞋と引き換えでいい。
応永二十二年(一四一五年)の春、西国の霊場をめぐる道すじで、おれは草鞋を商っていた。三十三の寺を結ぶこの道には、日に幾十人という巡礼が行き交う。白衣に菅笠、杖を一本。みな同じ形をして歩いているのに、脱ぎ捨てられていく草鞋の減り方だけは、ひとつとして同じものがなかった。
男は古い草鞋を、脱いだ足の脇にそっと置いた。それから懐から、小さな何かを取り出して、しばらく手のひらの中で握りしめていた。おれには、それが何かは見えなかった。男は何も言わず、また笠を深くかぶり直し、先へ歩いていった。
◇ ◇ ◇
道の傍らには、脱ぎ捨てられた草鞋が、幾重にも積もっていた。峠の登り口、川を渡ったすぐ先、坂の途中。歩けなくなる場所は決まっていて、そこだけ草鞋の山が高い。その山を見れば、この先の道のりがどれほど険しいか、誰に聞かずとも分かった。ときおり、そこに小さな、子どもの足に合う草鞋が一足だけ紛れていることもあった。誰のものかは、分からなかった。おれはそれを見つけるたび、そっと目を逸らした。
杖にも、道すじが刻まれていた。多くの巡礼は、ひとつの寺を拝むごとに、杖の柄へ小さな刻み目をひとつ入れていく。三十三の刻みが揃えば、満願の証だ。朝すれ違った老婆の杖には、刻みが幾重にも並び、古い傷の上に、また新しい傷が重なっていた。それでも足取りは危なげなく、一歩ごとに杖の先を、迷いなく土へ突き立てていた。
道端の地蔵の足もとにも、石が積まれていた。ひとつ拝むごとに、通りすがりの誰かが、丸い石をひとつ置いていく。積み方に決まりはないが、崩れかけては、また誰かの手で積み直されているらしく、山はいつも同じくらいの高さを保っていた。石を積んだ本人が誰かは、分からなかった。丸い石だけが、日に晒されて白く乾いていた。
崖沿いの道には、縄の命綱が張られている場所もあった。幾万の手が撫でていったのだろう、縄は真ん中だけひどく毛羽立ち、色も変わっていた。太い縄が、これほど心もとなく、頼りなく感じられる場所を、おれはほかに知らなかった。
寺の石段は、踏まれ続けて真ん中がくぼみ、雨のたび水を溜めていた。くぼみの深さが、その寺をいくたりが拝みに来たかを示していた。門前の手水鉢の縁も、幾千の手にすり減らされて丸みを帯びていた。角がまだ立っている新しい鉢と並べば、どちらが幾年ここに座っているか、触れずとも分かる。本堂の鰐口の綱も、まん中のあたりだけ色が抜けて白茶けていた。鳴らす手の数だけ、綱は日に灼け、擦られていくのだろう。誰も言葉で教えてくれはしない。それでも道そのものが、歩いた者の数だけ、確かにすり減り、くぼんでいく。

◇ ◇ ◇
歩くのは、思っていたよりずっと、つらかった。山ひとつ越えるのに、丸一日かかることさえあった。晴れた日は土埃が舞い、喉がひりついた。風の強い日は菅笠が飛ばされそうになり、両手でずっと押さえていなければならなかった。雨が降れば道は泥になり、草鞋の間に泥が入りこんで、一歩ごとに重くなった。おれの足の裏にも、日ごとに豆ができ、潰れては、また新しい豆ができた。岨道で足を滑らせ、谷へ落ちかけたこともある。日が暮れれば、ひと気のない御堂の軒下で、震えながら夜を明かすこともあった。
路銀が尽きて、村里の門口に立つ日もあった。そういうとき、たいていの家は、黙って麦の握り飯をひとつ、おれの手に握らせてくれた。ある村では、煮た芋がひとつ添えられることもあった。差し出す手に迷いがないのは、この道を通る者がみな、それぞれに何かを抱えているのだと、村の誰もが承知しているからだろう。理由を問う者はいない。おれはそのたび深く頭を下げて、また歩きだした。
坂の途中で、年老いた夫婦が肩を貸し合いながら登っていくのに追い越された。夫のほうが足を引きずっていて、妻がその半歩後ろから、荷を余計に背負って支えていた。ふたりとも、口を利く余力はもうないようだった。汗に濡れた背中の生地が、日差しに濃く光っていた。おれが道を譲ると、妻のほうが、わずかに頭を下げただけだった。
険しい山越えの道で、先を行く女がひとり、節をつけて何かを唱えていた。寺ごとに伝わる御詠歌という歌だという。息を切らしながらも、その節は絶えることがなかった。歌う足取りは、歌わぬ足取りより、いくらか軽く見えた。
