第 14 話寒い家のまんなかに小さな火を据えて、人の寄り集まった日のこと
〜炭ひとつかみの火を囲む宵に、独り身の老爺はなぜ手を温めながら目をしばたたいたのか〜
火鉢というのは、家じゅうを暖めてはくれぬものだ。
炭をいれた、ただの小さな器ひとつ。そこにともる火は、せいぜい両の手のひらを包むほどしかない。背を向ければもう寒いし、戸の隙間から這い込む冷えは、押し返す力もない。火鉢ひとつでは、広い板の間のすみずみまで暖めることなど、どだい無理な話さ。
それでも、その小さな火のまわりにだけは、ふしぎと人が寄ってくる。手をかざし、肩を寄せ、火を真ん中にして車座になる。寒い家のなかに、ぽつりと一点、ぬくもりの中心ができる。家を暖めるのではなく、人を一所へ集める——火鉢というのは、そういう道具だった。
ボクが見てきたのは、その小さな火を囲んで、人が身を寄せあう宵のことだ。炭のひとつかみが、寒い家のまんなかに、人の集まる場所をこしらえていく。その輪のことを、話してみたい。
◇ ◇ ◇
永享五年(一四三三年)の冬のことだ。おれは京の町なかを、炭を売って歩いていた。
炭売りというのは、寒くなるほど忙しい。背に負った炭俵が、冬のあいだはみるみる軽くなる。北山のほうで焼かれた炭が町へ運ばれてきて、それをおれのような者が、町家のあいだを触れ売りして回るのさ。冬の京は底から冷える。盆地というやつで、山おろしの風が町じゅうを吹きぬけて、骨の髄まで凍えるような寒さだった。
その寒い京で、人がどう暖をとっていたかといえば、火鉢だ。
もとは身分のある家の調度だったと聞くが、おれの歩く町家でも、たいていひとつは据えてあった。土を焼いた鉢や、木をくりぬいた箱に、灰を厚く敷く。そこへ熾した炭を、火箸でそっと埋ける。灰をかぶせて加減すれば、炭は赤く息づいたまま、長いこと暖を保った。煙も立てず、炎も上げず、ただ静かに熱を放つ。小さいが、たしかな火だった。
ある夕暮れ、おれは町はずれの、つましい一軒に呼び入れられた。
炭をひと俵もとめてくれた礼に、温まっていけと言う。遠慮なく上がり込むと、せまい板の間のまんなかに、古びた火鉢がひとつ据えてあった。家の者が四人、それを囲んで座っている。父親と、その女房と、童がふたり。火鉢ひとつを真ん中に、肩がふれあうほど身を寄せあっていた。
おれも輪に加わって、火鉢へ手をかざした。
じわりと、手のひらがほどけていく。外で凍えていた指の節が、ぬくもりを吸って、ゆっくりとほどけていく。たったこれだけのことが、たまらなくありがたい。火鉢の火は、家を暖めはしない。けれど、それを囲んでこうして手をかざすと、囲んだ者の手だけは、たしかに温まる。背中は寒いままだ。それでも、前に出した手と手が、同じ火を分けあっている。
女房が、灰のなかから焼けた芋をほじり出して、皆に配った。童らが、熱い熱いと言いながら、ふうふう吹いて頬ばる。父親が、今年は炭の値が張るな、とおれにこぼす。たわいもない話さ。けれど、その車座のなかには、寒い夜をしのぐ者どうしの、妙な親しさがあった。火を囲むと、人は自然と口数が増えるものらしい。
ふしぎなものだ。同じ屋根の下にいても、めいめいが部屋のすみに散らばっていれば、言葉などろくに交わさぬ。それが、ひとつの火鉢のまわりへ寄ってくると、肩がふれ、膝がふれ、自然と顔を見合わせることになる。すると、たいした用もないのに、ぽつりぽつりと話が生まれる。火が、人を向かいあわせにするのだ。手を暖めるために寄ったはずが、いつのまにか、心まで近くなっている。
◇ ◇ ◇
その家の隣に、ひとり住まいの老爺がいた。
女房が言うには、何年か前に連れあいを亡くして、それきり独り身でいるのだという。子もなく、身寄りもない。日がな縁先で日向ぼっこをして、暮れればただ寝るだけの、ひっそりとした暮らしだった。
その晩、女房は焼けた芋をひとつ、木の葉に包んで、童に持たせた。隣の爺さまへ届けておやり、と。童が出ていって、しばらくすると、その老爺を連れて戻ってきた。
爺さまも、火に当たっていきなされ。女房がそう言って、車座をひとつ詰めた。
老爺は、申し訳なさそうに框に腰をおろし、おずおずと火鉢へ手を伸ばした。節くれだった、骨ばかりの手だった。その手を火の上にかざして、しばらく、じっとしていた。
