第 15 話道具邸にただ一枚の鏡に、姫がはじめて見た顔——自分を見るのが、まだ稀だったころの鏡のこと
〜若君の欠片は、なぜあの鏡より先に光ったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
邸にあった鏡は、ボクの知るかぎり、ただの一枚きりだった。
今の人は、一日に何度、自分の顔を見るだろう。手のひらの中の板にも、窓にも、通りすがりの店先のガラスにも、いつでも顔は映っている。鏡は、ボクにとってはもう長いこと、見慣れたものだ。
だがこの時代、鏡は稀にしか、人の前に現れない品だった。ある邸に仕えていたころ、ボクはその、たった一枚の鏡の手入れを任されていた。
磨いても磨いても、いつも同じ隅に、薄い曇りが残った。何百とこすったか知れない。それでも、消えない曇りだった。
◇ ◇ ◇
寛弘四年(一〇〇七年)、秋の初めのことだった。平安京の西の京、目立たぬ小さな邸に、われは下人として仕えていた。邸の主は受領を一度つとめたきり、そのあと長く官職に恵まれず、さして羽振りのよくない家柄で、姫がひとりと、幼い若君がひとりいた。西の京は、東側の賑わいに比べればずいぶん人通りも少なく、邸の築地塀もところどころ崩れかけていた。屋根の葺き替えより先に、姫の裳着の支度が優先された。
姫の裳着が、ひと月後に迫っていた。裳着とは、女がはじめて裳を着け、大人の身なりになる儀だ。当日、姫は生まれてはじめて、鏡の前にきちんと座らされ、髪を結われ、化粧をほどこされる。邸に代々伝わる鏡は一枚あるきりで、亡くなった祖母の代から受け継がれたものだという。新しい鏡を一枚こしらえる余裕など、この邸にはとうに無かった。それを磨きなおしておけ、と言いつかったのが、われの役目だった。
鏡は青銅の一枚板で、背には草花の文様が鋳てある。だが面はすっかり曇り、灰色に沈んでいた。われは布の先に、灰のようなこまかい砂を含ませ、円を描くように磨いた。こり、こりと乾いた音がして、砂と銅のまじった匂いがあたりに立つ。袖にはいつのまにか、灰色の粉がまとわりついていた。半日磨いて、ようやく淡い光がさしはじめる。それでも右の隅にだけ、いつまでも曇りが残った。力を込めても、こすり方を変えても、そこだけは頑として光らない。日を変え、砂の粗さを変え、布の当て方まで変えてみたが、隅の曇りだけは頑固に残りつづけた。この鏡ひとつ仕上げられぬようでは、邸の名にも関わる——そんな焦りが、指の先に無駄な力となって出ていたのかもしれない。
その隅を睨みつけていたとき、庭先から声がした。若君だった。歳は六つ。乳母の目を盗んでは、いつも土間や庭の隅で遊んでいる。萩の花が咲きこぼれる垣根のそばに、いつもしゃがみこんでいた。手にしていたのは、鋳直す当てもなく蔵の奥に仕舞われていた、古い鏡のかけらだった。

「見て、光った」
若君は得意げに、そのかけらをかざした。小さな欠片は、たしかにほんのりと光っていた。子供の遊び道具のはずなのに。
われは若君の手もとを覗きこんだ。若君は、われの磨き砂を袖の端にひとつまみ盗んでくるんでいたらしい。その袖でかけらをこすりながら、口の中で何かを数えていた。ひい、ふう、みい……。十まで数えると、いちど手を止め、かけらの向きをくるりと変える。また同じ向きへ、同じだけこする。ためらいも、力みもない。ただ同じ動きを、同じだけ繰り返しているだけだった。飽きて放り出すこともなく、ただ律儀に十を数えては、向きを変える。それだけを、幾度も幾度も繰り返していた。
次の日も、そのまた次の日も、若君は同じ遊びをしていた。数える声の調子まで、いつも同じだった。十の次はまた一から。向きを変えるたび、欠片をひっくり返すのではなく、円のなかの一点をずらすように、ほんのわずかだけ角度を変える。それだけの違いだったが、われはようやく、そこに気づいた。
三日目、若君の欠片が、ついに手のひらほどの小さな面にわれの顔をうっすらと映すのを見た。手のひらほどの欠片と、邸の一枚の鏡とでは、磨く面の広さも曇りの深さもまるで違う。だが、面が起きてくる道すじは、同じだった。かけらは元をたどれば、以前この邸で割れた、別の古鏡の残りらしい。鋳直しに出す当てもなく蔵の奥に仕舞われていたのを、若君はいつのまにか見つけ出し、遊び道具に変えていたのだった。乳母に見つかれば取り上げられる代物を、若君は懐や袖の内へ、要領よく隠しては持ち出していた。
