第 63 話食山あいの村で、豆を煮る八郎太の釜と二夏越しの壺の蓋
〜その男は、なぜ重石の石を一度ゆすっただけで、ほかを探さなかったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
匙の背にひと掬いのせると、ずしりと重い。湯のふちへ沈めて箸で押せば、ほろほろとほどけて、豆と塩の甘い匂いがのぼってくる。
味噌は、ボクには見慣れたものだ。だから信濃の山あいではじめて大きな壺の蓋が持ちあがったときも、匂いだけで中身は分かった。分かっていて、それでも目が離せなかったのは、壺よりも、その前に立つ男の手のほうだった。
◇ ◇ ◇
文明十二年(一四八〇年)、晩秋の信濃の山あい。朝の霜が、村じゅうを白くしていた。背の荷は塩も針もあらかた売れて軽く、そのぶん懐は寂しかった。応仁の乱が収まって三年になる、と前の宿で聞いたが、山あいの霜には、関わりのないことだった。
とある百姓家の庭先で、年かさの男がひとり、石を組んで大きな釜を据えていた。釜はこの家のものだ。男は隣の家の者で、名を八郎太という。豆の煮方なら八郎太に、と毎年この家から声がかかるのだと、あとで聞いた。
おれが荷を下ろして一服していると、八郎太は、こちらを見もせずに、薪の山をあごで示した。
「火の番がおらん。日の暮れるまで、飯と日当は出る」
それだけ言って、釜のほうへ戻っていく。断る理由は、おれのほうには無かった。手斧を借りて、割りかけの薪にかかる。水は家の男の子が、谷の水場から何度も走って運んできた。男の子の頬は寒さで赤く、手はしぶきで、いつも濡れていた。
庭では、家の者が総出で、朝から落ち着かなかった。一年に一度のことだ。家の主は、釜の据えかたひとつにも、ちらちらと目をやっている。八郎太は、そのどれにも顔を向けなかった。
前の晩から水に浸けてあった大豆が、ふやけて膨れて、籠から釜へあけられる。おれは火を焚いた。早く煮えるほうがよかろうと、薪をどんどんくべた。そのうち釜の底から、ちりちりと嫌な音がして、焦げた匂いが鼻をついた。
八郎太は、なにも言わなかった。おれの手の先から薪を二本抜いて火を引き、長い杓子で底をさらうと、焦げついた豆だけを別の椀に取りのけた。それから、浮いてきた豆を一粒つまんで、親指と小指のあいだに挟み、ぐいと潰した。豆は音もなくつぶれて、ねっとりした粉になった。
おれも同じに挟んでみた。まだ芯が残って、指を押し返してくる。火をうんと細くして、薪を割りなおした。釜の湯気の上がり方を、汗が冷えるまで眺めた。薪の太さをそろえ、炎が釜の底をなめる高さをそろえる。それだけのことが、思ったより難しい。火は、くべれば強くなるものだと、おれは頭では知っていた。知っているのと、釜の前で手が覚えているのとは、別のことだった。何度目かに挟んだ豆は、指のあいだでふっと崩れた。八郎太が、ようやく、釜の下の薪をぜんぶ引いた。

煮えた豆は湯を切って、庭に据えた臼へあけられた。冷めぬうちに搗く。おれが杵を握る。八郎太は向かいで、もう一本の杵を合わせてきた。交互に落とすうち、豆は搗くほどに、粒のかたちを失って、ひとつの重たい塊になっていく。腕がだるくなる頃、八郎太が臼のふちを軽く叩いた。もういい、ということらしかった。
搗きあがった豆に、塩と麹が混ぜられる。量る秤はない。八郎太は、塩を手ですくって、一掬い、二掬いと、口のなかで数えながら落としていった。その掌の窪みに載る塩の量は、きっと、何年たっても同じなのだろう。指は、塩のざらつきのなかを、休まず動いていた。塩が多ければ寝かせても腐らず、少なければ、暗がりで悪くなる。その境目を、八郎太は、指の腹だけで測っているように見えた。
混ぜたものは、拳ほどの玉に丸める。壺の内側は、前の日に湯をくぐらせて、陽にあてて乾かしてあった。水気がひとつ残っても、暗がりでは悪くなるのだという。玉は、ひとつずつ壺のなかへ叩きつけるように入れ、そのたびに、八郎太は拳で底まで押しつけた。隙間をなくすためだ。壺がいっぱいになるまでに、日はすっかり傾いた。おれの腕は棒のようになっていた。壺がいっぱいになると、表に塩をひと握り厚く撒いて、木の蓋をのせた。
