第 32 話道具急いだ文と、待った文——同じ手から生まれた、二つの黒
〜同じ店に頼んだ二通の文、なぜ片方だけ受け取ってもらえなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
コンビニのレジで、店員が伝票にペンを走らせた。名を書き終えるまで、瞬きよりも短い。
うしろに並んでいた男が、小さく舌打ちをした。「まだですか」
◇ ◇ ◇
寛弘七年(一〇一〇年)の春、平安京の東、七条のあたりで、われは苛立っていた。半年前、田植えの入用にと荘の下役に米を五斛貸した。刈り入れが済めば返す、という約束だった。ところが年を越し、春になっても、いっこうに戻ってこない。使いをやれば「今しばらく」と言うばかりで、こちらの顔も見ない。
ちょうど、その荘の年貢の算用が、あと十日ほどで開かれるという。算用の場でなら、大勢の目もある。その場で目にとまるような、しかるべき文を出しておけば、さすがに素通りもできまい。そう思い立った。
平安京の東の通りを、荘の政所とは反対の方角へ歩く。桃の枝を担いだ物売りや、荷車を引く男たちの声で、朝の道はにぎやかだった。こちらの懐具合など知る由もない、のどかな春の景色だった。
われ自身、日々の売り買いの勘定なら、木の刻みで足りる。だが、こういう改まった文となると勝手がちがう。役人の目に触れる文は、言葉の選びかたひとつ、字の運びひとつで、こちらの値打ちまで量られる。荒い字で出せば、かえって「所詮はこの程度の者」と侮られかねない。
そこで、浄春という経師の店を訪ねた。ふだんは寺の経を写す身だが、内証にはこうした頼まれ文の代筆もして、糧の足しにしていると聞いていた。
店の土間には先客がふたり、框に腰かけて順を待っていた。ひとりは荷を背負った行商ふうの男で、しきりに表を気にしている。もうひとりは近くの店の主人らしく、腕を組んで悠然と構えていた。
店先には、大小さまざまな硯と、黒く艶のある墨の棒が棚に並んでいた。硯は石を刳ったものと、焼きの陶でこしらえたものと、二通りあるらしい。墨は松をいぶした煤を膠で練りかためたものだという。もとは唐から渡った技だとも聞くが、たしかなことは、われも知らない。太さも長さもまちまちで、大きな一挺は、われの一月ぶんの稼ぎに近い値がつくと聞いたことがある。値の張る品ゆえ、われのような者は持たず、こうして入用のたびに頼みに来る。

先の行商の男が呼ばれ、「今日じゅうに、一枚」と急いた声で頼みこんでいた。浄春が値を告げると、男は舌打ちしながらも布を渡し、しばらくして受けとった文を懐にねじこむと、ろくに見もせず店を飛び出していった。
悠然と構えていた店の主人は、すでに何度もこの店を使い慣れているのか、値も日限も浄春に任せきりで、口を挟むこともなかった。
やがてわれの番がきた。
「急ぎで、一枚頼みたい」
浄春は帳面も見ずに言った。
「急ぐなら、今日じゅうに仕上げる。布二反もらう。急がぬなら、三日待ってもらって、布一反でいい」
棚の墨一挺の値には遠く及ばぬが、布二反は、われには容易ならぬ額だった。
急いで磨った墨は、ざらついて、かすれる。ゆっくり磨れば、艶のある字が書ける。浄春はそう付け加えたが、われの耳には半分も入らなかった。算用まで、もう十日を切っている。使いを立てて何度も催促した手間を思えば、これ以上は待てぬ気がした。
「今日でいい」
夕刻、できあがった文を受けとった。急いた筆づかいが、文字の端々に残っている。線がところどころ震え、墨が跳ねて小さな染みをつくっている箇所もあった。それでも、書いてあることは間違っていない。用は足りるだろう、とわれは思った。
算用の日、荘の政所には、われのような貸し倒れを訴える者が、ほかにも幾人か列をなしていた。順を待ち、ようやく荘官の前に進み出て、その文を差し出す。
荘官はひとわたり目を通すと、口の端をゆがめた。
「急いてこしらえた文と見える。かように取り乱した手では、こちらも取り合いようがない」