われは自分の手もとを見た。力を込めるときと抜くときがまちまちで、こする向きも、飽きればすぐに変えていた。手を急がせるほど、かえって乱れていたのかもしれない。ここが揃わなければ、面は均等に起きてこない——若君の遊びを見て、そのことにやっと気づいた。
その日から、われは若君の数えかたを真似た。同じ力で、同じ向きに、十のかたまりで区切って磨く。単調な、ほとんど遊びのような仕事だった。五十を数えるころ、若君はもう飽きて、庭の別の遊びに移っていた。それでもわれは、数えることだけはやめなかった。朝から晩まで、指の先が痺れ、腕が重くなっても、数だけは崩さなかった。幾日もかけて三百を数え終える頃、右の隅の曇りは、ほかの面とおなじ深さで、淡い光を宿しはじめていた。手のひらいっぱいの砂を、あと何度すり減らせば終わるのか、われ自身にもわからなかった。

裳着の前夜、鏡はようやく、隅のどこにも曇りを残さず仕上がった。淡い光の中に、われの顔も、そばに置かれた灯台の火も、まっすぐに映った。長かった、と思わずつぶやいていた。われはそれを、そっと唐櫃の内に納めた。乳母がその面を覗きこみ、「これでようやく、祖母君に恥ずかしくない鏡になった」と、ひとりごちていた。この鏡は、祖母君の代からこの邸に伝わり、幾たびも磨きなおされて、いまに至ったものだという。
当日、廂には親戚の女房たちも幾人か招かれ、朝から邸は久しぶりの賑わいを見せていた。庭先には薄縁が敷かれ、女房たちの衣擦れの音が絶えなかった。姫は鬢を結われ、裳を着けて、はじめて鏡の前に座った。乳母がそっと鏡を持ちあげ、姫の顔の前に差し出す。姫はしばらく瞬きもせず、その面を見つめていた。生まれてこのかた、自分の顔をこれほどはっきりと見たことは、なかったのだろう。そばに控えていた母君も、口を挟まず、ただ娘の背をじっと見守っていた。邸の主も、廂の奥からそれとなく様子をうかがっていた。
「……これが、わたくしの顔」
姫は小さくつぶやいた。うれしいのか、心もとないのか、われにもわからない声だった。母君が、そっと姫の肩に手を置いた。それだけで、姫はまた鏡へ向きなおった。廂の外では、集まった女房たちが小声で何やら褒めそやしていたが、姫の耳には届いていないようだった。
かたわらで若君が退屈そうに、懐から欠片を取り出し、また袖でこすりはじめる。乳母に見つかって、こら、と叱られていた。それでも若君は、こそこそとまた欠片を懐に戻し、われの目が合うと、いたずらっぽく笑ってみせた。庭の萩は、まだ盛りを過ぎていなかった。
姫はそれから何度も、鏡を覗いては、また目を伏せた。乳母が次の間の支度を促すまで、姫はその場をなかなか動かなかった。
その夜、宴も引けたころ、われは唐櫃から鏡を取り出し、もう一度だけ布で拭った。灯りを寄せ、右の隅をその火にかざすように傾ける。曇りはもう、どこにも見当たらなかった。若君の遊びと同じ、ただ同じ数を繰り返しただけのことだった。指の皮は硬くなり、爪の際まで灰の匂いが染みついていた。
◇ ◇ ◇
姫は、あの日から鏡をよく覗くようになったという。鏡の曇りは、それきり戻らなかった。ボクはただ、ときおり手入れをするだけの日々に戻った。
駅の改札を抜けながら、若い女がスマートフォンの黒い画面に、ちらと自分の顔を映した。掌の中の板は、驚くほど軽い。あの日、姫の前に差し出された、鏡の重みを思い出す。
参考文献・もっと詳しく
※ 平安期までの鏡は、青銅(銅と錫の合金)を鋳て表面を磨いた銅鏡・和鏡が主で、ガラス鏡が普及するのは後世とされる。映りは現代の鏡ほど鮮明ではなく、放置すると酸化で曇るため、研磨砂と布を用いて面を磨きなおす手入れが要った。鏡は高価で、当時は貴族や上層の邸で大切に扱われる品であり、庶民が日常的に所有する品ではなかったとされる。行商の「鏡磨き」や水銀を用いた研磨技法が広く見られるようになるのは後世(近世以降)とされ、本話ではそれ以前の邸内での手入れとして描いた。裳着の儀礼・邸内の人物・会話・心情は創作。寛弘四年は一〇〇七年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年)。西の京は平安京右京の通称として用いた。
当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。
この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。
このサイトを応援する →