蓋の上の重石は、おれが選ぶことになった。庭の隅から石を三つ四つ抱えて、いちばん据わりのよさそうな平たいのを運ぶ。八郎太はそれを蓋にのせると、手で一度ゆすった。かたりとも鳴らない。ほかの石を探そうとはしなかった。
◇ ◇ ◇
夕方、家の土間の隅で、八郎太は壺を二つ見ていた。仕込みの済んだ今日の壺のほかに、前から家にある壺が並んでいる。ひとつは小ぶりで、首に縄が巻いてあり、結び目がひとつ。もうひとつは古びて黒ずみ、結び目が二つ。夏が来るたびに、家の主がひとつ結ぶのだという。今日の壺の縄には、結び目がなかった。

八郎太は、結び目二つの壺の蓋を持ちあげた。蓋の裏には、白い塩の花が、うっすらと咲いている。中の味噌は赤黒く、つやがあった。表に白い膜が張っているところを、八郎太は杓子の先で、そこだけ丁寧にすくい取った。取った跡に、ふたたび塩をひとつまみ撒き、蓋を戻して、重石を手で一度だけゆすった。今日の石をゆすったのと、同じ手つきだった。毎日のように覗いてやる壺なのだろう。蓋の縁の木は、人の手の脂で、黒く光っていた。小さいほうの壺は、それよりずっと色が浅い。二つを見くらべるおれの横で、八郎太の唇が、かすかに動いた。小さな壺の縄の結び目を指でなぞり、それから庭のほうを振り返った。釜も、臼も、仕込んだばかりの壺も、もう薄暗がりに沈みかけていた。
その晩の汁は、二夏越した壺の味噌を溶いたものだった。実は、大根の端が二切れ浮いているきりだ。家の者は、いつもこうして食べているのだろう。具の少ないのを恥じる顔はなかった。それでも、椀を両手で包んで口をつけると、塩の角がまるくなっていて、豆の甘みが、あとから静かに追いかけてきた。この谷でも、この味が出るのだ。そう思うと、おれは、しばらく椀を置けなかった。秤のない手で、夏を二度、暗がりで待つ。その手のほうに、おれは感心していた。
家の主は、汁をおかわりするおれに、味噌の壺のほうをちらりと見て、目だけでうなずいた。八郎太は、その横で、黙って二杯目をよそっていた。
夜は、納屋の藁の上で寝た。寝る前に、日当にもらった銭を数え直した。何度数えても同じ枚数で、数え直す手を、おれは止められなかった。外では霜が降りる音がしそうなほど冷えていた。藁は湿って、体の下で冷たく鳴った。明日の宿も、明後日の宿も、決まってはいない。流れの身とは、そういうものだと分かっていても、冷えた夜は、いつもより長かった。
あくる朝、家の主が、朴の葉に包んだ味噌をひとつまみ、おれの手にのせた。八郎太は、もう隣の家へ手伝いに呼ばれたとかで、霜の道を登っていった。振り返りもしなかった。おれは葉の包みを懐へ入れて、反対の道へ歩きだした。霜はまだ解けず、踏むたびに、足の下で細かく砕けた。葉をとおして、味噌のほのかな温みが、懐の布にじんわり移ってくる。山道を二つ越えるあいだ、おれはその包みに、何度も手をやった。
◇ ◇ ◇
いまのボクなら、あの壺の暗がりで何が起きていたのかを、言葉で説明できる。麹が豆のたんぱくを細かく切りほどき、塩がそのあいだ、悪いものを寄せつけない。そう説明できたところで、八郎太が手で量っていた塩の一掬いが、軽くなるわけではない。
あくる年の秋、ボクは同じ谷を通った。庭に釜はなく、八郎太は隣の家の庭にいると、畑にいた人が教えてくれた。土間の壺の蓋を持ちあげていたのは、去年、水を汲んで走り回っていた男の子だった。蓋を置いたその小さな掌に、塩の白い粒がひとつ。
参考文献・もっと詳しく
※ 味噌は中世までに各地へ広がり、家や村ごとに仕込む「手前仕込み」の地味噌文化が成立したとされる。製法(大豆を煮て潰し、塩と麹を合わせて壺に詰め、重石をして寝かせる)は概説の範囲で描いた。夏を二度越すまで寝かせるという年数や、壺の首に結び目で夏を数える習わしは、土地・家による幅のある場面上の設定で、史実の定説ではない。八郎太は創作の人物である。文明十二年(一四八〇年)は応仁の乱(一四六七〜七七年)が収束したのちの時期にあたる。
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