やがて、ぽつりと言った。
「ひとりの家は、火を熾しても、暖まらんでなあ」
炭は値が張る。独り身の家で、自分ひとりのために炭を熾すのは、もったいなくてできやしない。それに、と老爺は言葉を継いだ。たとえ熾したところで、囲む者がおらぬ火は、ちっとも暖かくないのだという。
「火というのは、ふしぎなものでな。ひとりで当たると、なんぼ熾しても寒いんじゃ。こうして、誰かと囲むと……」
そこで言葉を切って、老爺は、火鉢を囲む皆の顔を、ぐるりと見まわした。父親、女房、童ら、それからおれ。みな、同じ火に手をかざして、同じ赤い色に顔を照らされている。
「……こうすると、ようやっと、暖こうなる」
老爺の目が、うっすらと潤んでいた。火が熱いせいだ、と言いたげに、しきりと目をしばたたいている。けれど、それが火のせいばかりでないことは、その場の誰にも知れた。連れあいに先立たれてからというもの、この人はずっと、囲む者のない火のそばで、ひとりきりで寒い冬を越してきたのだ。
女房が、なんでもないふうに、炭をひとつ、火鉢へ足した。じじ、と小さな音がして、火がほのかに息を吹き返す。赤みが増して、車座の顔を、もうひとまわり明るく照らした。爺さまも、いつでも当たりにおいでなされ。そう言って、女房は焼き芋をもうひとつ、老爺の手に握らせた。
老爺は、その芋を両手で押しいただくようにして、また、目をしばたたいた。
◇ ◇ ◇
火鉢ひとつが、寒い家のまんなかに据わって、人を寄せ集めていく。
はじめは身分ある家の、ささやかな調度だった。それが町なかの暮らしへ下りてきて、つましい板の間にも、ひとつふたつと据えられるようになった。家じゅうを暖めることはできなくとも、その小さな火のまわりには、いつも人の輪ができた。家族が肩を寄せ、隣の独り身が呼ばれ、炭を足し、芋を分け、たわいもない話が交わされる。火鉢を囲むということが、いつしか、人と人とがつながる場そのものになっていった。
寒さをしのぐだけなら、もっと大きな火もあったろう。けれど、人を一所へ集め、肩を寄せ、語らいを生むことにかけては、この手のひらほどの小さな火に、かなうものはなかった。暖をとる道具が、いつのまにか、人の寄り集まるよりどころになっていく。火鉢の据わったところが、その家の、いちばん人の集まる場所になっていったのさ。
今では、寒い夜も、戸を閉ざせば部屋じゅうが残らず暖まる。手をかざすまでもなく、背中まで、足の先まで、まんべんなく暖かい。火を囲んで肩を寄せあう必要は、もうどこにもない。それぞれが、それぞれの場所で、暖まっていられる。
それでも、とボクは思う。
寒い夜に、誰かと同じ火に手をかざしたことを、思い出してみてほしい。背中は寒いままで、前に出した手だけが、じんわりと温まっていく。その火の向こうに、別の手があって、別の顔がある。家を暖めることのできない小さな火が、それでも人を寄せ集めて、独り身の老爺の目を、そっと潤ませた、あの宵があった。
火鉢の火は、家を暖めはしない。けれど、それを囲んだ者の手と、心とは、たしかに暖める。小さな火ひとつのまわりに、人が寄り集まる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
- 『暖房の文化史——火を手なずける知恵と工夫』ISBN 978-4-89694-831-8
- 『図説 日本住宅の歴史』ISBN 978-4-7615-2793-8
- 『日本の歴史をよみなおす(全)』ISBN 978-4-480-01700-0
- 『江戸の食生活』ISBN 978-4-00-600212-1
※ 炭火を器にいれて暖をとる採暖の道具は古くからあり、土製・木製の火鉢や火桶のたぐいは、室町期には身分ある家の調度として用いられ、しだいに町家の暮らしへも広まっていったと伝わる。灰を敷いて炭を埋け、火箸で加減して暖をとる方法が長く行われたとされる。火鉢は部屋全体ではなく、それを囲む者の手元を暖める道具で、人の集まる中心となったと考えられている。永享五年は一四三三年で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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