第 15 話曇った銅の向こうに、女はだれの顔を探したのか——自分を見るのが、まだ稀だったころの鏡のこと
〜磨きあがった一枚を抱いて、若い女は、しばらく顔をあげられなかった〜
今の人は、一日に何度、自分の顔を見るだろう。
朝、顔を洗いながら見る。出がけにもう一度見る。窓に映る、ガラスに映る、手のひらの中の小さな板にもいつでも自分の顔がいる。見ようと思わなくても向こうから勝手に映ってくる。だから誰も、自分の顔を見ることをたいしたことだとは思っていない。
けれど昔は、そうではなかったらしい。自分の顔をのぞくというのは、なかなかに、めずらしいことだったのだ。
その頃の鏡は、ガラスではない。磨いた銅でできていた。よく磨かれた一枚は、たしかに人の顔を映す。けれど今の鏡のように、すみずみまで鮮やかに、というわけにはいかない。少し曇ったような、淡い光の向こうに、ぼんやりと顔が浮かぶ。それも、銅というのは放っておけばすぐに色がくすむものらしくて、しばらく使わなければ、もう何も映さなくなってしまう。
だから鏡を磨きなおす者がいた。曇った銅を、また映るようにしてやる職人だ。そういう人が、町を、村を、巡って歩いていたという。
ボクが見てきたのは、その曇った銅の一枚を抱えて、ある女が、磨き屋の前にじっと座っていた、そういう日のことだ。
◇ ◇ ◇
寛弘九年(一〇一二年)の、秋の初めだった。日ざしは昼間こそまだ熱を残していたが、朝夕の風には、もう冷えたものがまじりはじめていた。われは平安京の西の京、もう人の通りもまばらになった町はずれの軒下で、鏡を磨く男の手もとを飽きもせず眺めていた。
弦麻呂、という名の男だった。歳のころは知れない。日に灼けた首すじには深い皺が刻まれ、指の節はどれも太く節くれだって、長いあいだおなじ仕事ばかり繰り返してきた手だとわかる。背を丸めて、終日ものも言わずに、膝の上の銅の円板に向かっている。そばに寄って覗きこむわれを、追い払いもせず、かといって愛想を言うでもなく、ただ手だけを動かしていた。かたわらには使いこんだ布きれや小さな壺、得体の知れぬ粉の包みなどが雑然と並べてあって、どれも何年も同じ場所に置かれてきたように、布も壺も男の指と同じ色に古びていた。
磨くというのは、思っていたよりずっと根気のいる仕事だった。まず客から預かった曇った鏡を、男は柔らかな布で軽く拭う。それだけでは、むろん何も映らない。くすんで、ねずみ色に沈んだ銅の面が、にぶく光るばかりだ。鏡とはいうものの、それはただの古びた金物の円板で、顔の影ひとつ返してはこない。
それから、男は妙なものを取り出した。水銀と灰のようなこまかい砂とをすり混ぜたものらしい。小さな貝殻のなかでそれを溶き、布の先にとって、銅の面に根気よくすりこんでいく。こり、こり、と乾いた音がする。すりこむほどに、銅と砂のまじったつんとした匂いが、あたりに立った。ひと所を、それは執念ぶかく磨く。指の腹が白くなるほど力をこめ、また力を抜き、円を描くようにひたすら磨く。少し磨いては面を陽にかざし、曇りの残りぐあいを確かめ、また同じところへ戻っていく。ねずみ色だった面は、磨くにつれて、まず鈍い銀の色に変わり、それからほのかに、まわりの景色をその内へ吸いはじめた。その繰り返しに、終わりはないように見えた。
「そんなにこするものか」と、われはつい声をかけた。
男は手を止めずに、低く答えた。「曇りってのはな、面の上にじゃない。面の中に染みこんでるのさ。上っ面だけ撫でたって、すぐにまた沈む。芯から起こしてやらにゃ、顔は出てこねえ」
芯から起こす、という言いかたが妙に耳に残った。曇った銅のどこかに顔が眠っていて、それを揺り起こしてやるのだ、とでもいうような口ぶりだった。
半日も、男はそうしていた。やがてねずみ色だった面に、すうっと淡い光がさしはじめる。最初はただ明るくなっただけに見えた。それがもう少し磨きこむと、覗きこんだわれの影が、ぼんやりとその面に浮かんできた。鮮やかではない。霧の向こうの月のような、たよりない映りだ。それでもたしかに、人の顔がそこにいた。淡ければ淡いほど、かえって見入ってしまうような、不思議な映りだった。鮮やかでないからこそ、いつまでものぞいていたくなる——そんな静かな力が、その淡い光にはあるように思えた。
なるほど、これが映るということか、とわれは思った。今の暮らしなら水たまりにだって顔は映る。けれどこの頃、自分の顔をこうしてはっきりと見られる折は、そうそうなかったのだろう。鏡というものは値の張る品で、家に一枚あるかないか。それも神棚や櫃の底に大事にしまわれていることが多かったらしい。自分の顔をのぞくというのは、それだけでちょっとした事だったのだ。
その日の夕暮れ近く、ひとりの若い女が、布に包んだものを胸に抱えて、男の前に座った。年の頃は二十ばかりか。質素な衣に身を包み、面立ちにはまだあどけなさの残る、けれどどこか思いつめたような目をした女だった。
包みを解くと、出てきたのはひどく曇った、古い鏡だった。縁に細かな模様の鋳られた、よい品らしい。鳥か草花か、いまは曇りに沈んでさだかでないが、丹精して鋳られた文様の名残が、縁にうっすらと見てとれた。けれど面はもう鈍く沈みきって、何ひとつ映さない。女はそれを男の前にそっと置いて、ためらいがちに言った。