峠の茶屋で一服する巡礼たちの列にも、幾度か行き合った。茶屋の婆が出す白湯は、いつも同じ量、同じ熱さだった。誰もが同じように笠を脇に置き、擦り切れた足を投げ出して、しばらく無言で座っていた。老いも若きも、身なりの良し悪しも、そこでは区別がつかなかった。

浜沿いの道では、白い着物の一群とすれ違った。先頭の女が背負った小さな荷から、木でこしらえた玩具の馬が、揺れるたびちらりと覗いていた。潮風に晒されて、白い着物のすそが、いくらか黄ばんでいた。誰も口をきかず、一列に並んで歩いていくその後ろ姿だけを、おれは見送った。
海沿いの岨道では、若い男とすれ違った。本堂の前で、長いこと地に額をつけたまま、動かずにいる姿を見た。誰に諭されて出てきたのかも、何を抱えているのかも、おれには分からずじまいだった。ただ、その背中の重さだけは、離れて見ていても伝わってきた。
夜は、寺の軒先や、巡礼を泊める宿に身を寄せた。板の間に何十人もが並んで横になり、隙間なく詰まって眠る夜もあった。梁に吊るされた灯りが、寝息の合間に、ゆっくりと揺れていた。隣に寝ている者が誰であるかも、朝になれば分からなくなる。それでも、擦り切れた足をそっと投げ出して眠る恰好だけは、どの夜も、どの顔も、みな同じだった。
◇ ◇ ◇
三十三の寺を、おれはとうとう巡りおえた。最後の寺は、山の中腹にひっそりと建っていた。石段を、荷を担ぎ直しながら登る。手にした杖はもう傷だらけで、握りの部分だけ、木肌がつるつるに光っていた。背の荷は、行きに積んでいた新しい草鞋より、道々で引き取った古い草鞋のほうが、よほど重くなっていた。潰れて底の抜けたもの、片方だけのもの、子どもの足に合う小さなもの。それぞれの持ち主の顔は、おれには分からない。分かるのは、その減り方だけだった。
石段を下りながら、おれは自分の足の裏に触れてみた。豆はとうに固くなり、指の腹には、幾重もの厚みができていた。
おれの杖にも、道々で刻んだ三十三の傷が並んでいた。
在所を出てから、幾夜を数えたかは、正直あやふやだった。それでも懐の銭袋は軽くなり、代わりに脚に力がついた。着物は幾度も洗われて色褪せ、笠の縁は擦り切れて丸くなっていた。荷を担ぐ肩の跡だけが、日焼けの中に白く残っていた。
ふと、おれは杖を握る指を止めた。この重さを、あとどれだけ担げばよいのか。答えは出ないまま、おれはまた歩きだした。
引き取った古い草鞋は、里へ戻れば藁を解いて、また新しい草鞋に編み直す。誰かの右足を支えたわらが、次の誰かの左足を支える。名も知らぬ者どうしが、そうして道の上でつながっていた。
荷を軽くして、次の道へ向かう朝、最後に草鞋を求めにきた娘があった。渡した草鞋の礼にと、娘は干した梅をひとつ、おれの手に握らせた。おれは軽く会釈をして、その場で別れた。二度と会うことのない相手だと、互いに分かっていた。
三十三の寺を巡る者は、来る年も来る年も絶えることがない。おれはその繰り返しの中を、幾度も通り過ぎるだけの者だった。
◇ ◇ ◇
三十三の寺をめぐる道は、いまも地図の上に残っている。先だって、ある山道で、白い装束の老人とひとりすれ違った。踏み固められた土のくぼみは、覚えのある形をしていた。杖にも、刻みがいくつか並んでいた。ただ、足もとを包むのは藁ではなく、底の厚いゴム草履だった。
すれ違いざま、湿った土の匂いが、ふっと鼻先をかすめた。その匂いに、ボクの足の裏が、遠い昔の重みをふと思い出していた。
参考文献・もっと詳しく
※ 観音菩薩の霊場を順に巡拝する信仰は古くからあり、西国三十三所をはじめとする観音霊場めぐりは中世を通じて庶民へ広まっていったとされる。亡き身内の供養や願掛け、罪障消滅などを願って人々が徒歩で札所を巡り、その道中の苦行そのものに祈りの意味を見いだす心性や、巡礼者を世話し宿を提供する沿道の慣行も、こうした流れのなかで育っていったと伝わる。応永二十二年は一四一五年(応永は一三九四〜一四二八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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