墨が濃くなるのを待つあいだに、人は半分、もう書いていた——一字を記すまえの、しずかな手間のこと32
平安のころ・平安京読了 約7

墨が濃くなるのを待つあいだに、人は半分、もう書いていた——一字を記すまえの、しずかな手間のこと

気のはやい若い僧の手は、墨を磨りなおすあいだに、なぜ嘘のように静まったのか

 書くというのは、今ではずいぶん気軽なことになった。

 手元のものを一本にぎれば、それでもう字が書ける。芯がかすれれば替えればいい。あたまに浮かんだ言葉を、ほとんど間をおかず、そのまま紙に落とせる。思いついた速さで書ける。それを誰も不思議とは思わない。

 けれど墨で字を書いていた頃は、そうはいかなかった。書こうと思ってから、ほんとうに筆をおろすまでに、ひとつ越えねばならない手間があった。墨を磨る、という手間さ。

 硯に水をたらし、固い墨の棒を押しあてて、ゆっくり前へ後ろへと動かす。じきに水が黒く濁りはじめる。けれど薄いうちは使いものにならない。墨の汁がとろりと重くなるまで、ただ磨りつづける。急いでも、墨は急には濃くならない。墨のほうの間に、人が合わせるしかなかった。

 ボクが見てきたのは、その黒い汁が硯にたまるまでの、しずかな間のことだ。一字を書くより前に、人がいちど心を沈める、あの間のことさ。

◇ ◇ ◇

 寛弘七年(一〇一〇年)の春、平安京の東にある寺の写経所で、われはしばらく雑用に雇われていた。経を写す紙を裁ち、墨や筆をそろえ、写し手の僧たちの世話をする。そういう下働きだ。

 写経所をあずかっていたのは、浄春という老いた経師だった。もう何十年も経を写してきた人で、背は曲がり、目はしょぼついていたが、その書く字だけは、しゃんと背すじが通っていた。

 その浄春に、いちばんはじめに仕込まれたのが、墨の磨りかただった。

 てっきり紙の裁ちかたか、筆のあらいかたから教わるものと思っていた。ところが浄春は、われの前に硯をひとつ置いて、こう言った。

 「まず、墨を磨れるようになりな。話はそれからだ」

 その墨というものが、また、たやすくは手に入らぬ品だった。なんでも、松をいぶした煤を、膠で練りかためて作るものらしい。もとは唐の国から渡ってきた技だとも聞いたが、たしかなことは、われも知らない。ともかく、ひと棒の墨はそれだけで値の張る品で、写経所では大切に、すこしずつ磨って使われていた。

 硯に水をすこし落とし、墨の棒をにぎって動かしてみる。たやすいことだと思っていた。ところが、これがなかなか思うようにいかない。力をこめて速く動かせば、墨はざらついて、こまかい泡が立つ。その汁で書けば、字はかすれてまだらになるという。かといって弱すぎれば、いつまでも水のように薄いままだ。ちょうどよく、ゆっくり、同じ調子で動かしつづける。それがむずかしい。

 はじめのうちは、すぐに腕がだるくなった。早く濃くなれと念じるほど、手に力が入って、汁は荒れた。浄春はそれを横目で見て、「急ぐな」とだけ言う。

 「墨はな、追い立てると、いじける。ゆっくり、おだやかに頼めば、ちゃんと濃くなる」

 追い立てると、いじける。墨に気持ちがあるような言いかたが、はじめは可笑しかった。けれど何日も磨っているうちに、その言葉の意味が、すこしずつ手でわかってきた。

 ゆっくり、同じ調子で磨る。すると硯のうえの水が、だんだん黒く深くなっていく。墨の棒からは、すずやかな、すこし焦げたような香りが立ちのぼる。前へ後ろへと動かす墨の、さり、さり、という音だけが、しずかな写経所に満ちる。

 その音を聞き、香りをかぎ、汁が濃くなるのを見ているうちに、ふしぎと、ざわついていた胸のうちが、しずまってくるのだった。

 朝の写経所では、写し手の僧たちがそろって墨を磨る。いくつもの硯から、さり、さり、という音が重なりあって、堂のなかに低くこもる。波の音にも、軒の雨だれにも似た、ふしぎな響きだった。その音が満ちているあいだ、僧たちは誰もものを言わない。ただ黙々と、墨が濃くなるのを待っている。やがて音がやみ、一人また一人と筆をとりはじめる。墨を磨る間が、めいめいの心を書く支度へとととのえていくのが、傍で見ていてもよくわかった。

 われも、ひと月もすると、ようやくましな墨が磨れるようになった。力にまかせず、ゆっくり、同じ調子で動かす。硯のうえの汁が、つやのある深い黒になったとき、浄春はちらと覗いて、「うん」とだけ言った。たったそれだけのことが、妙に嬉しかった。

