第 30 話食土佐の宇佐の浜で、煤けた小屋の三本の節に付いた三つの値
〜軽い節のほうが、重い節より高い値だったのはなぜか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
「一本目は、いまここで渡せる。二本目は、明日の昼。三本目は、あと十日ほどかかる」
煤けた削り台の向こうで、親方は刃物を台に置き、そう告げた。値は、一本目を一とすれば、二本目が一つ半、三本目が倍。声は低く、抑揚がなかった。親方の指は、節を握りつづけてきた形のままに曲がり、爪の先まで煤で黒い。
嘉永三年(一八五〇年)の夏、土佐の宇佐の浜である。わしは、あと五日でここを発つ。東へ一月の道中で食う汁の足しに、よい鰹節を一本、頼みに来たのだった。宿の汁には、もう飽きている。
小屋の中は、釜の熱と煙で、立っているだけでも汗がにじみ、煙が目にしみて、わしは何度も袖で顔をこすった。浜には、煙の匂いがたちこめていた。小屋の裏では大釜の湯気が立ち、若い衆が煮あげた鰹の身を台に上げては、骨を一本ずつ抜いていく。冷ました身は隣の小屋の煙の中へ並べられ、年かさの男が薪の絶えぬようにひっきりなしに火をのぞいていた。煙を浴びた身は、真っ黒になる。その黒い肌を小刀で薄く削ぎ落とし、地の色を出して日に干すのだという。
小屋の前の砂地には、竹の簀がずらりと並び、日に干された節が肌を上にして寝ていた。若い衆がときどき通って、一本ずつ裏返していく。沖の空に雲がのぞくと、小屋じゅうの者が手を止めて、簀ごと軒の下へ引き入れた。どの小屋も、同じ手つきだった。
三本の節を見比べて決めるのは、わしの仕事だった。
削り台の真ん中は、長い年月に削られて、浅い皿のようにくぼんでいた。その上に三本を並べるのだと思うと、見比べる前から、台のほうに叱られている気がした。
竹籠から出された一本目は、ずしりと重かった。黒く煤けた肌は、ざらりと硬い。台の角で打つと、ごつ、と鈍い音がした。
若い衆が、奥の木箱を二つ運んできた。壁ぎわには同じ木箱が十ほど積まれていて、どの蓋の隅にも、小刀で刻んだ傷が縦に並んでいる。一つのもの、二つのもの、三つのもの。若い衆は、傷の多い箱ほど高い棚へ上げていた。いま台へ置かれた二つの箱は、一方が傷二つ、もう一方が三つ。三つ並んだ傷の下は、白い木地のままだった。

二つ傷の箱から出た二本目は、ひとまわり軽い。肌は濃い茶に変わり、ところどころに薄い青緑の粉が残っている。打つと、こつ、と一段高い音がした。
三つ傷の箱の節は、一面が青緑の粉をかぶっていた。若い衆が手でさっ、さっと払う。粉がふわりと舞って、乾いた土と古い木箱の匂いがした。下から出てきたのは、艶のある、琥珀に近い褐色の肌だ。
持ち上げて、わしは思わず親方の顔を見た。軽い。二本目よりも、さらに軽い。台に打ちつけると、こーん、と澄んだ音が梁に返った。小屋の中の誰も、その音に顔を上げない。毎日聞いている音なのだ。
一本目より軽いのに、値は倍だ。
親方は、黙って腰をあげた。三本の節を順に台へ置き、刃物を当てる。しゃっ、しゃっ。削り花が、三つの椀の底に、はらはらと落ちていく。そこへ煮えた湯を注ぐ。
一つ目の椀は、湯がにごって、脂の玉がうっすら浮いた。二つ目は、薄い黄色にとどまった。三つ目は、底の削り花が透けて見えるほど澄んで、琥珀の色をしていた。
親方は、三つの椀を、飲む順に、わしの前へひとつずつ差し出した。急かしもしなければ、感想も訊かない。わしが椀を置くのを待って、つぎを出すだけだ。
順にすすった。一つ目は、魚の角が舌に立つ。二つ目は、まるい。三つ目は、口に含んだあと、舌のずっと奥に、深い味がいつまでも残った。