文はわれの手に押し戻された。うしろに並ぶ者たちの視線を背に受けながら、政所を出た。米はまだ戻らぬまま、その日の算用は終わった。次の算用は、また半年先だという。
帰り道、握りしめた文を懐から出し、あらためて見た。夕刻の店先で受けとったときには気づかなかったが、日の下で見ると、震えた線の乱れがなおのこと目立った。急いでこしらえた分だけ安くついた、とは、どこにも思えなかった。かえって、この半年をふいにしたようなものだった。舌打ちしながら店を飛び出していった、あの行商の男の顔が、ふと思い出された。

その足で、浄春の店へ舞い戻った。今度は算用の日限に追われていない。急いだところで、良いことは何もなかった。それだけは、われの側にも分かっていた。
「もういちど、頼む。こんどは待つ」
浄春はうなずいて、「三日、もらう」とだけ言った。値はたった布一反。さきの二反より、安い。急いだ分だけ、余計に取られていたのだと、そこでようやく気づいた。
三日のあいだ、われは荘の周りをまわって、ほかに訴える先がないか探した。これという当てはなかった。道端の桃の花が、ちょうど盛りを過ぎて散りはじめていた。急いても急いでも、花の散る速さは変わらないものだと、益体もないことを思った。
二日目には近くの寺に立ち寄り、持ち合わせの、乾いた小さな菓子をひとつ供えて手を合わせた。米が戻るようにとは願わず、ただ荘官がもう一度あの文を、まっすぐ読んでくれるようにとだけ願った。
三日目の夕方、たまたま浄春の店の前を通りかかると、先だっての行商の男が、店先で何やら声を荒らげていた。急ぎで頼んだ文が、行った先で突き返されたらしい。浄春は、表情も変えずに、ただ黙って新しい紙を出していた。
四日目の朝、店に文をとりに行った。差し出された文を、両の掌にのせる。紙は乾いて張りがあり、墨のにおいがまだ濃く残っていた。指先でそっと表をなぞると、字の線に、盛りあがりも震えもない。まっすぐ、静かに、紙に吸いこまれている。
先だっての、急いだ文とは、掌にのる重みからして、どこかちがうように感じられた。
その文を持って、こんどは荘へ向かった。政所には、先だってと同じ荘官がいた。前に来たときのわれの顔を、覚えていたらしい。文を差し出すと、目を通すなり、こんどはうなずいた。
「これは、丁寧な文だ。相応の返答をせねばなるまい」
脇に控えていたべつの下役が、横からのぞきこんで、感心したふうに小さくうなった。あの荒れた文とは、並べるまでもなかった。
半月のうちに、米は戻ってきた。使いの者が荷をかついで運んでくるのを見て、ようやく肩の力が抜けた。あのとき懲りずにまた急いでいたら、いまも催促の使いを出しつづけていただろう。そう思うと、いまさらながら背筋が冷えた。
◇ ◇ ◇
ボクの手には、いまも掌の記憶がある。急いた文を渡されたときの、あの薄っぺらな軽さ。三日待って受けとった文の、じんわりとした重み。同じ浄春の筆から出た、同じ用向きの文だというのに、掌にのせた瞬間から、もう別ものだった。
値も、待った日数も、たしかにそのぶんだけちがっていた。
当時はただ、文と呼んだ。それだけの言葉で、急かす用も、詫びる用も、みな足りた。
いま、指先ひとつで打つ文字は、掌に、何の重みも預けずに去っていく。
参考文献・もっと詳しく
※ 墨は、松などをいぶした煤(松煙・油煙)を膠で練りかためて棒状にし、硯に水とともに磨りおろして用いた筆記具とされる。製墨や硯の技は古く中国から伝わったと言われる。硯・墨は当時高価な品で、庶民は経師など書に長けた者へ代筆を頼むことが多かったとされ、本話もその慣行を踏まえた創作である。人物・会話は創作。荘園の年貢の算用や貸し借りの訴えの運び、布を対価とする代筆の値付けも、参考文献の射程外の創作で、当時の制度を写したものではない。寛弘七年は一〇一〇年(寛弘は一〇〇四〜一〇一二年・一条天皇の御代)。
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