第 31 話文化飛鳥山の午後に、毛氈の四隅へ石を置いた老人
〜桜が植わって十年あまりの坂で、爺さまだけが知っていたこと〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
朝七時の公園で、青いシートの四隅に、缶ビールを置いていく人がいる。
頭上は、ソメイヨシノの白。その四つの缶を、ボクはしばらく見ていた。
◇ ◇ ◇
享保十七年(一七三二年)の春、飛鳥山。王子へ向かう道すがら、坂の上に桜が見えたので、あっしは足をとめた。道ばたの石に腰をおろして、笠をぬいだ。
見わたすと、桜の下の敷物は、数えるほどしかなかった。毛氈を広げた庄屋の主従らしい四、五人。藁の筵に車座になった、近在の百姓の一家。大根の漬物と、麦こがしの包みが、筵のまんなかにあった。ひとりで木の根もとにもたれて、酒をなめている隠居。まだ日の高いうちから、顔がほんのり赤い。三味線が一丁だけ鳴っているが、とがめる者はいない。
江戸の桜といえば、上野の山くらいのものだった、と聞く。この山に桜を植えさせたのは、お上だという。千本あまり、というから、たいした数だ。庶民が安心して花を見られる場所をという思し召しだともいうが、ほんとうのところは、あっしの知るところではない。それが、どれも植えられてまだ十年と少しの若木である。幹はあっしの腕ほどのが多く、ひと抱えもある古木は、見たところ一本もない。それでも枝には、花がぎっしりとついている。花はうすい紅で、赤茶けた若葉が、花とおなじ枝にならんで開いている。
あっしは、持ってきた握り飯を、膝の上でほどいた。去年の米のできは、よくなかったと聞く。握り飯は麦がまじって、黒ずんでいた。庄屋の毛氈では、塗りの重箱が三段に重ねられ、徳利が回っている。庄屋の主が、年貢の話をしているのが聞こえた。声は落としているが、花の下でする話でもあるまいに。あっしは、麦まじりの飯をかじる。花の下では、それも悪くなかった。
食べ終えてから、坂を少し歩いてみた。若木の幹は細くて、皮に、横縞のような筋が入っている。谷の底には畑がひらけて、菜の花の黄色が、帯のようにつづいていた。あっしは、もとの石へもどって、腰をおろした。
日が西へ傾きかけたころ、その人影のまばらな坂の縁を、ひとりの爺さまが通っていった。
爺さまは杖をついて、ときどき足をとめて息をととのえたが、足どりはしっかりしていた。息子らしい壮年の男が、丸めた毛氈をかついで、その連れ合いが重箱の包みを抱えて、あとに従う。日なたの空きは、いくらもあった。木の下の涼しい場所も、まだ空いていた。爺さまは、そのどれにも目もくれず、素通りする。

坂をのぼりきった上のはずれ、太い欅が一本立つ根もとの、風の吹きさらす草地まで来て、足をとめた。日あたりも悪く、見晴らしも悪い。わざわざそんなところを選ぶ者はいない。
爺さまは、坂の下を見ていた。霞のかかった谷の方角を、目を細めて、長いこと。あっしも、おなじ方角を見てみた。霞が、ゆるやかに、こちらへ動いている。それだけだった。
それから、一本の木の根もとへ目をやった。息子がうなずいて、毛氈をひろげる。短いほうの辺を、坂の下に向けて。広げた毛氈の下から、草の根もとの土が、丸くくぼんでいるのが四つ、のぞいていた。石のかたちにへこんだ、古い跡だった。息子は、くぼみのまわりの草をむしって、地面をならした。
爺さまは、ふところから布の包みを出して、毛氈のはしでひらいた。拳ほどの黒い石が、四つ。どれも角がまるい。一つは片側がすり減って平らで、ほかの三つよりひとまわり小さかった。息子の手を借りず、自分で、毛氈の四隅に一つずつ置いていった。石は、四つのくぼみに、すとんとおさまった。包みの布は、ていねいにたたまれて、またふところへもどった。最後の一つは、置く前に、手のひらで土を払い、その平らな面を下にした。指の先が、土の色をしていた。
