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室町のころ・信濃の山あい読了 約6

甕の底で、待っていた味

なぜその女房は、見も知らぬ旅人に、自慢の一匙を差し出したのか

 いまの世の味噌は、どれもよく似ている。

 店の棚にずらりと並んだ袋を、ひとつ手に取ってみる。裏を返せば、いつどこで仕込まれたのかまで、きちんと刷ってある。封を切ればどれもなめらかで、汁に溶かせば、おおよそ同じ顔をした味がする。よくできている。文句のつけようもない。

 けれど、ボクは知っている。むかしの味噌に、二つとして同じ顔のものはなかった。

 家が変われば、味が変わった。となりの家とこちらの家とで、まるで別の食いものかと思うほどにちがった。塩の利かせ方も、寝かせる長さも、その家の女房の手の癖までも、みんな甕のなかにそっくり溶けこんでいたからだ。

 そうしてどの女房も、口をそろえてこう言ったものだ。「うちのが、いちばん」と。

◇ ◇ ◇

 文明十二年(一四八〇年)の秋。京の都では、長く続いた戦が、ようやく下火になりかけた頃あいだった。おれは塩や針を背負って、信濃の山あいの村を歩いていた。

 日が傾いて、ひと晩の宿を借りた百姓家でのことだ。女房が夕餉の支度にかかると、土間の隅まで行って、大きな甕の重たい木の蓋を、よっこらしょと持ちあげた。

 暗がりからふっと立ちのぼってきたのは、嗅いだことのある、けれどうまく言いあらわせない匂いだった。塩のかどと、煮えた豆の甘さと、なにか酒に似た、つんとくるものとが、ひとつにまざっている。鼻の奥がむずむずして、腹の虫が、おれの断りもなく鳴いた。

 なかをのぞくと、こっくりとした茶色のものが、底にたっぷりと寝ていた。表には白い塩の粒がうっすらと吹いて、霜が降りたように見える。豆を煮て、塩と麹を混ぜ、あとはただ暗がりに寝かせておく。たったそれだけのことで、なぜか、こんな深い色と匂いにばける。おれにはどうにも、不思議でならなかった。

 「ずいぶん、寝かせたものだね」とおれが言うと、女房は蓋を脇に立てかけながら、わが家の自慢でもするように胸をそらした。

 「こいつはな、もう三年越しよ。夏の土用を二つ越させると、角が取れてまろうなる。せいては味が荒れるでな。じいっと待つ。待ったぶんだけ、こっくり深うなるのよ」

 女房は木のへらを甕の底まで差し入れて、その茶色いものをひと掬いすると、おれの椀のふちに、ちょこんと置いた。へらの先で、糸を引くようにねっとりと垂れる。

 「旅のお人。これを、ちょいと舐めてみなされ」

 言われるまま、舌の先にのせる。しょっぱい。けれど、しょっぱいだけではなかった。塩の奥から、豆の甘みと、なんとも言えぬうまみが、じわりと追いかけてくる。舌の上でほどけて、いつまでも消えずに居すわる。塩の俵をかついで、汗くさい道ばかり歩いてきたおれの口に、それはしみるようだった。

 「うまい」とおれが正直に言うと、女房はわが子をほめられでもしたように、ぱっと顔をほころばせた。

 「じゃろう。これはな、わしが嫁にきた年に仕込んだ麹の、ずうっと孫みたいなもんでな。毎年すこうし種を残しておいて、それを次のに継いでやる。そうすると、味が地つづきになるのよ。だから、この甕の底には、わしの嫁入りの年から、ぜんぶ寝とるようなものさ」

 なるほど、味噌の底には歳月が寝ているのか、とおれは思った。それから女房は、ふと声をひそめてこう言った。

 「ついでにな、隣のおふくの家のも、舐めさせてやろう。村の寄合で分けてもろうたのが、すこうし残っとる」

 別の小鉢から、これもひと掬い、おれの椀のもう片方のふちに置く。なるほど色からしてちがう。さっきのものより、いくらか赤みが濃い。

◇ ◇ ◇

 舐めくらべてみると、たしかに、まるで別ものだった。隣の家のは塩がきりりと立っていて、舌の先をぴりりと刺す。けれどそのぶん、後からくる甘みが際立って、これはこれで悪くない。同じ豆と塩と麹から、どうしてこうもちがう顔が生まれるのか、おれにはやはり見当もつかなかった。