「これを……母の形見の、鏡なのです。亡くなる前に、母がずっと使っておりました。曇ったままでは、母も……。どうか、また映るように、してはもらえませんか」
男は鏡を手にとってためつすがめつ眺め、それから低くうなずいた。値のことは、ろくに言わなかった。女は軒下のすみに身を寄せて、男が磨きはじめるのを、息をつめるようにして見守っていた。われもなんとなく、その場を立ちかねた。
磨くあいだ、女はぽつりぽつりと、母のことを話した。生前、母はこの鏡の前に座っては、長いこと自分の顔を見ていたという。櫛で鬢のほつれを直し、それからしばらく、ただじっと面をのぞいていた。何を映していたのかは、娘にもわからない。ただ、その背をよく覚えている、と。母の手が鏡を磨く小さな音や、その前にきちんと正された膝のかたちまで、女はいまも目に浮かぶようだった。鏡というものは、神さまの依りつくものだとも、亡くなった人の魂をうつすものだとも聞く——女は、そんなことをたどたどしく言った。本当のところは、われにもわからない。けれど、母が毎朝のぞいていたこの一枚を、曇らせたままにはしておけない。女の言いたいのは、つまり、そういうことらしかった。
日が落ちかかる頃、男の手がふと止まった。
「できたよ」
男は磨きあがった鏡を布で静かに拭って、女に手渡した。女はそれを両手で、こわごわと受けとった。淡い光をたたえた面を、おそるおそるのぞきこむ。
その瞬間、女はしばらく顔をあげられなかった。
われは女の肩ごしに、ちらと面を見た。そこに映っていたのはむろん、女自身の顔だ。淡い夕明かりと、すこし伏せたまつげの影とが、にじむように、その面にゆれていた。けれど女はたぶん、自分の顔を見ていたのではなかった。母が毎朝この同じ面にうつしていた顔と、いま自分がうつしている顔とが、どこか似ている——その似ているところを女は、淡い銅の光の向こうに、じっと探しているようだった。
しばらくして、女は顔をあげた。泣いてはいなかった。ただ、ふっと、こらえていた息を吐くように、小さく笑った。
「……母の鏡を、わたしも使ってよいでしょうか」と、女は誰にともなく、つぶやいた。
むろん、答える者はいない。男は黙って、磨きかすのついた布を畳んでいる。それでも女は自分で問うて、自分でうなずいたようだった。曇りの落ちた鏡を布に包みなおし、胸にしっかりと抱いて、女は何度も頭を下げて、暮れていく町へ帰っていった。
遠ざかるその背を見送りながら、われは弦麻呂に言った。「いい仕事をしたな」。男は手を動かしたまま、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。「おれは、銅を起こしただけさ。何が映るかは、おれの知ったことじゃねえ」。
そう言いながらも男の手は、次の一枚を、また根気よく磨きはじめていた。
◇ ◇ ◇
鏡は、それから長いあいだ、磨いては使い、また磨いては使う、そういう道具でありつづけた。
弦麻呂のような磨き屋は、後の世まで、町を巡って歩いていたという。「鏡磨き」と呼ばれ、声をかければ、軒先で曇った一枚を起こしてくれた。やがてガラスの鏡がやってきて、磨かずとも鮮やかに映るようになると、その仕事も、いつのまにか消えていったらしい。
今では、自分の顔は、いつでも、どこにでも映る。磨く手間も、待つ間もいらない。見ようと思えば、たちどころに映る。けれど、たちどころに映るぶん、人はもう、自分の顔をまじまじと見たりはしないのかもしれない。
あの女が、磨きあがった一枚の前で、しばらく顔をあげられなかった——その長い、長い一瞬を、ボクはときどき思い出す。曇った銅の向こうに、女が探していたのは、自分の顔だったのか、母の顔だったのか。たぶん、その両方だったのだろう。
自分を見るというのが、まだ少しだけ特別だったころ。人は、淡い光の向こうの、たよりない顔を、いまよりずっと、大事にのぞきこんでいた気がする。
参考文献・もっと詳しく
- 『日本の美術 No.394 中世・近世の鏡』ISBN 978-4-7843-3394-3
- 『和鏡の文化史——水鑑から魔鏡まで』ISBN 978-4-88708-139-0
- 『古鏡(新装版)』ISBN 978-4-311-20242-1
※ 平安期までの鏡は、青銅(銅と錫の合金)を鋳て表面を磨いた銅鏡・和鏡が主で、ガラス鏡が普及するのは後世とされる。映りは現代の鏡ほど鮮明ではなく、放置すると酸化で曇るため、水銀と研磨砂を用いて面を磨きなおす「鏡磨き(鏡研ぎ)」の職が後世まで町を巡ったと伝わる。鏡は高価で各戸に常備されるものではなく、神事の依代や故人の形見として特別視される一般的な観念があったとされるが、本話の人物・会話・心情は創作。寛弘九年は一〇一二年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。西の京は平安京右京の通称として用いた。
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