庄屋の若い下男が、それを見て、仲間にささやいた。「石なんぞ背負って花見かい。爺さまの重しかね」。仲間が笑った。爺さまは、それには目もやらず、息子夫婦の出した握り飯を、ひとつ手にとった。息子の連れ合いは、煮しめを小皿にとりわけ、爺さまのほうへ押しやる。爺さまは、それをゆっくりと噛んでいた。
四半刻ほどもたったろうか。坂の上の枝が、ひとつ残らず、ゆっくりと上へしなった。雲が切れて、日がまともに桜に当たり、花の色が一瞬だけ濃くなった。三味線は、いつのまにかやんでいた。坂の下から、風がのぼってきた。
風は、谷に近い草を鳴らして、それから上へ、上へ。庄屋の毛氈の端がめくれ、三段の重箱が蓋をはずしてかたむき、煮しめがころがった。一枚の毛氈は、まるごとふわりと浮いて、桜の幹にぺたりと張りついた。百姓の筵は裏返しになり、茶碗が二つ、草の上をころがっていった。笠が飛び、手拭いが飛び、あちこちで、わあっと声があがる。隠居は、徳利を両手で抱えこんで、ひとしずくもこぼさなかった。そのまま、いい気持ちで寝そべって、枝のあいだの空を見ていた。

飛んだものは、坂の上へ、上へと運ばれた。そうして、一つ残らず、爺さまの毛氈の下手に、ころころと集まった。そのわけは、あっしにも見えた。毛氈の背には、あの太い欅が立っている。高い枝には、芽吹いたばかりの葉が、風にそよいでいた。四つの石が、毛氈の端を押さえているところへ、笠が一つ、手拭いが三枚、重箱の蓋が一枚、茶碗が二つ。
さっき笑っていた下男が、息を切らして、坂をかけあがってきた。爺さまの息子が、拾いあげたものの泥を袖でぬぐってから、ひとつずつ、黙って渡していく。下男は、受けとった笠をかかえて、坂をおりていった。百姓の女房も茶碗を取りにのぼってきて、受けとると、麦こがしの包みを二つ、息子の手に押しつけて去った。爺さまは、握り飯を食べ終えると、石の一つを持ちあげて、下の土を指でたしかめ、またもとのくぼみへ置いた。
風は、花も連れてきた。うす紅の花びらが、ぱらぱらと、毛氈の上に落ちる。いちばん最初の一枚が、爺さまの首すじにとまった。爺さまは、払わずに、握り飯をもう一口かじった。息子の連れ合いが、重箱に落ちた花びらを袖でかぶせようとして、手をとめた。かまぼこの上にも、一枚。坂の上は、しばらく、飛んだものを拾う人の声でにぎわった。
日がかたむくにつれて、風は、ときおり、おなじ向きから吹いた。そのたびに、庄屋の主は、年貢の話をやめて毛氈の泥を払い、毛氈は敷き直され、百姓の筵は裏返った。爺さまの毛氈には、花びらがうっすらと積もって、石の影にそって、ゆるやかな縁をつくった。谷の底の菜の花は、日が落ちるにつれて、色をなくしていく。
庄屋の一行は、毛氈をたたんで、爺さまの毛氈のほうへちらりと目をやってから、坂をおりていった。いちばん最後まで残ったのは、爺さまの毛氈と、隠居だった。日が落ちるころ、あっしは、残った握り飯の包みを帯にはさみ、笠をかぶり直して、坂をおりた。暗くならぬうちに、と足を急がせた。ふり返ると、坂の縁の毛氈だけが、夕日のなかで、うす紅にしきつめられて明るかった。
◇ ◇ ◇
あの坂に、ソメイヨシノは一本もなかった。あの白は、まだこの国のどこにも咲いていなかったのだ。
飛鳥山が町の者に大きく開かれて賑わうのは、それから五年後のことだとされる。あの日の坂を、ボクは、風のかよう静かな山として覚えている。
十年と少しの桜。四つのくぼみに、四つの石。爺さまの首すじに、いちばん最初に落ちた一枚。
参考文献・もっと詳しく
※ 八代将軍徳川吉宗が江戸近郊(飛鳥山=享保5年〔1720〕頃、隅田川堤=享保2年〔1717〕頃など)に桜を植え庶民に開いたのが庶民花見の大きな契機とされるが、植樹の年・本数・動機(行楽の場/治水のための踏み固め等)には諸説がある。庶民への一般開放は元文2年〔1737〕頃とされる。
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