「三本目は、もう幾度か、粉を吹かせにゃならん。そうなって、十日ほど先の味じゃ」
十日ほど先の味、か。椀を鼻へ寄せると、湯気の匂いに、思わず口もとがゆるんだ。いつもの匂いだ。ただ、ずっと濃い。底の琥珀が、湯気の向こうで静かに揺れている。
けれど、わしは五日で発たねばならない。宿に十日とどまれば、宿賃がかさむ。東で人と会う約束もある。指を折って日を数えてみて、やはり首を横に振った。

では、一本目か。値は三本のうちでいちばん安く、いますぐ持って帰れる。だが、一月の道中は、肩に荷が食いこむ日々だ。ずしりと重い一本目を、毎日かついで歩くことを思うと、手のひらがもう重かった。軽くて乾いた節のほうが、荷の底ではおとなしく、削る手間も少ない。二本目の一つ半という値は、一本目に比べれば重い。けれど、十日分の宿賃を思えば、釣りが来る。
「三本目は、十日も待てんのでな。二本目を、ひとつ頼む」
親方は、二本目の箱の蓋を、若い衆に戻させた。
「二本目は、粉を払うて、ひと日干してからじゃ。明日の昼に来い」
翌日の昼、小屋の前の簀の上で、二本目は日に当たっていた。粉を払っていた若い衆の手が、目にとまった。掌に粉が付き、指の股にも、爪の根にも、青緑の色が残っている。毎日あの箱にさわる者の手なのだ。本人は、気にもしていない様子だった。
昨日の粉はきれいに取れて、肌は濃い茶に光っている。竹の皮に包んでもらって手に取ると、昨日よりわずかに軽い。陽のにおいがした。
わしは、値の一つ半を払った。親方は受け取るなり、もう別の箱の蓋に小刀の先を当てていた。新しい傷をひとつ刻むのが、背中ごしに見えた。どの箱の傷なのかは、わからなかった。小屋を出がけに、壁ぎわの木箱へ目をやると、さっき三本目を出した三つ傷の箱は、高い棚の端へ押し上げられていた。三つ傷の下は、まだ白い木地のままだった。その箱が口を開けるのは、わしがこの浜を発ったあとのことになる。
二本目を荷の底へおさめ、四日後、わしは宇佐を発った。
道中三日目の宿で、竈の隅を借りて、はじめて二本目を削った。宿の竈の火は弱く、湯の沸くのを待つあいだ、わしは節を何度も手の中でひっくり返した。親方のように刃物を寝かせて引いても、花は出てこない。わしの小刀では、節は欠片になって、ぱらぱらと飛んだ。厚い欠片は湯に放ってもほどけず、椀の底に堅いまま沈んでいる。けれど、湯の色は、これまで泊まったどの宿の汁よりも澄んでいた。隣で飯をかきこんでいた旅の男が、椀をのぞいて鼻をひくつかせた。
「どこの汁じゃ、そりゃあ」
「土佐の浜で買うたものよ」
男は首をひねり、あすこは節の浜じゃったか、と言って、自分の椀の汁を、ふっと見下ろした。
それから毎日、ひとつかみずつ削った。薄い花が出ない日は、欠片を湯の中で何度も箸で押しつぶした。十日目に荷から出して比べると、削ったぶんだけ、節は指一本ほど痩せていた。軽い節は、肩にも荷にも、思ったよりおとなしかった。夜に荷をほどくと、底のほうから、あの乾いた土の匂いが、かすかに立った。
◇ ◇ ◇
ボクは、湯を沸かして、椀をひとつ出した。
削り節をひとつまみ、椀に落として、湯を注ぐ。ほどけて、沈んで、湯がゆっくり色づいていく。
椀を、両の手で包む。
椀の縁に、熱がある。
参考文献・もっと詳しく
※ 土佐の宇佐浦へ鰹節の焙乾法が伝わったのは延宝二年(1674)とされ、嘉永三年(一八五〇年)はそれから百七十年余りのちにあたる。
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