 ところが、それを言うと、女房は心外だという顔をした。

 「おふくのは塩がきつかろう。あれはせっかちでな、土用をひとつしか越させん。寝かせが足りんのよ。それに、家の暗がりがちがえば、おなじ仕込みでも、味はまるきり変わってくる。やっぱり、うちのが、いちばんじゃ」

 そう言って、また胸を張る。おれはおかしくて、つい笑ってしまった。

 その晩の汁は、その三年越しの味噌を溶いたものだった。実は大根が二切れと、菜っ葉が申しわけ程度に浮いているきりだ。それでも、ひと口すするごとに、体の芯がほどけていくようで、おれは椀を両手で包んで、湯気の向こうの囲炉裏の火を、いつまでも眺めていた。冷えた山道を歩いてきた身には、その一椀が、なによりのもてなしだった。

 寝るまえ、女房はもういちど甕のところへ行って、蓋の上にのせた重石の据わりを確かめ、ふちにこびりついた塩を指でぬぐっていた。聞けば、何日かに一度はこうして様子を見てやるのだという。表に妙なものが浮けば、すぐにすくい取る。寒さがゆるむ時分には、虫がつかぬよう、ことに気を配る。冬のあいだの冷えと、夏の土用の蒸し暑さと、その両方をくぐらせてやって、はじめて角の取れた味になるのだそうだ。手間をかけたぶんだけ、甕はちゃんと応えるのよ、と女房は暗がりに向かって言った。まるで、年寄りをいたわるような手つきだった。

 どの村へ行っても、これだった。女房という女房が、みな自分の甕を、この世でいちばんだと信じて疑わない。よその味を悪く言うのではない。ただ、自分の手で寝かせたものを、わが子のように思っているのだ。おれはその胸の張りようが、行く先々で、なんとも好もしかった。

◇ ◇ ◇

 あの頃の味噌は、買うものではなかった。それぞれの家が、それぞれの甕で、何年もかけてこつこつと仕込むものだった。

 豆を煮るのも、麹を寝かせるのも、ただ待つ。急いては味が荒れる。じっと待って、寝かせた時のぶんだけ、味が深くなる。その「待つ」が、その家の味になった。土間の暗がりの温み、汲んでくる水、塩のかげん、そして種として継がれてきた歳月。それらがそっくり溶けこむのだから、となりと同じ味になど、なりようがなかったのだ。

 いまは、どうだろう。

 甕は台所から消えた。味噌は大きな桶できっちりと量られて作られ、袋に詰められて店に並ぶ。味は、みごとにならされた。もう、どの家の味噌も、けんかをしない。便利になった。それはたしかに、よいことだ。

 それでも、ひとつだけ、あの頃の名残がことばのなかに残っている。

 自分のものをひかえめに差し出すとき、人はいまでもこう言う。「手前味噌ですが——」と。これはずっと後の世にできた言い回しらしいが、もとはきっと、あの甕の前で胸を張った女房たちの心もちから生まれたにちがいない、とボクは思っている。

 自分の手で、自分の甕でこしらえたものを、それでも「いちばんだ」と思わずにいられない。あの信濃の女房の、胸を張った顔。あれが、ことばだけになって、いまも生きている。

 ボクは、誰かがそう言ってはにかむのを聞くたびに、思うんだ。ああ、あの甕はまだ、どこかで、寝ているんだな、と。

参考文献・もっと詳しく

味噌は中世までに各地へ広がり、家や村ごとに仕込む「手前仕込み」の地味噌文化が成立したとされる。製法(大豆を煮て塩と麹を合わせ、寝かせて発酵させる)は概説の範囲で描き、寝かせ年数や土用の数え方などの細部は土地・家による幅があるため、女房の口伝え・経験則として相対化した。発酵を担う麹菌・微生物の働きという「なぜ旨くなるか」の理屈は額縁のボクの理解にとどめ、場面の女房は「暗がりに寝かせると化ける」式の経験則だけで語らせている。「手前味噌」の語は近世以降に定着した言い回しとされるため、室町の場面の会話には用いず、額縁の語りで「ずっと後の世にできた言い回しらしい」と相対化した。文明十二年(一四八〇年)は応仁の乱(一四六七〜七七年)が収束したのちの時期にあたり、「長く続いた戦がようやく下火に」という地の文と史実は整合する。

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