 あるとき、思いきって浄春に尋ねた。なぜ下働きのわれにまで、墨を磨らせるのか、と。経を写すのは僧たちで、われが筆をとるわけではない。

 浄春は、しょぼついた目を上げて、しばらく手を止めた。

 「字を書くのはな、墨をつけてからじゃない。墨を磨っているあいだに、もう半分は書いているのさ」

 よくわからず、首をかしげた。すると老人は、自分の硯を引きよせて、ゆっくり墨を磨りはじめた。さり、さり、と音がする。

 「こうして磨っているあいだに、胸のなかのごたごたが、すうっと底に沈んでいく。書く前に、心がまっさらになる。そうしてはじめて、まともな一字が書けるんだ。墨を磨る間ってのは、字を書くための、心の支度なのさ」

 その言葉が腑に落ちたのは、それからしばらく後のことだ。

 あるやんごとない筋から、急ぎの写経をという頼みが舞いこんだ。亡き人の供養のためだとかで、日を切られている。経を写すのは、ただ字を書き写すのとはわけがちがう。一字一字に仏が宿るとも、写せばそれだけ功徳が積まれるとも言われ、写し手は身を清め、心をこめて筆をとった。だからこそ、心のざわつきは何より禁物だったのだろう。

 なかに、円覚という若い僧がいた。腕はたしかだが、気のはやい質で、その日もいかにも急いていた。硯にざっと水をあけ、墨を荒っぽく、ごりごりと磨る。早く濃くしようと、力まかせだ。そうして、ろくに墨の濃さもたしかめぬまま、筆をとった。

 ところが、その字が、いけない。ふだんのあの子の字とは、似ても似つかない。線はふるえ、墨はまだらにかすれ、はらいの先が乱れている。気のあせりが、そのまま筆の先にあらわれていた。

 浄春は、そっと近づいて、円覚の手をおさえた。

 「いちど、筆をおきな」

 そうして、もういちど墨を磨りなおさせた。今度はゆっくり、さっきの倍も時をかけて。円覚は、はじめは焦れた顔をしていたが、さり、さり、と磨るうちに、肩の力がぬけていった。とがっていた目もとが、だんだんやわらいでくる。

 じゅうぶんに墨が濃くなったころ、円覚はもういちど筆をとった。

 今度の字は、ちがった。線は落ちついて、墨はつややかに、しっとりと紙にのっている。さっきまでふるえていた手が、嘘のように静かだった。墨を磨る間が、あの子の心の波を、ちゃんと凪がせたのだ。

 書きあがった経を、円覚はほっとした顔で浄春にさし出した。老人はそれをしばらく眺めて、小さくうなずいた。「さっきとは、別人の字だ」。円覚は照れたように頭をかいて、けれどどこか、得心のいった顔をしていた。あの子も、墨を磨りなおすあいだに、急いていた自分の心がしずまっていくのを、たしかに感じていたのだろう。急いては、よい字は書けない。それを口ではなく、手と墨が、あの子に教えたのだ。

 われは、浄春の言葉を思いだした。墨を磨っているあいだに、もう半分は書いている。なるほど、と思った。書くより前の、あのしずかな間こそが、一字の重みをつくっていたのだ。

 ときおり、浄春の書くところを、すぐそばで見せてもらった。じゅうぶんに磨った墨を筆に含ませ、ひと呼吸おいてから、紙にすっと一画を引く。墨はにじみもかすれもせず、しっとりと紙に吸われていく。その一字には、磨っていたあいだの、あのしずかな間が、そっくり封じこめられているように見えた。一字を書くというのは、つまるところ、その間の重みを、紙のうえに置くことなのかもしれない。

 それからのわれは、墨を磨るのが、すこし好きになった。さり、さり、という音を聞きながら、汁が濃くなるのを待つ。その間に、その日のざわめきが、硯の底に沈んでいく。まだ一字も書かぬうちから、もう何かをととのえている。そういう、得がたい間だった。

◇ ◇ ◇

 墨を磨るという手間は、それからずっと、人の暮らしに残った。

 後の世の寺子屋の子どもらも、朝いちばんに墨を磨ってから、いろはを習ったと聞く。手紙ひとつ書くのにも、人はまず硯に向かい、墨を磨る間をもった。その間に相手の顔を思いうかべ、何を書こうかと、心をととのえたのだろう。書くことが今よりずっと、重たくて、ゆっくりだった頃の話さ。

 今では、思いついた言葉を、思いついた速さで、そのまま送れる。墨を磨る間など、どこにもない。それはたしかに、ありがたいことだ。

 それでも、と思う。さり、さり、と墨を磨りながら、胸のうちが底に沈んでいくのを待った、あのしずかな間。一字を書くより前に、いちど心をまっさらにした、あの支度の時間。あれは、ずいぶん贅沢なものだったのかもしれない。

 硯のうえで、墨の汁がとろりと濃くなるのを、ただじっと待っていた——あの春の写経所の、墨の香りと、さり、さりという音を、ボクは今でも、ふと思いだすことがある。

参考文献・もっと詳しく

墨は、松などをいぶした煤(松煙・油煙)を膠で練りかためて棒状にし、硯に水とともに磨りおろして用いた筆記具とされる。製墨や硯の技は古く中国から伝わったと言われるが、本話の人物・会話・写経所の細部は創作。寛弘七年は一〇一〇年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年・一条天皇の御代)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。写経が供養・功徳のために重んじられたこと、墨が貴重な品であったことは時代背景として用いたが、断定はぼかしてある。

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